episode40.アストラル光記録の断片
闇の広がる世界。音もなく、景色もなく、一切の光もない。
あまりにも異質で、世界のどこにも存在していないはずの、無の世界。
そんな世界にいきなり放り込まれたセレネは混乱した。
「え? え? え? ど、どういうこと??」
セレネは先程までアーマイゼとの戦闘を繰り広げていたはずだ。そのはずなのに気づけばこの非現実的な世界にいた。
本当に意味が分からない。
何が起きたのか理解できない。
もはや恐怖を感じるほどだ。
まさか、あの一瞬で私の身体は死んだ?
もしかしてここが復活前の上神種が来る精神世界??
そんな推察も証明する手段はない。なぜなら今までセレネは死んだことがないから。
「ん? あれは?」
不意に闇が満ちる空間に光が差し込んだ。
それは銀色の光。そしてその光は朧気ながらヒトの形になり、いつしか見覚えのある形に変化した。
「しゅ、主上陛下?!」
まさかの人物の登場にセレネは驚愕した。だが、反射的に最敬礼の姿勢を取り、神聖皇帝の前に跪く。
「やあ、セレネ。どうやらかなり無茶な戦いをしているようだね」
先程通信した時の冷酷さはどこにもなく、神聖皇帝は柔和な笑みを浮かべていた。まるでセレネを安心させるかのように。
そのギャップに本当に本人なのか疑いの目を向けてしまう。しかしひしひしと感じる絶対王者のオーラは本物だと証明していた。
そして神聖皇帝はセレネが言葉を発せずにいると、言葉を続けた。
「ああ、心配せずともここでの1分は現実の1ピコ秒程だ。宇宙の終わりに匹敵するだけの時間を過ごしても現実では1秒も進んでいないから現実のことは気にせずとも良い」
「え? あ、あの、主上陛下。お一つ、確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「私は、死んだのでしょうか?」
その言葉に神聖皇帝はどこかおかしそうに小さく笑った。意外なことを聞いたと言わんばかりに。
「ふふふっ。何を言うのかと思えば。セレネ、お前はそんな簡単に死ねない存在として生を受けたのだ。もう少し自分のことを理解する必要があるな」
「はっ。申し訳ありません。精進いたします」
「うむ。まずはそれでよい」
満足そうに頷く神聖皇帝は徐に群青に輝く結晶を取り出した。すると世界が変わる。
そこは知らない家だった。
どこか古風で、それでも温かな家。この世界ではもう貴重品と成り果てた木材をふんだんに使ったここは、最早見ることもなくなった大昔の照明で照らされ、光量はそこまででもないのに不思議と暗さは感じなかった。
「ここは?」
「ああ、ここは私のかつて住んでいた家だ。ここは私の記憶から生み出された仮想世界。一番ここが落ち着く。……あの時代はまだ希望があった」
「……」
どこか遠くを眺めるように宣う神聖皇帝だったが、セレネには納得できない文言でもあった。なぜならまるでこの世界にはもう希望なんてものがないと断定しているようで、感情がそれを咄嗟に否定していた。
セレネは抗っている。神聖帝国のために出来る事をしてきた。
なのに、その先に希望がないなど、考えたくもなかった。
「とりあえずは、茶だ。飲みながら本題に入ろう」
目の前にテーブルと、緑茶の入った容器が出て来た。確かこれは、茶器というものだったはずだ。神聖帝国では作れる職人はいないが、世界ではこれを作る職人がまだ生きているらしい。
そうして二人は座椅子に座り、茶をたしなみつつ菓子を無言で味わった。
「さて、一息できたところで本題を話そう。セレネ、今お前は結構な窮地に陥っているようだな」
「陛下が思われているより事は深刻だと思われますが?」
神聖皇帝はどう見ても余裕そうな表情をしている。だが、それは陛下故であろう。あんな数の想像生命体に襲われ、余裕でいられる存在はほぼいない。
神聖皇帝はかつてメガラニカ大陸とその周辺海域にも溢れていた想像生命体を駆逐し、神聖ルオンノタル帝国を奴らの脅威から遠ざけた。神聖帝国がこの星で稀に見る安寧と繁栄を謳歌しているのはその力故。
そんな存在が、セレネの苦労など分かるはずもない。
「セレネは私をなんだと思っている? 客観的に把握することは意外と得意な方だぞ? ……まあ、良い」
神聖皇帝はどこか面倒くさそうにしながら溜息を吐く。そして再び別の群青色の結晶を取り出した。
「今回は私がお前に命令したこともあり、このような状況にある。だから餞別を持ってきた」
ふわりとその結晶がセレネの前まで飛んでくる。しかし触れても良いものなのかどうか、判断に困った。
「これは、なんでしょうか?」
「私はこれを”アストラル光記録の断片”と呼んでいる。まあ、全世界、全宇宙全てを記録する媒体の断片のさらに断片だと思ってくれていい。この中に今お前が必要な”情報”も入っている。これを使えばかの想像生命体を退け、脱出可能だろう」
そんな物があるとは知らなかった。むしろ神聖皇帝が別格とはいえ、まさか全宇宙全てを記録する媒体の一部だけでも持っていることに驚いた。本当に神聖皇帝とは何者なのだろうか。
「必要な、情報?」
「自動学習プログラムと同じ要領で脳に情報を書き加える。だが、刻むものは情報とは言えないかもしれない。このアストラル光記録の断片をお前が取り込んだ後に、お前が自分で必要な情報を生み出すのだ」
「自分で考えるということでしょうか?」
「そうだ。簡単に言えば、お前に与えるものは能力そのものと言って過言ではない。お前の脳では足りない能力を強化し、さらに進化させるようなもの。下手すればお前の意識や考え方さえも変えてしまう劇薬だ」
なんてものを渡してくるのだろう……。
それはつまり、部下たちや艦長を救いたければ自分を代償にしろと言っていることに他ならない。そんなものを実の孫に与えるなんて、本当に神聖皇帝はヒトとしてどこか壊れているのではなかろうか?
だが、それを受け取らない選択肢は、セレネにはない。
「有り難く頂戴致します。この感謝はいつか我らが神聖ルオンノタル帝国の貢献と共にお返しいたします」
「……そうか。では、最後に外を散歩してこの空間は閉じることにしよう。閉じる時にこれはお前に刻み込んでやる」
気付けばセレネは再び知らない場所にいた。その景色を見て、彼女は息を呑む。
やっぱり色んな意味でおかしい神聖皇帝——。
【用語解説】
・ピコ
簡単に言ってしまうと1の1兆分の1の大きさ。つまり、神聖皇帝が言っていたように宇宙の終わりを感じるほどに長く過ごして一兆年が経っても現実世界では1分という異常な空間。あるいは仮想世界。
それだけですごい技術だと実感しますね。
それを体感させるなんて、どうやっているのか……。




