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それから1週間とたたず、またキリールから誘いが来た。
「来週オープンする洋菓子店から、開店前の差し入れが大量に届いてるんだ。来るだろ?」
来るだろ? て確定か。
もう私は開き直って、誘いにOKを出した。
せっかく権力者が構い倒してくれてんだ、とことん利用してやる。
お返しに、屋敷ひとつは吹っ飛ばせる新作魔法爆弾でも贈ってやればいいだろう。
と余裕だったのだが、まさかの連れてかれた先は奴の屋敷だった。
「でっっっっっか……………」
馬車から降ろされて屋敷を見上げ、絶句する。
なんやこれ。城か?
男爵のつつましい屋敷でも満足して暮らしていたのだが、公爵となるとやはりすごい。想像以上にすごい。魔連の塔よりでかいんじゃないか?
門から玄関まで馬車使うくらいの距離だし……。
私は尻込みしたが、意を決して足を踏み入れた。
ちなみに今日は、ローズピンクのドレスに例のエメラルドのネックレスである。約束の時間になると、研究室にわらわらと女性たちが入ってきて、当たり前のようにメイクされドレスを着せられた。一応事前に風呂には入ったんだぞ。
あとエメラルドの返品はもう諦めた。
私なんかを着飾って楽しいのか?あいつ。それともそういう趣味か?人形にでもやればいいのに。
中では、いつも通り隙のない服装に身を包んだキリールと、執事、女中たちが勢揃いで待ち構えていてビビった。自分の家でもキチンとしなくちゃいけないなんて、公爵ってのは悲しい生き物だな。
貴族はみんなそういうもんであることを失念している私は勝手に奴を憐れんだ。
「ようこそ、ヴェルアトリー公爵家へ。本日はわざわざお越しいただきありがとうございます」
もったいぶって挨拶するキリールに片眉が跳ね上がる。お前がほぼ強引に連れてきたくせに。
「ご招待、感謝いたします」
一応ノってやる。
差し出された手を自分の手を重ねると、スッと引かれて私はキリールの懐に収まった。いちいちドキドキすんな、私。
そのまま広すぎる屋敷内をキリールに案内され、応接間らしきところに通された。私は家同士の情勢に疎いが、ヴェルアトリー家ってのはレノワール王国においてかなり重要な位置を占める家であることはわかった。ただでさえ魔法師団長っていうおっかない肩書きがあるのに、ベースがこの公爵家とか、もう呆れしかない。
「すぐに準備させる。少しここで待っていてくれ」
ふかふかのソファに私を座らせると、キリールは部屋から出て行った。
それにしても豪華な内装だ。汚い小部屋暮らしの身分としては落ち着かない。
「シュノーリンネ=アレクシス様。本日はヴェルアトリー公爵家にお越しいただき、誠にありがとうございます。家の者を代表して、執事長であるわたくし、ロエステル=カルジャーがご挨拶申し上げます」
先ほどからずっとついてきていた老執事が、恭しく礼をした。
私は慌てて立ち上がる。
「こちらこそ、いきなり押しかけてきてすみません」
「押しかけるなどとんでもございません。坊っちゃまが……いえ、旦那様が女性を屋敷にお招きするなど初めてのことでして、我々一同非常に喜ばしく思っているのです」
気づけば、周りに控える数名の女中たちは、キラキラとした目で私を見ている。私は縮こまりたくなった。
「初めてって……あの、キリール、様は、それはそれはおモテになるでしょう?俄には信じられませんが」
「確かに女性とのお付き合いはなきにしもあらずですが、率先して屋敷に招かれる女性はアレクシス様だけなのです。ここ2週間ほど、旦那様は珍しく大変ご機嫌がよろしくて。我々といたしましても、貴方様とお会いできることを楽しみにしていたのですよ」
「未来の奥方様ですもの……!」
胸の前で手を合わせてうっとりするメイドその1。
「こら、まだ気が早いわよ」
その隣で小声で戒めるメイドその2。
「その、わたくし、裁縫が趣味なのですが、アレクシス様にはどのようなお召し物がお似合いかと、想像が尽きないのです!」
私をどこかのスターか何かと思っているような熱い視線を送るメイドその3。
待て待て、私、もしかしなくてもまたあいつの罠に嵌ったのか?
完全に外堀埋められてるだろコレ。
糖分!私に今すぐ糖分をくれ!倒れそうだ!
と、バタン!と扉が開く。
「お待たせ、リンネ」
爽やかに告げるキリールの後ろから、ぞろぞろとシェフたちが入ってくる。
あれよあれよという間にテーブルがセッティングされ、良い匂いのする洋菓子がズラリと並べられた。
さっきの死にそうな気分はどこへやら、テンションが爆上がりする。
「き、キリール、これ、全部食べていいの……?」
「ああ、一つ残らずお前のだ」
優しく答えるキリールが今だけは神のように見える。
「いただきます!」
はしたない?遠慮しろ?
知るか、んなもん!!!!!
甘いものの前では誰もが等しく無力なのだ!!!
そこからはもう、私だけの世界である。
ケーキにシュークリームにワッフルにクレープ。洋菓子のシャワーにダイブした気分だ。
我を忘れて心ゆくまで糖分を堪能する。
「ん〜〜〜おいし〜〜〜〜!!」
はたからそれを見守る、キリール始めヴェルアトリー家の皆様。
「な?よくわかったろ?」
「はい……アレクシス様に大変ご無礼であるのを承知して言わせていただくと……これほど可愛らしい光景はこの世に存在いたしません」
「私が惚れそうです」
「守りたい、この笑顔」
「服など重要ではないですね……お菓子の国の妖精のようであられます」
その場に残っていたシェフも、一様に頬を緩ませる。
「ああ、わたしがアレンジしたものまで美味しそうに召し上がってくださる……」
「最近サンドイッチを作ることが至高の喜びになってまいりました」
地味にいた洋菓子店のオーナーも、感激のあまりハンカチで涙を拭っている。
「ぐすっ……これこそが……我々パティシエにとっての最上の幸せでございます……」
皆に拝まれそうになっているのを、スイーツに夢中な私は気づかない。
結局私は大勢に見守られながら、壁のように並べられたスイーツの山を全て、食べ尽くしたのだった。
ふぁ〜〜〜〜食った食った〜〜〜〜
私は膨れた腹をさすりながら、満足げに食後の紅茶を啜った。この紅茶も、ヴェルアトリー家のシェフが手間暇かけて淹れてくれたらしい。
ヴェルアトリー家最高。
嫁入りしたろか。
と、ハッと我に返る。
いかんいかん、私がチョロすぎる。
ここは敵陣の真っ只中、気を抜けばあっという間に持ってかれるぞ。
「満足したか?」
向かいのソファに座ったキリールが、コーヒーを啜りながら私に尋ねた。
気づけば時刻は昼を回り、優雅な昼下がりの陽気が部屋を包んでいる。
いつのまにか大勢いた使用人ははけ、キリールと私の二人きりだった。
「ああ、私にはもったいないくらい美味なスイーツだった。オーナーによくよく礼を申し上げてくれ」
微笑みながらそう言った。
「オーナーはお前の食う姿を見ていたく感動したらしくてな。新作を出すときにはお前に味見してほしいと言ってたぞ」
「はは、なんだそれ。贅沢な」
私は満腹のいい気分で体を少し傾け、ソファの肘掛けに寝そべった。ネックレスのチェーンがチャリ、と鳴る。
「なーんか、夢みたいだ」
「夢?」
「そう、夢。最近は幸せなことが起こりすぎる。美味い飯ばかり食って、誰も私に嫌な顔一つしない。穏やかな日々すぎて、落ち着かないよ」
キリールはことりとコーヒーカップを置き、組んだ膝の上で手を組んで、話を聞く体勢になった。
「2年前まで、盗賊団で生活していたようだな」
「7つの時に人攫いに誘拐されてから、9年間な。あれも別に悪い日々じゃなかった。盗賊団の仲間はみんな気のいいやつで、馬鹿ばっかで貧乏だったけど、みんなで助け合って生きてた」
心地よい微睡の中、ついこの間までの生活に思いを馳せる。
「いろんな国を回ったよ。豊かな国、貧しい国、金銭的には豊かだが民の心は死んでいる国、財力は乏しいが未来への希望に溢れた国。戦火も浴びたよ。理不尽な暴力で仲間を失ったりもした」
決していい暮らしじゃなかった。そもそも盗賊のメンバーが、戦争孤児だったり主人のいびりに耐えきれず逃げ出した奴だったり、悲壮な境遇の寄せ集めだった。
女だとバレれば襲われるような国もあった。女子供が奴隷にされて鞭打ちされているのも何度も見た。
だけど私たちは女であるボスを誇りに思っていたし、互いに不足しているところを補い合った。頭は足りないが戦闘や力仕事で本領を発揮する男どもを、体力のない私は魔法化学の知恵で必死に支えた。
「リンネ、お前はなぜ武器開発に行ったんだ。魔法化学にしても、もう少し穏やかな分野があったろ」
おもむろにキリールが尋ねた。
表面的には「魔具開発部門」と銘打っているが、実質やっていることは主に騎士団へ提供する魔法兵器の開発だ。
もちろん国の防衛に関わることだし、悪用されないように細心の注意を払っている。だからこそ言い出しっぺの王太子の配慮は欠かせない。
「”令嬢”の行くところじゃない、てか? まあ、そうだろうな」
私は苦笑した。
「女は無力だろうか」
呟くように言った。
「うちの盗賊団のボスは、四十すぎの女だったんだが、先の戦争で5つになる娘を失った。目の前で家ごと吹き飛ばされたんだ。魔法でいじくられて威力を増した地雷でな」
ボスの顔にも、大きな火傷の痕がある。この傷のおかげで下衆野郎どもに襲われることはなかったと自嘲気味に笑っていた。
「科学も魔力も、人を幸せにも不幸にもする。私は幸せにする方の人間になりたい。悪用する奴らと戦いたい。私はそれだけの能力を持って生まれた。ならば天に示された道を歩む。たとえそれが、”令嬢”にとって穏やかでない道だろうとな」
私はニッと笑ってみせた。
「お前はどうだ。なぜ騎士になった? この公爵家ほどの地位を持っていながら、なぜ実力主義の騎士を志した」
じっとキリールを見つめる。
奴は何も言わず、私を見つめ返した。
眩しいような目をしていた。
柔らかな日差しが心地よくて、私はすぅっと意識を手放した。