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******でヒロイン一人称→三人称に変わります。この印で人称が入れ替わります。
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王立騎士団は、レノワール王国において最上の出世機関だ。
騎士という人気の高い職業の中でも、魔法大国として名を馳せるレノワールの矛となり盾となるトップ機関であり、王立騎士養成院まである。養成院へ入学することすら難しいのに、王立騎士団への入団など困難のまた困難。
故に、王立騎士団はエリート中のエリートの集まりなのである。いわば国一番の出世頭だ。ゆえに、貴族の令嬢たちは目を血走らせて己を猛アピールし、平民の女子もシンデレラストーリーを夢見る。
そんな王立騎士団の中でも一際注目の的となる男がいる。
キリール=ヴェルアトリー公爵。王家とも繋がりが深く、その存在感、発言力は王であれ無碍にできぬ強力な名家であるヴェルアトリー家の若き当主であり、齢24にして王立騎士団屈指のエリート部隊である魔法師団の師団長を務める。
男のムサさなど微塵も感じさせぬ引き締まった体躯をもつ銀髪碧眼の美丈夫。その輝かしい経歴と相まって「銀の騎士」として令嬢人気は当然ナンバーワンなのであるが、神々しいまでもある麗しさと正面から対峙し卒倒した令嬢は多数。なんとかお誘いしようにも、その涼やかなオーラで煙に巻かれ、結局相手にもされないということが大半である。
恐ろしく頭が切れ、敵と見做した相手を肉体的にも精神的にも追い詰める鬼畜でもある。
つまり悪魔の美形。
ツィネル=アレクシスは口の中でそっと呟いた。
「なんか言ったか?」
素晴らしい笑顔で銀髪碧眼がこちらを見上げる。
ヒュッと喉が鳴るのを堪えて、ツィネルは「いえ、なんでもございません」と愛想笑いする。
「仕事さえちゃんとしてれば俺も悪魔にはならないさ」
聞こえてんじゃんんんんんん!!!!
さらりと返す上司にツィネルは顔が引き攣る。
「おいおい、あまり新人をいじめるなよ」
魔法師団長室の真ん中のテーブルで書類整理をしていた副師団長・ブライアン=ウェスターが眉を下げてこちらを見た。
部屋の主であるキリールは奥の机で書類仕事をこなし、つい半年前に魔法師団長つきの補佐に任命されたツィネルは扉の前で直立不動している。
あの魔法師団長の補佐など入団一年目の新人には大変な名誉であるが、単に名ばかりの雑用である。
重要書類ばかりの資料には指一つ触れさせてもらえず(うっかり触れればノールックのジャックナイフが飛んでくる)、キリールの思いつきのような言葉で幅広くパシられる毎日である。
しかもパシリの内容が総じてハード。
騎士団長にろくでもない伝言を伝えにいけだの、しつこい令嬢のあしらいを任されてまんまと逃げられた時など胃薬をいくつ飲んでも足りなかった。
なんで僕なんかを………。
虚無に陥ったときには決まってそれが思い浮かぶ。
ツィネルは凡人だ。
9年前に妹が誘拐され、屋敷が年中通夜のようになってから、嫡子として頑張らなければと健気に努力を積み重ね、なんとか騎士養成院に入った。
その最中、なんと妹が帰ってきた。
狂喜乱舞してありえない速度で実家に帰ったツィネルだったが、薄汚れた小僧のようないでたちの妹を見て、まぁ、おったまげた。しかも盗賊として暮らしていた?いや、わからん。
とりあえず妹に「令嬢」を求めるのは不可能だと悟った。この頃から胃痛が常連になった。
そこから猛烈に努力、努力、努力して、見事今年、騎士団への入団を勝ち取った。今あの頃を思い出しても涙が出そうだ。
凡人は凡人なりに頑張ってきたのだ。
それが、どうして、こんな……。
晴々とした気持ちで騎士団の入団式を終えたとき、偶然“あの”キリール=ヴェルアトリーに遭遇した。
「なんかお前、いいな。使い勝手が良さそうだ」
と本当に気まぐれで、しかも大変迷惑な理由で補佐にスカウトされた。あれが運の尽きだ。
騎士見習いにとっても正騎士にとっても憧れの的であるヴェルアトリー魔法師団長は、美しき悪魔だった。半年経った時点で、ツィネルはこの鬼畜にこき使われる己の未来を悲観している。
まあ、いいさ……これも父と妹のためだ……
妹が無事に帰ってきてから、父はようやく元気を取り戻した。妹の方も、今は魔連の奥地で日夜ビーカーと睨み合っている。
これでいいんだ、これで……。
こういうときツィネルはさらさらとした砂になりそうになる。
「ときにツィネル」
感傷に浸っていると、唐突にキリールに呼ばれる。
「はっ、ハイ!」
「お前の妹、魔連の研究者だったろ」
シュノーリンネ=アレクシスは騎士団内でも有名人だ。エリートもエリートを突き詰めれば変人の集まりで、誰もが日常にユーモアを求めている。そんな奴らに、「盗賊団帰りの男爵令嬢」はこれ以上ないネタだろう。
だが、彼女が今は魔連で魔法兵器開発のようなおっかない研究をしていることはあまり知られていない。
「はい、そうですが」
「今度、うちの師団に新たに取り入れる武器の性能について、アレクシス嬢に説明してもらいたいんだが」
「はぁ……どうしてまた、うちの妹に?」
「面白そうだからに決まってんじゃねぇか」
………………ツィネルは頭を抱えたくなった。
「ちょうど彼女の専門に近いらしくてね、どうせなら近しい人に説明を受けたいんだって」
申し訳なさそうにブライアンが付け加える。
「安心しろ、取って食いやしねぇよ」
ははっと笑うキリールを、ツィネルは恨みがましく見つめる。
この悪魔、女に興味がないように見えて、実は結構な遊び人である。わざわざ言い寄ってくるような令嬢が好みでないだけだ。実は後腐れのない女性と何人も関係を持っている。
そんな悪魔の毒牙に、大切な妹を晒すなどもってのほか。だが、これはすでに決定事項なのだろう。
「来週の月曜にこの3人で研究室に向かうから、お前の方からもアレクシス嬢にもよろしく伝えておいてくれ」
女性を何人も射殺せそうな爽やかな笑顔で伝えられ、しばしの沈黙ののち、ツィネルは是と答えた。