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結論から言えば、我が上司はシュノーリンネのことをいたく気に入ったらしい。
ツィネルは死んだ目をしていつものように扉の側で突っ立っている。
あの初対面のあと、キリールは気味が悪いほど機嫌が良かったし、3日後に一緒に出かける約束を取り付けたと聞いた時には目玉がこぼれ落ちるかと思った。
滅多なことでは動じないブライアンでさえシュノーリンネとキリールの応酬には冷や汗を掻きまくっていたのに、まさかこんなことになるとは。
「あの、師団長は、妹のことをどう思っていらっしゃるのですか?」
恐る恐る尋ねてみた。するとキリールはこともなげに答えた。
「ん? 可愛いと思ってるよ」
ブライアンは飲んでいた紅茶をブーッと吹き出した。
「わっ、きったねぇな」
キリールは顔を歪める。
「無表情貫いてたけど、難解な専門用語使っても俺が話についてくるから、時々悔しそうな顔してたよ。可愛いよな」
……まだ小動物的な可愛さか、よしよし。
ツィネルは深呼吸して絶望を噛み殺した。
…………しかしこれはまずい。非常にまずい。
恐らく、いや必ず、約束の日にこの上司は妹を令嬢相応に着飾るだろう。
するともうダメだ。
だってうちの妹、めちゃくちゃ可愛いんだから。
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そして約束の月曜。
着ていく服がない……と悩む前に師団長から「特別な格好はするな」とのお達しがあった。
だから本当にいつも通り白衣を着て、研究室でぶらぶら足を遊ばせながら落ち着きなく椅子を回していると、ノックののちバン!と扉が開かれた。
うお……………
騎士の制服ではなく、派手すぎない趣味の良い服装。その控えめさがかえって本人の容姿の美しさを際立たせている。
私は思わず気後れしてしまった。
私はどこに出しても恥ずかしい娘、だから。
「ご機嫌よう、アレクシス嬢。今日はわたくしめの誘いに応じてくださりありがとうございます。では、参りましょうか」
当然のようにさっと片手を差し出す。エスコートなどされたことがないので、私は面食らって師団長の顔を見上げた。にこっと青い目に微笑み返される。
私は恐る恐る手を取った。すっと滑らかに腕を引かれ、私は外に連れ出された。
そういえば公爵だったな……と再認識するほど豪華な馬車に乗せられ、まず着いたのは宝石店ではなく、高級そうな服屋(無知がゆえ巷でなんと呼ぶのか知らん)だった。
有無を言わさず中に連れられ、は?と思っていると、示し合わせたようにたくさんの女性店員がわらわら出てきて、さらに奥の部屋に私を連行していった。
「え?え?」
焦って一生懸命師団長を振り返るも、奴はにこにこと見送るだけで全く役に立たない。
それから服を脱がされ、馬鹿デカい風呂に入れられ、5人のスタッフに全身にオイルを塗りたくられ、マッサージを受け激痛に見舞われ。
そこまででも異様に疲れたのだが、そこからが本番だった。
ずらっといろんなドレスが並べられた大部屋に通され、コルセット姿のまま山ほどのドレスを着せられた。
「お客様はお肌がとても綺麗でいらして」
「まあ、なんてお顔が小さいのかしら」
「お目がエメラルドグリーンでいらっしゃるから、落ち着いた色がお似合いですわね」
「どれもこれもすごく素敵…!」
ただの着せ替え人形である。
ようやく解放されたのは、始まってから3時間後。ドレス選びの後はみっちり1時間メイクだった。疲れた。
迎えにくるのが結構朝早いんだなと思ったらこのためか……。太陽はすっかり南中し、空腹で腹が鳴りそうだ。
「大変お待たせいたしました、ヴェルアトリー様。アレクシス様のご準備が整いました」
3時間もずっと待っていたらしい師団長は、特に疲れた様子もなく私の前に現れた。
「す、すいません待たせて」
私の方はたじたじである。
今の格好は、バルーンシルエットというらしい、ふわふわとした裾のドレス。色は落ち着いたサファイア。装飾は特にないシンプルなデザインである。ボサボサだった髪は緩くカールされハーフアップにされている。
いきなり普通の令嬢のような格好をさせられて、馬子にも衣装レベルに行くかも疑わしい。
それを目の肥えた美形に見られるなど恥ずかしいにも程がある。
だから師団長と対峙して、目を伏せている間ずっと奴が何も言わないので、そんなにひどいかと文句の一つでも言ってやろうと、意を決して顔を上げた。
そして思わず言葉を呑み込んだ。
右手で口を押さえ、何を言っても動じなさそうなスカした顔が、絶妙に赤らんでいた。それだけで壮絶な色気を放っており、私はドキリとした。
「あの、何か」
ぎゅっとドレスの裾を握りしめて尋ねる。すると師団長は大きくため息をついた。
「……はぁ……マジかよ……」
なにやら呟いている。
そして、さっと顔を上げ、スタスタとこちらに歩み寄ってくる。
そしていきなり膝をつき、私の右手を取って、
ちゅっとリップ音を鳴らして口付けた。
口付けた?
「ふぁ?」
脳がショートして変な声が漏れる。
やたらご機嫌な師団長は、下から上目遣いで微笑んだ。並の婦女子なら卒倒するような色気だ。
「シュノーリンネ=アレクシス嬢。地上に舞い降りた月の精霊のごとき可憐な貴方を、今日一日エスコートする権利をこのわたくしに与えてくださいませんか」
歯の浮くようなセリフに、視線が泳ぐ。
な、なんて言うのが正解なんだ。わからん。
「…………喜んで」
棒読みである。
しかし、師団長は満足げに笑みを深めて、さっと立ち上がった。
「ヒールは慣れないでしょう。どうぞ、私の腕に掴まって」
気遣いもできるのか。そりゃモテるわ。
なんだか悔しい気持ちになりながら、渋々奴の腕に自分の腕を絡める。ふわっと仄かに甘い香りがした。