episode69.夜空の護符
どうにも分かりにくい天帝の言い回しに、セレネは理解するのに苦労してしまう。それでもセレネの知らない神聖帝国の歴史を知ることができた。
かつて神と呼ばれた神聖皇帝は豈の窮地に手を貸し、豈を破滅から遠ざけた。しかし神聖皇帝を恐れた豈は神聖皇帝の一族と戦争をし、互いに深すぎる傷を負ってしまう。そして神聖皇帝は世界の辺境メガラニカに帝国を築き上げ、豈もまた存続した。
それからは互いの技術を交換し合い、その技術で解決できない呪いを抑える魔法を神聖帝国はひっそりと提供し続けてきた。
そんなところだろうか。
いや、でも、呪いの内容が怖すぎる。
人に自分の存在を認識されるほど魂が壊れていくなんて。
セレネは世界の全てを知っているわけではない。それでも海外で手に入れた情報を精査すれば、神聖帝国より圧倒的にエンターテインメントが世界になかった。神聖帝国では映画やドラマなども良く放送されているものの、それを国外でまだ見ていない。
それも天帝の言う呪いの所為なのだろう。楽しみを奪い、ヒトとの繋がりを強制的に切り、逆らった者は魂を壊される。
改めて神聖皇帝が怖くなった。
もしかして国の代表の顔もほとんどの国民が知らないのが世界の常識なのだろうか?
だとすれば、民主政治なんて見せかけの産物なのね。
「”夜空の護符”はその呪いのためなのですね」
「そうだ。呪いはヨテラスが望まぬ限り解けることはない。護符を持つ者だけがその呪いから解き放たれ、認知される権利を得る。だが、豈の天帝は世界的に有名でな。例え誰にも会わずに生きていても呪いが発動してしまうのだ。それがなければ私は遠からず廃人となる」
コンコンと天帝は壁をこぶしで軽く叩いた。
「この施設もある程度呪いを遠ざけることはできる。この国の皇族が一生監禁されるのもこの施設に閉じ込め、血を残す家畜にするためだ」
家畜だなんて自虐にしてはひどすぎる気がする。歴史が長すぎるがゆえに、豈皇国は王朝の血統でしか国家の存続を証明できない。もし血が途絶えれば国家としての威厳を半減させることだろう。
だからと言って、こんなヒトではない扱いはひどすぎる。
……でも、それは豈人が決めること。
私は神聖帝国の皇族だ。
意見する権利はない。
「それでその……護符を作れたとして、どのようにお渡しすればよろしいのでしょうか?」
そこで、くすりと天帝は笑った。
「それも聞いていないのか、ははっ。あらゆる魔術を操る神の孫が魔法に疎いとはなんともはや。まあ、よい。貴殿は護符に触れる必要はない」
「触れる必要がない、ですか?」
「ああ。今ここで貴殿が私の手元に護符を作る。簡単だろ?」
セレネは一応魔法を学んできた。戦闘に使える魔法も、生活に使える魔法も一通り扱える。だが、呪いをはじくなんて魔法は専門外だ。できるかどうかは全くの未知数。
「僭越ながら申し上げます。私には専門外の魔法です。必ず上手くいくとは断言できません」
「貴殿の美徳は正直なところのようだ。だが、心配する必要はない。失敗してもこの国が滅びるだけだ。はっはっは!」
「……」
冗談ではない!!
自分の失敗で国が滅びるなど、責任問題甚だしい!!
だが、そんな文句を位の高い天帝に直接言えるわけもない。それに皇族の代表として来ている以上、できなくてもやるしかない。
そんなセレネをおかしそうに天帝は見やる。
「冗談だ。後継者は十分いる。こんな私が死んだところで国がどうにかなるわけではない。詳細はこの本に書いてある。ガラス越しにはなるが、何度でもここに来て学んでくれ」
そう言って天帝は手にした本の綴じ紐を解くとその本を地面に投げた。その本は1枚の紙で作られていたらしく、長い巻物のように床に広がる。そしてそこに書かれている文字は、どこかで見た覚えのある筆記で書かれたものだった。
†
それから数日、セレネはほぼ毎日のように天帝の常ノ御所に通いその書籍を学んだ。今日も天帝の許に通い、その内容を学びに向かっている。まさか宮城に泊まるなんて考えていなかった。
もう、常識を捨てた方が良いのかしら?
あの本で学んだこと。それは魂魄に対する干渉魔法だった。簡単に言えば、魔法で相手の魂——記憶や人格、あるいは魂の要素7つ全て——をどうとでも作り替えることのできる魔法だ。
あんな危険極まりないものを記した書籍があること自体驚いたし、それを天帝が所持しセレネに迷うことなく提示したことについては困惑する他ない。なぜならそれを学ばせるということは、自分の生殺与奪どころか魂全てを好きにされても良いと言っているようなものだから。
普通に考えて、他国の者にさせるものではない。
「はぁ……もしかしてこの本を学ばせるために皇族を遣わせてるんじゃないでしょうね? 主上陛下……」
思わず神聖皇帝に愚痴をこぼすセレネ。しかしその本もそろそろ学び終えるところまで来てしまった。今日読み進めれば全てを学習し終えるだろう。
今日も常ノ御所に向かってセレネは歩いている。少し後ろにはスィリアが付き添い、途中までは共にいてくれている。
「殿下。色々探ってみたのですが、やはり私はこの国はあまり好きではありません。皇族に対する敬意が全く感じられません」
「そうね。本当に彼らは籠の鳥よ。でも、それは国民を生かすために必要なことなんだわ。私も気分は良くないけどね」
「はい……」
ここ数日スィリアに調べさせてみたが、豈皇国の皇族はすべて天帝のような部屋に押し込められ、違う体を与えられて外と交流している。そしてその交流自体も圧倒的に少なく、身内以外と接する機会は一年に一度あるかないからしい。
つまり、その僅かな交流以外、別の身体であってもこの宮城に閉じ込められている。
きっと二重構えの呪い対策なのだろう。
「しかしもっと別の方法もあったのではと思わざるを得ません。こんな国から早く出て、私は祖国に帰りたいです」
「あと少しよ。それまでに学べるところだけでも学びましょう」
そんな時だった。廊下の一角に作られた庭園に一人の人物が目に入る。この宮城はとにかく広く、そこで暮らす皇族も広さに対して少ない。だからヒトの姿がとても目立って見える。
「あれは……羅紗殿下」
よく見れば、その人影は羅紗のもので、彼は木陰で横たわっていた。
呪いって怖いね――。




