第五話 魔王城
【アートール・テラ・イール アートール・イル・テスラ 願いは地に満ち 其は顕現せり 貫き清めよ 天の雷光】
「【聖光封纏剣】!!」
稲妻の様な光の柱が、騎士たちの手に握られた剣を撃つ。
直後、全ての剣は眩いばかりの光を帯び、闇を打ち祓う力を纏う。
「これで奴らに攻撃が通る。結界は内側から通過できるから、外で一緒に戦ってくれ!」
剣の輝きに見入っていた騎士たちは、俺の声で我に返ったようだ。
十七年振りの実戦とはいえ、俺一人で戦って負けることはないだろうが、これ以上目立つ事はしたくない。騎士たちにもしっかり頑張ってもらおう。
先程の怪光線による爆発により食堂周囲の壁は崩れ、三十体はいるであろうスペクターの群れが四方からにじり寄ってきている。
しかし、騎士たちの剣が纏う光を嫌っているのだろう、先ほどまでよりも明らかに動きが鈍い。
そこに、王女の檄が飛ぶ。
「よぅし者共!今度はこちらの番じゃ!」
「「「おお!!」」」
「外に逃げ遅れた生徒たちがいるやもしれぬ。包囲を抜けたものは周囲を探索、発見し次第、安全な場所まで退避させよ!」
「「「ははっ!」」」
「よいか。汝らは我が剣であり全ての民の盾である!騎士の務めを全うせよ!総員突撃!!!」
「「「うおおおおおおおおお!!!!」」」
王女の檄に呼応して、騎士たちは輝く剣を振りかざし、眼前の敵に怒涛の勢いで突撃を開始した。
それを満足そうに見遣ると、王女は結界内の生徒たちを振り返り、穏やかに告げる。
「其方らはここを動くでないぞ。直ちに原因を突き止めて解決してくるゆえ、少し待っているのじゃ」
「「「はい!」」」
先ほどまでの不安と恐怖の色はすっかり影を潜め、生徒たちの瞳には光が戻っていた。
……魂胆は知らないが、表面上はなにやら良い王女を演じているじゃないか。
「演じているのではないわ。ちゃんと良い王女なのじゃ」
「聞こえてたか」
「無駄口叩いてないでお主もとっとと戦わぬか」
「へいへい」
言われて行くのも癪だがまぁいいだろう。
俺は軽く息を吸い込み、大きく体を躍らせた。
走る騎士たちを一瞬で抜き去り、スペクターの群れの中に飛び込む。
踏み込みで床を砕きながら横薙ぎに一閃、三体のスペクターの腰から上を刎ね飛ばす。
泣き別れした上半身はいずれも枯れ葉のように回転しながら力なく床に落下する。
直後、近距離から放たれた怪光線を身体を捻って躱すと、勢いそのままに手近な一体を袈裟斬りにする。断面から黒い液体を撒き散らし、目から赤の光が掻き消える。
骸となったスペクターを剣の腹で吹き飛ばし、先程怪光線を放った個体に叩きつけると、一歩で一気に間合いを詰めて諸共串刺しにした。
激しい痙攣が剣を通して伝わってくるが、すぐに大人しくなる。
スペクターたちの亡骸は少しの後に、全てガス状になって消え失せた。
「な、なんだと?!一瞬で化け物どもを五体も!!」
後に続く騎士から感嘆の声が聞こえる。
しまった、少し調子に乗りすぎた。目立つことをしないつもりだったが、俺も先程の檄に少しあてられたか。
まぁいい、後は彼らに任せるとしよう。
騎士たちも各々スペクター相手に善戦しており、包囲を突破するのにそう時間はかからなかった。
逃げ遅れた者の捜索に、多くの騎士が走り去った後、食堂の外に出た俺の目に、奇怪な景色が飛び込んできた。
空は、いつもの見知った空とは異なっていた。
暗闇が、別の暗闇と喰らい合う様に至る所で渦を描く。時折紫色の雷が遠くの暗闇で炸裂し、やや遅れて轟音が耳を突く。
雲の様な巨大な黒いガス状の塊が、暗闇にその影を落とす。
ゆっくりと明滅を繰り返す出所不明の赤い燐光が全空をうっすらと照らし、辛うじて完全な闇への堕落を拒絶している。
……この空には、見覚えがある。
「ここは、亜空間じゃな」
いつの間にか俺の真横にいた魔王が、心底嫌そうな表情で、同じく空を見上げていた。
「亜空間っていうと、ゲートのことだな?」
「ド阿呆。ゲートの外側じゃ」
「そうなのか」
「ゲートは亜空間を渡る橋じゃ」
そういえば、以前女神が、この地上以外にもいくつもの異世界が存在するとか言ってたな。魔族の住む魔界も、その一つだとか。ゲートが橋なら、異世界が島で亜空間が海とか川というところか。
……いまいちピンとこないが、魔族のほうが亜空間に詳しいであろうことは、先刻の侵略で承知している。とりあえず頷いておこう。
ただ、再度空を見上げた魔王の顔が、苦虫を噛み潰したかように歪んだことが気になった。
「ところで、見てみよ」
すっと下に目線を落とした魔王の指差す方には、亜空間と地面の境界があった。それより手前はいつもの学園構内、奥は歪曲された幾何学模様が渦巻く混沌だった。
縁に沿って紫の光が地面から迸っており、そこが境界であることを強調しているかのように見える。
光を目で辿ると、どうやら境界は、学園内をぐるりと、半径二百メートルほどはあろうかという大きな円を描くように生じたようだった。
「どうやら、学園の一部が丸ごと亜空間に転移したようじゃな」
「そんな大規模な転移現象なんて、聞いたことがないぞ?」
「ド阿呆。聞いたことくらいあるじゃろう」
魔王は視線を空へと向け、すっと手を上げた。
「ヒントは、あれじゃ」
魔王の指差す方に顔を向けた俺は、亜空間の空に浮かぶ見覚えのある塊を見つけ、慄然とした。
あれは……!
「……魔王城!」
ここからでは拳大の大きさにしか見えないが、あれは確かに、あの魔王城だった。
かつて人間たちの恐怖の対象であり、勇者と魔王、今ここにいる俺たちが激突し、双方が消滅した場所。
当時、アレの存在を知った時の各国の驚きが凄まじかったことを覚えている。
敵はゲートを通って魔界から遠路遥々やってきたのだから、補給路など兵站は脆弱であろうと踏んでいた。ところが、ゲート内部に拠点があったわけで、まぁ動揺もするというものだ。
「当時、アレに対して人間が選択した手段は覚えておるか」
「ああ。大規模転移魔法陣による城への直接攻撃だったな。エルヘブン王国が主導し、数ヶ月かけて領地内に魔法陣を構築した」
「その魔法陣を逆利用され、転移した魔族に攻め入られたのは間抜けな話じゃが」
魔王に言われるのも腹立たしいが、確かに情けない話だとは思う。結果、後に第二次王都防衛戦と呼ばれる激戦のきっかけとなってしまった。
「確かこの学園は、魔族が出現し焼け野原になった場所に建てられたんじゃったな?」
「復興の象徴に、とかで、被害の中心地に建てられたと聞いてるが。……まさか、転移魔法陣が、この学園内に?」
「その可能性は高いな」
魔王は足元を睨みつけると、思案する仕草を見せる。
「……しかし、そうすると解せぬのが」
魔王が途中で呟きを止める。そして徐ろに魔王城が浮かんでいた方角を見上げた。
「リンネ」
「ああ、お客さんだ」
魔王城の方向から二つの黒粒が急速にこちらに接近していた。粒は徐々に大きくなり、その輪郭を露わにする。
黒い翼の生えた、二体の人型の生物。
一体は目が昏く赤い牛の頭を持ち、オーガ以上の巨躯に黒い針のような体毛を全身にびっしりと生やし、大蛇の尻尾を腰に巻きつけていた。
もう一体は、同じく赤い目を持つ山羊の頭を備え、牛頭よりは細いが、ほぼ同様の巨躯に、全ての指に鎌ほどの黒い爪を伸ばした四本の腕を有していた。
二体は俺たちから十メートルほど離れた場所にまで到達すると空中で羽ばたきながら留まり、睨めるように見遣ってきた。
……これは、ただの化け物ではないな。
スペクター共とは桁が違う、大気が震えるようなプレッシャーを纏っている。
「上位悪魔、じゃな。魔力に溺れ、意思を失くした魔族の成れの果てじゃ。強いぞ」
「そんな奴等が、なんでここに?」
「大方、魔王城に漂う闇の波動に惹かれて彷徨い集ったのじゃろう。恐らくスペクターどもも同じじゃろうな」
その時、若い女性の悲鳴が耳をついた。
転移に巻き込まれた学内の生徒であろう、三つ編みの少女が、震える手で二体の悪魔を指差しながら、地面にへたり込んでいた。
「まずい!」
悲鳴に反応したか、牛頭の悪魔が女子生徒の方を向くやいなや、腹の奥まで響く雄叫びを上げる。
直後、牛の角から激しく明滅する黒い稲妻を放出した。
俺は咄嗟に、持っていた剣を投擲して稲妻を遮る。
纏った光の力が相殺され、無加護となった剣がくるくると宙を舞う。その間に俺は女子生徒の前方へ走り込み、結界を展開した。
「無事か!?」
牛頭の悪魔を睨みつけたまま、後ろの女子生徒に声をかける。
「は、はい!」
相変わらずへたり込んだままのようだが、背中越しに聞こえる声音は多少明るい。
牛頭の悪魔は、稲妻を弾かれたことに腹を立てたのか、それとも聖なる結界を嫌悪してか、再度地鳴りのような咆哮を発した。
再び牛の角に、先ほどを上回る魔力が集中する。結界ごと薙ぎ払うつもりか?
悪魔は上半身を大きく後ろに逸らし、まさに第二撃を放とうとした、
その時。
「貴様」
静かに、だが良く通る声が響く。
「どこを見ておる?」
牛頭の悪魔が振り返る。山羊の悪魔のほうはすでに、その存在を凝視していた。
黄金髪の少女の身体から立ち昇る闇の波動は、悪魔たちの意識を完全に捉えたようだった。
赤い目をさらに爛々と輝かせ、二体の悪魔は興奮した様子で吠え始める。どんな思考の過程があったのかは分からないが、二体は王女を排除するべき敵と認識したようだった。
俺は悪魔に攻撃を仕掛けようと構えたが、その時暗闇より、スペクターの群れが俺と女子生徒を狙って姿を現した。
くそ、どうやら囲まれたようだ。
二体の悪魔が魔力を急速に増幅させる様子が視界に入る。
……こいつは、想像以上の力だ。
人間となった魔王に、果たして奴等の攻撃が耐えられるのか?
いや、そうは言っても魔王だ。心配はいらない……と思うのだが、しかし……
……俺は急に胸がざわつくような感覚に襲われ、そして、
「パルナ!」
自分でも驚いたのだが、俺は咄嗟に、その名を呼んでいた。
あそこにいる少女は、俺の認識ではあくまで魔王だ。
だが、その魔王には、前世で名前を聞いていない。呼びかける名前が分からなかった。だから俺は、その名を叫んだ、のだと思う。
眼を丸くした少女がこちらを見た。
刹那の間を置いて、少女は眼を細め、少し笑った。
そしてそのまま、二体の化け物を振り返る。
「さて」
「少し遊んでやるとしようかの」
笑みを浮かべたまま、パルナはそう呟いた。