彼の気持ち
対決!
バスケで鍛えた百八十越えの鵜野森先輩と、華奢で小さなしょーちゃんが対峙していた。
私を助けてくれたけど、これはしょーちゃんのピンチじゃね? 喧嘩して勝てる相手じゃないよね?
こ、ここは女子ながら、私も加勢するところ?
「て、てめぇ、クソガキ、邪魔、すんな」
「先輩こそ、下がってください。半分正気じゃないし」
「ああん? 何、言って、んだ、テメエ」
「ヒトに向けてやったことないし。どの程度効果あるかも分からないんです」
「なんだ、と、コラァ」
「でも、僕も怒ってるんで」
鵜野森先輩が声を上げてしょーちゃんに掴みかかろうとした。
しょーちゃんが、鵜野森先輩に手をかざした。
しょーちゃん中心に炎が舞い上がるのが見えた気がした。熱のない炎がばっと燃え上がり牙を向いた。
キツネ遣いの力がしょーちゃんを取り巻き、渦を巻く。
「命ずる。緊縛」
鵜野森先輩の腕が自分の体に巻き付き、倒れた。足もくねっと巻きついている。
モゾモゾと動いているけど、身動き取れないようだ。鵜野森先輩の手足だけがギリギリと本人を締め上げている。
鵜野森先輩があらぬ方を向いたまま怒鳴った。顔も曲げられないようだった。
「テメェ! 何しやがった!」
「命ずる。沈黙」
鵜野森先輩から、声が失われた。パクパクしているが、音にならない。
先輩が焦った顔で何度も口を開けて叫んでいるようだ。しかし、声は音にならなかった。
しょーちゃんが、転がる鵜野森先輩を見下ろした。
冷徹な目は、大勢のキツネを従える統率者の貫禄を備えていた。小さな体から滲み出す威圧感は昨日今日で培ってきたものではなかった。
「あなたのそれは、犯罪だ」
「!」
「しかも、僕のカノジョに何してくれたの?」
「!!!」
「痛い目には合ってもらうよ」
ピイと、しょーちゃんが指笛を鳴らした。
すぐにキツネたちが数名、走り寄ってきた。
指笛の主がしょーちゃんと分かって、色めくキツネたち。相変わらず、どのキツネにもモテるね、しょーちゃん。
集まったキツネたちに、しょーちゃんは柔和な笑みを浮かべた。あどけない童顔からの柔らかい微笑みに、キツネたちがほわっとなっている。
さっきまでの冷徹な目をしていた人とは思えない。使い分け、すごい……。
「しょーちゃん! 呼んだかっ?」
「うん。キノコの苗床が見つかった。この男」
「おお、さすが、しょーちゃん」
「僕の手柄じゃないけどね。
全身にキノコが生えてると思うから、裸にひん剥いて全部引っこ抜いて。消えないキノコは焼却処分ね」
「……人から直接生えてるのか。これは、抜くと痛いと思うよ、しょーちゃん」
「うん。気にしないで」
しょーちゃんが、ちらりと冷酷な顔を浮かべた。
気のせいか、気温が一度くらい下がったかもしれない。
それくらい、酷薄な表情だった。
「この男に関しては気にしなくていい」
キツネたちは、何も言わなかった。
ただ一瞬、キツネたちの間で目が身交わされたような気がした。
何かあったらしいことは察したようだが、しょーちゃんの機嫌を損ねる方がヤバいと思ったのだろう。誰もがとばっちりだけは受けたくないと、無言で動いているようだった。
テキパキと鵜野森先輩はキツネたちに担ぎ上げられ、連れ去られて行った。
鵜野森先輩が連れて行かれて、私はその場にしゃがみ込んだ。
お尻、汚れてもいい。座り込んで膝を抱えた。頭も膝につけて、深々と息を吸って吐く。
あーーーーーー。
……怖かった。
凄く、怖かった。
痴漢にあった時、怖くて何も出来ない、なんて話聞いたことあったけど。
何言ってんの、大声上げればいいじゃん、て思ってたけど。
怖いよ。
本当に、貞操の危機ってヤツを感じると、ああいう時って、体が竦むのね。
声なんて中々出せないのね。
痴漢の常習犯て、それわかっててやってんのね。
……男って、怖いな。
隣にストンと、座る気配があった。
顔を上げると、しょーちゃんが前を向いたまま私の隣に座っていた。そのまま黙って座っている。
………………。
何も言わないな……。
私はしょーちゃんの無言に耐えられなくなった。なんで、黙ってるの?
躊躇いながら、しょーちゃんの袖をそっと引いた。
「……助けてくれてありがとう」
「うん」
「モールから離れてるのに、よくここがわかったね」
「カイトにりーり来てるって聞いてて。近くのキツネが、りーりが誰かに引っ張られてるの見たって言ってたから」
「まさか、鵜野森先輩が苗床だなんて思わなかった。学校では全然キノコ見えなかった」
「服で隠れていた所には生えていたのかも」
「それじゃ、気づかないよね」
しょーちゃんがまた沈黙した。
もともと口数が多い方じゃないけど、今まで会話に困ったことなんてない。
なんか、今日のしょーちゃんはおかしい。
「しょーちゃん、熱、大丈夫なの?」
「うん。朝には下がったし。
モールの作業が大々的になったって聞いて。キツネたちは僕がいるとやる気出すから、激励に来た」
「確かにしょーちゃんいると、キツネのテンション上がるもんね」
「うん」
またしょーちゃんは黙り込む。
うう、どうしたらいいんだよ。
なんか気マズイ。
気マズイよう。
……気マズイのは、嫌だ。
だから私は、強行手段に出ることにした。
しょーちゃんの目の前に移動して、しょーちゃんの目をじいっと見つめた。目を見張るしょーちゃんに構わず、彼の眼鏡も取ってやった。ちょっと蒼い綺麗な目があらわになった。
さらにじいっと見つめる。
しょーちゃんがたじたじと後ずさった。
「な、何?」
「昨日の夜、目を合わせてくれなかったから、取り返してるの」
「あ、あれは! 見慣れなすぎて、りーりじゃないみたいで……」
「それでもあれは私でしたから。りーり無理とか言われたし。
彼氏に目を背けられるって、割とちゃんと傷付くのよね」
「ごめんなさい……」
「だから普段見れない裸眼のしょーちゃんを見てる」
「ま、満足していただけましたか?」
「まだまだ」
私はしょーちゃんに手を差し出した。もちろん目は逸らさないままだ。
「手、握って」
「え?」
「私の手、握って」
「あ、はい」
「恋人繋ぎで!」
「ええっ? 恋人繋ぎ?
こ、こう?」
しょーちゃんが自分の指と私の指を絡めて握った。
恋人繋ぎだ。
……えへへへへへ。
つい、笑み崩れてしまった。
なんか、照れますがな。
ラブラブっぽいです。
強制したの、私だけど。
顔のニマニマが止まらんです。
しょーちゃんもつられて笑った。
「……何やらせてんの、りーり」
「恋人繋ぎ、したかったからー」
「これのこと?」
「そうだよー。狙ってたんだよー」
「そうなんだ」
「あとね、私自身に確認したくて。
……しょーちゃんは、怖くない」
しょーちゃんが私を見てるのが分かった。
私はしょーちゃんから目を逸らした。
さっきまでの、思い出したくない出来事を思い出していた。しょーちゃんにも、見られたな。
アスファルトを見て話す。
「……鵜野森先輩に触られて、凄く怖かったから。
男の人は怖いなーって」
「りーり」
「しょーちゃんのこと、大好きだけど、怖くなったらどうしようって。ちょっと、自分を警戒してた」
私はしょーちゃんと繋がれた手をちょっとだけ持ち上げた。
ただ嬉しいだけの、恋人繋ぎ。
手を繋いだだけで、今までこんなに嬉しかった事ないな。
えへへへへ。
「怖いどころか、嬉しくなった。
私はねえ、しょーちゃんのこと好きなのは間違いないらしいよ」
「……りーり。僕も考えてた」
しょーちゃんが私と繋がれた手を見ていた。
私としょーちゃんは、手の大きさは同じくらいだった。
しょーちゃんの指は、なんだかしなやかだ。
「りーりが僕を好きなのは、いわゆる吊り橋効果。
恋愛感情の覚醒との誤解から生まれたものだと思ってて」
「なんだかめんどくさいこと言ってるけど、異形から助かった時のドキドキを恋と勘違いしてんじゃね? ってこと?」
「そんな感じ。
だからりーりはあるときふと気づくんじゃないかな。なんで僕と付き合ってるんだろうって」
「はあ?」
「チビで童顔でスポーツ苦手で出来るとしたら勉強しかない面白くもない男で。
恐ろしい思いをすることの多い異形と深く関わりを持っていて、実際自分も巻き込まれてて、今も怖い目にあったばかりで」
しょーちゃんは淡々と語ってるけど、ほんのちょっと苦しそうだった。
しょーちゃんが逃れることのできない現実が含まれているから、だと思った。しょーちゃんは、一生異形と関わりを持って生きていくしかない。普通の、一般的な人間としては生きられない。
「深入りする前に、離れた方がいい。少しは恋愛気分も味わわせてもらったし」
「しょーちゃん?」
「りーりはモテるから、すぐに気の合う誰かと出会えるだろうし。すぐに僕のことなんて、どうでもよくなるだろうって」
「ちょっと待って、何言ってるの?」
私はしょーちゃんの手をぎゅっと握った。
なんか、これ、別れ話みたいになってない?
なんでこんなことになってんの。
どこからそういう話になったのよ!
「ついさっきまで、僕は君とはもう距離を置いた方がいいと思ってた」
「……なんで」
「僕といると、りーりはいつも怖い目に会うことになる」
「やだ! 絶対だめっ! ありえない!」
「うん」
しょーちゃんが私に向き合った。なんだか思い詰めているようだった。真面目な顔で私を見つめた。
「さっき、鵜野森先輩が君に触れているのを見て、絶対ダメだと思ったんだ。絶対許さないって」
「……」
「自分でも、そんな風に考えるとは思ってなくて。あんなに激しく感情が動くことなんてここしばらくなかったから。
気付いたら力一杯体当たりしてて……」
ああ、うん。凄い勢いだったなあ。
あんなにデカい鵜野森先輩が吹っ飛ばされてたもんね。あざやかにキツネ遣いの力で拘束してたし。
そう言うと、しょーちゃんはバツの悪そうな顔をした
「……たまたま、鵜野森先輩が半分異形に取り憑かれてたようなものだから、助けられたけど。
普通に喧嘩になってたら、フルボッコだったよね」
「そうなの?」
「そうだよ。当たり前じゃん。
僕が喧嘩強いわけないでしょ」
はい。それは同意見。私も参戦する覚悟したもん。
あの場では大声で助けを呼ぶ、が正解かな。
……でも、しょーちゃんは、それも覚悟して助けてくれたんだね。
しょーちゃんはまだ私と繋がれている自分の手を見つめた。
何かに区切りをつけたような、キッパリとした顔をしていた。
「だからね、僕もちゃんと自分に向き合わなきゃいけないと思って」
「自分に向き合う?」
「自分の気持ちを認めないと。自分の感情はコントロールできてるって、自惚れてたのもわかったし」
「?」
「自分を舐めてたよね。りーりを、かな。
ただ前みたいに戻ればいいなんて、軽く考えてて。できるわけないのにさ。
いろんな要因を考えすぎるくせに、大事なことを見落とすんだ、僕は」
「それって、つまり、どういうこと?」
「だから、僕は君を……」
しょーちゃーん、という呼び声が割と近くで聞こえた。絶対、カイトの声だ。
しょーちゃんが慌てて私の手を離した。眼鏡をかけて立ち上がった。カイト、と返事をしながら歩き出している。
しょーちゃん。
僕は君を……何?
何ー?
最後まで言おうよっ。
もやもやが、もやもやだよっ!
胸に巨大なもやもやを抱えたまま、私はしょーちゃんの後を追った。
ちょっとー? 私、もやってる!
もや、もやもやもやもや。




