一話
よろしくお願いします
先日、父方のおばあちゃんが死んだ。
死因は肺癌。ステージは低かったが、おばあちゃんの体力が日に日に低下し、最終的に治療をしても生きることは難しいと医者に言われていた。
幸いというべきか、痩せ細っていくおばあちゃんを毎日見ていたので、死んだ時にあまりショックは受けなかったために、精神的負担は少なかった。
我が家の女性はなぜか男性よりも先に逝ってしまう。お母さんも私が赤ちゃんの頃に、交通事故で亡くなったそうだ。なので、お母さんの顔は遺影でしか分からない。
お母さんは地元では知らない人はいないほどの美人だったそうで、そんなお母さんのことをおばあちゃんは誇らしげに話していた。自分の息子と、結婚してくれた事や、めんこい孫を産んでくれた事が心底嬉しかったと屈託のない笑みを浮かべて話していた。
そういえば、おばあちゃんが峠の日に、私を近くに寄らせ、こんなことを言っていた。
「ごめんね……」
ぽつりと、だが、はっきりと見たことの無い悲しげな顔で言った。なにをごめんねなのかが、あれからまだ分かっていない。
落ちこんだお父さんを慰めてくれという意味なのかと思ったが、父さんはあまり感情を表に出さない人なのも相まり、そういうことなのかも分からない。
家事全般をおばあちゃんがしていたので、もしかしたら、家事のことを言ってるのかなあと、勝手に解釈した。
馴れない手つきで朝食の準備をしていると、ハムエッグを作る過程で、ハムを半分に切ろうとした結果、指を包丁で切ってしまった。傷は浅めだったのが、びっくりして、声が出てしまった。
すると、二階からドタドタとお父さんが駆け下りてきた。最近、肉がついてきたとかで、お腹がぽよぽよと跳ねる様はなんともチャーミングだ。
「結衣!?大丈夫か!」
「大丈夫。少し手を切っただけだから」
父さんは私の肩を掴み、憂うような表情で言うが、私はすぐに状況を説明した。
こんな顔をするなんて珍しいなと、思った。
おばあちゃんが死んでから、表情を変えることがめっきりと減ったお父さんが焦ったように話すもんだから、つられて焦ってしまった。
安堵したのか、お父さんは大きく息を吐き、台所の作ってる最中のハムエッグを見て、
「今日は洋食か」
と、淡々と言った。
「嫌だった?」
「そんなことはない。ただ……その、聞いてみただけだ」
不安になり、聞いてみると、しどろもどろに答えるお父さんを見て少し安心した。お父さんは会話が下手だ。話題を作ろうとして、その後の会話の内容を考えない。
いつもこんななので、おばあちゃんは毎度毎度ガミガミと叱っていた。
いつもならここでおばあちゃんが言うのだが、今日私が言うことにする。
「お父さん?表情が変わんないんだから、せめて抑揚つけてっていつも言われてたでしょ?」
「むっ。すまない……」
頬を膨らませて叱ると、お父さんは風船がしぼむように縮こまってしまった。可哀想にも思えるが、おばあちゃんはいつもこれをやってのけたのだ。私も心を鬼にしてやってみせる。
「座ってて。今、出来るから」
「分かった」
お父さんを椅子に座らせ、絆創膏を探す。救急箱はたしか……仏壇の横だったか。
仏壇のある部屋はリビングの横にあり、畳が敷かれている。6畳半と少し狭いが、仏壇くらいしか置いてないので、さほど困ることはない。
仏壇の中で金色に光る仏様が目に入り、心に少しモヤがかかった。少し不快なモヤだ。
サンマの小さい骨が喉に引っかかたようなあの感じに似ている。
仏壇の上にはご先祖さまの遺影が飾られていて、お母さんの遺影もそこにある。お母さんは歴代の女性の中で、一際、美人だと思う。なんでこんな人があんな小太りのお父さんと結婚したのだろう。不思議だ。
仏壇の横のふすまに手をかけ、開く。中には、救急箱やリ○ちゃん人形など雑多な物が押し込まれている。
おばあちゃんは、なぜここだけは片付けようとはしなかった。救急箱くらいは外に出してもいいと思うのだが。
「ふん!」
「手伝おうか?」
力いっぱい、救急箱を引き抜こうとする私にお父さんが聞いてくるが──大丈夫、と明るく返した。
ようやく引き抜けたと思うと、大量のアルバムが溢れ出てきて、私は尻もちをつき、それに埋もれた。
額を抑え、立ち上がると、お父さんが寄ってきた。
「結衣……?大丈夫か?」
「いてて。あはは!ドジっちゃった」
少し考えれば分かることなのに、と私は笑った。自分は何をしているんだろう。学校のテスト勉強と部活、そこに家事も加わったから、疲れが溜まっているのだろうか。
「見せてみろ」
「ありがと。でも、大丈夫だって。心配しすぎ」
表情に出ていないが、心配してくれているのは分かる。
実際、大したことはない。足をひねったわけでもなく、ただただ尻もちをついただけだ。
さっさと立ち上がり、救急箱の中から消毒液と絆創膏を取り出し、自分で治療した。
指の傷が滲みるが、料理を続けるのに支障はないので、問題ない。
台所に戻り、ハムエッグの続きに取りかかる。
ハムを半分に切り、フライパンの上に油をほんの少しひく。
うちのハムエッグは、切り分けたハムを重ね、その上から卵を落とす。そこまで大層なものでもないが、おばあちゃん直伝のハムエッグだ。
皿に出来上がったハムエッグを乗せ、並行して作っていたトーストも乗せた。サラダは、コンビニで買ったコールスロー。
ホテルの朝ごはんのような出来栄えだ。完璧。これに尽きる。
自画自賛しすぎか。
「出来たよー」
「ああ。ありがとう」
表情に変化はない。学校に登校しなければいけない時間になってきたので、せっかく上手く出来た料理を口に詰め込む。
「行くのか」
「うん。あ、それと今日遅くなるなら連絡してね?料理冷めちゃうから」
「分かった。連絡するよ」
おっとっと。コーヒー飲むの忘れてた。このコーヒーは私のお気に入りで、ある喫茶店のインスタントコーヒーだ。
程よい苦味が、子供舌の私でも飲めるような優しい味に感じられる。飲みやすいがために、人気商品なのだが、そこのマスターに無理言って、取り置きしてもらっている。
ごくっと一息に飲むと、いつもよりも苦く感じた。
なんでだろうなんて考えている暇はなく、刻一刻と、遅刻へのカウントダウンが近づいているので、身支度を手早くすませる。
髪を後ろで一本に結びながら、靴を履く。急がないと。
「おとーさん!戸締まりとか火の始末お願いね!?」
リビングの方から返事がきた。
そのまま、ドアを開け、玄関から出て学校に向かった。