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第八話 聖印

【アー・オン・ウルズ・リ・ガーナ アー・オン・ウルズ・リ・オーネ 縛し捕えよ深緑の檻】


「【魔蔓縛鎖陣(ドライアス)】!」


 魔蔓縛鎖陣(ドライアス)

 地系統魔法のひとつ。地中より無限に成長する魔法の蔓を召喚し、対象に絡み付かせ動きを封じる捕縛魔法。魔力の多寡により蔓の強度や捕縛速度が異なる。

 パルナの放ったそれは、大人の男の胴回りほどもある極太の蔓を何十本も大地を割って出現させ、地面すれすれを停止飛行していたドラゴンをその全身を包む魔法障壁ごと絡め取り捕らえた。


「ガギャアアアア!!!」


 だが、ドラゴンを長時間捕らえておくには力不足は明白だ。間も無く、蔓が徐々に引き裂かれる音が聞こえてくる。


「さて。急がねばな。リンネ、準備はよいか」


 パルナは軽く後方を振り返り、声をかけてくる。


「ああ、問題ない」


 俺の返事を聞くや否や、パルナは上空に浮かび上がった。

 自らの真下に、戒めから逃れようと体を捩るドラゴンを捉える。


「いくぞ!」


【暗き大地に伏す影よ 深き闇に囚われし魔よ 蠢け 轟け 裂け 滅せ 苦痛と絶望を吐き出し 汝が顎門で噛み砕け】


 闇系統魔法の詠唱が始まった。

 前世の終わりに散々聞いたが、その言霊は本能的な恐怖を喚起するようで、まるで慣れない。


 昏き力の奔流がパルナの全身をうねるように這いずり始めるのが遠くからでも感じ取れた。


「呪い」の前兆。


 魔法の発現と術者本人の生命エネルギーの反撥により、内より術者を破壊する「呪い」は、だがしかし、詠唱開始より幾ばくか経った今も、パルナには何の影響も及ぼしていないようだった。


 代わりに、パルナの右手の甲に、光り輝く印が発現していた。


「上手くいった!」


 聖印連結(リンクス)

 光系統魔法奥義のひとつ。予め対象に聖印を施しておくことで、対象と術者の間で、互いの魔力や、聖印連結発動後に受けるダメージ、状態異常を共有・転移させることが可能。


 パルナに致命傷を与える筈だった「呪い」は、聖印を通して俺の身体と転移されたのだった。


 しかし、転移が上手く行ったのはいいとして。

 ……こいつが「呪い」か!身体が弾け飛びそうだ!


 俺は「呪い」が自分に転移するや、直ちにもう一つの魔法を発動する。


 聖癒天衣(セントゲヘナ)

 同じく光系統魔法奥義のひとつ。自身の回復力を極限まで高め、同時に自身の細胞から「在るべき姿」を読み取り魔力による再生を展開する。

 対象が自身に限定される代わりに「在るべき姿」を読み取ることは速度、精度共に聖印繭糸の比ではなく、四肢を失う大怪我すらもほぼ一瞬で治癒してしまう。

 俺が前世、一人で危険な旅を続けることができた理由の一つが、この究極に近い治癒魔法の存在だ。


 俺の体内で、破壊と再生がせめぎ合う。

「呪い」は猛毒のように全身を巡り、肉を裂き、骨を砕き、内臓を潰す。

 直ちに聖癒天衣が時間を巻き戻すかのように修復を行う。それを幾度も繰り返す。

 如何なる種類の拷問でも再現不可であろう、続け様に襲う激痛に、俺は意識を保つだけで精一杯だった。これはキツい。


 パルナの方はどうなってる?

 軋む身体に鞭打ち顔を上げると、パルナの前方に、その場を空間ごと切り取ったかのような漆黒のエネルギー体が現れるのが見えた。


 光の一切の透過も反射も許さないそれは徐々にその形を変え、巨大な黒槍となった。

 穂先は蔦による捕縛から脱しつつあるドラゴンを真っ直ぐに捉えている。


「すまんなアビー。少しだけ堪えてくれ」


 パルナがゆっくりと手を上空にかざす。


「【魔槍滅塵裂破(ガーオーン)】!」


 パルナが腕を振り下ろすと同時に、漆黒の槍は音速を超えるスピードでドラゴンに直進、直撃した。

 何重もの魔法障壁はその悉くが霧散し、反魔法の鱗は易々と抉り取られる。

 ドラゴンの上顎から下顎を貫通し、黒い孔が穿たれた。

 ……あれほどの貫通力を持つ魔法は四大系統には一切無い。俺も決戦では散々結界をぶち抜かれた記憶があるが……相変わらず身震いする力だ。


 勢いそのままに地面に突き刺さった黒き槍は、途端に球状に膨れ上がり周囲を空間ごと削り取ると、音もなく消滅した。


 ドラゴンが上下の顎から黒い血を撒き散らし、驚愕と激怒の咆哮を上げる。


「いまじゃ!」


「ぐぐ、ギリギリだったぜ」

 半分ほど意識が飛びかけていたが、なんとか持ち堪えられたようだ。

 パルナの合図を受けて、先ほどドラゴンの一撃で千切れていた左腕の端部に魔力を集中させる。


「【聖光魔弾(セルテム)】!」


 聖光魔弾(セルテム)

 光系統魔法における数少ない直接攻撃魔法。触媒に光の魔力を充填し、矢のように撃ち込む。触媒の種類に応じて様々な付加効果を持たせることのできる汎用性の高い魔法である。


 今回俺が触媒に用いた物質は、修復せずに残しておいた千切れた左腕からだらだら流れている、この赤いヤツだ。

 自分の身体の一部を触媒とすることで、特に強力な効果を載せて撃ち込める。


 聖光魔弾が魔法障壁が消えているドラゴンの下顎の傷口に着弾する。光の矢はその輝きを増し、闇の力に対する浄化作用を発現した。


 ドラゴンの両顎から溢れる黒い血は、光の矢の輝きを受けるとゆっくりと赤色に変化していく。血に溶け込んだ闇の魔力が中和されている証拠だ。

 光は血にのって、体内へと浄化作用を伝えていく。ドラゴンは、苦しんでいるのか身体を大きく捻って暴れ出す。


 ドラゴンの漆黒の鱗の表面が、脱皮するかの如く徐々に剥がれ始め、内側から白銀の煌めきが覗く。

 赤黒く濁っていた目に、ごくわずかに光が灯り始める。


「やったか?!」


 パルナがその様子を見て思わず叫ぶ。


 しかし。


 ドラゴンは大きく咆哮を上げると、一気に蔦の束縛を引きちぎる。

 そのまま強烈に羽ばたきパルナに突風を打ち付けると、血塗れの顎門を大きく開き、超高速で突進してきた。

 闇系統魔法使用直後で集中が僅かに途切れていたことと、突風によって動きが奪われたことで、パルナはその突撃に全く反応できていなかった。



 ……腕は千切れているし、身体は呪いでボロボロだ。

 正直、すぐにでも地面に横たわりたい。立ってるだけでも褒めて欲しい。限界だ。

 ……それでも、俺の足は勝手に動いた。



 骨が割れ、削られる鈍い音が響いた。



「リンネ!」


 俺に横合いから突き飛ばされたパルナは地面近くまで落下したようだが、声を聞く限り激突はしていないようだ。


「ぐ、がふっ」


 大量に吐血する。巨大な牙が、俺の肋骨を砕き、肺を完全に潰している。

 牙が食い込んだこの状況では、聖癒天衣でも回復はできない。

 力が、徐々に全身から抜けていくのがわかる。


 ……まったく、なんでこんなことになってしまったのか。


 昼過ぎまでは整備された芝生の上でのんびり昼寝をしていたのに。

 それからそんなに時を置かず、こんな巨大なドラゴンに噛みつかれる事態になるなんて、誰が想像できるだろう。


 それもこれも、皆、あの魔王のせいだ。あいつが全部、無自覚に招き入れたことに違いない。


 恨みがましくパルナの方に顔を向けてやった。


 いいか、もう俺は勇者を廃業したんだから、人のために戦う必要なんてないわけで。

 もちろんこんな割りの合わないことをしなくったっていいわけで。



 ……でも、そんな顔で見上げられたら、もう一踏ん張りぐらいはしてやってもいいかなと思ってしまった。



 激痛の中、ゆっくりとドラゴンの牙を掴む。


「……よう、アビーって言うんだってな、お前の名前」


 声を絞り出す。


「あのな。お前を絶対助けるって言ってるやつがいるんだよ。お前は友達だって言うんだ」


 ドラゴンは返事をしないが、動きもしなかった。


「なあ、おい。アビー」


 黒い身体の、その奥へ。内部に感じた、今にも消えそうだった小さな灯火へ。


「まだ寝てるのか。まだ聞こえないのか。さっきから友達が呼んでるぞ。ずっと待ってたんだろ?」


 噛みつく顎の力が僅かに弱まる。


「早く、行ってやれよ」


 全身の血という血にありったけの魔力を流し込む。

 俺の全身は鋭い光を放ち始め、直接、アビーの顎門の孔に浄化の光が差し込まれる。

 光はアビーの全身を巡り……そして、弾けた。




「リンネ!おい、リンネ!」


 目を開けると、パルナの顔が飛び込んできた。

 どうやら俺は地面まで落下していたようだ。思い出したように全身に激痛が走る。

 血を吐きつつゆっくりと視線を巡らせると、先ほどまで猛威を奮っていた黒い巨躯は何処にも見当たらなくなっていた。


「リンネ!生きておったか!」


「なんとかな。だがもう魔力が空っぽだ」


「本当にしぶとい奴じゃ。殺しても死なないとはお主のような奴のことを言うのじゃな。そうじゃ、アビー!」


 どこからか、キュイ、キュイと小動物が鳴いているような声が聞こえる。


「この声は!」


 パルナのやや斜め上空に、全身が眩いばかりに輝く白銀の鱗に覆われた、人間の赤ん坊ほどのサイズの小さな竜が羽ばたいていた。


「アビー!」


 パルナが、アビーと呼んだその小さな竜に飛びつき、ぎゅっと抱きしめる。


「すまなかった。すまなかったアビー」


 アビーはくすぐったそうに片目を閉じ、再びキュイキュイと声を上げる。


「もう二度と離さんぞ。ずっと一緒じゃ。ずっと、ずっとじゃ」


 パルナは泣き笑いの表情でそう言った。




 俺は横たわり、わずかに残った魔力でゆっくりと身体の修復を行いながら、パルナの様子を見ていた。


 不思議だった。


 どうして、そんな表情をしているのだろうか。

 どうして、そんな表情が出来るのだろうか。


 魔族とは、戦に明け暮れ、弱肉強食の理のみで動く種族ではなかったか。もちろん、魔族にも争い事を好まない者がいることは承知している。だが、この少女は魔王だ。弱肉強食の、頂点だった者。その魔王が、何故そんな表情を?


 時に傲慢で、自分勝手で。でも、友達のため、家族のため、自分の愛する人を守るために、戦い、その無事を喜び、涙する。


 それは、俺が勇者アデルだったころ、命を懸けて守ろうとし続けてきた人間たち。

 その人間たちと、同じ。


 彼女は何者なのか。


 そもそも、魔族を率いていたのはアゼザルという魔王だったはずだ。あいつは、どこへ行ったのだ。


 最終決戦直前、女神クレリアの千里眼で、地上世界にアゼザルがいないことは分かっていた。だが、亜空間の魔王城にも、やつの姿はなかった。

 地上の人々で、最終決戦で魔王が入れ替わっていたことを知っている者はいない。公式の記録でも、勇者アデルが討ち果たしたのはアゼザルということになっている。


 どうして、彼女は魔王として俺の前に現れたのか。

 どうして、俺と戦わなければならなかったんだろうか。


 俺の声にならない問いは、駆け寄る騎士と生徒たちの足音にかき消されていった。









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