episode35.聖旨
流石に主上陛下の前だ。驚きで自力で閉じれない口を右手でむりやり閉じ、頑張って姿勢を正した。そして主上陛下の姿がスクリーンに映されるのと同時に、全員が起立し最敬礼する。
「今宵の月の如き麗しき主上陛下の玉顔を賜りまして恐悦至極にございます。この度は本艦隊に対しての直接の通信を賜り、誠に感謝に堪えません」
神聖帝国では神聖皇帝に対していくつかの枕詞を用いて挨拶を行う。例え月が出ておらずとも今宵の月が美しいことを伝えることが普通である。神聖帝国に於いて月は至上の存在だからだ。
艦長が詔を述べる。だが息遣いでわかる。その気持ちが。
いや、ここにいる者全てが同じ心境だったに違いない。
怖いッ!!
自分達とは別格の存在が顕現した。そうとしか感じ取れなかった。実際神聖皇帝は神々をも殲滅できる存在。セレネでさえ会食での素の神聖皇帝を知っているのに、今は畏怖の念を覚えざるを得なかった。
それだけの雰囲気を纏って神聖皇帝は言葉を宣う。
『よい。面を上げよ。こちらこそ、作戦の最中にこのような不躾な行いをしてしまった。すまないな。まずは朕の謝罪を受け取ってほしい』
「め、滅相もございません!! 主上陛下が謝られる必要は一切ございません。陛下の聖慮は何事にも代えられない至上のものでございます。もし陛下の宸襟を悩ませたのでしたら、全ての責任を取る所存でございます」
ヴィスタ艦長がかなり大袈裟に返答する。だが、神聖皇帝に謝られるというのはそれほどまでに大事なのだ。
それでもなぜだろう。素の神聖皇帝を知っているセレネには特に深い考えもなく、仕事を中断させたことに純粋に謝罪する彼女の心境が見えた気がした。
『其方に責任を負わせるつもりはない。責任を取る暇があるのであれば、軍務に全力で取り組め』
「主上陛下の寛大なる大御心に多大なる感謝を」
そこまで前置きの如き言葉が終わると、神聖皇帝は改めて言葉を発した。
『此度、朕は貴官らに聖旨を述べるためにこの通信を繋げた。しかと聴くがよい』
瞬間乗組員全てが神聖皇帝の言葉を一字一句聞き逃さないとばかり集中力を一気に上げた。それを満足そうに把握し、神聖皇帝は続ける。
『神聖宇宙軍第一艦隊に命ずる。中央政府の意に反し北上中の神聖宇宙軍第二艦隊をあらゆる手段をもって引き留めよ。制限は設けない。全艦を撃沈しても構わない。敵都市に第二艦隊を近付けさせるな』
「……?」
あまりにも予想もしていなかったお言葉に誰もが固まった。
聖旨、つまり神聖皇帝自らの命令を直接下賜頂いただけでも大変名誉なことであり、それは驚愕以外の何物でもない。だが、内容が意味不明過ぎる。
まるで神聖宇宙軍第二艦隊が命令違反を犯し、反乱したかのようではないか。しかも全艦艇撃沈の許可まで出てしまった。神聖皇帝の言葉をそのまま聞き取るならば、戦略兵器さえも用いて構わないということにもなる。
あまりにも、非現実的かつ動揺を隠せない大事だった。
「お待ちください、主上陛下! それは一体どういうことなのでしょうか?! 第二艦隊は新たに編成されたばかりではありますが、決して神聖帝国に反を翻すようなつもりは一切ないはずです! なぜそこまでしなくてはならないのですか?! 説得は不可能なのでしょうか?!」
黙っているわけにもいかず、セレネは意を決して神聖皇帝に異を唱えた。
対して神聖皇帝は底冷えするような、全ての臓腑をメガラニカの大地と共に凍りつかせるような視線をセレネに向ける。直後、全身を電撃的な恐怖が襲った。
「ッ!!!!」
声にならない悲鳴を漏らし、セレネは本能的に命を諦めてしまった。
ああ、死ぬのか……。
私はここで……。
……。
いや、待て!
まだ死ねない!!
寸でのところでセレネは自分を振るい起こさせる。
気づけばよろめいて座り込みそうになっていた。
危なかった。生物とはあまりの恐怖を目の前にするとショック死してしまう。これは比喩でもおとぎ話でもなく、科学的に実証されてきた死に方。生きることを諦めた時点でセレネは死にかけていた。
生死さえも司り、自由にそれらを切り替える神聖皇帝ならセレネを生き返らせることも容易だろう。それでも陛下はきっとそんなことをしない。神聖皇帝は奇跡を有する力を有していながらも、その奇跡をむやみやたらに引き起こしたりしないのだから。
周りを見ると何人かが意識を失って運ばれていたり、胸を押さえて荒い息をしていたりと、艦橋はもう少しで死屍累々の墓場となる所だった。
陛下はなんてことをするのだろう。
『説得ならば既に行った。何もわかっていないようだったがね。朕自ら押さえても良いが、そうすれば多大な死者が出る。そこで其方たちというわけだ。第二艦隊を止めなければ我が神聖帝国は苦難の道を進むだろう』
時の流れさえも常人には理解できない視点で見ていると噂される神聖皇帝の言葉は予知と同じである。その言葉が外れること自体が少ない。
であるならば、何が何でも第二艦隊を止めなければならない。苦難の道を進むということは臣民がその代償を被ることを意味する。臣民のためにセレネは行動をしなければならない。
だが、どうにも納得ができない。
「……承りました。しかし、どうか一つお教えください」
理由を知らなければ心が納得できない。しっかり説明してもらわなければ。
「なぜリアム兄様は独断でそのようなことをなさっているのですか?」
対して神聖皇帝はつまらなそうに返した。
『リアムは目の前に垂れ下がったニンジンを追う馬でしかない。目先の利益に飛びついた結果、その先が見えていないのだ。優秀な戦術家は優秀な戦略家に必ずなれるわけではない。リアムの目的は敵都市急襲およびその制圧。十中八九成功すると賢者も結論付けている。だが、それが為されればすべての均衡が崩れ、我が帝国は世界を敵にする』
そして最後に神聖皇帝は付け加えた。
『我らが未来のため、あのような謀反はあってはならないのだ』
謀反って言っちゃったよ——。
【用語解説】
・玉顔
天皇や皇帝のお顔のこと。また、玉のように美しい顔のこと。
・聖慮
天子のお考え、おぼしめしのこと。
・宸襟
天子の心。
【解釈について】
普通第一艦隊に指示出すのって国防大臣とかでしょ?なんで??
という疑問を抱くのは至極当然のことだと思います。ただ、後々のことを考えると神聖皇帝自らが命令を発するインパクトを与えることに意味合いが出る、そんな希望的観測からの行動でした。君主からの直接の命令ならば忠実な軍人は何が何でもこなそうとするものです。そこには意志の強さが異なってきます。
言わばリアムの選択肢はランプの魔神に破滅を願ったようなものだったわけで、それをしっかり理解しているのは神聖帝国では二人だけです。そのうちの一人である神聖皇帝が自ら通信を掛けたということは、内心相当焦っていたのかもしれません。具体的に言えば、10年分の余裕が消えたとだけ。
まあ、他にも色々理由があるかもしれませんが、まだ秘密。




