8-5
何度目かの冷たい冬が過ぎ去り、空からは暖かな太陽の日が降り注ぐ。
建物近くの花壇にはチューリップが花を開き、中庭に植わっている大きな桜の木は満開。それを建物のいたるところにある窓から老若男女、年齢を問わず多くの人が見ていた。
そんな建物が立ち並ぶとある1室。部屋の中には規則正しく机が並んでおり、その机とセットになっている椅子に1人の男性が座りブックカバーをつけた本を読んでいた。
椅子の背もたれには白衣がかけられている。
そこに1人の女性が近づいてくる。男性とは違ってしっかり白衣を着ており、髪はポニーテールでしっかりと束ねられている。
「間宮先生。本を読んでいるのはいいのですが、昼食はまだですよね? お昼から診療があったりするんですから、しっかり食べておいてくださいね」
「あ、ああ。すまん」
間宮先生と言われた男性は、自分より年下の女性に注意されてようやく顔を上げる。真っ白な壁にかかっている時計の針は、昼休憩にはいってからそこそこ立っていることを告げていた。
「かなり集中されていましたが、その本そんなに面白いですか?」
「ん? ああ。なかなか面白いよ」
「どんな本ですか……って、それですか」
すぐにどんな本か分かったのか、何とも言えない表情をした。その顔に気が付いた間宮は女性に尋ねる。
「嫌いなのか?」
「あんまり好きじゃないですね」
本の内容はよくある病気物の主人公とヒロインの恋愛小説。医者をしているとやはりいろいろ思うところがあるのか苦笑い気味に答えた女性。
まるで目を逸らすかのようにそのまま女性は間宮の机の上へ視線を向けた。
「そう言えばずっと気になっていたのですが、写真の横にあるそれって指輪ですよね?」
「指輪だな」
「結婚されているんですか?」
視線の先にあったのは指輪。興味津々で尋ねる女性。
ただ尋ねてから女性は気が付く。
今までそこまでしっかりと見ていなかったために分からなかったが、結婚指輪にしては所々色が違っている。見れば塗装が剥がれていた。どうしても結婚指輪というよりおもちゃの指輪にしか見えない。
女性が心の中でそう思っていると、その考えを決定付けるかのように総司が答えた。
「結婚はしてないよ」
「そうなんですね」
「……指輪気になるのか?」
「えっと……はい」
一瞬否定しようかと思った女性だが、正直に答えた。それを見て総司は小さく笑った。
大学時代はネックレスに指輪をぶら下げていつも身に着けていた総司。そのため同じように何人もの友達に同じように尋ねられた。
同じ学校から同じ大学に進学した生徒はおらず、そのため誰も訳はしらなかったから。
そのため何回も言った言葉をいう。
「この指輪は俺が高校生の時の彼女に渡した指輪だ」
「渡したって、今はここにありますよね?」
「手紙と一緒に返されたんだよ」
その言葉を聞いてどこか察した表情をする女性。その表情に総司は気が付いた。言おうか迷った結果尋ねるが、失礼だと分かっているためか申し訳なさそうな表情をする。
「……振られたのですか?」
「振られては……ないな?」
「なんで疑問形なんですか」
申し訳なさそうな表情から、どこか呆れた表情へとシフトチェンジする女性。表情がコロコロと変わって衣里にそっくりだと思ってしまう総司。
「本当に分からないんだよ。書き方があいまいで。綺麗さっぱり忘れてと書いているのに愛していると言ってくるし。そのくせ遠くにいっちまうし」
「あれ? 遠距離恋愛ですか?」
「どうだろうな。それでも気持ちは変わんないな。それよりも昼食は食べたのか? そろそろ時間がやばくなってくるが」
「……ゲッ!」
興味津々で聞いていた女性が総司に尋ねられて時計を見た瞬間、女性としては少しどうかと思うような表情を引きつらせる。どうやら食べていなかったようだ。
「今からならまだ間に合うと思うぞ?」
「それじゃあ間宮先生も一緒に行きましょう!」
「おい、ちょっと待て!」
「さあさあ、早く早く!」
女性に手をグイグイ引っ張られて立ち上がる総司。本にしおりを挟む時間も許してもらえず、読んでいた本はページを開いたまま机の上。
慌ててなんとか白衣を掴んだ総司は、そのまま開いて出口まで引っ張られていく。
「ところで間宮先生。もし彼女いないのでしたら、私なんてどうですか? ピッチピチで可愛くて料理もできますよ?」
「……フッ!」
「え? 鼻で笑うとかひどくないですか!? そんな先生なんて知りません。おいて行きますね」
そういうとさっさと廊下を歩いて行く女性。それを見つつ総司は苦笑いを浮かべた。そしてさっさと行ってしまったために聞こえると思っていなくともつぶやく。
「しゃーないだろ。だって……」
なんども読み返したため、衣里から貰った手紙の内容は覚えている。
『いつかは私のことをさっぱり忘れて総司の道を進んで』
きっといつかは忘れないといけない時がやってくるかもしれない。その時になればしっかりと割り切るつもり。それでも今はまだ――
「衣里。君を愛している」
今は誰もいない部屋にたくさん並んでいる机。そのなかの自分の机の上にある写真立て。そこに収まっている衣里の顔を見ながら総司は呟いた。
「間宮先生。まだですか?」
「はいはい。今行く」
誰もいないからなのか、遠くから声をかける女性。それに返事をすると、部屋の扉を閉めて総司は女性の後を追った。
誰もいなくなった部屋。そこに1人の声が部屋の窓の外から確かに聞こえてきた。『仕方ないな』と。声の主はここの病院に入院している名前の分からない女の子の声だろう。
それでもなぜかその声は、確かに悲しそうで、それでも楽しそうで、何より懐かしく感じる声。
突然、開いた窓から風と共に桜の花びらが入ってくる。
その風と桜の花びらはまるで一直線に進むかのように部屋を横切ると、先ほどまで総司が読んでいた開きっぱなしの本のページをパラパラとめくっていく。しばらく風でめくれていく本だったが、風が弱まると自然とめくれるスピードが落ちていった。
そしてついに風は止まる。浮力を失った桜の花びらはまるで、今は開いた本しかない総司の机の上を彩るかのように、本の周りに散らばる。
その彩られた机の上にある本はとあるページが開いていた。
そこにはこう書かれていた。
私も――君を愛している。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
これにて『君を愛している』を終了させていただきます。
作者的に思うことはたくさんありますが、それはこの後活動報告に書かせていただくとして、とりあえず、無事に終了して安心しております。(予約投稿のため問題が無ければですが)
次回作ですがざっと計算したところ約10年後になります。(理由は活動報告のほうで)
ともかくかなり長い間空くことになりますが、そのあたりは……。
最後になりますが、何気に初完結作品『君を愛している』をここまで読んでいただきありがとうございました。次回もよろしくお願いします。