1
よろしくお願いします。
どこに出しても恥ずかしくない娘、という表現があるが、どこに出しても恥ずかしい娘が私だ。
私、シュノーリンネ=アレクシスは、レノワール王国の西方にあるサテンレフ領を治めるアレクシア男爵の一人娘。母はおらず、領主の父と2つ上の兄が一人。
いわゆる貴族の令嬢なのであるが、広きレノワール王国を見渡せど、全令嬢の中で最悪な娘は私であると断言できる。
「チッ、また沈殿しやがった」
ビーカーの底に溜まった沈殿物に舌打ちする。ビーカーを引っ掴んで役立たずの中身を排水溝に捨てる。
「ったく今日も残業かよ……くそったれが」
ぶつぶつ愚痴りながら、十三回目となる実験を始める。
これがアレクシス男爵令嬢現18歳の有様である。
私は昨年から王立魔術士連合(通称:魔連)・魔法具開発部門に就職し、日夜変な色の液体と睨めっこしている。
目の下には黒ずんだ隈が染みつき、髪はボサボサ、もちろんメイクなどしたこともない。実験が立て込んで何日もろくに飯も食わず風呂にも入らないこともざらだ。
加えてこの荒くれのような喋り方。
こればっかりは直せないし直そうと思わない。
私は7歳の時に人攫いに拐された。
貴族といっても爵位の下位、男爵である。治めているサテンレフ領も農耕中心の小さな土地で、はっきり言えばド田舎だ。お人好しな兄も繁忙期には畑作に駆り出されていた。
母もおらず、都会的な楽しみの少ない幼い一人娘を憐れんでか、父はその日、西部の中心地・ミレネに連れていってくれた。
貴族のパーティこそあれ、なかなか都会の賑わいに行く機会も少ない父は、護衛もそこそこでお転婆な娘を解き放った。
そこで運悪く、無邪気な田舎娘は人攫いに攫われたというわけだ。
幸い、奴隷商人のもとへ向かう道中、人攫いの連中は盗賊団に襲われ、娘は今度は盗賊の手中に入った。
娘は攫われた際の恐怖のあまり一切の記憶が抜け落ちており、唯一覚えていたのは「リンネ」という名前だけだった。
その盗賊団は、四十過ぎほどの女がボスをしていて、極悪な犯罪人や悪徳な金持ちからしか金品を盗まない良心的な(盗賊に良心的もクソもないが)奴らだった。
盗賊団とエンカウントしたのは首都エレンターレの近くで、記憶喪失の身なりのいい娘の扱いにボスは頭を抱えた。もちろん奴隷として売るなど外道なことは考えなかった。
だが意識も虚だった私は思わず彼女をこう呼んだ、「ママ」、と。
偶然にもボスは先の戦争で同じくらいの年頃の娘を亡くしていた。
偶然に偶然が重なり合った出来事の末、とある貴族の令嬢(7歳)は盗賊の一員となった。
なんとも情報量の多い話だが事実だ。
もちろん箱庭育ちの男爵令嬢など盗賊にとってはお荷物でしかない。なにもなければ適当に捨てられたかもしれない。
しかし私にはある才があった。
物心ついた時から私の趣味は魔法化学の書を読み漁ることだった。一言で言えば生まれながらの化学オタクだ。
レノワール王国は魔法で栄えた国。しかし青い血を持つ者にしか魔力は宿らない。
王族に近いほど保有する魔力は強くなる。腐っても貴族である私にはある程度の魔力があった。
持つ魔力単体はできることが少なかれど、化学の力で可能性は無限に広がる。紙を一枚燃やすほどの火力が、建物一つを吹き飛ばす手榴弾にもなる。また、魔力のない庶民にも、魔法具によって同等の力を与えることができる。
齢7つにしてそんな便利な学問の才を備えていた私は、「ママ」のいる盗賊集団を追い出されたくない一心でボスに泣き縋り、晴れて自分の席を獲得した。
そして、彼らがくすねてきた学術書を読み込み、怪我に効く単純な魔法薬や姿くらましの煙幕をつくり、大いに盗賊集団の役に立ったのである。
ちなみに、生い立ちに関する記憶は消えていたものの、それまでに得た知識はそっくり無事だった。
ただ、ボスは決して私を直接盗みに加担させなかった。私は全然構わなかったのだが、それだけは絶対に首を縦に振らなかったし、武器の製造など危険なことも一切させなかった。
まあ、時々こっそりささやかな爆弾などは開発していたが。
長くなったが、私の口調が荒いのはボスのせいだ。
16の時にうちの盗賊集団が捕まり、男のような身なりをしていた私も牢獄行きになりかけたものの、縄をかけられたボスが叫んだのだ。
「その子は勝手についてきただけだ。盗みは何もしちゃいねぇよ。どこかの令嬢だ。名はリンネ。身元を割り出して帰してやってくれ」
墓場までボスについていく覚悟だった私はそれを聞いて目を剥いた。
最初は困惑していた騎士たちだったが、調べてみればなるほど、たしかに9年前に消えたシュノーリンネ=アレクシスという男爵令嬢がいる。
結局私だけ釈放され、サテンレフに帰された。
別の場所に連行される途中、なんでだよ、とか、置いてくな、とか喚く私を、ボスは一度も振り返らなかった。
9年ぶりに帰郷した私は、ぱっと見、庶民の男だった。亜麻色の髪を短く刈り、肌は小麦色に焼け、煤けたブカブカの男物の服を着、長年の作業で令嬢の白い手は無惨に荒れていた。
転がるように屋敷の玄関から出てきた父も、ポケットに手を突っ込んで扉の前に突っ立った私の姿に絶句した。
「パパ」と無邪気に呼ぶ可愛い娘の面影は跡形もなく消え、鋭い目つきで下から舐め上げる痩せぎすのガキ。
それでも父は溢れんばかりの涙を流して、何も言わず私を抱きしめた。
その晩、王都で騎士の見習いしていた兄も超特急で馬車を飛ばして帰ってきて、慣れないネグリジェを着た私を咽び泣きながら抱きしめた。暑苦しかった。
盗賊をしていたせいで人を疑いやすくなっていた私だったが、父と兄は底なしの善人であることはすぐわかった。屋敷での生活を再開してから、記憶は徐々に戻っていった。
ボスに捨てられたショックで塞ぎ込んでいた私は、再びこのド田舎でのびのびと暮らし、元気を取り戻していった。
しかし令嬢にあるまじき荒くれの口調と品性のかけらもない挙動は矯正できず、父も兄も令嬢としての役割を私に求めることは早々に放棄した。
「僕が頑張ればいいだけの話だな」
と哀れな兄は弱々しく微笑みながら王都へと帰っていった。わざわざ休みをとって得たものが野郎のような妹で本当に申し訳なかった。
「シュノーリンネはここにいてくれるだけでいいんだよ」
自分のミスで娘をひどい目に合わせ、冗談抜きで死にそうになっていた父は、私のどんな姿を見てもニコニコと穏やかに笑っていた。
こうして私は、どこに出しても恥ずかしい娘になったのだ。
だが刺激の強すぎる環境に9年もいた私は、サテンレフの平和すぎる暮らしに一年も耐えきれなかった。何もしなくても食事が出され、侍女に髪をといてもらい、服も着せてくれる生活はめちゃくちゃ居心地が悪かった。それに、ただただぐうたら過ごすのは気が引ける。
なにかすることはないかと父に頼み込んだところ、とても気が進まなそうに切り出されたのは、王宮魔術士連合への就職だった。
「これまでは魔力単体の強さが重視されてきたが、魔力は少ないが能力は高い者を重職に起用したいというのが王太子殿下の方針らしい。そうなれば今後、貴族でない者の助けとなる魔法具の需要が高まるだろう? だが今は魔法具開発に携わる人員が少なすぎるから、人材を急募しているらしいのだよ」
魔法化学は魔法薬学、魔法工学などに広く通ずる学問であるが、魔力そのものの仕組みや扱いすら難しいのに、さらにそれを他に応用するなど至極困難だ。その難解さと地味さからとっつきにくく、王宮で重宝されるわりに花形の騎士より給料は断然低い。
ただでさえじっとりした魔連の、ひたすら変な液体と実験する部門こと魔法具開発部門、しかもやるのは危険な武器開発という部署に若い人材など来るはずもなかった。
ましてや若い女の、それも貴族令嬢の研究者など皆無に等しい。
そんなところにようやく帰ってきた一人娘を押し込むなど、父の心痛は計り知れない。
しかし私は二つ返事で引き受けた。所詮私はただの化学オタクだ。
というわけで今、私は王宮の隅っこの研究者で一人、とても自由に魔法具の素材を実験している。
賃上げされても騎士に遠く及ばぬ給料、通らぬ危険物の申請、うまくいかぬ実験など文句は尽きないが、衣食住は上等なものを与えられているし、私は大変満足している。マッドサイエンティストとして引っ込んでいれば、面倒な貴族のパーティのお誘いも来ないし万々歳だ。
どうせ傷物の男爵令嬢だ、嫁の貰い手などいないだろうし、女として一番輝く時期はくっさい薬品にくれてやる。