キツネの守護範囲
キツネさんがたくさん登場します。
カイトさんの仕事現場というのは、運動公園から少し離れた農道の、十字路の交差点だった。
四方を田起こしされた田んぼに囲まれている。
この辺りでは、どこにでも見かけられる農道だろう。
カイトさんは数人の男性に囲まれて話し込んでいた。頭が一つ飛び出ている。背が高いからなあ。
しょーちゃんが近付くと、それに気付いた男性たちから途端に歓声が上がった。男性たちのきゃーは、ずいぶんと低音だった。
男性たちは満面の笑みでしょーちゃんを囲んでいた。一方的ににしょーちゃんに話しかけてはまた歓声が上がっている。アイドルの追っかけみたいだ。しょーちゃん、モテモテだな。全員男だけど。
その輪から弾かれる私。おお、激しい。
いい歳したおっさんも、若いにーちゃんも、顔がデレデレになっている。
こんな顔見たことあるわー。
とあるイケメンがよくなってるわー。
しょーちゃんが絡むとこういう顔になるってことは、この人たち全員……。
――キツネだ。
そう思って見ると、目が吊り気味で顔立ちが細面の人ばかりだ。キツネ顔ってあるんだな。
キツネたちに囲まれて、しょーちゃんの姿が見えない。
ちょっと、しょーちゃんは今どうなってるの? 仕事しなさいよ、あなたたち!
カイトさんが渋い顔で割って入って、しょーちゃんを自分の背に据えた。一応序列があるらしく、男性たちはカイトさんには手を出さないようだ。ある程度の距離があいた。
口から罵声は飛び出ていたが。
「静まれ、落ち着け! しょーちゃんが迷惑してるだろうが!」
「カイトと違って俺たちは久々のしょーちゃんなんだぞ!」
「うるさい。仕事をこなしてからにしろ」
「頭が、横暴だな! 誰かカイトを頭から引きずりおろせよ」
「できるもんならとっくにやってる。隙を見せないカイトは、圧倒的に小狡い」
「しょーちゃん、冷血で可愛げのないカイトなんか、今すぐクビにしちゃおうぜ」
なんだかんだと喚くキツネたちを、しょーちゃんはにこにこしながら眺めている。
どうやらいつものことらしい。
カイトさんは目一杯不機嫌そうだが。
しょーちゃんが私を手招きするので、私は恐る恐る近付いた。
キツネたちの注目が集まっている。
おおー、見られてるぅ。
しょーちゃんが私をにこやかに紹介した。
「彼女は、佐伯莉々香さん。
ご覧の通り人だけど、僕らキツネの事情は通してある。みんな、そのつもりでいて欲しい」
「いいのか、しょーちゃん」
「しょーちゃんの日常を、脅かす要因になるのでは?」
しょーちゃんは爽やかな笑顔で首を振った。
「彼女は異形とかなり深く関わっていたから。
僕が関わることで、事なきを得た」
「なんと……」
「命を取られる寸前だったのは、キツネの護りに綻びが出ていたからだよ」
「うっ……」
「護りは以前よりさらに固めてほしい。
カイトにも、みんなに通達する様に言ったはずだ」
「………………」
「俺は伝えたぞ」
カイトさんがギラリと目を光らせた。
キツネたちはバツが悪そうに目をそらせている。あからさまに向こうを向いているキツネもいた。
通達は届いていたが、具体的に動いていなかったような感じだ。今日提出の課題をやってこなかった高校生、みたいな雰囲気である。
しょーちゃんは改めてキツネたちを見回していた。
「さっき運動公園で、りーりは綻びに足を取られた」
「!」
「君たち、芳野のキツネの守護範囲でだ」
にこやかだったしょーちゃんの顔が、すっと真顔になった。
しょーちゃんの纏う空気が変わった。
ヒンヤリとした硬質な気配がキツネたちを圧倒した。
緊張感が辺りに漂う。キツネたちが小さくなったように見えた。
「僕は護りを固めろと言ったんだ。
それがほんの数日で綻びが見つかり、挙句に異形が人を襲うとはどういうことだ?」
「……異形も現れたのか」
「りーりは、引きずり込まれるところだった」
カイトさんが私に目を向けた。
私はその通りと頷いて、パンツの裾を上げて足首を顕にした。
うわー、自分でも引くくらい、足首に手形がくっきり残ってるぅ。
あれ、痛かったもんなあ。
しょーちゃんの纏う空気がさらに厳しくなった。
蒼みが増した黒い瞳が、きつくキツネを見据えていた。
「これが、川越のキツネの仕事か」
「……!」
「近隣の守護が一目置く、川越のキツネとはこの程度のものか」
「も、申し訳ございません……」
「謝罪はいい。己の職分を全うしろ。通達を徹底させろ。
お前たちが川越のキツネとしての矜持を欠片ほどでも持っているなら、己の名を貶めるような行動を取るな」
「かしこまりましたっ」
「まずは運動公園の綻びを確認。近辺も徹底的に捜査。わずかな綻びも逃すな」
「「「はいっ!」」」
「次はないぞ」
キツネたちは膝を折ってしょーちゃんに一礼し、すぐに散開した。全員、顔が真っ青だった。あっという間に姿が見えなくなる。
しょーちゃんとカイトさんと、私だけがその場に立っていた。
………………しょーちゃん。
すご。
キツネの守護者とか、キツネを統べるとか聞いていたけど、これホンモノだ。
ガチでキツネのトップに立ってる感じだった。
カイトさんが恐る恐るといった感じで、しょーちゃんを見下ろした。カイトさんの顔もやけに白い。さっきのキツネたち同様にビビってるみたいだった。
「……珍しいな、しょーちゃん。あそこまであいつらに強く出るのは。
普段は俺の役なのに」
「……」
「そこまで腹に据えかねたのか」
「……違うよ。ただの八つ当たりだ」
しょーちゃんは眼鏡を取って、片手で顔を覆った。
沈痛な面持ちで瞳を閉じている。
「本当は、僕が綻びに気付かなきゃいけなかったんだ。僕の失態だ。無駄にりーりを危険な目に合わせた」
「あんなの、気付くわけないじゃん! しょーちゃんのせいじゃないよ」
「気付くべきだったんだよ。眼鏡さえ取ればわかったんだ。
それなのに」
しょーちゃんが腹立たしげに地面を蹴った。
「……不甲斐ないと思って反省してたのに、綻びを探索する役を帯びているはずのキツネたちが、ものすごく能天気で。それ見てたら頭に来て……」
「ああ……」
「りーりの足のアザを見たら止められなくなった。
あんなに痕が残るような目にあったんだと思ったら血が上って……僕、やりすぎたな」
「いいよ、しょーちゃん」
カイトさんはニベもない。
黒い瞳がこの場を離れたキツネたちを追うように、遠くを見つめていた。
「最近キツネがたるんでいたのは事実だ。ちょうどいい。
しょーちゃんは歴代の守護の中でもダントツで優しいから、あいつらも甘えがちなんだ」
「そう?」
「しょーちゃんから直に叱責が下りたと広まれば、全体的にかなり引き締まるだろう。各班で哨戒コースの見直しでも始めるんじゃないか? いい薬だ」
しょーちゃんはカイトさんを見上げていたが、黙って頷いた。納得はしていないけど、今はそれで収めておく。そんな顔をしていた。
そして申し訳なさそうに、私にペコリと頭を下げた。
「改めてごめん、りーり。
酷いアザが残っちゃったね……」
「やだなあ、気にしてないよー。しょーちゃんのせいでもないし」
「でも、目立つくらいのアザだよ」
「平気平気。
帰りにハイソックス買って帰ろうと思ってたくらい。制服のスカートじゃアザが丸見えじゃない? 私、スニーカーインの靴下ばっか持っててさ」
「……ほんと、ごめん」
「うちの制服、ハイソックスでも可愛いと思うんだよ。可愛くない? 可愛いよね!
オシャレに目覚めたね、私」
「りーり……」
「月曜日の私は、オシャレな私だから。そういうことで、よろしくー」
あえてお気軽な口調で、ひらひらと手も振ってみた。
硬かったしょーちゃんの表情が緩んで、笑みの形になった。ぎこちないけど、ちゃんと笑顔。
よかった。しょーちゃんが元に戻った。
しょーちゃんは笑っててくれないと、私が嫌だ。
多分、カイトさんたちキツネもそうだろう。
思い詰めた顔とか、見たくないんだもん。
カイト、この辺りを見ればいいの? と交差点に向かうしょーちゃんを目で追ってたら、カイトさんが近づいてきた。
仏頂面だが、ちょっと空気が柔らかい感じがした。
「……小娘、いい仕事したな」
「? 何がよ」
「しょーちゃんは落ち込むと長いんだ。この短時間で浮上するなんて今までにない」
「そうなの?」
「自分の殻に閉じこもって、ほとんど話さなくなる。食事にも手をつけなくなって、体調も崩す。最低三日はかかると思っていたんだが」
しょーちゃんが眼鏡を外して辺りを見回していた。
いつも通りのしょーちゃんに見えた。
「小娘の能天気が、よい方向に働くこともあるのだな。今回ばかりは褒めてやろう」
「ねえ、その小娘って、そろそろやめない? 普通に失礼だよね」
「では、りー」
「私の呼び名決めるの早いな!」
「お前をどう呼ぶかなどというくだらない事を決めるために、割く時間が惜しい」
「あー、そーですかー」
ほんっとに、性格悪いな、このキツネ!
カイトー、としょーちゃんに呼ばれて、途端にでれっと美貌を崩す黒キツネを、私は軽く睨めつけてやった。
しょーちゃんは繊細で責任感が強いのだ。




