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【完結】川越妖狐怪異譚 ~小江戸のキツネが人の恋路を邪魔してくる~  作者: 工藤 でん
第二章 お散歩デートは要注意

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痛いの痛いの飛んでいけ

幽霊の男の子。

ママは、ぼくがきらいみたいだ。


いつもぼくをたたいたり、どなったりする。

ぼくが上手にできないからだ。

ときどきだけど、ほめてくれることがあって、ぼくはそれがうれしい。でもぼくは、たたかれていることのほうがおおい。

ママを見てたいけど見るとおこられるから、あんまり見ないようにしている。ぼくの目が気に入らないんだって。ぼくはどうしたらいいのかな?


今日はあんまりおこられてない。

くるまのうしろでだまってすわっていれば、ママはおこらない。こっそりママをかがみで見てたらおこられそうになった。しゅん、てなる。

またおこらせちゃったかな。またたたかれるのかな。


くるまがきゅうに、どんて音がした。

ぼくの右がわのドアがこっちにきた。

あつい。あついよ、ママ。

ママを見たら血だらけで、しばらくうなってたけど、うごかなくなった。


しんだ。

ママ、しんだ。

ママがしんじゃった。

ママがしんだから……ぼくはもうおこられない?

ぼくはママから、もうたたかれないかな?


ぼくはしばらくそのままでいたんだけど、いい事をおもいついたんだ。

ぼくをたたかない、新しいママを見つければいい。

ぼくくらいの子どもがのってるくるまに、ぼくものればいいんだ。

だからぼくは、くるまを止めることにした――



※ ※ ※




男の子の思念が一瞬で飛んできた。

虐待を受けていた子供の、逆転の発想。


虐待をしない、新しい自分の母親を探す。

そのために車を事故に導く。

男の子は止まった車に乗り込んだんだろう。

だが、車が事故で止まっても、男の子は一緒に連れて行ってもらえない。この交差点から逃れることはできない。

だから、次の車を事故にあわせる。

あの子は、それを繰り返していたんだ。



しょーちゃんの背中から、男の子を覗き見る。

時々「ママ」と口が動く。その度に傷口から血が滴っていた。おぞましいけど、同時に切ない。

こんな姿になって、成仏できずに、ずっと新しい母親を探している。叩かないママを求めている。


しょーちゃんの身体から、炎が立ち上った。キツネ遣いの力だ。

しょーちゃんの力なら異形を消せる。この悲しい霊を消してあげられる。

だけど、消えてしまうのも、とても悲しい。



「……しょーちゃん」

「うん。これ以上、生きている人に被害が及んではいけない」

「そうなんだけど……」

「事故がまた起きてしまう。今度は死者が出るかもしれない」

「俺がやるか、しょーちゃん」


カイトがしょーちゃんの傍に立つ。冷徹な瞳が異形を捉えていた。カイトも異形を消す力を持っている。私はつい最近、それを目の前で見た。


以前見た異形は、着物だった。それを食いちぎったのがカイトだった。食いちぎられた異形は、断末魔と共に消えた。

この小さな霊も、カイトは食いちぎるのだろうか。男の子は断末魔を残して、消えていくのか。


可哀想、と思う私は、甘いのだろうか。



「ねえ、なんとかあの子を消さずに済む方法はないの?」

「「!」」


私の疑問に、しょーちゃんとカイトが一瞬驚いた視線を寄越した。すぐに男の子の霊に目を戻したが。

厳しい表情で、カイトが異形を睨みつける。


「あれは、危険だ。野放しにできない」

「野放しにしろとは言ってないの。あの子は異形だけど、もともとは人でしょ? ちゃんと成仏させてあげられないの?」

「……できないことはないが」

「やってよ」

「簡単に言うな。誘導が難しい。

霊の気持ちが、成仏する方向に向かわないと」

「りーり。霊はまずこちらの話を聞かない。

自分の思念に凝り固まってしまっているから、異形になるんだ。だから、説得は難しい」


しょーちゃんも残念そうに、そう言う。


でも、私は諦めきれない。

あんな小さな子が、母親を求めているだけなのに。

ただ消滅するだけなんて、あまりにも悲しすぎる。


「私が、やる」

「りーり?!」

「説得すればいいんだよね。私は今、あの子のママ候補だから。話してみる」

「りーり、危険だ!」

「いざとなったら、しょーちゃんが守って。

このままあの子が消えちゃうだけなんて、やだ」

「ダメだ! 君に害が及ぶかもしれない!」

「やってみなきゃ、わかんないじゃん! あの子だって辛いままじゃん!」



しょーちゃんは私をじっと見て、しばらくしてから嘆息した。

私を止めるのが無駄だと思ったのかもしれない。

異形の前に私を誘導してくれた。私の手をしっかりと握って。

ありがとう、しょーちゃん。

しょーちゃんに触れてないと異形が見えないんで。

それより何より、私だって怖いんで!



異形は酷く血の臭いがしていた。

右半身は損傷が激しくて、直視できない。

なるべく左側の目を見つめた。

あどけない、おとなしそうな男の子だった。

私はしょーちゃんの手を握ったまま、男の子に目線を合わせるため、しゃがみ込んだ。

血の臭いでしかめたくなる顔に、無理に笑顔を貼り付けた。


「ねえ、君。お姉ちゃんと話そう?」

「……おねえちゃん、ぼくのママになってくれるの?」

「私は君のママにはなれないよ。まだ高校生で、ママになったことないんだ。ごめんね」

「……そう。じゃあ、いらない」


男の子が私に向けて手を払うようにした。

途端にゴウっと強い風が吹き付けた。

体ごと飛ばされそうになる。

しょーちゃんが後ろから私を支えてくれた。


異形、なんだ。紛れもなく。

ただの男の子の霊が、こんなことできるわけがない。



私はもう一度男の子に向かった。

大丈夫、何度でも。

何度でも、気持ちが通じるまで。



「……お姉ちゃんはママにはなれないけど、君とお話することはできるよ。何か言いたいことはない? して欲しいことある?」

「……」

「なんでもいいよ。君の話を聞くよ」

「……」

「つらいことでも、いやなことでも、話を聞くよ」



男の子はじっと私を見て、眉を寄せた。

少しずつ、もぞもぞと左手が動いてきた。

損傷の激しい、右側の体をなぞるようにする。

上目づかいで私を見つめてきた。


「……いたいの」

「そうだよね」

「ずっと、いたいの」

「うん」

「……いたいのいたいの、とんでいけ、して」

「いいよ。ちょっと君に近づくよ。いい?」


こくんと頷く男の子は、本当にあどけなかった。

保育園に通っているくらいの年の男の子だ。痛いの痛いの飛んでいけ、って保育士さんにやってもらってたのかな。

私は男の子の右半身を、なんでもない風を装って撫でるフリをした。骨が、肉が、内蔵が見えている。全てが血に塗れていた。痛いなんてものではないだろう。死んでしまうような怪我なんだから。



なるべく明るい声を出そう。

男の子が一瞬でも痛みが忘れられるように。


「じゃあ、いくよ!

……痛いの痛いの、飛んでいけ!」

「………」

「もう一回やるよ!

痛いの痛いの…………飛んで、行けー!」

「……うん」

「もう一回!

痛いの痛いの、どっか遠くに、飛んで、行けーーーー!!!」


私が勢いよく天に向けて上げた手を、男の子がつられるように見ていた。ほんの少しだけ、唇が笑った気がした。


笑ってる。

男の子が笑っている。

それが、私に自信をもたらした。

男の子と一緒に、空を見上げた。


「……うわー、痛いの飛んだねえ。ほら、見える?」

「ええ? いたいの、見えるの?」

「見えるよー。ほら、あの雲の所。ソフトクリームみたいな形した雲、あるでしょ」

「ええー、どこー?」

「おいしそうなソフトクリームの雲だよ。食べたらきっと甘いだろうなあ。

あ、痛いの雲の中に入っちゃった」

「ええっ、たいへんだ!」

「そうだよ、大変だよ!

このままじゃ、カミナリ様が痛いのが入ったソフトクリーム食べちゃうよ!」

「カミナリさまが、おなかいたいいたいになっちゃうね」

「大丈夫! お姉ちゃんが、注意しとくから。

カミナリ様ー、美味しそうだけど、そのソフトクリームは食べちゃだめだよー! おなか痛くなっちゃうからねー!」

「あは、あははは」


男の子が声を上げて笑うので、私は男の子に目を戻した。

男の子の右半身は、事故の前に戻っていた。

ガリガリに痩せてはいるが、どこも流血していない。


……怪我をしていたのは、怪我をしたと思っている男の子の記憶だ。

怪我をしていなかった頃の記憶に改まったから、もとの姿に戻れたのか。

詳しくは分からないが、もうこの子は痛くないはずだ。


しょーちゃんがそっと私に寄り添ってきた。

小声で次の指示を出してくれる。

……うー、できるかな。

割と難しいことを要求してくる、しょーちゃん。


……やるよ。やってみますよ。

あんまり、期待はしないでよ?



私は男の子に手を伸ばした。

男の子が嬉しそうに私の手に縋り付いてきた。


「痛いの、なくなったね」

「うん、ぼくもういたくないよ」

「よかったね」

「うん!」

「ねえ、君はママのこと、好きだった?」

「……うーん」

「好きじゃなかったの?」

「ぼくはすきだったけど、ママはぼくのことすきじゃなかったとおもう」

「どうして?」

「ぼくがママのおもうような子どもじゃないから。ぼくはママをおこらせちゃうんだ」


男の子が、悲しそうに下を向いた。

虐待を受けていた子だ。

それでも、母親のことは好きだと言うんだ。

ずっと、母親に期待をしていたんだろう。いつか好きになってほしいと。


「……君のママは、君のことが好きだったよ」

「……どうして、おねえちゃんがしってるの?」

「君のママが死んじゃった時、君の事を考えていた事を知っているから」

「……」

「初めての子育てで、どうしていいかわからなくて、君を叩いてしまって、すごく後悔してた。本当は叩きたくなんかなかったんだよ」

「ほんとう?」

「本当だよ。どうしたら優しいママになれるのか悩んでた。死んじゃってからも後悔してるんだもん。

ねえ、ママの所へ行って、ママのことが好きって、言ってみない?」

「……」

「君も、ママが好きって、ママに言ってなかったんじゃないかな? 好きって言ってもらえたら、ママはすごく喜ぶと思うよ。お姉ちゃんが保証する」


男の子は私の顔をじっと見ていた。

私が笑顔で、ねっ! と言うと、つられたように笑った。それから、こくんとうなずいた。



そうだね。

君は、ママの所に行こうね。

きっと、ママも待っているから。





ママはちゃんと、ママだったんだよ。

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