episode45.リアムの進撃
神聖宇宙軍第二艦隊旗艦ラメンタツィオーネの艦橋では、その司令官席にリアムが鷹揚に座っていた。そして余裕綽々と頬杖を突き、データリンク越しの作戦図を眺めている。
「なかなかうまくいっているではないか。やはり戦争は経験値だ」
満足そうに頷くとリアムは手にしたワイングラスを傾けた。もちろん中身は合成葡萄ジュース。こんな時に酒を飲むわけにも行かないだろう。
まあ、それでも職務中に飲むようなものではないのだが。
「殿下。よろしいでしょうか?」
「どうかしたかな? フッサール艦長」
龍神種のフッサールは迷うようにその手の甲のうろこを無意識で弄りながらリアムに問うた。
「これは、いくらなんでもやり過ぎではないでしょうか? 人道に反することだと思われるのですが……」
フッサールが気にしていること。それは単純だ。リアムの作戦は、敵都市を落とすために足りない戦力を想像生命体の力で補おうという作戦だったから。
もちろん奴らがこちらの言うことを聞くことはない。だが、リアムの数十年にも及ぶ経験を応用することによって、無人機や有人機及びこの艦隊自体を広く大陸上空に展開させて大量におびき寄せることは出来る。
このまま第二艦隊が都市に向かって突き進めば都市に設置された悪霊祓の光石の効果はほとんどないだろう。あれは単に想像生命体から見つかりにくくするためのモノ。第二艦隊を追いかけているだけの奴らからすれば、気づけば都市に侵入していたという状況が作れる。
だが、それはヒトとしてやって良い所行には思えなかった。
最早戦争ではない。ただの殺戮だ。
にもかかわらず、リアムは小さく笑うとフッサールを諭すように語り始めた。
「戦争が直ぐに終わるのだ。それに連邦も都市を要塞化している。降伏に追い込んだ後に我々が支援すれば想像生命体を追い返すことくらいできるだろう。あとはそのまま国家の防衛を我々が計り、傀儡化してしまえば、我が帝国が長らく望んでいた緩衝国家を得られる。これは神聖帝国の繁栄のために必要な作戦だ」
「しかし連邦の死者数は優に数百万を超えます! 我々がしようとしていることは、作戦ではなく単なる虐殺ではないのですか?」
虐殺。それは神聖帝国では忌み嫌われる行いだ。なぜなら神聖帝国の国民は世界の人間に虐殺され、逃れていたところを神聖皇帝一族に保護してもらう盟約を結んだ歴史があるから。
もちろん逆に人間を殺してきたことも事実ではある。それでもそのような過去を繰り返すことを想像するだけで、当時の生き証人が未だにいる神聖帝国では忌避感が根強く残っている。
フッサールはその中でも殺される側として逃げてきた者たちの子供で、よく言い聞かされていたのだ。
二度と繰り返してはならないと。
「虐殺を許容すれば、我々が虐殺されても文句は言えません。我々は”泥人形のピトス”を開けてしまうのではないのですか?」
「……」
リアムは考えるように僅かに沈黙する。しかしすぐに顔を上げ、立ち上がると溌剌とした笑みを浮かべた。
「フッサール君。君は人類の命と、我が国の臣民の命。どちらかを取れと言われたらどちらを選ぶ?」
「は? え、えっと、それはもちろん私は軍人であります。ゆえに臣民の命を取ります」
「そういうことだ。我が国の臣民を犠牲にして他国の国民を救済するなどあってはならない。そのようなことはあまりにも愚かな行いだ。この戦争は通常通り戦えば長期戦になる。長期戦になれば他の人間国家の介入は避けられない。それは他国の救済に他ならないだろう」
前者に言っていることは正しい。だが後者の救済という言葉には疑問が残る。
だが、一介の軍人が皇族に真っ向から否定の言葉を投げかけることはできない。だからフッサールはただリアムの言葉を聞くことしかできなかった。
「そしてそれによって大きな被害を被るのは我が帝国だ。ならば、ここで数多の生贄を捧げ、臣民の犠牲を最小にする」
リアムは再びジュースを口に含み、口内を潤して続ける。
「その罪は皇族であり、この艦隊を指揮した私が負う。お前たちはこの僕に脅されて仕方なく従ったとでも言うが良い。僕は帝国臣民のため、ひいては帝国の将来のために戦争を早期に終わらせる!」
そんな理想を語り、現実に実行しようとするリアムにフッサールはやはり複雑な心境でいた。神聖帝国に忠誠を誓った身としても、どうしても虐殺は躊躇われる。
「だが、もちろん想像生命体が都市を発見する前に降伏を促すつもりだ。それが出来ないのであれば、順に都市を攻める。避難する時間も稼げるだろう」
「……了解しました」
そうして命令はそのまま継続される。
「降伏と避難を連邦に向けて勧告しろ。我々は一度このラインで止まり、降伏が受け入れられない場合、北部の都市から順に攻める。北部無人機部隊は脅しの意味を含めて前進を継続しろ」
「了解。連邦に向けて降伏を勧告。各都市に向けて避難勧告を実施。北部無人機部隊は最北部の都市に向けて前進を継続!」
再びリアムは席に座りワイングラスの中のジュースをどこか楽しそうに眺めてその水面を揺らす。
その姿を見て、フッサールはやはり不安を殺しきれなかった。リアムは数々の戦場で活躍してきた存在であるが、それと同時に戦闘狂でもあるという。
今の彼はどう見ても今の作戦を、上手く進んでいる作戦を眺めて楽しんでいるようにしか見えなかった。
きっと皇族は自分達とは圧倒的に違う種族ゆえにその感性が異なる種族なのかもしれない。そしてその長く戦ってきた彼はどんな犠牲すらもただの数値として見ている可能性すらある。
そこに一切の感情はなく、事務的に処理されるだけの数値なのだと。
だが、そう考えなければ残酷な戦場を生きていけないことも分かる。感性豊かな者ほど残酷な戦場では壊れていく。いつしか正常な判断と行動ができなくなり、真っ先に死んでいく。
それでも、リアムの場合は酒を飲んでいるわけでもないのに酔っているように見えた。
そうだ。彼は自分と、そして自分の作戦が上手くいっていることに酔っている。そこには犠牲者に対する気持ちはどこにもない。彼にとってこの戦場は盤上ゲームの盤でしかないのかもしれない。
「神聖皇帝の御加護があらんことを」
神聖帝国軍人はただ上官の命令に忠実に従い、国家繁栄を願い続けるのみ。神聖帝国の未来に幸があることを信じて。
仕方ないんだ。
皇族の命令だから仕方ないんだ。
仕方ないから、やるしかないんだ……。
フッサールは自分の心に言い聞かせながら震える手で指示を飛ばし続けた。そしてここにいる者たちも、フッサールと同じ顔をしていた。誰もが自分の感情を誤魔化し、その感情自体を殺そうと必死になっていた。
逆らえないから仕方ないんだと。
消えゆく命に、本土にいる家族に、自分自身に、絶対の神聖皇帝に懺悔しながら。
仕方ないなんて、愚かにもほどがある――。
【用語解説】
・泥人形のピトス
禁忌を意味する言葉。パンドラの箱を言い換えた言葉。神聖帝国では泥人形のピトスと呼称される。
・ラメンタツィオーネ
とある言語で悲しみや嘆きという意味です。
希望を意味するユミトを撃墜したのが悲嘆を意味するラメンタツィオーネとは、あまりにも皮肉が効き過ぎているという描写でした。
【解釈について】
仕方ないから行かなければならない、仕方ないから仕事を続けるしかない、仕方ないから黙らなければならない、仕方ないから見て見ぬふりをするしかない、仕方ないから言うことを聞かなければならない、仕方ないから我慢しなければならない。
こういう感情って日本ではよく聞きますよね。これって怖い感情なんです。
だって、戦場で、戦争の狂気に充てられて、命の危機が目の前に迫って、
仕方ないから殺さないといけない。仕方ないから死なないといけない。仕方ないから奪わないといけない。仕方ないから戦い続けなければならない。
そんな考えに、ほんっとうーにっ、簡単に至ってしまいますから。
皆さんも、もしかして”仕方ない”で済ませて何か諦めていませんか? いつか人間性を失ってしまう前に、この言葉を捨てることを推奨します。簡単なのは”仕方ないから~する”のではなく、”○○をしたいから~する”と言い換えてみるといいです。
それだけで世界は大きく変わっていきますよ。




