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「キリール=ヴェルアトリー?」
珍しく研究室にやってきた兄に、私は片眉を上げる。
「誰や、それ」
「え、知らないのか?」
項垂れていた兄は驚いて顔を上げた。
「知らない。こんな要塞にいて知ってる方がおかしいだろ」
聞けば、巷で有名な麗しの騎士様であるらしい。24歳で魔法師団長? めんどくせぇのが来るな。
「知られてないけど女癖があまりよくない人なんだ。だからリンネも気をつけて…」
「女癖ぇ? そいつ、絶対珍獣見にくるような感覚で来るんだろ。私を女って認識するわけないよ、絶対」
無駄な罪悪感を感じている兄を慰めるように言う。
しっかし、このお人好しの兄、そんな曲者の側仕えしてんのか。つくづく環境に恵まれないな…。
キリール=ヴェルアトリーとかいう公爵より、兄の方が心配になる私であった。
そんなこんなで約束の日はやってきた。
国の防衛に関わる研究ゆえ、騎士団の人間とは何回か交流を持ったことがあるが、魔法師団なんていう騎士団トップの連中を相手にするのは初めてだ。
先頭を切って入ってきた男を一目見て、私は思わずため息をついた。呆れでだ。
おーおー、すっげぇ美形だな。
薄暗いし小汚い研究室が途端にランウェイに見えてくるほどの煌びやかさだ。同じ騎士の制服なのに素材でこんだけ違うのか、と兄を見比べ失礼なことを考える。
この超絶美形、どっかで会った気もするけど、考えるのもめんどくさいので初対面で貫こう。
「ご機嫌麗しゅう、シュノーリンネ=アレクシス嬢。魔法師団長を務める、キリール=ヴェルアトリーと申します」
見惚れるような優雅な仕草で挨拶する。
完璧な騎士様だ。こりゃ令嬢たちもきゃーきゃー言うだろうな。
「……シュノーリンネ=アレクシスです。魔術士連合魔法具開発部門魔法化学科を担当しております。今日はわざわざお越しいただきありがとうございます」
棒読みで返す私はノーマルスタイル。かろうじて髪は頭の後ろで一つに纏めたが、ほかはいつもと同じだ。ヨレた白衣にデカい丸眼鏡、化粧っ気一つない顔面。
どうもすいませんねぇ、と心の中でごちながら、真ん中の破れたソファに3人を案内する。
ゴン、ゴン、ゴン!とテーブルに3つ置いたのは、茶色い液体の入ったビーカー。
「粗茶です」
平然と言い放つ。
ブライアンと言ったか、副師団長は唖然としている。ソファの後ろに立つ兄は頭を抱えている。
肝心の師団長はというと、必死に笑いを堪えていた。
どうせ一筋縄じゃいかない奴なんだろ、礼儀を繕うのも面倒だし、最初から飛ばして行くぜ。
私はふんと鼻を鳴らして、向かいのソファにどかと座って足を組んだ。そして手持ちの分厚い資料をバサバサとめくる。
「対魔獣戦闘用高魔ガス充填系中型銃弾・アレクシス011についてですね」
ブレスなしに言い切り、乱雑に該当のページをテーブルに並べていく。
「魔法兵器工学科の方で銃身の製造は進行中ですが、弾の型はすでにこれで合意しました。事前に魔法師団の方にデータは回しましたが、ご確認いただけました?」
くいっと丸眼鏡を押し上げて無表情に師団長の方を見る。師団長はふっと笑って頷いた。
「ええ。この型、この威力ならば周辺地域への被害も最小限に抑えられると言う点で、大変感服いたしましたよ。さすが魔法化学科の鬼才と呼ばれるだけある」
「世辞は結構ですので、次の説明に進みます」
ぴしゃりと言い、さっさと次の資料をめくる。
副師団長は若干青ざめ、兄はしっかり青ざめている。
その後も主に師団長と会話し、特に齟齬もなく概ね合意に至った。
兄いじめの復讐も兼ねて、時折事前資料外の専門知識を織り交ぜてみるものの、全て難なく打ち返された。爽やかな顔してエグいやつだ。どんだけ専門書読み込んできたんだ。
感想:もう二度と相手したくない。
だってシンプルに怖いもん。
去り際に、兄にこっそり笑顔で親指を立てた。頑張れよ!って。
死にそうな顔で扉を閉めた兄は今日も胃薬を飲み干すのだろう。
こうして無事に悪魔の美形を乗り越え、ほっと一息ついたのも束の間。
3日後、なんの気まぐれか再び師団長が研究室にまみえた。
「宝石にも石独自の魔力が宿ることはご存知ですよね。つい先日、『ル・ルーノ』に希少価値の高いエメラルドが入荷して、特別に魔法師団長権限で見学できることになったのですが、ご一緒にいかがです?」
なんてほざく。
100%罠なのに、ちゃんと私の興味を惹く話題で釣ってくる。
騎士の制服にも用いられる宝石は、王都の有名宝石店『ル・ルーノ』御用達のものだ。華やかな騎士職は女性人気が高く、宝石をつけてもらうだけで宣伝になる。
当然騎士団の幹部にしかお披露目されない宝石もあるわけで。
私はうんうん唸って、散々迷った後、誘惑に負けて肯首した。満足そうに微笑む悪魔。
クソっ!!!!!!!!