episode32.お茶会
現在、神聖帝国は戦争中である。そしてセレネは間違いなく軍人として前線に赴き戦ってきた。であれば、次の任務のために様々な準備を行うべきだろう。
なのに、なんでこんなことをしているのかしら?
目の前にはティーカップとソーサー、そしてアフタヌーンティースタンドには色とりどりの菓子が置かれている。菓子と紅茶からは天然物特有の香しい匂いが漂い、静かな古典的音楽が室内に温かな雰囲気を生み出している。
今は戦時で製造が止まっているはずなのに……。
「どうだったかしら~? わたしの最高傑作は~……」
そしてセレネの目の前にはリュミナス第一皇孫が優雅に紅茶の香りを楽しみ報告を促していた。ただ、相変わらず眠そうに見える。皇族としてせめて隈はなくすべきだろうに。
いやいや、それ以前に!!
絶対、ここは報告するような場所じゃない……っ!!
それでもセレネは表面上は繕って笑みを浮かべて報告をする。
「乗り心地最悪。あんなものに乗っては士気の低下を招きかねません。振動問題を早急に改善していただきたく思います。吐き気を催された者の気持ちを少しでも理解できてます? まあ、できてませんよね? あれを開発するのに消費したエネルギー、資材、人員の存在意義が無駄としか言えません。あれは欠陥兵器の中の欠陥兵器。核攻撃でも受ければ墜落してしまいます」
「あらあら~。相変わらず棘のある言葉だこと」
あ、しまった。
やってしまった。
つい、本音が……。
最近、セレネも自覚し始めている。嫌なことがあるとセレネは無意識に本音が出てしまう。皇女として決して無視できない問題であるのだが、無意識であるために自分ではどうしようもない。スィリアに協力してもらって矯正すべきだろう。
いや、これでも言葉を選んでる方だと思う。
うん。
毒舌皇女なんて呼ばれているらしいが、そこまで口が悪いとは思いたくない。
そしてリュミナスは菓子を抓みつつ紅茶を飲み、報告書のデータを脳内に流している。
「なるほどね~。わたしからすればマッサージ気分だったのだけど、要らないものだったのね~……」
「まさか姉様……わざとあの振動を?」
「ん~? 心地よかったから放っておいただけよ~。それにしてもなんで誰も心地いいと報告書に上げないのかしら? 同調圧力でもあるのなら、一度いじめ対策を実施すべきね……」
いや、それは姉様がおかしいだけです。
思わず言葉にしそうになった言葉をセレネは必至に飲み込んだ。自分は神聖帝国を代表する皇女であると意識して飲み込んだ。そうしないと素が出そうである。
「ま、わかったわ。振動の発生源はもう分かってるから、システム面を改善すればすぐになくなるわ」
「……」
そんな簡単に解決するなら最初からやってくれ!
この暇人皇女!!
みんな空の上で苦行を強いられてたんだ!!!
「ふぁ~……寝ても寝ても眠い……。それにしてもセレネ、あなた不満そうね」
「なぜそれが理解出来て何を不満に思ってるのか分からないのですか?」
「ああ、よく母様にも言われるわ。あなたはもう少しヒトを理解しなさいって。でもそれは母様が天才過ぎるからよ。私みたいな中途半端な天才は何事もこなせるけど、ヒトの感情はあまり興味がないのよ。母様は私以上に何でもできて、なおかつヒトの感情も理解できる。ほんと、主上陛下といい、家の家系は異常なほどに優秀ね」
やっぱりリュミナスはヒトの感情を理解できていない。今の発言は、何事も普通でしかないセレネの胸に刺さるものがある。ちょっとコンプレックスだったりするのだ。
というのも、主上陛下は帝国最強の魔法使いであり、頭脳明晰で科学者、政治家であり、哲学者であり、歴史家であり、この世の全ての学問に通じているのではないかとも言われるほどに優秀。
そして陛下の実子である皇太子、皇太女もリュミナスの母のようにマルチな天才性を発揮していたり、ある分野において突出した才能を示していたりと、兎に角凄い人が多い。
そして皇太孫の多くにもその才能は受け継がれている。しかし、それに対してセレネはそのような才能を持ち合わせていない。多数の言語が扱えることをたまに羨ましがられるが、それは単に幼い頃から言語を学ばされていたせいだ。
言語だけはヒトの性格などが反映されてしまうため、脳内に直接情報として刻まれることは禁止されている。だから多数の言語が話せるのはただの努力でしかない。
もし自分にも何かの才能があったら、それを帝国と臣民のために使い、誇れる人生を歩めると何度思ったことか。自らに才能がないことはずっとセレネ自身に後ろめたさを抱かせている。
「そろそろ私も次の作戦準備に移りたいのですが……」
「まあまあ、一杯の紅茶くらい付き合いなさい。菓子だってパーマー王国から取り寄せたのよ? 高級品は粗末に扱うべきではないわ」
「戦時に高級品を嗜好品にするのは馬鹿げていると思いますが?」
「ただの姉のわがままよ」
思わずセレネは嘆息し、しぶしぶ紅茶を啜った。
普通に美味しいのが、罪悪感を呼び覚ますわ……。
こうやって嗜好品を楽しむ時間があるのなら臣民のために何かをしなければならない気がしてならない。なぜならセレネは皇女であり、国家のために生きることこそが存在意義なのだから。
それでもセレネもまた清廉潔白ではないヒトであることに違いない。この嗜好品を前に嬉しい気持ちを抱き、より舌を楽しませる菓子に手を伸ばしてしまう。
そう。結局綺麗ごとを並べても、セレネは特別ではなく普通な存在でしかない。その立場と種族以外は。
「美味しいでしょう?」
「……はい。美味しいです」
「正直なのが一番なのよ~。また食べたかったら、戦争を生き延びて帰っていらっしゃいね~」
上神種が死に、滅びる事態。そんな恐ろしいことが起きるとリュミナスは考えているのだろうか?
それともこの戦争に、セレネの心が保たないと考えているのか。
ヒトの感情を希薄にしか理解していないリュミナスが何を思ってそう発言したのか、セレネは分からないまでも彼女の良心だと信じることにした。
正直なことはきっと大切なこと――。




