episode61.豈皇国へ
セレネは空の上にいた。どこまでも続く厚い雲の上、上空には青空が広がり、太陽がギラギラと真上から輝いている。
飛行機が旋回し、窓から光が差し込んでくる。思わずセレネは目を細めた。
日差しとは、こんなにも眩しい。
セレネの目は未だにその光に慣れていない。それでもこの暖かさが何だか好きだった。
この暖かさが昔は星のどこでも浴びれたなんて。
いつかこの空を晴らしたい。
ここはこの星の赤道。言葉通り真上から日光が差し込み、星を4分の1周してきたと思えば、随分遠くに来たと実感する。
そんな雲の平原を窓から眺め、セレネは静かなひと時を過ごしていた。
今彼女は豈皇国製の原子力エンジンを積んだ航空機に乗っている。本来であれば環境を破壊し、乗組員さえも放射線被爆を引き起こす厄介なものだ。しかしこの世界では常々核兵器は使われているし、重度――この世界基準――の放射線被爆でなければ一週間も掛からず治療できてしまう。
想像生命体の影響で資源採掘も難しいこの世界において小型化が大変簡単な原子力エンジンが重宝されている。核融合炉でも詰めるには詰めるものの、原子炉に比べるとその複雑さゆえに維持管理が非常に難しい。
ならば環境破壊など気にする必要もなくなったこの星では安く仕組みが簡単で燃費の良い原子力を使う方が良い。そうやって人類はこの星を壊し続けてきた。
「生きるために生きる場所を壊す……こんな世界に未来があるのかしら?」
人類の未来に憂いを覚えていた時だった。真っ白な雲の平原と真っ青な空を眺めているとセレネに近づいてくる足音がする。そちらに目を向けるとスィリアがいた。
「殿下。ジュースを戴いてまいりました。どうぞお召し上がりください」
そのようにセレネの前にジュースの入ったグラスを置いたスィリアは楽しそうに笑みを浮かべていた。そして彼女の感情に合わせるように背中の羽がキラキラ輝かせている。彼女は感情が羽に出やすい。
わざわざそれを言うことはないが幼い子供を見ている様でセレネはこっそり可愛いなと思っている。
「ありがとう。一緒に飲みましょう?」
「はい。ですが、私はまだ仕事中ですので、後でいただきますね」
「それもそうね」
そうしてセレネは一口ジュースを口に含みその味を確かめる。
「あら? これ、美味しいわね。苹果のようだけど、帝国にはない味ね」
「はい。豈皇国で再現された伝統の味だそうです。そのまま実を食べても大変美味だとかで、蜜も沢山含んでいるそうです」
「そうなのね。こういった果実が伝統の味になるなんて、やっぱり温暖な気候地帯は本来肥沃ということなのかしら。あとは歴史の長さも伝統には必要なのね」
神聖帝国はその国土のほとんどが雪と氷で閉ざされている。夏に苔が生えてくる地域もあるが、そのような場所でも岩だらけで草が生えることはない。
だが、世界の温暖な地域では本来植物が栄え、このような果実も育ちやすく伝統的に受け継がれてきた。世界が壊れてそれらの多くは消えてしまったが、再現しようと思うくらいの価値があったのだろう。
歴史が浅く、不毛な大地しかない神聖帝国からすれば羨ましい限りである。
「そういえば、交流使節団の方々はどうしてるかしら?」
「彼らなら先程からよくわからない専門書を読み漁っていますよ。何でも一分一秒でも豈皇国の技術を吸収しようとしているそうで、話しかけたら叱られてしまいました……」
「そうなのね。元気出しなさいね」
彼らは優秀な科学者や技術者だ。そして今回は科学技術で豈皇国に遅れている神聖帝国が数少ないルートでそれらを学べる絶好の機会。少しでも多くを吸収しようと思うのも頷ける。
直ぐにカッとなるのはいただけないとは思うが。
「しかし、人間種とそれに見た目が近い種族しか参加できないのは、正直不快としか言えません。私も地上に降りたらこの羽を隠さなければなりませんし……」
「仕方ないわよ。種族差別は普通にあるのが世界で、余計な衝突は避けるべきだわ。もしバレたら今後交流もできなくなるわけだし」
神聖帝国以外の国家に於いて、その国民には人間種以外存在していないことになっている。非人間種が虐殺された歴史があるからだ。彼らは一人残らず殺され誰一人残っていないとされる。
しかし噂によれば一部では奴隷以下の扱いで生かされ、あるいは実験動物のように扱われている者たちがいるらしい。これから向かう豈皇国は人間以外にも寛容な方であるが、人間種と同じ権利は得られていないだろう。
故にセレネ達は向こうに着いたら人間種の振りをして過ごさなければならない。一般人にバレれば本当に大騒ぎになり、技術交流は今後できなくなるかもしれない。
スィリアの気持ちも分かるが、いきなり平等に扱えと他国に迫れるはずもない。それは内政干渉になってしまう。本来なら虐げられている者たちを保護すべきだ。それでも本国が他国に平等を求めない限り政治的権限のないセレネが勝手な真似をするわけにもいかない。
正直歯痒い。
「それにしても、本当に私の役割って何なのかしら」
皇族にしか扱えない魔法を豈皇国に齎す。そのようにネレヤ外務大臣に伝えられたが、セレネの中では疑念しかない。そんな魔法など聴いたことがないし、個人の能力に左右されるものの原理原則に則れば誰だってどんな魔法を使えるはずだ。
神聖皇帝のように別格の存在が扱う魔法でもそうだ。それができないのは個人の力量がないだけ。そして世の中には皇族でなくともセレネ以上に魔法を使いこなす賢者などがいる。
だから皇族にしか扱えない魔法などというものがあるなど考えられない。
しかもそれが豈皇国に行けばわかるというのだから本当に分からない。
「きっと本国では何か意味があると考えているのでしょう。そう深く考える必要はないかもしれませんよ?」
「それもそうね。分からないことを考え続けても疲れるだけだわ」
「では、私はまだ他に仕事があるので失礼いたします」
スィリアはセレネに礼をすると機体の後方に歩いて行った。そしてVIP席にはセレネだけが残される。誰もいないのはスィリアの配慮なのだろう。そういうところで気が利く彼女は本当に優秀だ。
「それにしても、ほんとに遠くまで来たものね」
兄の情報を探すこと、そして皇族としての責任を果たすこと。その二つのためにセレネは今ここにいる。それでも未知の世界に歩んでいくことにセレネはワクワクする感情を覚えていた。
皇族の立場としてその感情は表立って表現できない。けれどきっとこれはヒトとして当たり前の感情なのだろう。
言語がほとんど一緒なら知れることも多いはず。
一体何が私を待ち受けているのかしら。
その時だった。不意に機内放送が入った。
「この機は予定を変更しカタガルガン海海上のボニン諸島沖空港に着陸いたします」
その放送に少しだけ嫌な予感がした。
皇女の向かう先は彼女にとって未知の世界——。




