episode70.縁
何時に常ノ御所に行かなければならないと決まってはいない。少し寄り道してもいいだろう。
「スィリア。少し待っててくれる?」
「もちろんです。ここで見守っています」
セレネは開かれていた掃き出し窓から降りると、魔法で外出用の靴を再現して歩き出す。閑静な庭は小さな小石が幾何学的な波を作るように敷き詰められ、その枯れた池を囲うように独特な形状の木々が植わっていた。
羅紗はその一角、小さな白い花を咲かせる樹の下で横たわっている。セレネは彼に近づくべく庭に置かれた伝い石を辿って歩き出す。そして少し丘になった芝の上にたどり着いた。
その場所で気持ちよさそうに羅紗は眠っている。こうしてみると本当に人形のように見える。身体が人間ではないからか、生きている者とは何か違う感じがしてしまう。
「殿下」
「……」
声をかけるが特に返事も反応もない。セレネもう少し近づく。
「羅紗殿下?」
というか、こんなところで皇族が寝ていていいのだろうか? セレネが祖国で同じようなことをすれば叱られるどころか、臣民に知られれば連日の大ニュースになること間違いない。
しかしここは豈皇国。この場所には皇族以外誰も来ないのだから見る者すらいないのだろう。天井も人工太陽光を浴びせる照明らしい。人工衛星すらここを覗き見ることはできない。
「……植物というものは良い」
不意に羅紗が静かに言葉を零した。
「青い空など地上ではもう見られなくなったが、生き物は常に真っ直ぐに生きることを選択する。ここにある遺伝子を組み替えられた植物でさえもだ。これらに触れていると、科学的ではないが生きる意志とそれに支えられた生命力を感じられる」
「生きる意志、ですか?」
「ああ、貴殿もこうして横になってみると良い。自然の音を堪能してくれ」
自然の音。そういえば蟲の聲もする気がする。そして人工的とはいえ風も吹いている。神聖皇帝に見せてもらったあの過去の世界を切り取ったかのような場所にも思えた。
「大丈夫だ。貴殿の侍従しか見ていない。監視カメラから覗く輩はこの桜が隠してくれる」
そこまで言われてしまうと断る理由もなかった。セレネは一度スィリアにアイコンタクトを送り、気にするなと合図する。それを彼女が了承したのを見届けてセレネはその芝生に腰を掛けてみた。
「……やわらかい。でも、チクチクと擽ったい……」
「だが、横になってみれば暖かいぞ。昼寝にはちょうどいい植物だ」
少し戸惑うセレネだったが、意を決して芝生の上に横になる。顔や手に触れる芝という植物はやはりくすぐったく、なんとも新鮮な感触だった。しかししばらくするとそれも気にすることでもなくなり、じんわり温かくなる不思議な感覚がある。
そうか。
葉と葉の隙間にできた空気が上手い具合に体温で温められているのか。
……いや、それだけじゃない。
光でも芝生が温められている。
あと……不思議な香り……。
そよそよと吹く風も心地よい。ただただゆったりと流れていくような時間に微睡さえも感じてきた。蟲の聲もまた聴いていて落ち着いてくる。
ふといつものように寝返りを打つセレネ。しかしそこで羅紗と目が合った。
「っ!」
「貴殿はそのような顔もするのだな」
「な、ななんですか?!」
唐突なことに心臓が跳ねてびっくりしてしまうセレネだったが羅紗は特に気にした風もなく落ち着いている。セレネからすれば異性——今の羅紗の体は女性らしいが——がこんな目の前にいること自体初めてだというのに。
そんなセレネを見て羅紗がクスリと笑う。
「いや、すまない。それにしても楽しいな。このように親族以外の誰かと話して笑うことなんて一体何年振りか……はははっ」
そんな羅紗から伝わる感情は、本当に純粋に楽しんでいるものだった。彼の言うことは本当なのだろう。笑みを浮かべることはあっても、楽しんで笑ったことはほとんどないのだ。こんな皇族の扱いからすれば仕方ないかもしれないが。
「こうやって昼寝ができる植物は貴重だ。我々豈の皇族は血を繋ぐためだけの家畜だが、これを味わえるだけで贅沢に違いない」
「殿下……」
「まあ、これは千年以上前に幼く天帝になった顕仁の呪いでもあるのだ。我が先祖のせいでその天帝は三障四魔となり果てた。そして皇族が民の下に置かれ、民が皇族のような立場となる呪いをこの天下に掛けた。我々が家畜となることは千年前から決まっていたとも言える」
羅紗はどこか開き直っている。いや、本当に気にしていない。どこか皮肉な言い回しであるのに、別に嘆いたり恨んだりしていることもない。ただただこの状態が普通なのだと彼は認識している。
それに気づいて、セレネはひどく悲しくなった。
「殿下、未来は決まっていません。我々の意志が世界を変えるのです。この植物たちが精いっぱい生きているように、我々も精いっぱい生きて世界を変えていくんです。この草木たちが庭という小さな世界であっても、殿下の心地よい場所を作り上げたように」
「……」
「大丈夫です。世界は変えられます。あなたは家畜ではなく、一人のヒトなのですよ」
その言葉に羅紗はわずかに驚いた顔をした。
「……ああ、これは初めてだな。他人にお前はヒトだと言われたのは……」
羅紗の目から涙が一つこぼれる。その雫をセレネは指で拭ってやり、続けた。
「私もできる範囲で力を貸します。だから、どうかわたしを頼ってください」
国と国の立場はある。しかし個人的な感情をなしにしろというのはありえない。セレネもまた一人のヒトだ。だからこそ、やりたいことをやる。
兄の辿った道を探して海外に出たセレネだが、それとは別にやりたいこともできた。
この壊れた世界を、互いが互いを認めらて心地よくなる愛が広がるものにしたい。羅紗たち皇族が人の扱いを受けず、我々神聖帝国の臣民が人間種たちと手を取り合える世界。
なんと理想的で甘い夢だろうか。だが、夢を抱かなければそんな未来さえ来ない。その最初の一投に、セレネが立つのだ。
そう決意した。
世界を変えるのは自分の気持ち――。
【用語解説】
・三障四魔
三障は聖道を妨げて善根が生じることを障害する3つのもの、四魔は生命を奪う因縁となる4つのものを指します。魔縁とも呼ばれるものでもあり、本作での使われ方として簡単に言ってしまえば”大怨霊”でしょうか。呪いの言葉を言ったとされる本人は”大魔縁”という言葉を用いていますね。
ちなみに、四魔の一つには第六天魔王の働きである天子魔があり、主にこれが語られるようですね。第六天魔王は前に解説した気がするのですが、個人的にこの大怨霊の方が影響力がデカいでしょう。
表向き、この怨霊とは和解したとなっていますが、歴史の流れを見ると呪いは消えていないように思えます。だって、どんどん彼の言葉の通りになっているのですから。
とっても素敵な歌(みんな知ってる)を作って才能ある人なのに、人生は正直可哀そうです。
呪いを解く方法は同じ以上の祝福が必要だろうけど、そんな祝福があるだろうか?
【解釈について】
これは私なりの認識なんですけど、世界に対する大きさは、
個人<家<社会<国<天下<星<世界<宇宙<多元宇宙<別多元宇宙<誰か個人
という感じです。




