発熱
りーりはこれでも、カフェ店員。
烏頭坂の坂の途中にある、『古狐庵』。
古民家をリノベーションした風情のあるカフェだ。
しょーちゃんの自宅であり、私のバイト先でもある。
キツネの護りで護られているこの川越で、護りが緩む綻びを見つける、という特殊なバイトをしている私だが、名目上はカフェの店員だ。
カフェの仕事も週に二~四日ペースでやっている。
この一ヶ月はお茶をいれる訓練を続けた。
腐ってもカフェ店員なんだから、茶ぐらいいれられるようにしろという、壮絶に整った容貌の店長のお達しだった。
お湯の温度、茶葉やコーヒー豆の量、カップの種類と温度、いれる時間、それぞれをきちんとしないと、お店の味にならない。
練習に使ったお茶やコーヒーをしょーちゃんが飲んでくれたけど、にこにこしながらきちんと正直な感想をくれた。
「これは罰ゲーム用のコーヒー?」「色がついている白湯だね」「お茶って香りあるの知ってる?」
普段からカイトの茶が標準の人は、お茶に、ものっそうるさかった!
それでも全部飲みきってくれるしょーちゃんに、またきゅんを重ねていたのだが。
性悪店長は口が悪かった。
「また茶葉がムダに」「温度が違うだろ、アホ」「お前、茶の練習だけで店潰す気か?」
少しは黙って見守れ! これでも頑張ってんだろーが! だから入ったバイトすぐ辞めちゃうんだよ!
なんとか一ヶ月お茶をいれまくって、ドリンクだけは私も出せるようになった。
次は簡単なスイーツの盛り付けに入るらしいが、
うるっせえ店長が嫌いになりそうなので、今の所逃げ回っている。
私がバイトの日はしょーちゃんもお店から帰宅する。裏にも玄関があるんだけど、私に付き合ってくれてるのだ。
しょーちゃんに気づいたカイトが、爽やかな笑顔を振りまいてしょーちゃんを抱きしめに来たのを、私は冷静に止めた。いつものことなんで。肩をぐいぐい押してカウンターにねじこんだ。
もちろんカイトは不満気だ。綺麗な顔面を不快そうな色に染めて私を斜めに睨んでくる。
「りー、何しやがる」
「そう簡単にしょーちゃんに抱きつくな」
「しょーちゃんの無事を確かめるのは俺の役目だって、前から言ってんだろ」
「目視でよくない? しょーちゃん元気って、見たら分からない?」
「ダメだ。俺が納得できない」
「単なる我儘か!
てか、今日はお客様もいらっしゃいますので、控えていただけますか。店長」
「う……」
テーブル席の二人の女性が、わくわくしながらカイトを見ていた。
週二ペースでやって来る常連さんだ。遅いランチの時に利用してくれているらしい。
そして私の見立てによるとこの二人。
腐女子である。
この前うっかりカイトの動きを捕らえ損ねて、しょーちゃんが抱きしめられたことがある。それを見たあの女性客たちの喜びよう。
……心の悲鳴が届きましたとも。
それ以来、カイトとしょーちゃんの動きは注目されている。私は邪魔な女子店員である。
「りー。さっさと着替えてこい」
「今行くっての。じゃね、しょーちゃん」
「うん」
「隙ありっ!」
カイトがしょーちゃんの頭を抱きしめた。すぐに顔が蕩けている。あーあ。
もちろん客席で無音の悲鳴が炸裂していた。
カイトがふいに真面目な顔でしょーちゃんを見直した。額に手を当て始める。
え? どした?
「……しょーちゃん、熱あるな」
「そう? そんな気はしないけど」
「いや、少しある」
カイトはしょーちゃんの眼鏡を外して自分の額をしょーちゃんの額にくっつけた。
壮絶に整った美貌の男と、幼いながらも綺麗な顔立ちの少年が、お互いの額をくっつけあっているのである。
お客様、悶死している。
カイトは親指を奥に向けてしょーちゃん入るよう促した。店の奥の階段から二階に上がると自宅になる。
「やっぱり熱高いよ。しょーちゃん、すぐ着替えて寝て」
「えー、熱なんて出てるかなあ」
「りー、今日はもう店閉めよう。終了の看板出して来い」
「……あれ。閉めるのはまずくね? 今日って予約入ってなかった?」
「あっ」
「七時から、例の」
例の、異形関連の疑いがあるお客様だ。
『古狐庵』は通常のカフェと並行して、異形が絡む事件の窓口もしている。紹介制で、こちらの業務を把握している先からの依頼となる。異形が絡んでいることを前提に事件を調べ直すのだ。
そんなに頻度があるわけじゃない。私がバイトに入って初めての依頼だった。
カイトが嫌そうに顔を歪めた。
依頼時に、来訪の時間は前後する可能性があると聞かされていた。連絡は入れるとのことだったが、店自体を閉めているのは、よくはない。あくまで私的にカフェに寄った、という建前が欲しいお客様もいる。
しょーちゃんはそんなカイトの肩を叩いて言った。
「僕のことはいいから、仕事しなよ。寝れば治るよ」
「しょーちゃんの熱は油断できないから。唐突に急変するだろ」
「きつくなったら呼ぶよ」
「そう言って呼ばなかったことが何回あるんだ、しょーちゃん!」
「今回はちゃんと呼ぶ」
「俺はもう騙されない」
軽く言い争いになってしまった。
話しているしょーちゃんが、ほんのり上気してきている気がする。本当に、どんどん熱上がってるのかも……。
私はカイトの袖を引いた。
「私が七時まで店番するから、それまでカイトは看病してなよ。今からドリンクのみオーダー受け付けるって、貼り紙つける。
ドリンクだけなら、私でもできるから」
「りー……」
「七時のお客さんは私じゃ無理だから、そこでカイトと看病を交代する」
「しょーちゃんの部屋にお前は入れんぞ」
「私にもしょーちゃんを看病させてくれー」
「却下だ」
「……じゃあ、依頼は手早く終わらせて。
私、店閉めはできるから、その辺はやるよ。
依頼をこなしたら、すぐ看病に戻ってね」
「いいだろう」
「……そこまですることないと思うけどなあ」
ボヤくしょーちゃんをカイトが自宅に追い出して、自分も二階へ上がった。
私は制服の上に黒いエプロンを付けて、頭には黒いバンダナを巻いた。本当は黒パンツに白シャツに着替えるんだけど、今日は急ぎだし。この格好で。
レジへお会計に来た先程の腐女子なお客様二人が、帰り際にぐっと、親指を立ててお帰りになられた。大変にこやかな微笑みを浮かべておられた。
……ご堪能いただいたようで、何よりです。
腐女子のお客様、またのご来店を心よりお待ちしております。




