新たな苗床
疲れたカイト、暴走す。
カイトに呼ばれた先で、しょーちゃんがタブレットをスクロールしていた。モールのキノコの駆除状況が記されているみたいだ。その周りを数名のキツネが取り巻いている。しょーちゃんは小さいので、人の山に埋もれて見えた。
カイトが白い頬に憂いを湛えてしょーちゃんを見つめていた。あれは憂いじゃなくて、ただの疲れだな。しょーちゃんを眺めることでなんとか正気を保っている感じだ。
カイト、ギリギリじゃね?
「……じゃ、キノコの駆除はだいたい終わった、ということ?」
「ああ、キツネの目で見て、キノコは見当たらなくなった。残っているとしたら、本当に小さな個体だ。繁殖力が低いことを祈るしかない」
「苗床の、あの男はどうなった?」
「形が変わるくらい、背中にびっちりキノコが生えてたってよ。あのままだったら、いずれキノコに養分取られて死んでたかもなあ」
「精神もかなり侵食されてたからな」
「全部取り除けば、命は保つだろ。
途中で気を失ったらしいぞ。相当痛いんだろ、キノコをもぐ瞬間」
「しょーちゃんに声封じられてたけど、あれ、絶叫だよなあ」
「まだ作業中だろ。やる方もしんどいよ」
……話の内容が怖い。
鵜野森先輩はキノコを全部もがれた後、自宅マンション前に放置されるらしい。キノコがなくなればしょーちゃんの力は弱まっていくはずなので、一・二時間もすれば、緊縛も解けて声も戻ってるんじゃないか、ということだった。
しょーちゃん、とカイトが傍らのキツネが持っていた物をしょーちゃんに見せた。瓶に入ったキノコだ。三センチほどの白っぽい半透明のキノコ。モールで生えていた物よりちょっと実物感があった。
「しょーちゃん、これを途中で見つけた奴がいて」
「なんだろ」
「苗床の影響を受けてない、異界のキノコ」
「へえ、よく見つけたね。誰?」
「俺です。
もいでも消えないし、実物感があるんで、頭に持っていって相談したんです」
若いキツネがしょーちゃんに報告した。
しょーちゃんに話しかけること自体に緊張している様子だ。顔が強ばって青白くなっていた。
あのキツネにとって、しょーちゃんは雲の上の存在なんだろうな。
しょーちゃんはその肩をポンと叩いた。
花が咲くようににっこり笑った。しょーちゃんの極上の笑顔だ。
若いキツネがぽわっと上気した。
「すぐカイトに相談してくれたんだね。ありがとう」
「しょーちゃんっ」
「違いを見極めるのは簡単そうでいて、難しい事だよ。よくやったね」
「しょーちゃん、しょーちゃんが俺に話しかけて、しょーちゃんからお礼言われた……ヤバい、鼻血出そう」
「え……だいじょぶ?」
「興奮しすぎだ、お前っ」
しょーちゃんの言葉に興奮した若いキツネは、本当に鼻を抑えながらその場を離れた。別のキツネが介抱にかかっている。
嬉しすぎて、鼻血って。
キツネの中でのしょーちゃんのカリスマ性、相変わらずすごいわ。
「このキノコは、どうするの? 何か研究に使う?」
「それでもいいが、おそらく短い間しか姿を保てないだろう」
「苗床がなければ、消えるだけだもんね」
「その通りだ。そこで、俺は一策を講じてみたんだが。
……りー!」
脇でぼけっと話を聞いていた私に、カイトが急に声をかけてきた。秀麗な顔に笑みが浮かんでいる。こいつが私に笑いかける時って、何か裏がある気がしてならない。
なんだなんだ。私に何の用だ?
「……何よ?」
「生物の法則として、弱い個体は強い個体に淘汰されていくよな」
「それが、私に何か関係ある?」
「このキノコの性質上、苗床の感情が強く影響する。今回の場合、邪な感情が人に大きく影響を与えた結果、このような騒動になった」
「そうだねー」
「邪な感情でなければ、どれだけキノコが増えようが構わないんだ。騒動は起きないから、駆除対象にはならない」
「うん。分かるけど」
「それどころか、今僅かに残った邪な感情を苗床にしたキノコが淘汰されていくと考える。
そこで、りーの出番だ」
だからなんで、そこで私?
カイトは私の手を引いて、しょーちゃんの前まで連れて来た。さらにポンと頭を叩かれた。なんだ?
次にカイトはしょーちゃんの持っていたタブレットを預かり、そのままきょとんとしたしょーちゃんを、私の方へ勢いよく押し付けた。
勢いのまま、しょーちゃんが私に抱きつく形になった。
私の鎖骨にしょーちゃんの顔がごちんと当たった。
きゃああああ、しょーちゃんに抱きつかれたっ!
「わあ! ごめん、りーり!」
「いいいいいのいいの! ある意味個人的にはラッキーサプライズだからっ」
「ラッキーサプライズって、何?
てか、カイト! いきなり何するんだっ」
「ん、いいかな」
ぶちっ。
私の頭から、なにかがもぎ取られた音がした。
そして――
「痛―――――――――いっ!!!」
「よし、苗床への移植成功」
「カイト、あんた何やったのよ!」
「異界キノコに、りーの感情を植え付けた」
「はあああああ?」
頭を押さえ涙目の私の前で、カイトは先程の異界キノコをうっとりと眺めていた。さっきの、瓶に入っていたキノコだ。私の頭からもぎ取ったの、あれか?
カイトの目の下の隈が濃くなってる気がする。口元がずっと笑ってる形なのは、徹夜明けの変なテンションなんじゃなかろうか。
カイトの手にしたキノコは透明感が増して、向こうがよく透けて見えた。駆除していた個体より、ほんのりピンクがかっている気がする。
カイトがキノコを見て笑っている。憂いを帯びた色気のある美貌の笑みだが、ちょっと違う世界を見ている気がする。こいつ、大丈夫か?
「りーの、能天気で何も考えてないただただしょーちゃんを好いているという感情、人に悪影響及ぼす要素が微塵もないだろう。だからこの、りーキノコをモールに繁殖させる」
「おいおいおいおいっ」
「こいつが繁殖に成功すれば、今生えてる邪な感情のキノコもなくなって、一石二鳥。
お、この辺にでも植えておくか。大きくなれよ」
カイトは充血した目を上げて、街灯の高い位置にキノコを貼り付けた。高すぎて簡単に取れない位置だ。
なんか、なんか納得いかない!
「カイトぉ、あんた、こんなやり方で……」
「最速の解決法だ。
これで、帰って、寝れる」
「あんたの仕事を早く終わらせるためだけの作戦かよっ!」
「問題なかろう」
「私の頭的な補償はっ? ちょー痛かったし!
私の能天気発言に対する謝罪はっ? まるで私がしょーちゃん以外何にも考えてないみたいなんだけどっ」
「違うのか?」
「大部分しょーちゃんだけど、一応人として色々考えてるわッ」
「へー」
「信じてないなっ! すげー、失礼だからっ!」
私たちのやり取りを黙って眺めていたしょーちゃんが、カイトの手からタブレットを奪っていた。先程と別の画面が開かれているのが目に入ったらしい。
写真がいくつか載っている、報告書のようだった。しょーちゃんはその写真が気になったみたいだ。
私は何気なく、しょーちゃんが拡大した写真に目を向けた。
げっ。
チャラ男とギャルがべったりくっついてモールを歩いている。
ラブラブイチャイチャバカップルだ。
おそらく、しょーちゃんの話でいい感じに盛り上がって、いい笑顔になっていた所。
……昨日のカイトと私だ。
次の写真は――
ギャルを抱きしめてるチャラ男。
チャラ男の片手はギャルの目を覆っている。チャラ男の顔がギャルに限りなく近くに寄っているのは、ラブイチャではなく。
私の目を借りるとか言ってた時なんだけど。
そうなんだけど、写真だとなんでこんなにエロく見えるの?
そんで、いつの間に写真撮られてたのっ?
しょーちゃんが写真を見たまま固まっていた。
それはもう、カチンコチンに固まっていた。
なんだこれ、と顔が言っている。でかでか顔に書いてある。
その顔のまま、ぎこちない動作でカイトに画面を見せつけた。タブレットが微妙に震えていた。
「……カイト、これ何」
「ああ、カップルがターゲットだと聞いていたから、りーを使ってカップルのフリしてモールに出た」
「……なんで、りーり使うの」
「こいつの目は使えるだろ。実際キノコ発見したのもりーだ。連れ回して正解だったな」
「この、りーりの目を塞いでるのは……?」
「りーの目を借りたんだ。変なキノコが見えるって訳の分からんこと言い出すから。
目を借りようとしたら嫌がって暴れたから、締め上げてやった。たまに手間かけさせやがる」
「………………」
「それがどうした、しょーちゃん」
「……カイト。僕今日、烏頭坂帰らない」
「……へっ?」
しょーちゃんはふらっと歩き出して、さっきの鼻血青年の元へ行った。鼻血青年は鼻にティッシュ詰めて鼻をぎゅっと押さえたまま座っていた。唖然とした表情でしょーちゃんを見ている。
「君、芳野のばーちゃんとこの、キツネだよね」
「は、はいっ。マサシですっ」
「マサシ、今日一晩泊めて」
「よ、よ、喜んでっ!
ばーちゃんも喜びます、しょーちゃん!」
「ばーちゃんのトマト、おいしいからなあ。
もうシーズン入ったよね?」
「最盛期っす! 収穫間に合わないっす!」
「明日、僕も手伝おー。足はある?」
「すぐそこに、軽トラ停めてて」
「よし、行こう。
じゃあ、みんなお疲れ様」
「しょーちゃん、こっちっす!」
「マサシ、また鼻血出てるかもー」
しょーちゃんは、あっという間にマサシさんと姿を消した。
後に残ったのは、しょーちゃんよりカチンコチンに固まった銅像みたいなカイトと、キノコ狩りで集められたキツネたちだった。
キツネたちがざわざわしていた。なんでしょーちゃんが芳野で一泊することになったんだ? と、みんな首を捻っていた。
純粋な異界キノコを見つけた褒美か? カイトの奴が報告ミスったんだろ。芳野がトマトの時期だからだって。しょーちゃんがうちに来るには何をしたらいいんだ? うちのマンションでもしょーちゃんは来てくれるだろうか。今福にはトマトはないが芋でもいいか?
などと、議論があらぬ方向に飛んでいる。
ただ一人、冷静に場を眺めていたのは、昨日LINE交換したヤタさんだ。
ヤタさんは今日は動きやすいピンクのジャージだ。ラメ入りなのがヤタさんっぽい。白金のネックレスがとても似合っていた。
ヤタさんは私の傍によって来て、つり上がった目をニンマリと細めた。
「りーちゃん? 大体、読めちゃった」
「ヤ、ヤタ姐さん!」
「男どもは不粋でいやねえ。何かってえと、頭に責任押し付けたがるし、実力もないのにつっかかるし、場を乱して何かした気になってるし」
「姐さん、辛口ですね。
……で、読めちゃったとは?」
ヤタ姐さんは婀娜っぽく顔を上向けて笑った。
うわあ、色っぽい。
姉さんは私の肩に片手を置いた。
「りーちゃんは、しょーちゃんのお気に入り」
「……!」
「そういうことでしょ」
「そ、そうであると思いたいけど、決定的な何かがあったわけじゃなく、まだ言葉でもらったことなくて、一方的に私が押し売りしているといいますか……!」
「それでも、りーちゃんに彼女役やらせたカイトに腹が立つくらいには、りーちゃんのこと気にしてるのよね」
「……ソウナンデショウカ」
「なんで自信ないのよー」
「しょーちゃんは尊さ神レベルですから、何考えてるかまで推しはかれないというか」
「馬鹿ね。しょーちゃんはただの高一、普通の男子高校生だよ」
「あ……」
そっか。
ちょっと頭から抜けてた。
私たち、クラスメイトだ。
しょーちゃんも、普通に高校生だった。
ヤタ姐さんはカラカラと笑った。
「心配しなくても、高校生のレンアイ事情に口出すような野暮はしないわよ」
「ヤタ姐さんっ」
「しょーちゃんてさ、自分の感情出すのが物凄い下手な子なのね。周りに気ィ使ってばっかで」
「ああ、分かるかも」
「カイトに向けて爆発しそうな所を、逃げ出したんでしょ。
それなのに原因はなんだとか、あいつら馬鹿よね」
ヤタ姐さんはまだ議論中のキツネたちを鼻で笑った。
なんだかそんな仕草もお似合いです!
「りーちゃんはしょーちゃんの感情を揺さぶるキーマンだから。上手いことコントロールしてあげなよ」
「……んなもんできるはずねえ、とは思いませんか?」
「あら、あたしはりーちゃんには期待してるけどぉ?」
「ヤタ姐さん! そこんとこは、姐さんに随時、相談受付していただきたくっ」
「あたしに頼んなくも大丈夫よ。
本当に、どんだけ自分に自信ないの、りーちゃん」
「私が自信持ってるのは勢いだけなんですぅ。今までそれだけで全てこなしてきたんですぅ」
「わかりやすい子ねえ」
しょーちゃんも変わった子に目を付けたもんよね、とヤタ姐さんが呟いた。
私、変わってるんですか、姐さん!
そこ、詳しく…………聞くと、立ち直れなくなるかもしれない。ぼやかしておこう。私は、ほんのちょっぴり変わってる。らしい。
ヤタ姐さんはお綺麗な銅像と化しているカイトの襟首を掴んで歩き出した。さあ、飲みに行くわよー! と喚いている。この時間から開いている飲み屋……もあるのが川越だ。やきとん、カシラ食いてぇ、モツ煮もあるとこがいいー、ならあそこだな、などと行く店まで決まったようだ。周りのキツネたちがゾロゾロ姉さんについて行った。今日も朝までコースかあ、と呟いているキツネもいる。今の時間から朝まで飲むの?
私の脇を通る度に、お疲れとか、早く帰んなとか、ポンと肩を叩いてくれるキツネもいる。おばちゃんのキツネがまたね、と手を振ってくれた。
あれ、いつの間にか、私も輪の中に入れてもらってる。なんだか仲間が増えたと思ってくれてる?
それがなんだかこそばゆくて嬉しくて。
足取りが軽くなって、あらためてモールを眺めた。
たくさんの人が行き交う、明るい商店街。
ぶらっとお店見ながら歩くのが楽しい。
自分にご褒美、タピオカ買って帰ろっ。
後日談。
SNSで「川越で何にも考えずに告ると、だいたい成功する」「川越の商店街で勢いだけで告ったらOKもらえた」などの書き込みが増えたらしい。
私由来のキノコ、元気に生えてるの見えるけど。
どういう働きかけしてるんだろうね。
りーきのこ、しばらく働いてくれるかな?笑
第三章完結です。
ありがとうございました。
クレモはなんでもある商店街です。お店の入れ替わりも激しい。ちょっと間を置くと、こんな店あったっけ? となります。
もちろん、昔からのお店もたくさんありますよー。




