episode4. 朝食
漢字ってどこまでをルビ振った方が良いのかわからないから難しい……。
それからスィリアが満足してやっと解放されたセレネは朝食を摂ることができていた。
しかし今セレネの髪はスィリアに梳いてもらい、髪型を整えられている。美味しい朝食中にするようなことではないし実際食べづらい。口元まで物を運んだかと思ったら後ろに髪が引っ張られるのである。流石にストレスだった。
元はと言えば今朝スィリアに弄ばれた所為でこのようにしなければ時間がなくなったのである。煩わしくてたまらない。今度からもっと厳しく対応しないといけないだろう。
まあ、暇な時は変なことをしない限り気にしないのだが。
「相変わらず殿下の髪はこの国の象徴のように美しいですわ」
「ただの母譲りよ。私がすごいわけではないわ」
セレネの髪の色は母譲りの白銀色だ。この色合いはセレネの一族に受け継がれる遺伝のようなもので、神聖皇帝から身体のどこかにこのような銀色を受け継いでいる。
それが理由でこの帝国では銀色は国家統合の象徴的な色であり、最も神聖な色として扱われてきた。
そして神聖帝国臣民の間では偶然身体のどこかにこの色を持って生まれると、神の上に君臨する神聖皇帝に祝福されているとされ、崇められるほど。
これが巡り巡って一つの大きな宗教が帝国内にできてしまった。ほぼ全ての臣民が信奉するほどといえばその影響力はかなり大きい。
セレネからすればなぜそんなことになったのか甚だ疑問である。ただの色で宗教が出来るなんて不思議でならない。
彼女自身その宗教を信奉してはいないし、信仰するにしてもまるで自分を祭り上げるようで好きになれそうにはない。信仰の自由――信仰しなくても良い――もあるから皆好きな宗教を信じれば良いとは思っている。だからセレネもそうしていた。
皇族の権威が大きい証左なんでしょうけど……。
ここまで来ると狂気すら感じるわ。
なぜここまで同じ思想で塗り固まっているのかしら?
そこでふと思い出したことがあり、銀髪を丁寧に梳かれているのを感じながらセレネはスィリアに問うた。
「お母様とお父様はまだお帰りにならないのかしら?」
「はい。地方の視察ですので、大陸全土となると時間がかかりますからね。そうですね……あと、3日ほどでお帰りになられるでしょうか。お寂しく思われるかもしれませんが、あと3日ですよ」
「むぅ。そんなんじゃない」
「ふふふっ」
スィリアが小さく笑う。でもそれはセレネを可愛がって出てくる笑みに他ならない。
ほんと、妹扱い甚だしい。嫌ではないが、他の侍女がいるところでもこんな雑談を持ちかけてくるのは恥ずかしくて堪らない。それにちょっと揶揄っているのだって知っている。反応を見て楽しんでいるのだ。
思わずムスッとした顔を作ってしまったセレネはパンに齧りつく。
瞬間、芳醇なバターの香りが鼻を通り抜け、サクサクふわふわなパンの食感が口の中で奏でられた。
味はとても美味で、深く口内に染み渡っていくようである。バターの濃厚さの中に適度な華やかな甘味が添えられ、諄さを感じさせないその美味しさはなんとも言えないほどに素晴らしいものだった。
思わずムスッとした顔が緩んで表情が柔らかくなってしまう。
「はい、殿下。髪も整いました」
「ありがと。今日もハーフアップなのね」
「はい。殿下の髪は冬至の月のようにお美しいので、あまり纏めない方が良いと思います」
実のところ母と同じ髪型だから同じ頭が二つあるみたいでセレネは好きではない。けれど折角結ってくれたものを無下にもできないのでこのままにすることにした。
それに訓練の時はもっと纏めるしすぐに崩すでしょう。
それからミルクを一口。そこでセレネは首を傾げた。
「あら? 今日のミルクはちょっと違うようね」
そうなのだ。いつも飲んでいるものと違ってあまりコクがない。なんと言えばいいのか。悪く言えば安物、良く言えばあっさりしている。高級感がなく庶民的とも言うだろうか。
嫌いではないが……少し物足りない。
「すみません、殿下。実は戦時体制に移行する旨が公布されまして、食料の製造ラインを一本化したようです。その分リソースを別の所に向けるとかで」
「なるほど。帝国の食糧事情はそこまで逼迫していたのね」
実のところセレネも含めてこの国の者が食べているものはほとんど人工食なのである。
普段であれば複数の味付けの物を作れるが、戦争準備のために製造ラインを少なく絞っていくのだろう。
しかしそれは年中雲に覆われたこの星の気候を考えれば当然のことで、特にメガラニカ大陸に於いては厚さ2000m、場所によっては4000mもの氷床が1500平方kmも年中覆っている。これではまともな食料生産ができない。
このパンも含めてあらゆる食べ物の原材料は周辺海域のプランクトンや、様々な排泄物の中に含まれる有機物から作られている。それらを核融合の莫大なエネルギーを用いて収集し、食料に再加工している。
だからやろうと思えば宇宙での長期滞在も技術的には可能なレベルに達している。そうしなければならない事情だっただけと言われればそこまでだが。
だが、それでも足りない。未だに神聖帝国の核融合は技術先進国のそれより効率が悪く、その莫大なエネルギーを活かしきれていない。数を揃えようにも製造コストと維持コストさえも抑えられないでいる。
それに食物だけでも生産する栄養源は非常に種類が多く、4100万もの人口を支えなければならない。都市管理や軍事などを支えるためにもこのエネルギーは必須だが、その時点でもう余分なエネルギーはない。
これでは戦時にリソースを軍備に回すのも致し方ない。
きっとこれからさらなる技術的進歩が必要になる。
生活維持だけじゃない。
生存するためにもさらなるエネルギーが必要だ。
「必要とはいえ……軍に回すエネルギー量が多すぎる」
因みに養殖を用いた食べ物も一応存在しており、代表的なものは鯨肉と企鵝肉である。前者はその大きさゆえに小型種以外はほとんど養殖が成されていない。しかし後者は養殖に成功しており品種改良種は高級肉だったりする。
こちらも細胞立体印刷技術で有機物とエネルギーがあればほぼ無限に生産できるが、養殖の方が道徳的には重要だとされている。命を刈り取りそれを食べることで命に対する感謝の念を忘れない心構えを保てるからだ。
もし命のことなど全く考えず、ボタン一つで食べ物が作れると考えればそれが当然と思うようになり、いつしか感謝の念を忘れてしまうことだろう。自分が何に生かされているのかを理解しない事こそ相手を慮る心を失わせてしまう。
そのため冬至の祭りの日には臣民に養殖の肉で作った料理を小分けにしたものが無償で配られ、それを共に食す文化ができている。そして自分たちが生かされている存在であることに感謝するのだ。
セレネが食事の前後に手を合わせるのも自分が世界のあらゆる関係性に生かされていることに感謝するため。食べ物自体にもするし、料理を作った人にもするし、原材料を得るためのシステムや装置を作った人にもするし、それらを支える社会や国家にも感謝する。
ちなみに、細胞立体印刷技術で造られた食べ物も人工食に比べれば贅沢品である。そのため戦時となればそれも最低限量以外は止められるに違いない。
「今夜の会食は企鵝の丸焼きが出るのかしら?」
「殿下……。自重してください。そんな食欲に忠実では皇女として気品がありませんわ」
「分かってる。でも、陛下に謁見するのですから、それくらいのご褒美がないとやってられないのよ」
頑張るのだからそれ相応の褒美が欲しくなるのは当然の心理。
ヒトとして何も間違ってはいない。
皇族としては確かに品がないが。
「御馳走様。今日も美味しかったわ」
「それは良うございました」
手を合わせてこの食事に関わった全てに対する感謝の言葉を紡いだ後はちょっとしたティータイムである。
この時間は満腹の腹を落ち着かせる意味でも、これからの勉学に気合を入れるためにも習慣づいている。今日は緑茶のようだった。
因みにセレネは紅茶よりも緑茶の方が好みだったりする。
「この緑茶も当分は味が落ちそうね」
緑茶にも色々あるが味が落ちると考えると少し残念なものである。これからは備蓄を細々と使うこととしよう。そうすれば当分の間この味を楽しむことができる。
そうして暫くは落ち着いた時間が過ぎてゆく。そして食後休みを終えるとセレネは一度深呼吸して気合を入れた。
「では、歯を磨いて学業に励むこととしましょう」
「はい。準備してまいります」
そう言ってスィリアは勉学の準備をしに、セレネは他の侍女を連れて洗面所に向かったのだった。
命、それは慮ることで大切さを実感できる――。
【用語解説】
・核融合
太陽が光り輝くために必要な物理現象。本来は太陽のような巨大な星の重力で発生するものだが、人工的に地球上でそれを発生させる技術を現実世界の人類は手に入れている。しかし核融合発電の最も大きな課題はどうやってエネルギーを取り出すのか? というものであり、このエネルギーを取り出す技術が確立されない限り発電には活用できない。しかし瞬間的な莫大なエネルギーを活用することはできており、それが水爆である。
つまり、核融合で得られるエネルギーに対して実際に使えるエネルギー量(仮にエネルギー変換率とする)が致命的なまでに低い。
本作に於いて核融合炉を用いた発電は可能となっているが、このエネルギーを取り出す技術の性能が勢力圏ごとに異なっている。そしてその中でも神聖帝国のエネルギー変換率は問題なく使える程度だが、本当に技術が洗練された国家には及ばない程度。
ちなみに、核融合発電が現実の世界で高効率で可能になった場合、産業革命並みに社会が大発展する。そのため本作の世界で消費されるエネルギー量は現実世界と比べるまでもなく多い。
これらの事情の中で、氷床内に建設された大規模都市を住みやすい温度にし、食料や水を生産し、世界を敵にしても戦える軍事力を支えていればエネルギーも足りなくなっていく。それでも神聖帝国臣民の生活は困窮しない程度には必ず支えられているため、ひもじい思いや寒さに苦しむといったことはない。
・鯨肉
本作の世界に於いて大型種はほとんど滅びている。海豚のような小型種だけがメガラニカ大陸沿岸に生息しているか、養殖用として飼われている。実際、現実世界の日本では海豚を食べる地域もあり、鯨と海豚の違いはただの大きさが異なるだけなので鯨肉に近い。しかし海豚の方が独特な風味などがあり、どちらかというと珍味に分類される。
本作の神聖帝国でも好みが分かれるため、品種改良した結果鯨肉と遜色のない味になっている。ちなみにメガラニカ大陸沿岸に生息する海豚はわずかに生き残っているだけで絶滅も近い。
・企鵝
現実世界でも存在している動物であるが、実際のところ美味しくない。油は多いし、臭みも酷い。卵も食べられたものじゃない。油を取り、味噌煮など濃い味で臭みを消してやっと食べられる。(基本的に肉食獣の肉は臭い)
しかし現在企鵝を食べることは全面的に禁止されているため、今後人類がそれを食すのは本当にそこまでしなければならないほどの食糧危機が襲った時だけだろう。
本作に於いて、野生種はメガラニカ大陸で生存しているものの、決して美味しいものではないためセレネが好んで食べているものは神聖帝国建国時に食糧事情を改善するために品種改良が施されたものである。それ故にすでに野生に戻ることはできなくなっている(寒さにめちゃめちゃ弱いし、泳ぎが下手)ため、現実世界の牛や豚、羊のように人類と共生する種になっている。
・人工食。
あらゆる有機物を変換していき、ヒトが必要な栄養を組み合わせた食べ物。肉とも野菜とも異なる味がしている物が多い。味付けもバリエーションが多く存在しており、触感や匂いも様々研究されている。都市において最もコストが低く、即時性の高い食べ物であるため、経済規模に関係なく多くの家庭で食べられている。(むしろこれがないと飢餓でみんな死んでしまう)
養殖された食べ物を食べる選択もあるが、資源とエネルギーが限られる中で育てられるため生き物から得る食べ物はかなりの高級品。野菜に関しても肉ほどではないが、人工食よりも高級品。
・細胞立体印刷技術
生きている細胞をカドヘリンなどの物質を用いて結合させていき、任意の形に立体的に作っていく装置。これによって細胞を培養するだけでステーキや食べられない部分のない果物を生み出すことができる。現実の世界でも似たような技術が存在しているが、生き物を育てたものに比べて品質は劣る。本作世界ではかなりの品質を確保することができるようになっており、生き物を育てて得られるものと遜色のないものになっている。中流階級かそれより上の家庭でよく食べられる。
ちなみに、本作世界ではこの技術は医療にも応用されており、死んだり修復不可能な細胞の交換に用いられる。この応用に関しては後のエピソードで解説。
高級度合いを纏めると、人工食<細胞立体印刷技術を用いた食料<生き物を育てて得られる食料となる。
【解釈について】
・神聖皇帝の容姿は銀髪に、銀色の虹彩、銀世界を思わせる白い肌、銀色の爪。白銀比の美しい肢体を持つ女性の形をした存在。その美貌は臣民全てに認められるほど。その存在から遺伝のように子や孫へとその色などが受け継がれているのが皇族である。神聖皇帝自身が銀色で染められたような容姿をしているため、神聖皇帝の圧倒的な力と権威、権力を象徴づけるために臣民は銀を至高かつ神聖なものとした。別に皇族や神聖皇帝自身がそれを推奨したわけではない。
ただし、宗教的影響力が高まってしまったため、政治への影響力を排除するために再度政教分離政策が神聖帝国に於いて実施された。
これが実施された理由は一般に銀雪教と呼ばれるこの宗教を纏める一派が現れ国家に影響を与えるほどに発言力が増したからである。
現実世界の教会や礼拝堂に当たる施設などが建設されたが、それは皇族を崇めるだけでなく自らの願いも込められて祈られるようになった。神聖皇帝はその全ての願いを叶えることはないが、度々神聖皇帝が起こす奇跡によって誰かの願いが叶ってきたのも事実である。それを自分たちの都合のいいように解釈した結果、祈ればいつか願いは聞き届けられるという思想に変わっていった。
そしてこの星の歴史では数多く月が銀色で表され、神聖皇帝の字が神話を持たない月と同じ名前であったため、いつしか最も月がメガラニカ大陸を照らし出す冬至に臣民のほぼ全てが参加する祭事が開かれるようになった。(本来夏至と呼ばれる日であるが、文字の中に季節的な矛盾が発生しているため他の国家とは逆の名称を用いている)
そして、『冬至の月』は巡り巡って神聖皇帝のように何物にも勝る美しさを言い表す慣用句ともなっている。