誤解を生みかねない
バラしちゃったね、しょーちゃん。
放課後、女子に絡まれてどーしてこーしてそーなったのかを、根掘り葉掘り聞かれたわけだが。
「純真無垢という言葉を具現化する神様が現世に降臨させてくれてた存在というのがしょーちゃんという個性であって全ての表情が神に与えられた現象であり我々現世の下っ端が触れられる案件ではないことをかんがみてあのご尊顔を間近に眺められる権限を私ごときが占有することに僭越至極ではありながらありがたく享受させていただくにあたり………………」
と、ちゃんと話したらみんな分かってくれた。
よね?
思ったより早めに放課後は解放されて、私はいつものように本川越駅の駅ビルの本屋でしょーちゃんと合流した。
男子はこんな時クドクド説明いらないんだねー、と思ったら、しょーちゃんのLINEはすごいことになっているそうだ。『リア充爆ぜろ』『デマを流すな』『これは呪いのLINEです』などという内容がすでに数十件寄せられているようで、しょーちゃんは今日はもうスマホ見ないと宣言していた。
烏頭坂へ向かいながら、隣へ視線を移す。
少し目線を下げた先には、平然としたしょーちゃんがいる。冬服のブレザーにグレーのマフラー姿だ。以前より制服に着られた感がないのは、背が伸びたせいだろう。
しょーちゃんは今回のこと、なんとも思ってないのかな。
「……しょーちゃん、あんなカミングアウトでよかったの?」
「ん? りーりは嫌だった?」
「嫌ではないけど、さっき三回くらい首締められて死にかけた」
「こういう時、女子は過激だなあ」
しょーちゃんがくすくす笑っている。
いつも通りのしょーちゃんだった。
特に気負いも何も無い。いつもの麗しい童顔である。
「学校で黙ってるのはリスクは高いなって、前から思ってたし。なんせ僕のカノジョはモテるんで」
「……彼氏できるとモテ始めるって、なんなんだろうね」
「あれ? もう少し告られ回数の記録伸ばしたかった?」
「いらんいらん。断るのだって、こっちの神経はちゃんと削られるんだから」
軽く「付き合ってみない?」みたいなカンジだったらまだいいんだけど。
顔面蒼白でガチな目をした「付き合って下さい」は、断るこっちも気使うのよ。きちんとゴメンなさいって頭を下げてんだけと、それはそれで相手も慌てさせるんだよね。
ああ、もし次があったら、「彼氏がいるんで」って、堂々と言えるのかあ。
考え込んでいたら、意味深な目をしたしょーちゃんが私を見ていた。口元は笑っている。
「りーりって、真面目だよね」
「なー、なー、なー!
何を今更っ」
「これだけ男振ってるのに、りーりへの逆恨み的な悪評はあまり入って来なかったなあ、って」
「……男子でも逆恨みとかあるの?」
「そりゃあるよ。振られてから相手を罵倒し始める男なんてザラだよ」
「そうなのっ?」
「男って無駄にプライド高いからね」
だけどさ、としょーちゃんが思い出すように上を向いた。くるんとした目が空を見上げている。
「1組の田端がりーりに告ったこと話してたんだけど」
「ううっ、陸上部の田端だね。この間告ってきた覚えあるよ……」
「りーりは深々頭下げてきて、田端が立ち去るまでずっと頭下げ続けてて」
「……はい」
「田端、その後も物陰から見てたんだって」
「うそー!」
「りーりは頭下げたまま蹲って動かなくなって。
気合い入れるためか、両頬バチンて自分で叩いてから立ち上がったって。振ったくせに泣きそうな顔してたらしいよ」
……すごいガチ告白だったからさ。
めちゃくちゃ緊張伝わってきたし。本気だったし。
私がしょーちゃんに告った時思い出したし。
私はOKもらえたけど、田端は振られるのかって。振るの私なんだけどさっ。
自分に置き換えたら、すごく辛くて小さくなった。いや、体はでかいんだけど。
あれ、全部見られてたのか……。
「佐伯は本気を本気で返す奴だった。悔いはないって、田端言ってた」
「うー」
「それ聞いたらさ。もう早めにバラした方がいいかなって。なんとなく黙ってただけで必然である訳じゃなかったし」
「……うん」
「今のままだとさ。
僕の自慢のカノジョも、疲れちゃうでしょ」
私は歩いていた方向をくるっと変えて、人ん家の壁に頭を付けた。ごちんと小さく音が鳴った。
じ、じ、自慢のカノジョ!
僕の自慢のカノジョって、誰っ?
カノジョ=私=僕の自慢
ここは全てイコールで繋げて、丸もらえますか先生っ。
名乗りを上げていいの?
私が自慢のカノジョって、大声で名乗り上げてバッタバッタと敵をなぎ倒せばいいの? てか、敵ってだれだ? 私は源平合戦時代の武士かっ。
「りーり?」
「……しょーちゃん、私の脳がシステムエラーを起こしたみたいで。ちょっと情報処理が追いつかない」
「そんな難しい話してたっけ」
「しょーちゃんはね、ときどき簡単に幸せ爆弾放り込んでくるからね、思考回路が致命的なショート起こすわけよ。せめて今から爆弾投げマースって、合図出してくれると助かるかなっ」
「合図出したらりーりの耐久度上がるの?」
「上がんないね! むしろ爆弾正面から抱え込んでど真ん中で爆死するね!」
「りーりってさ」
「なによ」
「そういう所すごい可愛いよね」
私は人ん家の壁にへばり付いた。
……しょーちゃんは、ゲリラ攻撃が得意な野戦司令官だった。
この人、合図してから攻撃なんてするわけない。
だって今、すっごい楽しそうだもん。イキイキしてるもん。
もう、次の攻撃考えてる顔だもん。
そんな相手に、私が勝てるわけがないのであった。
※ ※ ※
優しい声が私を包んでいた。
いつものように左手首を優しく撫でて、安心させるように言葉を紡いでくれる。
何を言っているかはわからない。でも大丈夫だよと言ってくれている気はした。
相変わらず瞼が重くて持ち上がらない。どんな人が私を撫でてくれているんだろう。
どうしていつもこんなに眠いんだろう。
女性の笑い声が聞こえた。
ぴりりと左手首に刺激が走った。
これもいつもの事。
……でも最近、手首に実際赤い線がついているような……。
夢から覚める直前に、ほんの少しだけ瞼が持ち上がった。
細く長い女の爪が、私の手首を刻む瞬間を見た。
※ ※ ※
ガシャン!
洗い物の最中に手が滑ってグラスを落とした。
やばっ。
「失礼しましたっ」
即座に声に出して、割れた破片を集めた。
『古狐庵』でバイトの最中である。
私は白いシャツを腕まくりして洗い物の最中だ。
基本仕事の時は水仕事多いから、腕まくりっぱなしだけどね。
少しぼーっとしてたかもしれない。
最近眠りが浅いんだよなあ。
さっきまで私がやっていた明日の仕込みを手直ししていたカイトが、洗い場を覗き込んできた。
片手を上げてスマンと謝ると、壮絶なイケメンは軽く眉をしかめて私の左手を見た。
「切れてるぞ」
「え?」
「破片でも飛んだか」
破片飛ぶような派手な落とし方じゃなかったけど。
でも実際に左手首に血が滲んでいる。
いつの間に。
カイトが背後の棚から防水の絆創膏を取り出した。
私の左手を取って、さらに顔をしかめた。少し表情が険しい。
手早く絆創膏を貼ってくれながら、お客様に聞こえない声で私に囁いた。
「お前、今日接客なしな」
……え? なんで?
訳がわからないまま、カイトにあれやこれやと仕事を告げられる。接客以外の細々としながらも山のような仕事量だ。接客以外でこき使う気満々のオーダーだった。
なんだよ、カイト。普段やらないような掃除とか、今必要あんのか?
カイトは完全無欠の爽やかスマイルでオーダー伺いドリンク・フード提供レジまでテキパキとこなしている。テーブルのスタンバイは流石に私にやらせてるけど、できるだけお客様と接触させたくないみたいだ。
だから、なんで?
ラストオーダーの二十分前にはお客様がいなくなったので、カイトはさっさと『本日終了』の札を出してしまった。いや、そこまで急いで店閉める必要あるの? 早くは帰れるんだけど。
ラストのモップ掛けを終わらせて、おつかれーって帰ろうとしたら、カイトに呼び止められた。カウンターに座れと言う。
仕事終わりにカイトが呼び止めるなんてほぼないんで。グラス割ったの怒られんのかなと、でもこの前もう少し高いティーカップ割った時はイヤミ一つだったよな、などと思いながら椅子に座った。
カウンターについた私の隣にカイトも座った。
厳しい顔をしながら、私の左手を取った。
「……りー、これなんだ?」
「何って、左手」
「阿呆でも答えられる内容を真っ直ぐに答えてくるな、阿呆。
この傷はなんだと聞いている」
「さっきグラス割ったじゃん。破片が飛んで血が出ちゃっただけ」
「お前はお前の体なのに、なんでそんなに無頓着なんだ。
改めて手首見てみろ」
手首……。
カイトが貼ってくれた絆創膏。
その上下にも傷跡がある。
細い傷跡が、古いのも新しいのもいくつもある。
最近なんだか左手首に傷がつくんだよね。深いものじゃないけど、気づくと細く血が滲んでいる。カサブタになったりもしている。
改めて見ると……多いな。
右の手首は、一本も傷跡はない。
なんで、左ばっかり。
「……なんじゃこりゃ」
「鈍いにも程があるな」
「いや、最近やたら左に傷多いなーとは思ってたよ?」
「……その左手首を見て、他人はどう思うか考えたことあったか」
「ないね」
「だろうな。お前は一番無縁なヤツだよな」
カイトが深々とため息をついた。
綺麗な顔に影が落ちた。
「……リストカット」
「は?」
「自殺願望のある女性が自分の手首を切る、いわゆるリストカットに走る事が多い。または対人関係による強いストレス」
「は? え?」
「手首を切ることを代償行為として自分を戒める。自分を傷付けることで精神が安定すると錯覚する」
「え? ええー?」
「右利きの人間がリストカットすれば左に傷が付く。
りーは?」
「右利き。
ちょっと待って、そんなん身に覚えないし!」
「わかってる。
だが俺だけわかってても世間はそうは思わないだろう」
あ。
だからカイトは途中から私に接客させなかったんだ。
あの店員さんリストカット現在継続中みたい、って見られないように。
改めて自分の左手首を眺めてみた。
そういう目で見ると、かなり痛ましい。
何度も繰り返し自傷したのか………………って、見えるんだね! これ、マズイね!
「カイト、どうしよう。私、何にも考えずにこの傷晒しまくってきた」
「腱鞘炎のフリして、医療用のリストバンドでもしろ」
「それいいね!」
「だが、これだけの数、偶然傷が付くものか?」
「というと?」
「一箇所や二箇所ならともかく、こんなに集中して左手首だけ傷がつくものか?」
「でもなんか、付いちゃってますけど……」
「りー、お前、また変なものに憑かれてないか」
えええー。
何かって、何ですか……?
うっかり、りーり。




