3-5
文化祭のクラスの出し物に向けて接客の練習やチラシ作り、焼き菓子などの飲食物の試作品が放課後の短い時間を使って良い物へと作り上げられていく。
そしてついに文化祭を明後日を控えた日の午後。文化祭に力を入れているというだけあって午後からは授業がなく学園祭の準備期間となった。準備期間はその日の午後と明日丸1日。そんな長い時間を学園祭の準備期間に割り当てられるということもあり、どのくらい力を入れているのかがよくわかる。
「机の並びってこうだっけ?」
「そうそう。あとそこにもう1つ机が来るから気を付けて」
ただ与えられた時間は1日半。それほどの時間があったとしても立派な模擬店にしようとすればやらなければならないことは必然的に多くなり、優先順位をつけて頑張ったとしても結構ギリギリになってくる。どうやら毎年いくつかのクラスは立派な模擬店を作ろうとするあまり間に合わなくなることがしばしばあるようだ。
ただ総司たちのクラスはそんな心配がないのではと思うぐらいに、てきぱきと浩太が全体に指示を出す。指示を出しつつ問題が発生したらその都度どうしたらいいかの意見を言っているあたり結構優秀である。
玲奈は玲奈でクラスの女子の文化祭委員の指示で机を動かしたり。衣里は衣里で現在買い出しに行っているなど、それぞれが忙しく動き回っていた。
そんな中、総司は邪魔にならないよう教室の隅で握った金槌で釘を打ち看板を製作中。看板には大きな字で『メイド(執事)喫茶』と書いている。書いたのは美術部員。
木材の細かいささくれなどがあり、以外にもこういうことになれている総司が買って出た。ただほとんど1人でやると言うこともあってなかなか進まない。
「思ったより結構時間かかるな。今日中におわるのか?」
数があるので早い方がいいが慣れない作業ということでどうしても作業スピードが上がらない。
あげようにも金槌と釘を使っていると言うことで怪我には気を付けなければならないので、無理にスピードを上げることもできないでいた。
誰かに手伝ってもらおうにも、その誰かも他に仕事を抱えていたりするため頼もうにも頼めない。そのため適度に金槌を振る腕を休めるため他の人の声を聴きつつ、総司は黙々と作っていく。
「すまないが、少々手狭に感じるのではないか?」
「うーん、やっぱり?」
「他の人と少し検討するべきだと思うな。例えばだがこう……フンッ! モストマスキュラーをしながらメニュー表を渡すわけだがっ!」
綺麗なポーズを決める清司。モストマスキュラーがどのようなものかはわからない。だがきっと彼にとって大事なポーズなのだろう。
残念ながらそのポーズがどれほど大切か分かっていない玲奈が隣で何とも言えない表情をしている。それに気が付いていない清司はポーズを決めたまま悲しそうな表情をした。
「見たまえ! 通路が完全に塞がるではないか!」
「えっと……テシ君? 普通に渡していいと思うよ?」
「それじゃあ、ボディビル喫茶の意味がないじゃないか!」
「えっと……テシ君。ここメイド&執事喫茶なんだけど。何がどうなったのか、ちょっとお話しようか」
そう言って教室の隅に2人は向かうと何やら話し始める。その時に近くにいたクラスメイトの女子に何やら話している玲奈。僅かに聞こえてきた単語から察するに、机の間隔を広げるかどうか考えて欲しいと言っているようだった。
完全に意見を切り捨てるのではなく、すぐに考慮することに尊敬する総司なんやかんやこのクラスには優秀な人しかいないように思えてきている。
「おい間宮。幼馴染が可愛いからってあんまり手止めるんじゃないぞ」
「うっせぇ!」
テーブルの上に掛けるらしいテーブルクロスの入った段ボールを持ってきた男子生徒。ニヤニヤとして見てきたそんな男子生徒に軽口をたたくと、総司は再び手を動かし始めた。自分が足を引っ張ることだけはしたくなかった。
そこからはほとんど手を休めることなくずっと金槌を振り続ける。
ふと顔を上げた時には、窓から傾いた夕日によって赤く染まった光が教室内に入り込んできて、壁を赤く染めていた。
顔を上げるのを待っていたのか、近くにいた玲奈がお茶のペットボトルを総司に差し出しす。
「お疲れ様ソウくん。はい、これ」
「え? あ、ありがとう。……って、あれ? 残っているのは俺達だけか?」
「教室で用意する役割の人達は今日の作業は終わったから帰ったよ。調理組も最後の確認をしてさっき帰った所。買い出し組も。八重柱くんは残っているけれど、今席を外しているの」
「ごめん。俺も急ぐよ」
全員が帰ったという報告義務があるということで、クラス全員が帰るまで実行委員会は帰れない。そのため浩太は強制的だが、玲奈は自分の意志で残っていることが総司には分かった。
待たせてしまっているかもしれない。そう思った総司が謝る。
「必要なら明日に回してもいいんだけど……作業、私も手伝うね。金槌もう1つあるし」
「あぁ……ありがと」
「うん。この印に打てばいいんだよね?」
「そう。指、打たないように気を付けて」
「わかった」
総司としては怪我をされたくないため出来ればやって欲しくはなかったが、せっかくの心遣いを無下にするのはどうかと思って言い留まった。
金槌を持った玲奈が総司の近くにしゃがみ込んで、印に釘の先端を合わせると打ち始める。ゆっくりとだが、危なっかしい雰囲気はない。安心した総司は再度作業を始める。
総司が振ってなる金槌と玲奈が振ってなる金槌。振るスピードの違いによって2つの金槌の音が交互に鳴ったり、時より二重唱のように重なったり。そんな音にどこか心地よく総司が感じ始めていると――
「痛ッ!」
「レーちゃん!? 大丈夫!?」
すぐに自分の手を止めて玲奈に尋ねる総司。心配していたことが現実になった。
「あ、あはは……ちょっと、指叩いちゃった」
「ちょっと見せて」
そういうと玲奈が返事をする前に総司は手を取る。
玲奈の指は細くスッと長く伸びて綺麗だが、白い人差し指だけ少し赤く腫れている。すぐに金槌で叩いてしまった場所だと分かった。
「冷やさないといけないが、何か……これがいいか」
そう言って総司が手にしたのは先ほど玲奈が買ってきたお茶のペットボトル。買ってあまり時間がたっていないためかしっかりと冷えている。それを玲奈の人差し指に当てた。
「痛みはどう?」
「叩いた瞬間はいたかったけど、今は大丈夫だよ」
「そうか。大怪我ではないと思うけれど、念のためしばらく冷やしておこう」
そう言った総司に玲奈が浮かない顔つきになる。
「手伝うつもりだったのに……ごめん」
「気にしないで。俺もたまにやちゃうから。同じこと」
「難しいんだね」
「女子は特に慣れない作業だから難しいと思う」
総司も小さいころ、中学の夏休みの宿題で棚を作ったことがあったが、初めてだったということで何度か怪我をしていた。木材の細かいささくれで怪我をしたり、のこぎりで指を切ったり。時には今の玲奈のように金槌で指を叩いてしまい怪我をしたこともあった。
「あ、あのね、もう大丈夫だと思うから……」
「ダメだ。ちゃんと冷やしておかないと。後々痛くなってきたら困るぞ」
経験済みの総司は玲奈を心配し、手を引っ込めようとした手を少し強く握る。引っ込めようとするのはやめたが、やはり拒む気持ちは残っているようだ。
「でもそんなことしたら、冷えてた飲み物がぬるくなっちゃうよ……」
「それくらい全然いい。もともとレーちゃんが買ってくれたものだし。多少ぬるくなっても大丈夫。それよりも今は冷やすことが大事だ」
「……」
無言になった玲奈を心配して、手から顔へと視線を移した総司。そこには夕日に照らされている割には、顔がやけに顔が赤くなっている玲奈がいた。
やっぱり痛いのだろうか。
そんな風に感じた総司は、指をしっかり冷やそうと思い、さらにしっかりと手を握ってペットボトルを押し当て続けた。
互いに言葉を発しないまましばらくすると、玲奈の少し腫れて赤くなっていた指先が元の白い色に戻っていた。内出血を確認するため、玲奈の指の爪側と指の腹側を見る。見る限り内出血はない。ひとまず安心できる状態には持っていけ総司は安心する。
「このぐらいしておけば大丈夫かな」
「……」
「あっ! 俺、ずっと手を握って……!」
今頃自分が何をしていたのかに気づき慌てて総司は、ぱっと手を離して玲奈から離れる。慌てすぎて踵が作りかけの看板にぶつかりガタンッと音が鳴った。だがそんなことに意識が向かないほど総司は動揺している。それは玲奈も同じようで顔を赤くし黙ったまま。
「…………」
「ご、ごめん! 俺全然気が付かなくて」
慌てて謝る総司。
幼馴染といえど、さすがに異性相手にこれはやりすぎたと反省する。またそれと同時に玲奈に嫌がられる。そう考えていた。
だが結果は少し違った。
「う、ううん。ソウ君なら嫌じゃ……ないから」
「そ、そうか……」
ただちょっとだけ困ったような表情を混ぜた笑顔でそう言われる。思いもよらない返事に総司も気の利く返事が出来ず、会話が止まった。
2人だけの教室に変な空気が流れる。時計の秒針の音がしっかりと、そして時より外からは部活動の生徒の声が僅かに聞こえてくる。
「じゃあ、私、続きをするね」
「あ、待って。同じところを怪我したら行けないから、レーちゃんは先に帰ってて」
空気を変えようとしたのか近くにあった金槌を手にした玲奈を総司が止めた。先に帰っててという言葉は総司の口から勝手に出ていた。待っていてくれたのに申し訳ないという気持ちが一瞬湧くが、今の空気だと帰ってもらった方が良く感じた。
だが玲奈は首を横へ振る。
「ソウ君を待っているよ。頑張って作業しているんだから置いて先には帰れない……」
「えっと、じゃあ、俺が作業するのを見てて」
「うん。じゃあ、見てる」
義理ではあるが姉である稚奈とは違った柔らかい笑みを浮かべる玲奈。その表情を見て僅かに動揺していた気持ちが落ち着く。一緒に作業する前の空気に戻り良かった。そう思いつつ総司は再び組み立て作業に戻った。
「……ふう」
ようやく新たに1つ出来たため袖で額の汗をぬぐう。その時、パシャッという乾いた音が微かにだが聞こえた。
「ん?」
「……あ、ごめん。カッコよかったからつい撮っちゃった」
写真を撮ったのは玲奈。
恥ずかしくなったのか、スマホの側面をそれぞれ手で持つと自分の顔の下半分を隠しして、潤んだ瞳で総司の方を見ていた。
「別にいいよ。でも、かっこいいものじゃないとおもうけど……」
「ううん。集中しててすごくかっこよかったよ」
「そ、そうか……」
「だ、だから……2人で残って作業をしていた記念に、写真……置いておいていいかな?」
「俺を撮った写真に価値があるかは分からないけれど、レーちゃんがそうしたいのならいいよ」
それを聞いた玲奈が嬉しそうな表情をするのを見て、総司はラストスパートのため再び釘を打ち始めた。
それから少し時間が経つ。残念ながら看板は完成には至らなかった。総司1人なら暗くなるまでやっているつもりだったが、辺りは徐々に暗くなり始めていた。
さすがに玲奈を1人帰らせるのもどうかと判断した総司は残りの作業を明日にして早く帰ることを決断する。ついでに玲奈を途中まで送っていく判断も下した。
「あまり遅くなっても明日に影響したら大変だし帰るか」
「あともう少しで終わると思うけど?」
「いや、止めておく」
「分かった。それじゃあ帰ろうか」
理由を言わずにごまかしたつもりだが、玲奈がどこか面白そうに笑いつつ帰り支度を始めた。そんな姿を見てなんとなくだがバレているような気がしてならなかった総司だった。