episode63.とある研究者の手記Ⅰ
聖誕歴2068年7月8日。
私はウェプスカ合衆国全領域異変解決局所属の■■■■■■■■■■。
私はもう祖国に帰ることはできないかもしれない。それでも祖国のため私はこの命を捧げることにした。これは私が豈皇国の調査記録として書くと同時に、私自身の覚悟を忘れないための手記としても書き連ねる。
——中略
聖誕歴2068年7月10日。
私は仲間たちと共に合衆国の誇る空母打撃群に守られた輸送船に乗り込んだ。とはいえ、これも合衆国に残された最後の艦隊だ。合衆国の空母打撃群は一艦隊だけで中堅国家を壊滅させることができ、大国すら深刻なダメージを与える戦力を有する。
しかしそれも過去のこと。それを11個も保有していたというのにもはや見る影もない。空母は最早最後の一隻となり、それを守る護衛艦すら本来の半数以下で艦隊が編成されている。
かつて合衆国は世界に類を見ない完全無欠の超軍事大国だった。地下資源も、人的資源も、経済も、技術も、それらをまとめた国力も、そのどれをとっても世界の追随を許さないトップを走り抜けていた。そして合衆国は自由と正義のためにその軍事力を奮っていたのである。
だが今から15年前。突如として世界各地に化け物どもが現れ始めた。それらはたった一か月で殆どの小国を消滅させ、中堅国家も一年も持ちこたえることができず崩壊していった。世界各地の大国はその化け物どもに国土の大半を奪われつつも防衛に成功し、国の体制を維持し続けた。
今から思えばかなりの奇跡であったことだろう。
人類が滅亡しても全く不思議ではなかった。
そしていつしかその化け物を想像生命体と呼ぶようになっていた。
由来は不明だ。いつの間にか誰かが想像生命体と呼び、それが定着していたのだから。
今回の調査はその想像生命体の情報を手に入れることと、できることなら想像生命体の軍事転用である。もし世界で最初にこの世界を崩壊させた化け物を兵器に変えることができれば世界を管理することが再び可能になる。
いや、世界を本当の意味で支配することだってできる。
今向かっている豈皇国は最も想像生命体が暴れまわり、最も都市を破壊され、今では最もその脅威から遠くなった国。極東の島国であり、合衆国の衛星国であった彼の国は合衆国から見て異常の一言だった。
一度歴史を振り返ってみようと思う。
豈皇国が豈国と名乗っていた時代。彼の国は想像生命体の最初の発生地だった。
現在極東動乱と呼ばれる世界的事件で壊滅的な被害を受けていた豈国はその動乱の最中であの化け物に襲撃された。国土はさらに荒廃し、多くの人間が捕食されたと聞いている。街に人はおらず、化け物が全ての都市と街で跋扈し、豈国は自らの国土から人間の生存圏を早々に全て失った。
そしてそれと同時期に全世界で想像生命体がどこからか発生し始めた。化け物の発生原因が不明な中で文明が崩壊していく。それを誰も止められなかった。
しかし人類が滅びかけたその時、豈国は生き残りを集めて復活し豈皇国と呼び名を改めた。国号は変えず、2700年以上の皇統も存続し、当時では有り得ない安定的な国家を築き上げた。
たったの数年で首都を完全に奪還し、10年も経てば復興も一通り終わり経済も上向いている。他国は自国の存亡を掛けて核兵器を使用し、経済は崩壊し、次から次へと消えているというのに。
世界的に最も異常な国家がそこにあった。無差別に人を襲うはずの想像生命体は豈皇国の未開発地帯に閉じこもって豈皇国民を襲うことはない。そして人類が国土を全て取り戻そうとしている中、豈皇国民も想像生命体の支配地域を取り戻そうとは一切考えていない。
合衆国からすれば、豈皇国にいる想像生命体も、豈皇国民の精神性も、何もかもが異常だった。他にこの国のような存在は確認されていない。だからこそ合衆国はその調査を決定し、私が派遣されることとなった。
だが、彼の国は極東動乱以降永世武装中立国家を謳っている。しかも今はかつてのように鎖国しており、外国人は簡単には入れないし外国にも関与していない。想像生命体に追われた難民さえも直ちに追い返すほどの徹底ぶりである。
彼らが我々に抱いている憎悪はそう簡単に消えないということだろうか。温厚な国民性を持っていたとは思えないほどに豈皇国は自国以外を毛嫌いし閉じこもっている。
それでもどうにかその監視網を突破して国内に侵入しなければならない。私は最先端技術で造られた潜水艦で海流に乗りながら豈皇国に侵入する。この空母打撃群は囮だ。
もちろん、途中で想像生命体に出くわせば誰も彼もが等しく殺されるだろう。しかしそれも致し方ない。その覚悟もできている。
ただ、私の中には少しだけ安心感があった。なぜなら世界で最も安全なのは祖国でも海上でもなく、目的地なのだから。
ここでもう一つ考慮に入れなければならない事実も書き記すこととする。
それは近年建国された神聖ルオンノタル帝国というふざけた国家だ。いや、国家とすら我が国は認めていない。奴らは人間ではなく、化け物どもが知性を持ち組織だった動きをしているだけの魔王の国。
なぜここでいきなり奴らの話を出したのかと言えば、とある船団が豈皇国を出発し、それがメガラニカ大陸に到着して間もなくして神聖ルオンノタル帝国が建国されたことを偵察衛星が捉えていたからだ。
その事実を知っている者は限られるが、関係性がないと見るのは難しいだろう。少なくとも豈皇国と神聖ルオンノタル帝国は何かしらの形で繋がっている。もしかすればそこに想像生命体の脅威を遠ざけた方法があるのかもしれない。
豈皇国での調査がどれくらいかかるのか、それとも終わる前に警察機構や軍隊に捕まり強制送還されるのか、想像生命体に今すぐ殺されるのかは分からない。しかし少なくとも豈皇国を調査した後は神聖ルオンノタル帝国へ潜入調査をすることになるだろう。今回の調査では神聖ルオンノタル帝国に潜入する方法も調査する予定だ。
ここまで私自身のことを書いてこなかったが、名前からも分かる通り私の先祖には豈皇国の人間がいる。最後の世界大戦前に移民してきたらしく、私も隔世遺伝で豈人と同じ顔を受け継いでいるためにこうして潜入調査に加えられた。
一応豈語は普通に話せる。しかしニュアンスとなると少々難しい。今後は少しバカな振りをして過ごしていた方があまり注目されないだろう。
全ては我が合衆国の未来のため、私は骨を粉にしてでも何かしらの情報を掴むつもりだ。
それは170年くらい前の記録――。




