罠
夜デート?
伊佐沼公園をヒロさんと歩いていた。
伊佐沼は農業用水のため池の役割もしている、割と大きな沼だ。春は桜、夏は蓮の花が楽しめる場所らしい。伊佐沼公園は伊佐沼のほとりに隣接する割と大きな公園だった。
日が落ちて辺りは薄暗い。
日中子供たちが遊んでいる遊具にも影が差している。ターザンロープなどのアスレチックっぽいものや探検型の大きな遊具などがあるので、日中のこの公園は活発な子供たちの声で溢れている。だからこそ、夕暮れ時の誰もいないこの時間は閑散として寂しかった。
ヒロさんが不意に手を繋いできたので、私はぺいっと捨ててやった。余計なことすんな。
えーっとヒロさんから不満の声が上がった。
「りりちゃん、つれないー」
「当たり前です。何考えてんですか」
「恋人同士の体だから、当然かと思って」
「違うでしょ。履き違えないでください」
「俺はリアルでもいいと思ってるけどー」
「はいはい」
りりちゃんが話流すー、とヒロさんは不貞腐れた。
ヒロさんの左肩はまだ固定されたままだ。左肩は左腕ごとぎゅっと固定されている。生活は不便だろうな。
「肩、まだ痛いですか?」
「動かすとね。動かないように固定されてっから、今はノーダメージ。ただ、風呂とか大変だよー。右手しか使えないしさ」
「そうでしょうねえ」
「りりちゃんが俺の事洗ってくれる素敵なサービスとか……」
「あるわけねーだろ」
「ですよねー」
歩いているうちに、広場に出た。サッカーやキャッチボールなんかもできるくらい広いんだけど、ちょっと雑草多いかなー。
しばらく続いていた熱帯夜は去り、夕方は涼しい風が吹くようになってきた。広場にも緩い風が吹いていた。
広場を取り囲む樹木からポッカリと空間が開いて、空が見渡せた。星がいくつか瞬いているのが見える。時折通りかかる車の音がするくらいで、とても静かだ。虫の音だけは絶え間なく聞こえていた。コオロギかな、キリギリスかな。
ヒロさんがひょいと私を覗き込んできた。
「ムード満点、なんだけど」
「そう言えばですね。ここ、心霊スポットとして紹介されたこともあるらしいですよ。なんかそれらしいのが出るみたいですよー?」
「……りりちゃん、そのネタ、わざと?」
「わざとです」
「りりちゃーん……」
ヒロさんがじとっとした目で私を見た。
「せっかく二人きりになれたんだし、もうちょっと色っぽい話しようよ」
「やです」
「雰囲気作りって大事よ? 俺たち今恋人だよ?」
「恋人の体、ですよ。
……なんで本命とデート出来ないでいるのに、こんな役ばっかさせられるかな」
「何? 俺以外で誰かと恋人役したことあるの?」
「……カイトです」
「ははー、あのイケメンと恋人役してんの。お似合いだっただろうね!」
「チャラ男とギャルでしたけどね」
「マジか、ウケる! カイトのチャラ男とか、ないわ! 写真見たい」
「ありません。
あの時もしばらく不機嫌だったからな……」
「それって、誰のこと言ってんのかなー?
不機嫌になったヤツって、もしかしなくても、しょうのこと?」
確信犯な顔してヒロさんがニヤニヤ笑っていた。
……わかってて言ってるよ、この人。そんでそういうの大好きそうだよ。
私は敢えてつんとして答えてやった。
「ですが、何か?」
「本当に付き合ってるんだねー。すげえ意外。
りりちゃん、もっとスポーツマン的な彼氏いそうなんだけど」
「言っときますけど。私がぶっちぎりでしょーちゃんのこと好きなんで。キツネにも負ける気はしないんで」
「そりゃすげえ」
「だから放っといてもらえます?」
「やだなあ。放っておけない。めっちゃ構いたい」
ヒロさんが動く右手で私の肩を抱き寄せてきた。
何すんじゃ、こらー!
暴れようとする私の耳元で、ヒロさんが囁いた。
「始まったみたいだよ」
私たちのいる広場の中心を囲むように、グルリと人影が並んでいるのが見えた。遠目で顔立ちはわからない。少しづつ前進して私たちとの距離を詰めてきている。総勢三十人ほどだろうか。無言で私たちを見つめていた。
月明かりで、私たちを囲んだ人達の影が黒く地面に映った。
影は揺らめいているように見えた。地面の影はゆらゆら揺れて、本人の動きとは関係なく波に揺られるように揺れていた。
ヒロさんが私を守るように立った。
私たちを囲んでいるのは、人に見えるけど人じゃない。
キツネだ。
『キツネの目』に捕らわれて、影を操られたキツネたちだ。普段陽気な彼らは操られて、タヌキの守護者のヒロさんを狙っている。
キツネたちの影が大きく揺れた。ぐんと背丈を伸ばした。月明かりに関係なく黒い影はぐんと空に伸びた。本人たちの倍ほどに伸びた影が、本人たちを見下ろすようにまたゆらゆらと空で揺れ始めた。巨大な黒い影たちに囲まれて、気持ちが竦む。
怖い。
空を覆うように影が視界を塞いでいる。べったりとした黒い影は意志をもって襲ってきそうな気がする。
キツネの包囲はさらに詰められていた。彼らの顔が見分けられるくらいに近付いて来ていた。
キツネたちは手に炎を生み出した。
狐火だ。
青白く光る炎は徐々に大きくなり浮かび上がった。
狐火は上空で一つ二つと重なり合い、巨大な炎に変わった。
直系二メートルほどもあるだろうか。
私たちの真上でゴウゴウと音を立てて燃えていた。
不意に声が聞こえた。
甲高い男の声だった。
「……死ね。
タヌキの守護者を焼き殺せ」
……そこだ!
私の右斜め前方、キツネの輪の向こうにいる、人影!
私は影に向けて走り出した。キツネの輪がさっと避けてくれた。助かる!
自分の身体の中に授けられた炎を意識した。
キツネ遣いの力だ。
私に気付いて逃げ出そうとする人影に向けて、私は体の中を荒れ狂っていた炎を投げつけた。
「緊縛!」
人影が感電したかのように仰け反った。驚愕の表情をしていた。そのまま地面に倒れ付した。
誰かが走りよって人影を拘束するのが見えた。
カイトだ。
空の狐火はまだゴウゴウと燃えていた。
ヒロさんの真上だ。
いつ落ちてくるかわからない。誰もが目を離せない。
小さな影がヒロさんに近寄った。
凛とした声が広場に響いた。
「散開」
言葉と同時に、見慣れた熱のない炎が狐火を取り巻いた。キツネ遣いの力が巨大な狐火を解き、炎を落ち着かせた。小さくなった狐火はゆっくりと広場に降りて来た。
しょーちゃんが手を払うと、狐火は申し訳なさそうにまた小さくなって消えた。
あの巨大な炎が、しょーちゃんにかかれば呆気ないものだった。
「……みんな、無事?」
「「「しょーちゃん!」」」
しょーちゃんは私たちを囲んでいたキツネたちに取り囲まれてもみくちゃにされていた。順番に抱きしめられているようだ。キツネたちの愛がすごい。
その輪からぺっと吐き出されるようにして、ヒロさんが出てきた。
さすがに怪我人にそれはなかろう、と思わず駆けよろうとした私の足がもつれた。
お?
地面に転がる寸前で止めてくれたのは、カイトだ。そのまますくい上げるようにして私を抱き上げた。秀麗な顔がすぐ近くで私に向いていた。
少しだけ心配そうな色が見えた。
「力を使った後に動くな。懲りないヤツだな」
「……すんません。てか、姫抱っこいらなくない?」
「歩けんのか?」
「……自信ありません」
「まあ、今回はよくやった」
「カイトが褒めてくれるなんて珍しー。どうしたの? どこでその優しさ拾ってきた?」
「余計なこと言うな。このまま落とすぞ」
「前言撤回」
私は落とされないようにカイトの首にしがみついてやった。綺麗な顔が迷惑そうに歪んでいた。
この事件の首謀者はロープで縛り上げられていた。
若い文系っぽい顔立ちのキツネだった。この人が、ナオエさんか。
キツネたちが数人やって来て、ナオエさんは連れ去られて行った。
もみくちゃにされていたしょーちゃんがこちらへやって来た。身なりがボロっとなっていた。
「とりあえず、移動しよう。人の目がないうちに。
……それより、なんでりーりはお姫様抱っこされてるの?」
「りーのアホがヒロに駆け寄ろうとして腰抜かした」
「……密着度高くない?」
「カイトのバカが私を投げ落とそうとするから抵抗してる」
「それにしても……」
「りりちゃん、俺の事心配してくれたんだ!
ありがとう。もう、このまま付き合っちゃおうね!」
ヒロさんが調子に乗って私の頬をナデナデしてきた。止めんかい!
しょーちゃんがヒロさんを引っ張って私から距離を置かせた。
そのままニッコリとヒロさんに向き合った。
「ヒロ兄ぃも、無事で何より」
「しょう? 俺の足踏んでるよ?」
「わざとだよ。
ヒロ兄ぃも最後まで話聞く?」
「ここまで深入りして聞かずに帰れるかよ」
「じゃ、僕たち車で移動するから走ってついてきてね」
「お前っ、怪我人に対する仕打ちじゃないだろつ」
「ヒロ兄ぃはメンタル鋼だから、これくらいで丁度いいんじゃないかな」
つーかヒロ兄ぃはりーりに馴れ馴れしすぎ、とブチブチ言っているしょーちゃんに、ヒロさんが何やら弁明している。さすがに走りたくはないらしい。
カイトは少し首を傾げて見てたけど。
伊佐沼っ! 昨日行ったら、蓮無いじゃん!
今年はどうしたんだ、蓮っ!




