新たな依頼
お次の事件は?
男性は川越の市議会議員さんで、宮野透さんと名乗った。市長の秘書さんから紹介されてここを頼って来たという。カイトが名刺を交換している。
「橋場界人」の名刺があるんだ。知らなかった。
娘さんは宮野雛さん。しょーちゃんの出身中学の後輩で、私たちの一個下、中学三年生だった。
「まずは、相談内容を当事者の方からお聞きします。
ここにいる人間は全て関係者です。お聞きした内容を外部に漏らすことは一切ありません」
カイトがテーブル席で宮野親子を前に切り出した。しょーちゃんはカイトの隣でちょこんと座っている。
私はお茶の準備だ。それが終わったら仕込みの続きが待っている。
まだサラダの野菜が切り終わってないんだ。うちのカフェ、葉っぱだけでも四種類入れるからちょっと手間かかるの。キツネの農家が毎朝届けてくれるから毎日違う野菜だよ。鮮度に関しては、さっきまで畑で生えてました、ってくらいの良さだよ。
あれ? 今日は葉っぱだけで五種類あるじゃん。大盤振る舞いありがとう。私の手間は増えたちゃったけどね!
そんで、私よりやることの多いはずのカイトの仕事は、見たところ綺麗に整っていた。仕込み終わってんのかい! なんだよ、その手際の良さ!
宮野父はカイトの言葉を受けて、顔を引き締めた。
「……実は、うちの娘が、何やらこの世の常識でははかれないようなおかしな現象に苛まされているようで、こちらはその筋の専門、ということでしたので……」
「どのようなことが起こっているのですか」
「それが、信じていただけるか甚だ疑問といいますか、私共も本当にそんなことがあるのかと、疑っている部分もございまして……」
「具体的に、どのような?」
「娘の妄想かと初めは思いましたが、親としてきちんと子供に向き合わなくてはならないと思い、専門の方にきちんと相談しようと……」
カイトが苛ぁっとしているのがわかる。
形のいい眉がぴくぴくしていた。
宮野父の言葉に、内容が詰まってないからだ。
雛ちゃんはお父さんに一任しているのか、下を向いたまま黙っている。
カイトのあの態度だと、こちらでは対応できません。今すぐにお引取りを、とか言って追い出しそうな雰囲気だ。
人から上手く話を引き出す。そういう機微が圧倒的に不足しているのが、カイトという男である。
あいつ、こういうとこ、ダメだよなあ。
私は四人分のアイスグリーンティーを持ってテーブル席に近づいた。今日も朝から暑いんで、冷たいお茶がよかろうよ。
コースターにグラスを乗せながら、なんとなくの風情で言葉を紡いだ。
「娘ちゃんが怖い目に合ってるんなら、雛ちゃんから話してもらえばいいんじゃないですか?」
「……!」
「お父さんはフォロー役になってもらって。雛ちゃんが話に詰まるようだったら、お父さんが上手く繋いでください。
雛ちゃんはうちの橋場より、加藤先輩に話した方がいいんじゃないの?
こんな愛想の悪い無駄に見かけだけいい男に話すより、うちの代表の方が話しやすいですよー」
「りー、お前な」
呆れたようなカイトを尻目に、雛ちゃんはおずおずと顔を上げた。カイトとしょーちゃんを見比べて、しょーちゃんに目を止めた。
「あの……加藤さんになら、話せそう」
「ほらね。カイトの顔、整いすぎてやたら怖く見えるんだって。周りに緊張振りまくなよー」
「りー!」
「イケメンやるのも大変だねー。
……何睨んでんの、カイト。私はもうカイトの顔なんて怖くないし。睨まれたって緊張とかしないし」
「お前……後で覚えとけよ」
「やだあ、店長怖ーい」
私たちのやり取りで、雛ちゃんの緊張がほぐれたようだ。笑顔が柔らかくなった。
よしよし。私の役目終了。
これで少しは話が進むでしょ。
さあ、サラダの葉っぱ切らなきゃ。早く終わらせよー。
仕事に戻ろうとカウンター向かいかけた時。
しょーちゃんがなんとも言えない表情で私を見つめていることに気づいた。口元がほどけてまなじりが少し下がって。
なんというか、優しくて甘い表情……。
ななななな何?
カイトなんぞより、よっぽど緊張するんだけど。
どういう意味合いの表情かなっ。
聞くに聞けない状況なんだけどさ!
急激に緊張した私は、カウンターの段差で思い切りつま先をぶつけた。
ぐぉっ、痛い……。
宮野家はこの四月に、今まで住んでいた家を手放して、駅前のマンションに引っ越した。
元々宮野家は農家の出だったそうで、以前は広い敷地に畑と家屋が建っているような造りの家に住んでいた。
だが、宮野父の今の家業は不動産業で、敷地の畑もほぼ使ってなかったらしい。それならばいっそマンションにするかと、駅前にできた新築の高層マンションの、高層階に引っ越しすることになった。
引越しは順調に進み、大量にあったダンボールもおおよそ片付いてきた頃だ。
雛ちゃんは変わった夢を見るようになった。
以前に住んでいた家の夢だ。
自分の部屋ではなく、リビングでもなく。亡くなった祖母の部屋に立っている夢だった。部屋の入口に立って、対角線上にある部屋の片隅をじっと見ている。
ただそれだけの夢を、何日か見た。
なんでおばあちゃんの部屋を見てる夢なんだろう。そう思っていたある日、新しく暮らし始めた家の夢を見た。
リビングに立っている夢だった。
二十二畳の広めに取ったリビングで、父の拘りがたくさんつまった部屋だった。L字の黒いソファとアイランドキッチン。壁には八十型テレビ。壁紙は白で、部屋が明るく見えるように、窓と間取りは設計されていた。
その壁がグズグズと崩れだした。何かの熱に溶かされるかのように、歪んで縮れ落ちていく。色も溶ける毎に黒ずんでいく。壁全体が変容したと思った時に、目が覚めた。
気持ち悪い夢、と思いながらリビングに行くと、両親が何やら騒いでいた。リビングに足を踏み入れて騒ぎの理由がわかった。
リビングの壁紙が、全てべらんと剥がれ落ちていた。
父が怒って業者を呼び出した。
だが業者が調べても、さっぱり理由がわからないという。とにかく迅速に修復を依頼し、その日は落ち着かないまま過ごした。
また別の日に、夢の中で雛ちゃんは、新しいマンションの駐車場に立っていた。
白くて大きい車の前だ。うちのお父さんの車だ。高級車なんだろうが、雛ちゃんは興味がない。父は週末には必ず懇意の業者に洗車を依頼していた。
その車が、唐突にゆがみ始めた。塗装が溶けだしたのだ。白い塗装が大きく垂れてクリームのように床に落ちた。次々に塗装が溶けて床に落ちて……
目が覚めた。
リビングではむすっとした母がいた。随分機嫌が悪いと思ったら、父の車が傷だらけになっていて、父はカンカンに怒っていたという。母は八つ当たりされてかなり不機嫌だった。
父は警察を呼び、事情を話しているという。防犯カメラを見ても犯人は映ってないらしい。修理代も大変な額になるそうだ。
私が夢の中で見たもの、溶けて見えたものに、翌日何かが起こっている。
そう気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
何かが溶ける夢以外には、やはり祖母の部屋を見ている夢を見た。時折物が溶ける夢を見る。
ゴルフバッグ、選挙ポスター、ノートパソコン、通勤カバン……。
決定的だったのが、愛犬の死だった。
「……ペットの、飼っていた犬のロミを夢で見たんです。チワワとシーズーのハーフで、白くて小さい子でした。
それが、夢の中で、ドロドロ溶けて、いって……」
声を詰まらせた雛ちゃんの肩を、宮野父が軽く抱き寄せた。雛ちゃんは大丈夫というように頷いた。
「翌朝、ゲージで死んでいました。老犬だったから、寿命と言われたらそれまでだけど、昨日までは凄く元気で全然死ぬなんて思わなくて」
「雛はその時に、夢のせいだと初めて言ったんです」
宮野父も辛そうに顔をしかめていた。ロミちゃんは愛されていた犬なんだろう。
カイトがタブレットをスクロールしている。データはすでに貰って目を通しているのだ。
「夢が起因で起こった事件は四ヶ月間で二十二件。大きな物から小さなものまで、様々ですね」
「はい。先程のペットのような件から、革靴の底が朝になって突然剥がれたりするような些細なものまで、何れも原因は不明です」
「心当たりなどは」
「まったくありません。
そもそも私は心霊現象だなんて思っていないんですよ。幽霊のせいなどと、馬鹿馬鹿しい。念の為にと勧められただけで。
……いや、こちらの機関を馬鹿にしている訳ではありませんよ。市長の秘書からの紹介ですしね」
「もちろんです。
全てを心霊現象のせいにするなんてことは、頭のおかしい馬鹿のすることです」
しれっと語るカイトに、宮野父は目を見張った。心霊現象の専門家からの言葉とは思えなかったのだろう。
ま、うちは心霊現象専門じゃないけどね。一般の人にはそう受け取ってもらった方が話が早い。
カイトは一旦言葉をおいて、宮野父を見据えた。
端正な美貌からの強烈な視線は、抉るほどに鋭かった。
「ただし、心霊現象が引き起こす事例が、現実にあることもお忘れなく。
我々はそのために存在していることも」
「あ……」
「もし我々をお疑いならば、我々にこのような事例を委託してきている川越市に、信頼出来る機関なのかご確認されては?
我々が行政から委託を受けていることを、ご存知ではなかったのですか?」
「存じております……」
「解決に導いた資料もお送りしています。解決に基づいたデータも添付しております。
そのような実績を元に市のほうから信頼を得て、長いお付き合いをさせていただいているのですが」
「……」
「他に信頼に足る情報を添えましょうか?
それでも疑問の余地があるのならば、他所を当たってもらっても……」
「カイトー、間違えて別の野菜切っちゃった」
私の一言に、カイトがゆらりと立ち上がった。
ズカズカとカウンターに入り混み、まな板の上の色とりどりの野菜を見て頭を抱えた。
人参、セロリ、玉ねぎ、ジャガイモ、トマト、その他、手当り次第である。
だって、カイトが止まらなそうだったからさー。
カイトって、相手がごめんなさいするまで徹底的にやり込める気質を持ってるから、適度に止めてやった方がいいんだよね。
相手がずたずたにメンタル切り裂かれてぐうの音もでなくなってから、イエスを無理矢理引っ張り出す現場何度か見たもん。カイトの下のキツネたちは苦労してると思うよ。
今回みたいに外部からの依頼の場合、やり込められて印象悪くなるのはカイトだし、しょーちゃんだからね。
その辺の機微を分かってくれてるしょーちゃんが、にこやかに場を取り持ってくれている。童顔で優しい風情のしょーちゃんは、にこにこ笑っているだけで気持ちを溶かす効果がある。
険しかった宮野父の表情がほぐれていく。さすが、しょーちゃん。
ただし、カウンター内の私の目の前は、非常に厳しい事になっていた。
カイトが私の鼻先三センチまで顔を寄せて苛立ちを顕にしている。慣れたとはいえ、完璧な美貌による苛立ちマックスの近接接近は心臓に悪い。
一応、カイトのお仕事円滑に進めるための手段だよ? しょーちゃんはわかってくれてるよ? カイトには微塵も伝わってないみたいだね?
背中をダラダラと汗が流れている。空調強めていいかな?
「……何してくれてんだ、りー」
「話聞きながら野菜切ってたら、勢いが余った」
「ここまで勢い余ることあるか? どんだけ適当に切ってんだ、お前」
「大丈夫だよっ。カイトは料理上手だしっ」
「結局俺に丸投げかっ!」
「こう見えても、悪いとは思っている!」
カイトが無言で私の耳を引っ張った。
痛い痛い痛い!
雛ちゃんが私たちを見ながら、「あの二人仲良いですね。付き合ってるんですか?」としょーちゃんに聞いていた。
しょーちゃんは「いやぁ……」と答えながら、ビミョーな顔して見てたけど。
いやあ、うっかりうっかり。わざと、うっかり。




