戦闘態勢
乙女の体内信号、オン!
宮野父は仕事があるからと言って、早めに去って行った。
雛ちゃんはしょーちゃんにまだ話したいことがあると残っている。雛ちゃんはしょーちゃんとお話できるのが嬉しいみたいだ。しょーちゃんもいつものように、にこやかに話を聞いてあげていた。
カイトは調べ物のため一旦自室に下がった。カフェのオープンも一時間遅らせると言っていたのだが。
私はうっかり切ってしまった野菜を荒みじん切りするように命じられた。ついでにこれも切っておけと、ベーコンとニンニクも渡された。
カイトのやろー、まだ自分が助けられたことに気づいてないな。ぶーぶー。
私は話し込んでいるしょーちゃんと雛ちゃんに新しく温かい紅茶を出した。店内は空調が効いてるからね。
先に出していたグラスを片付けていると、しょーちゃんが私を見上げてきた。ちょっと縋るような気配なのはなんでだろう。
「りーり。りーりも宮野さんの話聞けない?」
「私にはカイトのやろーに託された使命があるのだよ。あんにゃろ、ちょびっとだけど仕事増やしてきてさ。
……でも、少しくらいなら平気」
「宮野さん、夢の中で視線を感じるんだって」
視線。
視線かあ。
視線に関しては一年ほど嫌~な経験をしましたね。
しょーちゃんが私のことを雛ちゃんに、視線に付きまとわれた経験者、と紹介している。
雛ちゃんはちょっと目を見張って私に視線を送ってきた。私ののほほんな見かけが、そんな目に遭った風に見えない、ということだろうか。
「視線には一年ほど付き纏われたねえ」
「りーりについてたのは、結構厄介なヤツだったんだよ」
「私の時みたいに、雛ちゃんの背後に何も見えないの?」
「りーりの時も気配を感じる程度だったけど。宮野さんの背後は何にも見えないんだよなあ」
しょーちゃんが眼鏡を取って雛ちゃんを見た。背後をじっと観察している。
蒼みがかった黒い瞳が顕になった。くはー、相変わらず綺麗な目だなー。
眼鏡を取ったしょーちゃんを見て、雛ちゃんがしょーちゃんに釘付けになっていた。
発見してしまった、とその表情が言っていた。
「……加藤さんて」
「何?」
「ちょっと目が蒼いんですね。今まで全然気付かなかった」
「そう?」
「眼鏡取ると良くわかります。
眼鏡、ない方がいいのに」
綺麗、と雛ちゃんがぽそっと呟いた。
……こちら、乙女二号より、本部へ。警戒せよ警戒せよ。
こちら本部。警戒信号受信。戦闘準備を開始する。
……待て待て待て。
私の中にある乙女の体内信号、早とちりしない。
しょーちゃんの目は綺麗だから。誰もが綺麗だと思うから。
綺麗なものは綺麗って言うでしょ。
何もない。裏はない……ハズだ。
しょーちゃんも黙って眼鏡かけ直してる。
私は思いついて、カウンターに置いてあったしょーちゃんのシャーペンを持ってきた。どこにでもあるシンプルなシャーペンだ。しょーちゃんは文房具にあまり拘りはないらしいな。
何事かと私を目で追っていたしょーちゃんに、ほらほらと手渡した。
「たとえば、お守り代わりにこれを持っといてもらうとか、どう?」
「ああ、そっか。
……宮野さん、こんなのだけど、気休めになるかもしれないから。
あげるよ。僕の持ち物は悪霊を遠ざける効果があるみたい。
りーりには効いたよね」
「私はハンカチ貰ったよ。私の時は効果テキメンだった」
「あ、ありがとうございます」
雛ちゃんは大事そうにシャーペンを受け取った。顔が嬉しそうにほころんでいる。シャーペンをきゅっと握ったりして。
なんだか女の子っぽい反応する女の子だなあ。
さらに雛ちゃんは上目遣いでしょーちゃんを見つめた。
「……加藤さん、こんな時にこんなお願い、迷惑かと思うんですけど」
「ん?」
「私、英語が苦手で。
今年受験なのに、心配なんですよね」
「そっか。中三だから、受験生だもんね」
「あの、夏休みの間だけでもいいので、勉強、見て貰えませんか?」
「僕が?」
「加藤さんが学年トップだったこと、私たちの代で知らない人いないんで。頭のいい先輩と言ったら加藤さんですから」
「常にトップだった訳じゃないけどなあ。
いいよ、このカフェ使えばいいし。
ついでに夢の進捗も聞かせてもらえば丁度いいでしょ」
「本当ですかっ?
ありがとうございます!」
顔を赤くした雛ちゃんがしょーちゃんにお礼していた。
……こちら乙女二号! 緊急事態発生! 緊急事態発生!
こちら本部、ただちに戦闘員を配置……
こらー!
私の乙女信号、黙っとけ!
戦闘員派遣して何するつもりだ!
私が体内の何かとやり取りしている内に、一日ごとに雛ちゃんはカフェで勉強&夢の報告に来ることが決定した。ものすごく嬉しそうにしょーちゃんを見てる。
雛ちゃん、大人しそうな顔してちゃっかりしてんなあ。
……ちゃっかりか。やってみたい。
私はいつも勢いで行動することが多いから、何かを犠牲にしてることが多くて、失われた物も数多くあり……。
今だってカイトのしり拭いで仕事増やされ、しょーちゃんとのトークタイムを削られているのだ。
さらに明日からバレーの練習が入り、しょーちゃんと過ごす時間が泡のように消えていく予定でしょ。
……これは、私のメンタルヤバい。しょーちゃん欠乏症とかで病院に運ばれるかも。熱中症より可能性高いわ。なんだか、明日から不安になってきたじゃないの……。
そんなことも分からないカイトが、二階から降りてきてすぐさま目を剥いて怒鳴ってきた。まな板の手付かずの野菜が目に入ったに違いない。
「りー! まだ終わってないのか!」
鬼上司め!
今やるよ! お前みたいに包丁さばき早くないんだよ!
すこーしばかり後ろ向きだった気持ちが、お前のせいでほんの少し上向きにさせられたよ!
話し終えたちゃっかり雛ちゃんは、しょーちゃんに自宅まで送って貰うことになった。本当にちゃっかりしてる。
しょーちゃんが雛ちゃんを入口に誘導してる。
その二人の後ろ姿、しょーちゃんと雛ちゃんの身長差、ほぼ同じ……。
あ、お似合い。
と思った私を、私は呪いたい。
バカなのか、私。自殺願望あんのか。
自分の彼氏に他の女の子お似合いとか、思うな! せっかく上げたメンタルが一気に急降下しちゃう!
がっくり落ち込みそうになった私は取り敢えず、目の前の野菜たちに鬱憤をぶつける事にした。
なんでもないぞ。なんでもない。
しょーちゃんは誰にでも優しいし丁寧だし、特別にあの子に優しいわけじゃないんだから。
だから、気にすんな。
みじん切りに集中しろ。
おおおおおおー!!!
「なんだ、りー。みじん切りは早いじゃないか」
うるっせー、カイト!
今ちょっと落ち込んでんだよっ!
ちなみに私の切ったみじん切りたちは、翌日カフェで『バイトがミスった夏野菜のミネストローネ』という名前で格安で提供された。常連さんからアンコールを求められたらしいので、カイトの気分次第でまたみじん切りをやらされるかもしれない。
りーりよ、料理の腕が上がったな。




