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 冷静に考えて、この希少すぎるエメラルドをただのネックレスとしてただの魔法化学オタクが所持しているのは、かなりマズイことじゃなかろうか。


 離しておく方が怖いので、仕事中も肌身離さずつけて白衣の中にしまっているが、私のストレスがやばい。


「店に返しに行こうかな……」

 昼の休憩中、ソファに座って濃いめのコーヒーを飲みながらぼやいていると、


「やめとけ。男にもらった宝石を女が返しにくるなんぞ俺が恥をかく」


 突然聞こえてきた涼しげな声に振り向くと、扉にあの憎き男がもたれかかっていた。音もなくいつのまにか入り込んだらしい。


「なんだ、季節外れの蚊か」

「駆除できるものならしてみろ」

「蚊より迷惑な野郎だな」

「一途って言えよ」


 私は諦めてコーヒーカップを置いて立ち上がり、奴の前に仁王立ちした。


「二度と顔を見せるなと言ったはずだが?」

「すまん、よく聞こえなかった」

「どこまでも鼻につく……」

 遠慮なく舌打ちする。


「ほら、差し入れだ」

 師団長はずいっと紙袋を差し出してきた。


「前に言ったろ。ヴェルアトリー公爵家専属のシェフ特製サンドイッチだ。お前、昼をコーヒーで済ませてんのか? 持ってきてよかったよ」


 腕組みしたまま紙袋を覗き込むと、パンの香ばしい香りが鼻をくすぐる。誘惑の香りである。


「お前からはもう何も受け取らねぇ。あとが怖いからな」

 顔を歪めて誘惑を追いやる。


「受け取らなければ、今すぐ俺がお前の目の前でこれを食ってやる」

 つまり憎々しい奴が美味そうにサンドイッチを頬張る様子をずっと見ていろというわけだ。


 相変わらず選択肢を削るのが上手い。ほんと、ムカつく。


 私はふんっと鼻を鳴らして紙袋を鷲掴んだ。


「礼を言う。シェフにな」


 背を向けた私を、師団長は笑いを堪えるように見つめた。


 ソファに座って早速食べようとすると、徐に師団長が向かいのソファに座った。


「は?さっさと帰れよ」

「お構いなく」

 ギロリと睨んでもひらひらと手を振って帰る気配がない。無理に追い出すのも面倒なので、嫌味を込めて大きくため息をつき、テーブルの上にサンドイッチを並べた。もう空気だと思うことにする。


 サンドイッチはBLT、ロースカツ、卵の3種類。どの具材も艶がよく、ろくなものを食べていない研究者の食欲をそそる。


 まずはガッツリ系のロースカツから行った。甘辛いソースが柔らかなカツと絶妙に絡み合って、非常に美味だ。パンもふわふわですぐに口の中でとろける。次のBLTは、ベーコンの旨味、レタスのシャキシャキ感、トマトの瑞々しさが三者一体となって奏でるハーモニーがたまらん。最後の卵サンドは、シンプルであるが故に卵の甘みと優しい風味が身体に染み渡って、あっという間に平らげてしまう。


 ハッ、またニマニマと食べてしまった。敵の目の前だというのに情けない。


 そっと向かい側を見ると、ばっちり見られている。しかもやけに微笑ましげな表情で。


「今度美味いもん見つけたら真っ先に持ってきてやるからな」

 なんてほざく。結構だ!とは返せない。悔しい。胃袋を握られると弱い。

 チョロい自分に唸りそうになるが、卵のまろやかさが怒りを鎮めてくれる。


 いかんいかん、これではただの餌付けではないか。


 まぁたモノをもらってしまった。等価交換がモットーですみたいなツラした野郎に一番いけないやつだ。


「今度はどんな見返りをお求めで?」

 腹を決めて尋ねる。しょうがない、弱いのは私だ。


「ふっ、見返りか。俺はこれで十分なんだがな。むしろ釣りがくるくらいだ」


 奴は頬杖をついて私の方を見つめてくる。落ち着かない気持ちになる。


「お前が美味そうに食べる姿、本当に可愛いな」

 さらっと言われ、私は一拍置いてボンっと顔が熱くなった。


「は、カワイイ?」

「お前ほど美味そうに食う女は見たことねぇよ。他の令嬢ときたら、上品に食べるばっかりでつまらん」


 私はモジモジとしきりに握った手を組み替える。


「私は礼儀作法もろくにできない野蛮な娘だぞ。なぜそんな奴をつ、妻にしたいだなんて考える。私はお前が理解できない」

 これは本心だった。


 ちらっと奴の顔を伺うと、ドキッとするくらい優しい顔をしていた。


「理解できなくてもいい。俺はただ、お前が好きだ」


 う、と目を逸らす。どうしていいかわからなくて、なんだか泣きそうになる。


「み、見返り」

「ん?」

「見返りがないと、私が落ち着かない。施しばっかりじゃ、フェアじゃない、と思う」


 かろうじて言葉を紡ぐ。


 奴はしばらく黙ると、口を開いた。


「じゃあ、名前で呼んでくれ」

「名前?」

「役職名や家名じゃ味気ない。お前には俺を、名前で呼んでほしい」

「そんなんでいいのか?」

「そんなんでいいんだよ」


 私は戸惑いつつも、そっとそれを口に出した。


「…………キリール」


 すると奴は、華が咲くように笑った。思わず見惚れるほどに美しい笑顔だった。


「いいな、これ」


 名前を呼ぶだけで喜ぶなんて、案外単純な男だ。


「じゃあ俺もお前のこと、名前で呼んでいいか?アレクシス嬢」


 じっと上目遣いで見てくる。


「……好きにしろ」

「ありがとう、シュノーリンネ」


 無意識にビクッとする。


「……リンネでいい。言いにくいだろ」

「別にどっちでもいいが。まあお言葉に甘えてそう呼ぶよ、リンネ」


 無性にくすぐったい。


 このこそばゆさを気取られないよう、私は立ち上がって実験エリアの方にスタスタ歩いて行った。


「休憩は終わりだ。お前も暇じゃねぇだろ。さっさと戻れ」

「はいはい、あんまり無理するなよ」


 今度はすんなり席を立つ。


「また会いにくる、リンネ」


 研究室を出る間際、そう言い残して去っていく。


 しばらくぼーっと扉の方を見つめて、気が付いた。


 あ、またエメラルドのことを有耶無耶にされた。





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