4-8
本日1/2話目となります。
海岸清掃を終えた翌日。目を覚ました時に僅かに感じた体の異変は、総司がベッドから起き上がろうとした時に確信に変わった。
「ううっ……キッツい……」
全身どころか上半身を起こす前に総司はベッドに突っ伏した。体が痛くて力が入らない。さらには頭はうわんぐわんし喉も痛いと、かなりのひどさだ。
海岸清掃時に稚奈が海へ落ちるというアクシデントがあり、助けに向かった総司。助けることはできたが、海に飛び込んだと言うことで全身ずぶ濡れ。
そのまま帰るまで放置していたためか、それとも就寝時に冷房をつけっぱなしにして油断してしまったためなのか。原因はどちらなのかは分からないが、完全に風邪を引いてしまっていた。
なんとか首を動かして時計の方を見ると時刻は7時半。平日と言うことで今日は学校がある。
だがさすがにこんな状態で行くことはできそうにない。学校に連絡を入れるためにも起床したいが、体調も悪いしもう一度寝るかと考えていると、スマホのランプが点灯して何かしらの連絡が来ていることを告げていることに気が付く。
力が入らない腕を何とか動かしてスマホを手に取ると、顔の前に持ってきて確認をする。
「……え? 稚奈先輩から?」
LENEのアドレス交換をした覚えがないにも関わらず稚奈からの連絡に総司は驚いた。連絡が来た時刻は昨日の夜。帰るまで濡れたままだったと言うことで、夏とは言え体を壊す原因になると考えた総司は、大事をとっていつもより早く寝た。
連絡が来た時刻を見るに、総司が寝たあとに送信されたようだった。
『夜遅くにごめんなさい。アドレス交換していないにもかかわらず、通知が来て驚いたわよね。どうしてもお礼を言いたくて、玲奈に無理言ってアドレス教えてもらったの』
最初にそう書かれていたために、どうやって連絡が来たのか納得した。そのまま読み進めていく。
『今日は助けてくれてありがとう。人って、突然海に放り出されるとパニックになって泳げない物なのね。あの時は本当に怖かったわ。でもあなたが助けに来てくれて本当にうれしかった。今度時間があるときにでもお礼をさせてね』
僅かではあったが、その時の出来事を思い出す。
周囲の焦りが空気を伝わって総司自身も感じていたことをついさっきの出来事のように感じる。
『そういえば玲奈から聞いたんだけど、濡れたまま過ごしていたみたいね。体調は大丈夫? 体冷やしていないかしら? 夏とは言え濡れたまま過ごしたのなら体冷えているかもしれないわ。この頃は暑くなってきているけれど、明日のためにも今日は油断せずに暖かくして寝てね。それじゃあおやすみなさい』
頭が痛く内容は入ってこないこともあり何度か読み返す。何度か読み返してようやく頭の中にしっかりと入ってきた。書かれている文章が文章なだけあり、一瞬だが脳裏に母親の顔が横切った総司。それでも、本当に心配してくれているというのが理解できた。
ただ……
「なんだか申し訳ないな」
注意を促してまで心配してくれているにもかかわらず、自分の不注意で風邪を引いてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、総司はベッドに突っ伏した。
それでもせっかく連絡をくれたということで、力が入らない体を気力で動かし返事を打ち込む。ただ頭がぐわんぐわんするため思考が働かない。
『返事遅くなってすいません。心配してくださりありがとうございます。昨日は暖かくして寝たので、元気いっぱいです! 先輩の方は大丈夫でしょうか?』
返事を打ち込んでいる際に、素直に体を壊して熱が出ましたと打ち込もうか迷った。もし打ち込めば憧れの稚奈先輩が看病に来るのではないか。
そう考えたが心配をかけたくなかったため、総司は嘘をついた。
熱が原因らしくスマホの画面までの距離が遠くなったり近くなったりして焦点が定まらない。それでも何とか打ち込んだ文章を送信した。
1分も経たずに返信が帰ってくる。
『体壊していなくてよかった。私の方は少し水を飲んだぐらいで、何ともなかったわよ? 貴方が助けに来てくれたからかしら? そろそろ登校するわね。それじゃあまた学校で会いましょ。遅刻しないようにね?』
それを読むと、総司は次に学園へと連絡を入れる。本来なら保護者が学校へと連絡をいれなければならないが、総司は1人暮らし。学園生の中にはそう言った人が何人かおり、そのような人に限って特例が出されている。
学園に連絡をいれると担任の先生も昨日のことは知っていたと言うことで了承はしてくださった。ただ小言は言われた。
終話ボタンを押した総司はそこで力なくベットに突っ伏す。薬はないので飲もうとするのであれば買いに行かなければならない。ただ今の状態で出歩くのは無謀だと分かっていたので、おとなしく寝ることにした。まるでシャットダウンするように目を閉じる。最後にたった1つだけ脳裏を横切る。
こういう体調の時ってきまってあくむをみるんだよな。いやだなぁ……
そんな風に思いながら。そしてそれは案の定であった。
体調の悪いときに見る夢ってのはろくなものではない。真っ暗な暗闇の中をどこまでもどこまでも落ちていく。
あおむけになっているのか、うつ伏せになっているのか。自分が上下左右どの方向を向いているのかも分からず、気色の悪い浮遊感だけが体にねっとりとまとわりついてくる。
悪夢を止めたくても目を覚ませられない。
そんな時、引っ越ししてきて今まで聞かなかった音により、際限なく落ち続けるだけだと思っていた夢の終わりは唐突に訪れる。
ピンポーン。
来客を知らせるインターホンの音がどこか遠くで、されどしっかりと聞こえ、落下が止まった。意識が覚醒していき、恐る恐る総司は瞼を開ける。
こんな時に来ないでくれと思いつつ、悪夢を止めてくれた来客を出迎えるため、総司は玄関へと向かう。来客に風邪をうつさないよう、途中でマスクを棚から取り出すとつけた。
起きた時と比べると多少は楽に放ったとはいえ、まだまだ痛み力が入らない体を懸命に動かし、総司は玄関の扉を開けた。
「間宮くん――貴方大丈夫!?」
「……せん、ぱい?」
とびらの前には稚奈が立っていた。熱のせいでついには幻覚が見えるようになったのか。一瞬だけそう思った総司。だが総司を見て驚いている稚奈は確かにそこにいた。よっぽどひどい顔だったのだろう。驚いた顔をする稚奈。
「ちょっと間宮君!? 貴方明らかに具合悪そうじゃない! 大丈夫だって連絡くれたわよね!?」
「ハ、ハハハ……心配かけたくなかったんですけど、これは予想していませんでしたね。でも大丈夫ですよ。あんまり辛くないですし」
すでに辛そうにしている顔を見せてしまったが、出来るだけ心配をかけたくなかった総司は少し明るい声を出す。もちろんそれで稚奈は納得してくれなかったようだ。
「間宮くん、無理してるわよね」
「……」
「図星のようね」
嘘が付けなかった。それを肯定ととらえたのか。いつもの笑顔とは違い少し睨むかのようなキツイ表情をして指摘する稚奈に違いますと総司は言えなかった。だからなのか総司が扉を閉める前に稚奈は玄関へと入ってくる。
「先輩。風邪、感染っちゃいますよ」
「私は大丈夫よ。それより貴方は早く布団に戻らないと」
そう言うな否や、靴を脱いで上がり込んだ稚奈は総司の手を引いてベッドのある方へ向かった。当たり前ではあるが男女での力の差は大きい。にもかかわらず、今の総司は立っているだけでもやっと。
そのため稚奈に、ぐいぐいと引っ張られるようにして部屋の奥へと手を引かれて連れていかれる総司。
「間宮くん、朝から何か食べたかしら? 薬は飲んだ?」
「両方ともまだです」
「そう。わかったわ」
うなずくが顔は奥の部屋へと向けられた稚奈の表情はどのようなものか総司はわからなかった。そのままベッドまで引っ張っていかれた。状況が状況なら驚いたり男子の妄想が暴走してまさかという状況を思い浮かべるだろうが、総司にはそんな余裕がなかった。
「先輩。本当にだめですよ。感染っちゃいますよ」
「その風邪、私のせいよね」
「……違います。夜、油断した俺が勝手に引いただけですから」
「それだけでそんなに辛そうな風を引くかしら?」
風邪を引いているにもかかわらず元気と伝えた総司を信用していないためか、稚奈が少し睨む。そうこうしている間に、稚奈に腕を引っ張られた総司はそのままベッドに寝かされた。
先ほどまで眠っていたにもかかわらず、すぐに睡魔がやってくる。だが悪夢を再び見るのかと思うと、眠りたくはなかった。
それが分かったのだろうか。
「だめよ。風邪を引いているのならしっかりと寝ないと。私が看病してあげるから」
先ほどまでとは打って変わって、優しい声で稚奈はそういうと総司の頭を優しく撫でる。表情もいつもの優しい稚奈の物になっていた。
いや。それ以上に菩薩のような慈愛に満ちた表情をする。
「風邪を引いたときに見る夢って怖いわよね。でも大丈夫。私がそばについているから」
学校でよく見ていた笑顔とはまた違った優しい笑みを見て、なぜか自然と悪夢を見そうな恐怖を全く感じなかった。また優しく頭を撫でられているためか、抗えないほどの強烈な睡魔に襲われる。
「おやすみ、間宮くん」
完全に意識がなくなる寸前、稚奈の言葉を聞き総司は意識を手放した。
眠りに落ちたのはどのくらいかわからない。総司が目を覚めてしまったのは手の甲が妙にくすぐったかったから。
「ん……すぅ……ひゅぅ……すぅ……」
総司よりもよっぽど深く稚奈が、床に座りつつ胸より少し下から上をベッドに乗せるかのように寝ていた。
肩に届くか届かないかぐらいの長さの髪が、稚奈が呼吸するたびに僅かに揺れる。
そしてその呼吸をする、つやつやとリップを塗っているみたいに色めかしい唇が、少し手を動かすだけで。話しかけるだけで妬まれるほどの学園アイドル栗生稚奈の触れてはいけない部分に触れることができる。
寝ている今だったら胸にも口にも触ることが出来る。
一瞬そう思った総司だが、女の子の寝込みを襲うような真似をするわけには行かないと思い直す。それでも寝ているわけだし偶然を装ったりすれば。でも。
そんな風に葛藤していると、稚奈の目がぱちりと開いた。まさか気配でバレたか。もしくは考えていることがバレたのか。
そう感じた総司。
「あ、おはよう間宮くん。ごめんなさい、あなたの寝顔を見ていたら私まで眠たくなってきてしまって。……もしかして私の寝顔見たかしら?」
「あ、いえ。俺もついさっき起きたところですから」
「そう? よかった」
ばっちり寝顔を見ましたなんて言えなかった総司。嘘をついたが稚奈は信じてくれたようで、ほっとする。
「それよりも……うふふっ、ちょっとは元気になったかしら?」
「……あ、そういえば」
どのくらい寝たのだろうかと思い、ふと時計を見ると長針短針ともに文字盤の12を表示していた。
「俺結構寝ていました?」
「そうね。私が来たのが8時半ぐらいだったと思うから、3時間半ぐらいかしら?」
まだ少し体が痛んだりはしているが、朝よりはいくらか楽になったように感じていた。
「お昼だけれど、何か食べられそう? 無理なら薬のためにもせめて買ってきたゼリー飲料だけは飲んで欲しいのだけれど」
「多分何か食べられると思いますが――」
「それじゃあ少し待っていてくれる? 台所借りるわね」
そういうと稚奈は台所へと向かった。
寝たためか楽になった総司は、ふと思った。稚奈先輩学校どうしたのだろう、と。
しばらくして稚奈が戻ってくると、手にはトレイに乗ったお茶碗が乗っていた。それを見てなんとか体を起こす総司。
何を持ってきたのだろうと思っていると、ベッドの橋に腰掛ける稚奈。腰掛けたためにトレイの高さが総司の視線より下になったため、お茶碗の中が見えた。
「おかゆなら食べられるかしら?」
稚奈の言う通りお茶碗の中にはおかゆがよそわれていた。米粒は崩れておらず水分の量もいいぐあいなのがすぐに分かった。
「体調が良くない時はおかゆよね」
「えっと……先輩?」
「どうしたの?」
「どうしたもなにも……」
スプーンですくったおかゆに息を吹きかけ冷ますと、それを差し出してくる稚奈。俗に言う「あーん」である。
「あら、私言ったわよね。看病してあげるって」
「言っていましたが、何もここまでしなくても」
「イヤ……かしら?」
少し困った表情をする稚奈。そんな表情を見せられて「はい。いやです」なんて総司は言えなかった。本当にいいのだろうかと思っていたが、ずっと同じポーズのまま稚奈が総司を見る。まあいっかと思考を放棄して甘えることにした総司。
「そ、それじゃあ」
「はい、あーん」
「……あーん」
大人しく口を開けると優しく食べさせてくれる稚奈。
おかゆは見た目だけではなく、実際に美味しかった。こんなに美味しいと思うのは本当に上手に作られているからなのか、それとも雰囲気が関係するのか。
「ふふっ。なんだか恋人みたい」
「ぶぷっ……。げほ、げほ、げほっ!」
「きゃっ! 大丈夫? 辛そうな咳ね」
「い、いや、これは先輩が変なことをいうから――」
「はい、あーん。お残しはだめよ」
どこか照れたような、それでも楽しんでいるような表情をする稚奈のアシストを受けながら、おかゆを食べ進む総司。朝から何も食べていなかったうえに少しは体調がよくなったからなのだろう。結局おかわりをして食事を終了した。
「……ん?」
「あら、なんだか眠たそうね。眠くなっちゃった? でも少し待ってね。お薬持ってくるから」
総司が眠たくなってきたことに気が付いた稚奈はトレイを持って立ち上がると台所へと向かった。何やら音がした後すぐに戻ってきた稚奈。トレイには水が入ったコップと箱に入った錠剤が乗っていた。至れり尽くせりだ。
「はいどうぞ」
「ありがとうございます」
渡された錠剤を水で流し込む。飲み終わったのを確認した稚奈はコップをトレイに乗せると再度台所へと向かうと置いて戻ってきた。
「お薬飲んだし、寝ていいわよ。しっかり休んで元気になってね」
そう言いながら稚奈は優しい笑みを向ける。
先ほどしっかり眠ったにも関わらず睡魔がやってきたのは、先輩から出るリラックス満点のα波が原因に違いない。
「眠いなら寝ちゃっていいのよ。おやすみ間宮くん」
頭を撫でられつつ、稚奈の優しい声を聴きながらそんな風に思った総司は再び意識を手放した。
「よかった。熱は下がったみたいね。このまま明日にじゃ間に合うようにしっかり直しちゃおうね」
朝の身動きできないほどの絶不調はどこへやら。稚奈に看て貰っての何回かの睡眠だけで、朝と比べると雲泥の差が生じるほど夕方には回復していた。僅かに空いたカーテンの隙間からは赤く染まった空が見えている。
「先輩ありがとうございます。おかげでかなり楽になりました。ただ先輩に感染していないといいのですが……」
「間宮くんが元気になるのなら、私に感染してもいいのよ?」
「そういうわけにはいきませんよ」
「大丈夫よ。私、風邪には強いから」
僅かに差し込んでくる夕焼け独特の赤い光を背中に受けながら稚奈が微笑んだ。
時計を見るとホームルームが終わる時間帯である。結局稚奈は1日中総司を看病していたことになる。
朝の辛さから考えてまさか1日で直るとは思ってもいなかった総司。先輩からは何かしらの物が出ており、風邪の菌もやられてしまうのだろうかなんて考えていた。
そんな風に思ったが、口にはしなかった。
「ところで先輩。質問があるのですが」
「何かしら?」
「今日平日ですよね? 先輩、学校を休んだのですか? あとどうして俺が風邪を引いたってわかったんですか?」
「えっと……間宮くんが風邪を引いたって玲奈から聞いて学校を休んで来たわ」
それを聞いて、心配な気持ちや申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「休んでまで看病に来てくださりありがとうございます」
「気にしないで。もとはと言えば私が原因でもあるし」
「でも……」
「でも、は無し」
総司の頭を優しく撫でる稚奈。一瞬どういえばいいか迷った総司。
「じゃ、じゃあ、稚奈先輩が看病してくれるのなら、ずっと風邪ひいていようかな」
「もう、あんまりふざけないの」
そう言いながら総司の頬をつつく稚奈だったが、「そういえば」と何かを思い出したような様子を見せる。
頬をつついていた稚奈の細い指が、そのまま総司の顔のラインを伝うように移動すると、顎に添えられる。そしてそれとほぼ同時に稚奈の顔が急接近してくる
「居眠りしちゃってた私に、間宮くんは何をしようとしてたのかしら?」
「え……先輩……起きてたの、ですか?」
「さてどうだったでしょう」
妖しげな流し目を向けられ全身金縛りにかかったかのように体が固まる総司。それはバレたことへの恐れからなのか別の理由からなのかはわからない。
「冗談も言えるぐらい良くなったし、もう大丈夫よね? 時間も時間だから、今日はもう帰るわ。追加で作ったおかゆがあるから、もしお腹空いたら温め直して食べてちょうだい」
付いて行けない総司をそのままにして、稚奈が帰り支度を始めた。
「良くなったからって、無茶なことはしちゃだめよ。今晩もしっかり休んで、明日に備えること。もし明日も行けそうにないのなら無茶はダメよ。それじゃあ学校でね」
総司が再び動けるようになったころには、すでに稚奈は部屋からいなくなっていた。
1時間ほどすれば今度は玲奈がやってきた。稚奈から聞いたようで心配していたが、総司の姿を見て少しは安心してくれた。あまり長居は良くないと思ったのか、学園からの配布物や果物を渡すと玲奈は帰っていった。
玲奈がいなくなってから、稚奈に言われたように無茶はせず、夜は服装に気を付けて休む。そのためか総司の体を蝕んでいた風邪は次の朝にはきれいさっぱり姿を消していた。