episode9. 皇宮へ
その日もいつものように物事をこなし、社会の情報収集をし、学び、気づけば夕暮れ時となった。神聖海軍が核攻撃を受けた情報を知った時には流石に驚いた。しかし自分が今できることはないことも知っているセレネは今日の予定を着々と行っていた。
その情報を得て自分が抱いた考えに対する期待感と嫌悪感を抑える意味もあったかもしれない。
ちなみに、セレネは皇族故に学ぶことが多い。礼儀作法は基本として、世の中の常識も知らなければならず、それでいて他人より多くを知らなければならない。
語学だけでも、アルビオン語、豈語、セリカ語、イ・スパンヤ語は必須科目だったりする。しかも、これを話せなければならない。なぜならこれらはメガラニカ大陸に近い国家と世界に対する影響力を未だに保持している国家の言語だから。
正直心が折れそうではあるが、皇族として生まれた以上学ばなければならないことだった。
「今日も疲れたわ……」
「お疲れ様でした、殿下。さ、お次は皇宮に向かいますよ」
「う……やっぱり行かないといけないわよね……」
怖い。セレネは神聖帝国の皇帝、通称神聖皇帝と呼ばれる存在としっかり話したことがない。幼い頃に少しだけ話した記憶があるようなないような気もするが、それくらい接点がなかった。しかし神聖皇帝に対する印象は深くセレネの心に刻まれている。
黒歴史を思い出すと身震いが止まらない。
しかし行かないわけにはいかず、セレネは全ての支度を整えると、スィリアと数人の侍女を伴って外に踏み出した。
「やはり、ここは狭いわ」
セレネが見上げた先にあるのは、人工の天井。そしてそこに映し出される紛い物の空だった。
氷床の上は銀世界が地平線の先まで広がりギラギラ眩しい真っ昼間だと言うのに、ここの景色は夕暮れ時を表している。本来この地域ではありえない季節や太陽の周期を人工的に生み出しているのはこの国では普通のこと。
そして街を囲う人工の壁は不自然なほどに遠くの景色を映し出している。まるで自分達は籠の中で飼われる鳥のようだ。
神聖帝国の都市は外部環境の過酷さとその危険性から氷床内に都市を建設している。都市を支える柱は遥か地中まで貫いているため氷床上にも摩天楼が聳えている。しかし国防上氷床の上は危険であるため、空を貫くビルはごく少数しかない。
ここは核爆弾が数日雨霰と降り注いでも最深部だけは生き残れるように設計された要塞都市。いくつもの階層が建設され、最も下にある地上に達してようやく皇帝の住まう皇宮がある。
そしてこの構造が神聖帝国の都市にとって一般的だ。
建設費も維持費も馬鹿に出来ないのだが、必要に迫られれば実現してしまうもの。その必死さにどこか終末を感じさせる。
しかしセレネは思うのだ。
いっそ、こんなものが造れる技術があるなら氷床のない沿岸部とか山岳部に作ればよかったのに……。
「あ、スィリア。わがままで悪いのだけれど、歩いて行っても良いかしら?」
ふと思い付いてセレネはそう提案する。しかし侍女たちは狼狽し、スィリアは少し呆れていた。
「殿下。皇宮に行きたくないからと……」
「ち、違うわ! そんな理由ではないの!」
本音を言うと少しはそうだ。歩きで行けばたどり着くまで時間が稼げる。だが、そんなことを大々的に彼女たちの前で宣言するわけにもいかない。
対して、スィリアは小さく嘆息して。
「そういうことは事前に仰って戴かないと……。警備にも支障をきたします」
言外にここにいる者以外にも迷惑を掛けると暗示されるが、セレネの意志は変わらない。
「ええ、そうね。あなたたちにも申し訳ないと思うわ。けど、私は街の雰囲気を感じておきたいの。公務続きで顔も出せていないから」
「はぁ、今回だけですよ? 次からは各所に話を通しておいて下さい」
「ありがとう。次からはお忍びで出かけることにするわ」
「はぁ……」
そうして急遽セレネはため息を吐くスィリアを伴って夕暮れの街を歩くことになった。街は狭いから目的地までそこまで歩くことはない。
それでも雰囲気を感じるには車の中からでは難しいもの。
暫くは静かな街並みが並んでいたが、もう少し歩けば街の中心街に至る。
そこでは帝国内各国から仕入れた数々の品が並べられ、あるいは中々にお目に掛かれない珍品の類いが陳列されていた。
様々な地方の食べ物から、金銀宝石などの金物、選ぶにも目移りしてしまいそうな衣服の数々。または、映像感覚装置のデータ特売をやっていたり、自然界で絶滅した水生生物のアクアリウムの展示や最新人工知能を用いた100年先の占いなんてものもある。
そしてそれらを買おうと仕事終わりの臣民達が和気藹々と買い物をし、その帰り道を駄弁りながら笑顔で徘徊している。
中には値切り交渉なんかをして追い出されそうになっていたり、酔った勢いに派手に転ぶ者もいるが、それだけここが平和な証であろう。
とても微笑ましく、活気に満ちた場所だった。
「あら! 殿下! いらっしゃったのですね!」
ふと呼び掛けられてそちらに顔を向ければ中心街に出店を出している闇黒種の女性がいた。
学園の学友達からは"おばちゃん"と呼ばれて親しまれているヒトだ。小さな黒い翼が可愛らしい。
「ええ、とても繁盛しているようですね」
「ハイ! あ、どうですか? アデリーから仕入れた企鵝の唐揚げがあるんです! 今なら串の先に頭もお付けいたしますよ?!」
まるで首晒しのような気がするが……まあ、真新しい流行りなのかもしれない。
しかし、これから皇宮に向かうというのに食べ歩きも出来ない。陛下に失礼というもの。かといって新設を断るのもどうかと思ってしまう。
「とても美味しそうですね! でも、この後皇宮で晩餐があるのです。一口サイズでいただけないかしら?」
「あら、そうでしたの! そんな時に押し売りしてしまってごめんなさいね! じゃあ、この唐揚げをお食べください。味もさっぱりしていて胃にも優しいんですよ?」
「ありがとうございます!!」
唐揚げを一口齧ってみればジューシーな肉汁が溢れて思わず顔を綻ばせてしまった。やはり企鵝肉は美味しい。セレネの大好物だ。
「代金はいりませんので、また来てくださいな」
「ありがとうございます。必ず買いに来ますね」
「またのご来店お待ちしておりますよぉ~!」
そこで手を振って別れ、しかし少し歩くと。
「これはこれは、殿下。どうされたのですか? もし時間がおありでしたら、見ていきませんか?」
今度は幻獣種の、狼の頭をした男性が声を掛けてきた。彼は中心街でアクセサリーなどの宝飾品を売っている商人で、セレネもパーティに着飾る時などにお世話になっている。
「これから皇宮で晩餐があるのです。ただ、少し街を見たくなってしまって」
「そうなのですね。あ、そうそう! 殿下にオーダーしていただいた宝飾品なのですが、原材料が原材料なだけに少々時間がかかっておりまして……」
「いえ、無理な注文を受けていただいて感謝こそすれ急かしたりいたしませんよ。それにお店に並んでる宝飾品もとっても素敵で、また選ばせてください」
「ありがとうございます。はい。ええ、ええ、その時は良いものを揃えておきましょう」
店主は大らかな笑みを浮かべて鷹揚に頷いていた。
「あ、殿下!」
「セレネ殿下だぁ!」
「お久しぶりです! 殿下!」
そんなこんなで街を歩いていると多くの臣民に話しかけられ軽く会話を交わしていたのだが、皇宮に着いた時には予定の45分も遅れてしまっていた。
まあ、一時間前に着くようにしていたから問題は恐らくない。
「殿下は皆に慕われていらっしゃいますね」
スィリアが正直にそんな感想を溢す。
「私は親切に親切を返しているだけよ」
「それはすごいことなのですよ?」
そうなのだろうか?
セレネからすれば良いことをされたらそのお返しをするのは当たり前だと思っている。一方的に受け取る善意など不公平というものだ。
もちろん彼女にも立場があるから出来ることも少ない。それでも、自分で稼いだ小遣い程度のお金で店舗にお金を落としたり、困っているヒトに助言をしてみたり、寂しそうにしているヒトと会話に花を咲かせることくらいは出来る。
そういう小さなことを繰り返しているだけに過ぎない。
まあ、何より彼女は多くのヒトと話すことがとても好きだし、何より臣民の笑顔を見られることが好きだった。
「街も活気付いていて安心したわ」
「はい。こんな光景がずっと続くことを願うばかりです」
「そうね」
しかし戦争が始まった。こんな生活も徐々に制限されていくことだろう。
そんな中で自分に出来ることは何か?
「さて、切り替えましょうか。まずは目の前の"難題"に取り組まないと……」
「殿下。それは少々不敬では?」
「え? あ……な、内緒にして!」
神聖皇帝を難題呼ばわりとは、そんな恐れ知らずはセレネくらいなものであろう。
愛される皇女——。
【用語解説】
・映像感覚装置
簡単に言うと映像や音声だけでなく味覚やその他触感なども体験できる映画やドラマみたいなもの。用途は色々あるものの、危険性もそれなりに存在していることから規制は厳しい。街で売られている物はそういう法律的に合格したものである。仮想現実は違い、現実世界にいながら映像の中のものを体験できる。その手軽さゆえに神聖帝国ではかなり流行っている。
・ミシカル
幻獣種とされる者たちは他の種族と違ってかなりざっくりとした分けられ方をしている。体の概形は人であるのだが、体の一部やそのほとんどが他の動物と同じ形状をしていたり、その特徴を備えていたりとまるでキメラのような姿をしている。しかし肉食獣の特徴を持っているから肉だけ食べるとか、草食獣の特徴を持っているから草食というわけでもない。皆一様に同じような生活スタイルで、細かな種族的な区別が存在しているものの違う動物だからと排除することもない。その点で言えば最も異なるものを受け入れる類の種族である。幻獣と名に付くのは、彼らが備える動物の特徴の中に幻獣とされた動物の特徴を持つ者がおり、彼らが代表してそのように呼ばれるようになった。自然発生的な呼び方であるため、出所は推測するしかない。
【解釈について】
氷床内に都市? いやいやそんなの無理でしょ。と現実主義者たちは言うでしょう。まあ、実際そうで、本作世界でもかなり無茶をして建設されています。まず氷床を穿つことは大変難しく、その規模を考えても想像を絶するエネルギーを必要とします。しかも掘っている途中で崩れてしまう可能性はほぼ100%……(数千メートルもの厚さがあるので)。そして氷床は停止しているのではなく、常に流れています。例え都市が完成しても氷の圧力によって都市は崩壊し、ヒトが住めなくなります。
ということで、核融合炉のエネルギーの大半を使って流れる氷床を溶かしたり流れる方向を弄ったりとかなりの維持費がかかっているのが神聖帝国の都市です。もし仮に神聖帝国が極地に存在していなければ極地に籠り続けるなんてことはしなかったことでしょう。ちなみに、都市の形状も氷を切り裂くような船の断面図のような形をしています。
神聖帝国内には共和国や王国、都市国家や自治国が存在していると記述されていたが、これらはそれぞれの種族が代表して治めている国である。幻獣種や霊神種、人間種は共和国、機甲種は都市国家、闇黒種や精霊種、龍神種は王国、翼輪種は自治国を築いている。
ちなみに、皇族の種族は20人もいないので彼らだけの国というものは存在せず、上記の国家とそれに属しない領地(直轄地)が全て本来皇族が所有する土地である。その土地を盟約の下に下賜して神聖帝国内に国家の存在を認めている。この直轄地には帝都ルアシェイアも含み、皇族の直轄地は神聖帝国の共通法律と皇族も参加して決めた法律によって成り立っている。
帝国内に国家を認めているのは種族同士で相いれない思想などが存在するため、それらの衝突を限りなく小さくするための措置である。ただし、違う種族だからと言って他の国に入れないわけでもなく、選挙権などの基幹的権利以外手に入れられないだけで自由に行き来できる。例えば霊神種の国に幻獣種が自由に出入りできるものの、霊神種の政治や法律、都市計画には参加できないということ。




