中間テスト対策
第6章始めます。
「……しょーちゃん。
お願い。少しだけ、待って……」
「もう待てない。早くしよう」
「でも、心の準備が……」
「何言ってるの。やるって決めたのはりーりだよ」
「だって……私……」
「ほら。覚悟決めて。
さあ開いて」
「ああっ、ダメっ」
私が必死の思いで閉じていたものを、しょーちゃんが力づくでこじ開けた。
数学の教科書を。
中間テスト範囲の頭の部分だ。
私は両手で顔を覆った。
「やだー。見たくもないー」
「数学から目を背け続けてきたんでしょ。中間テスト、三日後だよ?」
「三日後、川越に隕石が落ちるように神様にお願いするー」
「世界中のテスト受けたくない子供たちが、世界中の神にお祈りして達成されなかった願いだよ。
早いとこ諦めてね」
僕のカノジョがこんなに数学できないなんて思ってなかった、としょーちゃんが独りごちている。
悪かったね。
国英理社はそこそこ点数取れるの、私。
数学がっ! 数学だけはっ!
あ、物理もかっ。
苦手なんだよう。センスないんだよう。
しょーちゃんの部屋でちゃぶ台出してもらって、数学教わっているりーりです。
よくカイトが許してくれたって?
この前の数学の小テストをカイトのきれーな顔に突き出してやったら、道路で干上がったミミズを見るような目で私を見返してきた。
普段しょーちゃんのテストしか見てないカイトには刺激が強かったかしら。丸が二つしかついてないテスト結果なんて、見たことも無いはずだ。
しょーちゃんが教科書の公式を指でとんとん指した。
「公式は覚えてるんだよね?」
「うろ覚てます」
「完璧にして。ていうか、公式覚えるのがテスト三日前っておかしいからね?
で、なんでこの公式使うか理解して。次の公式もそれに繋がるから、どこで使い分けるかを……」
「しょーちゃん」
「何?」
「日本語でしゃべってください」
「!
りーりは国語はできるんだよね!」
「現代文は、ノー勉でいけます」
「なんで数学だと言葉が伝わらないんだよっ」
イラッたしょーちゃんが若干鬼化した。
ひたすら問題を解かせて理解させる方向に切り替えてきた。ひいいいいい。
問題を解いている最中に、太鼓の音が聞こえてきた。同時に鉦と、うっすらと笛の音も聞こえてくる。
これは、お祭りのお囃子の音かな?
「しょーちゃん、この音何?」
「川越まつりのお囃子のお稽古だよ。うちの近くに集会所があるから、時々聞こえてたでしょ」
「ああ、そういえば」
「お祭り近いから、練習が頻繁になるんだよ。この町内も山車持ってるから」
「あ、そうなの?」
「……この家のすぐそこに、山車をしまっておく建物があるんだけど。気付いてなかったの?」
「ん? ある?」
「背の高い建物あるでしょ、神社の隣にっ。木花咲耶姫って書かれたっ。
りーりは興味ないものは本当に目に入らないんだね」
「よく言われます」
「数学の、公式もだねっ」
「うー」
ぶっ続けで問題解いてたら、ポスポスと襖が叩かれて、キツネの三つ子が顔を出してきた。
最近自分たちの力だけで人の子の形をとることが出来るようになった子キツネたちだ。たまに狐耳が残ってたり、尻尾がはみ出てたりするけど。
おやつ、と言いながら、木の皿に盛ったぶどうをちゃぶ台に置いた。緑色のツヤツヤしたぶどうだ。
わーい、おやつだーと思ったら、童顔な鬼がギロッと私を見据えていた。
「あと三問」
キリのいいところまでやれってね! ほんと鬼だわ、しょーちゃんっ。
三つ子たちは私に関係なくもりもりぶどうを食べ始めた。この時期おいしいシャインマスカットだねえ。美味しそうだねえ。私も早く食べたいなっ。
しょーちゃんもぱくっとつまんでいる。
しょーちゃんおれがぶどう選んだ、おれ甘いのわかる、とシュウタが威張っている。おれが洗ったもん、おれお皿出したもんとエイタとコウタも張り合っている。
最近の子キツネたちは、しょーちゃんから褒められたい欲求が強いみたいだ。しょーちゃんもにこにこしながら褒めてあげるから、余計張り切ってるんだね。
おっしゃ、あと一問! というところで、私の口につるんとしたぶどうが当たった。思わずぱくんと口に入れると、さっきまで鬼だった人が甘い目をして私を見ていた。シャインマスカットの甘い香りが口いっぱいに広がった。
……これって、これってもしや、『あーん』ですかっ?
しょーちゃんが、『あーん』してくれたんですか?
うわあ、恥ずかしい。けど……超嬉しい。
甘やかなしょーちゃんと、ちょっと見つめ合っちゃったりして。今日もいいお顔、いただきました。
短い時間なのに、すごく濃厚に感じる。
心臓が、バクバクして、痛い。
――だがしかし。
ここには遊び盛りの子キツネが三人もいるわけで。
しょーちゃんがした『あーん』が、子キツネたちにはとても面白く見えたらしい。
まずはシュウタが私の膝に乗ってきた。手に持ったぶどうを私の口に押し付けた。
「りー、うまい?」
「う、うん。おいしいおいしい」
「りー! おれのもっ」
コウタが首に抱きついてきて、二個連続で私の口に突っ込んできた。
口の中がぶどうでいっぱいだ。もぐもぐが追いつかない。
「りー、おれのもおいしい?」
「お、おいひいお」
「おれもシュウタも、りーにあげたっ。あげてないのエイタだけ!」
「お、おれもあげる!」
「もうぶどうないもん。エイタはりーになんにもあげなかった」
子キツネたちがもりもり食べてたから、山盛りのぶどうはいつの間にか無くなっていたんだね。
エイタは悔しそうな顔をして兄弟を見ていた。
兄弟たちはドヤ顔だ。
いや、私にあーんしたくらいで、ドヤるほどのことではないぞー?
エイタはズボンのポケットを探った。
何かを見つけて、目を輝かせた。
エイタが、コウタの反対側から勢いよく私にギュッと抱きついてきた。勢い余って私はバランスを崩して背後に倒れた。うわっ。
正面にシュウタ右にコウタ、左にエイタだ。子供三人分の体重はさすがに支えられなかった。
寝転んだ私の口に、エイタが手の中のものを押し付けた。何か、小さな丸い実のようなもの……。
口に入った途端、ラムネよりも早くしゅわっと溶けた。甘いような苦いような、変わった味がした。
「リーにはおれのトクベツ、あげる!」
「エイタ、これ、何?」
「キツネの実! 強くなるやつ!」
「強く……?」
しょーちゃんが慌てて私の元へ来た。子狐たちを引き剥がして私を抱き起こした。
「りーり! 吐いて!」
「……今の?
もうないよ。すぐ溶けちゃった」
「そうなのっ? 影響、ないのか……?」
「変わった味したけど、特に……」
特になんともないよ、と言いかけて、私は目の前がグラりと回るのを見た。視界がぐにゃりと曲がったのだ。
そのまま暗転するまで、さほどかからず。
私は生まれて初めて、意識を失った。
明日テストなのに何も勉強してないっ、という夢をいまだに年一くらいで見ます。ちゃんとキモが冷えます。




