episode64.予定変更理由
ホテルに来たからと言ってのんびりするわけにもいかない。向こうは皇太子を直々に迎えによこしている。それならばセレネもそれ相応の対応をしなければならない。それどころか歴史の長さも考えれば向こうの方が目上になるかもしれない。
荷物などはスィリアに任せて部屋に運んでもらった。その間セレネは羅紗に最上階のスイートルームでティータイムに招かれた。一見一息吐く場面のように見えても、これはれっきとした外交だ。
セレネは出された緑茶を上品に口に含む。緑茶は豈の文化に深く根付いているという。
これは初めての本場の味。実は豈の緑茶には興味があった。
「この緑茶、とても美味しいですわ」
「満足していただけて何よりです。この茶葉は我が国の伝統を誇る一品でして、緑茶が好みとお聞きして用意させました。こちらの菓子もこの緑茶に合いますので、よろしければ」
「これはわざわざありがとうございます。では、いただきます」
セレネは目の前の皿に用意された菓子を摘まもうとする。しかし少しためらわれた。というのもその菓子の造詣がとても繊細で美しかったからだ。色とりどりの花をモチーフにしたそれはまるで皿の上の花壇のよう。全く味を想像できないのに、素晴らしい芸術品であることはわかる。
これは本当に食べ物なのかしら!
かわいいっ!
しかも瞬時に脳内でネット検索してみれば豈皇国の季節に合わせた造詣であるようだ。今では季節などないが時間の流れを色や植物、気温、祭りなどで感じる文化。神聖帝国にはない華やかな文化を目にしてセレネは内心興奮していた。
食べるのもったいない!
でも折角出されたのだから食べないとッ!
セレネは未知の味に期待を寄せながら緑茶で苦みの残った口に放り込んでみた。
「!」
甘い。これはほとんど砂糖だけでできた砂糖菓子だ。芸術作品にしか見えないから砂糖とは思えなかった。こんなに美味しい菓子がこの世界に存在していたなんて、セレネは感動してしまった。
しかもこれは緑茶と合わせるとさらに味わい深いものに変わる。苦みと甘味の織り成す波に、理性で抑え込まなければ食べる手が止まらなかっただろう。
ああ、我が国でも作れないかしら?
不思議なものでただの砂糖を舐めるよりも美味しい。一体どんな工夫がされているのか気になって仕方なかった。
「美味しそうにお食べになるんですね」
「あ、これは失礼しました。まさか顔に出ていたとは……っ」
恥ずかしい。皇女としてそんな姿を他国の皇太子に見られてしまうなど、恥でしかない。
ああ、隠れたい……。
「いえいえ、気にしないでください。美味しそうに食べられた菓子も作った職人も、国を代表する私も嬉しいものです。それに人間とは違っても、同じメンタリティなのだと実感できたので安心できました」
ふと、その物言いにセレネはやはりここは外国なのだと実感する。神聖帝国では種族は違ってもどの種族もメンタリティが大体同じであることは共通認識だ。残酷性や、調和性、暴利性や、理性など種族によって極端に発現することはあってもその精神構造はほとんど同じ。そういう認識なのである。
だから、メンタリティが同じだと言われると、今まではそうではなくヒトの形をした化け物と疑われていたと思わざるを得ない。
まあ、それだけ交流がなかったせいでもあるが。
「そういえば殿下。私たちの目的地は元々貴国の本土だったと思うのですが、なぜこのボニン諸島沖の海上都市に変わったのでしょうか? 想像生命体が襲ったわけではなかったと聞いています」
その質問に、羅紗は少々申し訳なさそうな表情を作った。
「そのことに関してはこちらから謝罪するつもりでした。大変申し訳ありません」
軽く頭を下げた皇太子は、しかし真っ直ぐにセレネの瞳を見て続けた。
「我が国には様々な勢力があります。人間種で同盟を結び非人間種を根絶せよと主張する過激派。現状維持を謳う保守派。非人間種と協調しさらなる国家の繁栄を目指す穏健派。大まかにはこの三つです。そしてこの度情報がどこからか漏れてしまったらしく、穏健派があなたに接触を図ろうとしていたようです。何が起きるかわかりませんでしたので、私がここに来ることも航路を変更することも唐突に決めさせていただきました」
「穏健派ですか? 過激派ではなく?」
「はい。以前の交流では過激派によるテロがあったので、交渉使節団の人々の中にはそれを察している人もいたことでしょう。しかし穏健派も我が国の主流の意見から見てもかなり異質なのです。これを機に国内が混乱するような活動はさせられません」
きっと穏健派とは言ってもある意味過激的なのだろう。非人間種に対する風当たりは強い。それに真っ向から対抗する人々だ。それならばいくらか強硬手段に出ることもあるかもしれない。
だからこそ羅紗は穏健派による強硬手段で国内が混乱することを望んでいない。
「理解しました。確かに国内の安定は国の上に立つ者として大切なことでしょう」
「はい。しかしそれによって少々問題も生じました。貴女が齎していただく魔法。それは我が国の天帝陛下に直接会わなければできないのです」
「……えっと……つまり、またここから帰国の本土に参り、貴国の天帝陛下に謁見すると?」
「その通りです」
まさかここで終わる話でなく天帝陛下に会うことになるとは思わなかった。びっくりし過ぎてはしたなくも口を閉ざすことが暫くできなかった。
豈皇国の天帝は神話によれば2900年。最古の文献だけを根拠としても1700年の血統を途絶えさせることなく受け継いでいる。もはやそれは奇跡的な存続としか言いようがなく、建国から200年もない神聖帝国からすると圧倒的な存在感がある。
目の前の皇太子もその一人だが、それ以上の位の存在に謁見する。そんなこと考えもしなかった。
え?
もっと前から聞きたかった……。
「貴女には”夜空の護符”を譲渡していただくことになっています。これには貴女が魔法を刻み、天帝陛下に贈与する。そのような流れになっています。何も聞いていないとは思いますが、これは機密保持の意味合いもあると納得していただきたい」
「はい。しかし夜空の護符とは初めて聞きました」
「夜空の護符はそれを見るまで詳しいことは話せません。ですが我が国では大切な儀式なのです。天帝が即位してからひと月以内に天帝に新たな護符が贈与されなければ、天帝は死に至る。190年前より伝わる我が皇室の口伝です。それだけ大事なものなのです。どうか、お願いいたします」
そんな大事なものを贈与するのが神聖帝国の皇族であることが不思議でならなかった。まるで豈皇国の運命をこちらが握っているようにしか見えない。しかし互いに独立国だ。
少しだけセレネは嫌な想像をしてしまった。
これだけ大きなものを神聖帝国が握っているにも関わらず対等な国家として成立しているならば、神聖帝国も国家を揺るがすほどの何かを豈皇国に握られているのではないか。
想定以上にこの外交を慎重に進めようと思うセレネだった。
知らない者からすると心配事は増える――。
この小説の異常性が見えなくなったら、世界はもう平和ではないんだと思う。




