episode72.とある研究者の手記Ⅱ
聖誕歴2068年7月15日
私は豈皇国にたどり着くことができた。私が潜入に使った最新鋭の小型潜水艦は豈皇国の岩場近くで座礁してしまい、そこからは泳いで上陸した。
本来の豈なら私の乗る潜水艦の侵入を許さなかったはずだ。だが彼らも動乱の傷を癒し切れていない。想像生命体の発生と共に豈は他国から絶対攻められない立地を手に入れた。それゆえに海軍の再建は最小限にとどまっており、潜水艦の侵入に対応できなかったのだろう。
幸運だった。しかし私が上陸してすぐに合衆国最後の空母打撃群からの通信が途絶した。最後の記録から見て想像生命体に壊滅させられたのは間違いない。恐らく、生存者はいないだろう。
1万人の命と引き換えに私はここにいる。彼らの命を、国家への忠誠を、無駄にしてはならない。
これより私は豈への潜入調査を開始する。
†
聖誕歴2068年9月20日
豈皇国でしばらく過ごすうちに発音のイントネーションも掴めてきた。外見も相まって誰も私が合衆国から不法侵入したなど思っていない。今のところ警察組織から目を付けられている様子もない。
そこまでは良い。だが調査は得られる情報が多い分、難航している。
魔法などというファンタジーな代物が豈では使われ始め、科学と融合した都市を建設している。明らかに今までの人類になかった技術だ。
しかしそれと同じものを使う存在がいる。そう。想像生命体だ。奴らが幾何学模様を生み出すとと同時に不可思議な現象を発生させるプロセスと、豈人の扱う魔法は規模は違っても全く同じものだった。
豈はどうやら想像生命体の研究がかなり進んでいるようだ。奴らに襲われない技術を手にし、奴らが使う現象をも使いこなしている。合衆国では一切分からなかったというのに。
そして私は一つの結論を得た。
それは豈皇国が明らかに神聖ルオンノタル帝国と何らかの交渉、あるいは関わり合いがあるということ。
豈が想像生命体を捕獲して研究していたとしてもここまでの技術を手に入れることはできない。なぜなら我が国も、他の国も多大な犠牲を払って奴らを捕獲して研究しているからだ。わかったことと言えば意識のない異常生命体であることだけ。
生殖能力はないが、単細胞生物のように皆同じ遺伝子で複製され増え続ける。しかしどれも同じ細胞なのに種類も形態も多種多様という、生命の常識を覆すものばかり。あその遺伝子自体もこの星に元々存在しえない塩基数を持つ。そして何より不可思議な現象——恐らく魔法——を引き起こして喰らいに来る。
想像生命体の研究をし、それらが使う現象を自分たちのものにし、都市の建設に利用する。一体、どれだけ研究すれば達成されるというのか。たったの十数年でそれができたとしたら、豈人は人間じゃない。
明らかにその技術を知っている存在から技術を得ている。意識のない想像生命体を除けば、理性を持つ想像生命体。つまり魔王の国の民から技術供与を受けているのだ。
神聖ルオンノタル帝国が何の目的で技術を豈だけに供与しているのかは未だ不明。だがこれはこの滅びかけの世界を救う小さな道筋になるかもしれない。豈が安全な土地を得ていることがその証左。
もし神聖ルオンノタル帝国と交渉し、その技術を合衆国も手に入れることができれば、豈のように国家が安定し、その国力でもって世界を救える。その技術の一端を私が手に入れさえすれば祖国は救われる。
まずは魔法店『アースシャイン』に行くとしよう。
†
聖誕歴2068年9月21日
魔法店に行ってきた。しかしそこで私が見たものは、あまりにも不思議で、あまりにも幼稚な魔法を扱う小さな店だった。
小さなプラネタリウムを生み出す魔法、楽しい夢を見る魔法、懐かしい香りを生み出す魔法、運勢を見る魔法、空に浮く魔法などなど。本当に幼稚な現象でありながら、あまりにも科学的ではない現象を引き起こす謎なものだった。
原理が全く分からず描かれる魔法陣とやらを確認しても見た。しかしそこに書かれているものは豈の文化に精通した文字が幾何学的な線の内側に鏤められているだけだった。豈と関係ない文化圏の文字も散見されたが、やはりどれをとっても規則性が見えてこない。しかも今ではもう使われない文字すら多用されている。
そこで私は店舗で魔法を売っていた従業員の女性に問いかけてみた。すると女性はこのように言った。
「文字一つ一つには古来意味を与えられています。一音一義、そこに現代の言葉の意味も合わさり、それらが集合、融合、発展することで言葉となるのです。この魔法陣も同じです。一つ一つの文字の意味を知り、それを集め、繋げ、世界の現象へと発展させる。そうすることで魔法は成立します」
ふざけているのか?!
思わずそう叫びそうになったのを未だに忘れられない。彼女の言葉が本当だとすれば、この世界には科学とは違い、人間の精神が生み出した”意味”を繋げ合わせることで物理現象を引き起こせるということだ。あまりにも科学的ではない。
いや、だからこそ魔法と呼んでいるのかもしれないが。
この魔法の技術を合衆国に持ち帰るには、文字の意味を調べるように本国に伝える必要がある。
しかし、こんなことを本国が信じてくれるだろうか?
信用してもらうために私も文字を研究し、魔法を習得する必要があるだろう。
†
聖誕歴2068年10月3日
正直、心が折れそうだ。
どうやら魔法を発現させるものは文字だけではないらしい。むしろ文字はほんの一部でしかなかった。
文字、言葉、土地、星、記憶、生贄、感情、歴史、人……どれだけ上げてもキリがない。世界に存在する万物を織り交ぜてやっと魔法が完成するらしい。かと思えばこの世界に存在しないはずの概念すらも織り交ぜて魔法を発現させる。
心に響くという豈の言葉があるが、まさに心に何らかの影響を与えるものをすべて集合させてやっと魔法を使える……らしい。
これを普通に使ってる豈人は本当に人間ではないかもしれない……。
長期的な調査を覚悟していたが、超長期的に見なければならないだろう。
豈は変な国家――。
アースシャインは後々出てきますよ。




