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宝石店『ル・ルーノ』は何度か訪れたことがある。
魔連の研究者であれど、本当に秘蔵の宝石にはお目にかかれたことがない。宝石店の宝石は研究のためにあるのではなく、ファッションとして美しく着飾ってもらうためにあるからだ。
だから、銀の騎士として名を馳せる師団長は大のお得意様だろう。
店に入ると、店長自らルンルンでもてなし、なんの渋りもなく目的のエメラルドに通された。
店の最奥にある保管庫からお出ましになったエメラルドは、一目見ただけでも輝きが違った。
見る者の心を神秘へと誘うような魅惑の輝き。
私はファッションとしての宝石には疎いが、世の女性たちがこぞって宝石を身につけたがる気持ちが少しはわかる気がした。
「つい1ヶ月前にレノワール南西部のピュレット鉱山から採れた、3カラットのものです。傷もなく色も自然界のものに近く、保有する魔力も最高レベルかと」
私は言葉も忘れて、女王のような佇まいをする緑色の石を見つめた。
宝石は独自の魔力を持つ。人々を多く狂わせる魔性の石だ。
これも例外ではない。手に入れたいという欲望を掻き立てるものではなく、思わず人を跪かせるような高貴さ。
こんなものは研究には使えないな。
よくわからない笑みが漏れた。
「貴方の瞳の色だな」
いつのまにかすぐそばに来ていた師団長が、そっと囁いた。
「この目は、母譲りなんだ」
ぽつりと呟く。
「私は実の母に会ったことはない。だが、鏡を見ると、その目にだけは母を見る。贅沢な形見だよ」
誰に聞かせるでもない独り言に、師団長はじっと耳を澄ませていた。
ハッと我に帰り、私はエメラルドから離れた。
自分語りなど、恥ずかしいことを。
「私はもう満足です。見せていただきありがとうございました」
頭を下げる。
師団長は笑って返した。
「ご満足いただけたようで何よりです。まだ日は高いですから、他の宝石でも物色しましょうか」
日は傾き、馬車で研究室兼我が家のある魔連の塔に送ってもらう。
「今日はありがとうございました。これからも、魔法化学の研究者として関わることがあればよろしくお願いします」
馬車から降り、深々と頭を下げる。
遊び人の戯れだろうが、色々と尽くしてもらったのは事実だ。
「アレクシス嬢、すみませんが、後ろを向いていただいても?」
突然の申し出に、私は戸惑いつつも背を向けた。
と、後ろから首元に手が伸びてくる。
チャリ、と、ひんやりとした金属の感触がして、見下ろすとそこには見覚えのある緑色の石があった。
「可憐な貴方によく似合うと思いまして」
耳元で囁かれる。
あの最高級のエメラルドが今、私の首元にネックレスとしてぶらさがっていた。
あまりのことに私は頭が真っ白になる。
「な、な、」
あわあわと口を開閉させる。
「何考えてんだアンタっ!」
思わず叫ぶ。
「これがどれほどのモノか、解らないアンタじゃないだろ!!」
今すぐ外したいが、触れるのが怖くて行き場のない手はぎゅっと握り拳をつくった。
「君に相応しいと思ったからだ」
こともなげに言う。
「そのエメラルドはまさしく君の瞳。気高き孤高の輝きも同じだ」
「そんな浮ついた言葉で誤魔化したって騙されねぇからな。揶揄うにしても度が過ぎるぞ」
「揶揄う?まだそんなこと言ってんのか」
呆れたようにため息をつくと、師団長はいきなり私の肩を掴んで引き寄せた。
そして唇を重ねた。
「こうでもしないとお前は解らないだろうからな」
少し唇を離したところで囁くと、スッと離れる。
「こういう意味で、俺はお前が欲しい。
はっきり言うぞ、シュノーリンネ=アレクシス。俺の妻になれ」
呆けた顔をしてただただ端麗な面を見つめる。
みるみるうちに頰に血が上った。
私はゲシっと奴の腹を殴ると、顔を真っ赤にして叫んだ。
「誰がお前の嫁になどなるか!二度と顔見せんな、この変態ゲス野郎!!!」
そして一度も振り返らずに塔の中に駆け込んだ。
研究室まで猛ダッシュで帰り、扉をバタンと閉めてハアハア息を切らす。
そして、ようやくドレスはおろか、あのエメラルドさえも持って帰ってしまったことに気づいた。
引き返すにも引き返せず。
「〜〜〜〜〜〜〜〜、あぁもう!!」
私はなすすべなくその場で蹲ったのだった。