第三話 勇者と魔王
「十七年ぶりか?まさか我が国の民に転生しておるとはの」
王女の皮を被った魔王は、やはり俺の正体には気付いていた。それにしても、やけに軽く話しかけてくるものだ。ここで仕掛ける気はない、という意思表示だろうか。だが、油断するつもりは毛頭無い。
「我が国?お前は魔族だろう。ここは人間の国だぞ」
ぶっきら棒な言い草、かつとんでもない言葉の中身が騎士連中に聞こえては堪らない。俺は相手に届くギリギリまで声を落とす。
「妾も転生したのじゃ。今はお主と同じ人間ぞ」
そんなバカな。
流石の俺もこれには言葉を失った。
転生とは魂を司る神だけが行える奇跡。
神々は魔族が地上に侵攻したことを快く思っていなかったから、張本人である魔王を人間に転生させるなどあり得ない。
無力な人間にして悔い改めさせる罰、という線もあるかもしれないが、それならば先ほど見せた、些かも衰えのない魔力は説明がつかない。
記憶も力もそのままに、魔王を人間に転生させる。そんな危険なことを、神々が行うわけがない。
「どうやって転生した?」
「さあのう」
「答えろ」
「嫌じゃ」
ふと、凄く嫌な推測が頭をよぎる。
まさか、あの女神か?いや、いくらなんでもそこまでアホではないと信じたいが、しかしそこでいつも予想の斜め上を狙い撃ちし、さらに大きく外してくるのがあのアホ女神だ。アホの可能性は無限大である。
いずれにしても目の前の魔王が答える気がない以上、確認する術がない。
困惑する俺の様子を、魔王は愉快そうに眺めている。段々苛立ってくるが、このままでは相手のペースに飲まれてしまう。とりあえず質問を変えよう。
「人間に転生して、何を企んでいる?」
聖剣がない今、はっきり言って真正面からぶつかれば勝ち目は薄いだろう。
なんのつもりか向こうから会話を仕掛けてきたこの状況を利用し、少しでも情報を引き出しておきたいところだ。
「何も企んでなどおらんぞ。ただ人間の姫の生活を満喫しておるだけじゃ。毎日美味いものが食べ放題じゃぞ」
なんだとくそ羨ましい。やはり俺も女神には金持ち貴族の家に転生させろと言っておくべきだったか。
「お主は見るからに貧乏学生といった風じゃのう。なんならこの店で好きなものでも奢ってやろうか」
「ふん、そんなことで話を誤魔化せると思われるとは、見くびられたもんだな」
「メニュー表を手に取りながら言われてものう」
うぐ、しまった、つい。
「とにかく、妾は今の生活に満足しておるのじゃ。わざわざ面倒なことなど画策せぬわ」
「いや、絶対何か企んでるな」
「なぜそう思う?」
「さっき、俺を凄く睨んでいたじゃないか。なにか俺を警戒しなければならない理由があるんだろう?」
「阿呆か。前世で自分を殺した男を見つけたのじゃぞ?睨むくらいするじゃろうが。火球を撃ち込まれなかっただけ幸運と思え」
うむむ、確かに。ぐぅの音も出ない正論だ。揺さぶったつもりだったがあっさり言いくるめられてしまいそうだ。このままではまずい。
だが。
そこで、俺は確かに見た。
魔王の目が、右に左に盛大に泳いでいるのを。
動揺している?
まるで子供のような動揺の仕方だ。このまま見続けていたら顔ごと背けて口笛でも吹きそうな勢いである。
やはりなにか隠していることは間違いないな。
よしよし、とりあえず、もう少しつついてみることにしよう。先程の様子だと、割と簡単に何か出てきそうだ。
「睨んだのは本当にそんな理由か?」
「ど、どういうことじゃ」
まだ動揺しているな。分かりやすい奴だ。
「そうだな」
あえてわざとらしく間を置いて、俺は続けた。
「俺に隠したいことがあるんじゃないのか」
例えば王国乗っ取り計画とか、などと適当にカマをかけて様子を見るつもりだった。
……が、次の言葉が口をつく前に、目の前で起こった魔王の急激な変化に俺は意識を奪われてしまった。
両方の瞳をぐるぐる揺らし、全身をぷるぷるさせながら両手の指をわしゃわしゃしている少女がそこにいた。
怒っている様子ではない。あわあわしているのだ。
そしてその頬は、明らかに紅潮している。
「何?」
予想のさらに上の反応に、逆に意表をつかれた俺は、呆けたように魔王を見つめていた。
「か、か、か、隠し、事」
少しだけ間を置いて。
「貴様に隠し事なんぞないわこのド阿呆が!!」
今度こそ怒りだした。
「姫様!いかがなされました!?」
「なんでもないわ!ホコリが目に入っただけじゃ!」
怒鳴り返された隊長は数人の部下を連れてバタバタと走り去っていった。
また水を探しに行ったようだ。真面目な勤務態度は結構だが、少しは疑ったらどうだろうか。
ゆっくりと俺の方に向き直した魔王の瞳には、はっきりと怒りの色があった。
「おのれ貴様、妾が大人しくしていれば図に乗りおって」
魔王の全身から闇の波動が立ち昇る。
おい、本気か。
「待て待て待て、そんなに怒らせること言ったか?」
「問答無用!」
【クール・ナール・イル・アーガ 炎霊たちよ 我が掌に集いて 貫き滅せ】
炎槍爆獄波。術者の手から槍の形状をした焔を放つ、火系統魔法の一つ。射程距離が長く、攻撃力と魔力消費のバランスも良いがやや制御が複雑で、これが使えて初めて一人前の火系統魔導士と認められる。一流の魔導士ならば中位の魔物であるオーガを一撃で葬ることも可能な威力が出せる。
さて、魔王が使うと。
ああ、食堂が消し飛ぶなこれ。
魔王の右手に集中した膨大な魔力量を見て、俺はそう判断した。
テーブル下の右手で、素早く印を結ぶ。
「くらえ炎槍爆……!!」
最終詠唱に合わせるように、俺は魔力をこめた右手を振り抜く!
その直前。
「姫様、水でございます!ああっ!?」
ばっしゃーん。
食堂中が静まり返る。
ぽたぽたと黄金色の髪から水を滴らせ、右手を前に突き出したまま、魔王は固まっていた。濡れて乱れた髪が顔を覆い、その表情は窺えない。
「あ、あ、あ」
中年の隊長は、空になった銀の容器を持ったまま、顔面蒼白で立ち竦んでいた。
(……あの隊長さん、死んだわね)
(ああ、死んだな)
(水の滴る姫様、なんと麗しい)
生徒たちの輪からボソボソと声が聞こえる。
そこに、
「も、申し訳ございませんー!!」
悲壮な叫びが響いた。
魔王は自分で火系統の乾燥魔法を使い、濡れた身体とドレスを乾かし切っていた。髪の乱れは女性の騎士が応急対応で整えている。
「我が騎士人生最大の不覚!かくなるうえは、かくなるうえはぁ!!」
先ほどから自分の首に剣をあてて騒いでいる隊長を、部下たちがわあわあと必死で止めている。
「よい。こんなことで咎めたりなどせぬ。妾も頭が冷えてちょうど良かったわ」
騎士と生徒たちの間から、おお、という声が漏れる。
(なんと寛大なお方だ)
(罪を憎んで人を憎まず。まさに慈愛の女神ね!)
人払いの円を形成していた騎士たちがこぞってパルナのもとに駆けつけたため、生徒たちの輪はすっかり崩れていた。
好奇心旺盛な年頃の若者たちは、少しずつ王女との距離を詰めていったりしている。
俺は、というと、水びたしになったテーブルで頬杖をつきながら、ぼーっと一連の様子を眺めていた。……さっきから調子が狂いっぱなしだ。
髪を整えていた女騎士を下がらせた後、じりじり近づいてくる生徒たちに聞こえない声で魔王が囁いた。
「命拾いしたな」
「あれでは俺は倒せない。分かってるだろう」
「周りの生徒どもは巻き添えを食ったかもしれんぞ?」
「近距離であんな詠唱、発動前に止めろと言っているようなものだ。俺の力を試すのが目的なら場所を変えるぞ」
「ふん。転生しても勇者の力は健在か?まったく忌々しい」
言葉とは裏腹に、魔王はわずかに笑みを浮かべているように見えた。
不意に柔らかくなった空気に、俺はまた少し戸惑った。
そこに、
「姫様、本日はご機嫌麗しゅう」
突如、恭しい態度とともに割って入ってきた人間がいた。
学生服を着た、端正だがどこか嫌味な顔立ちのその男に、俺は見覚えがあった。たしか、隣のクラスの。どこかの有力貴族の三男坊だったか。
「これは失礼、自己紹介が遅くなりました。私、フォンターナ伯爵家三男、ウルド・フォンターナと申します。以後、お見知り置きを」
「フォンターナ伯の御子息か。お父上には北方街道の治安維持に常々ご尽力頂き、感謝に絶えぬ」
ウルドは深々と頭を下げた。
「もったいないお言葉。父もさぞ喜びましょう」
上流階級の社交辞令に前世も今世もあまり縁のない俺は、魔王がそれを自然体でこなすのをみて驚いたが、そういえば十六年お姫様をやっていたんだったな、とひとり納得する。
「さて、恐れながら姫様」
「なんじゃ?」
「そこのものとは、どういったご関係で?」
ウルドは頭を低く下げたまま、チラリと俺の方を見た。眼には、嫌悪と侮蔑の色が宿っていた。
……ああ、またいつものか。
「今日が初対面じゃ」
今世ではな。
俺は頬杖をついたまま心の中で付け足す。
それを聞くと、ウルドはまたしても芝居がかった様子で仰々しく両手を広げ、目を細めた。
「そうでしたか!いや、そうでしょうとも!姫様ともあろう高貴なお方が、こんな身分の低い者と知己の間柄であるわけがありませんからな!」
周りの生徒たちの中でも少なくない数の者たちが、ウルドの言葉に頷いている。
上級貴族の子女たちか。
この学園は長男以外の家督が継げない子供たちが割と多く通うが、そういう奴らに限って家柄意識が強いのは困ったものだ。
「その者、聞けば剣技はそれなりですが、魔法はまったく才能がないとのこと。何故この学園に入れたのかも不思議なほどです。そのような無能に関わって、姫様の貴重なお時間を浪費するなどもってのほか。如何でしょう、これから私めが、学内をご案内させていただきたいのですが」
「ほう?」
魔王が、ウルドの顔を見据えながら、ゆっくりと席から立ち上がる。
「このものは魔法が使えぬと?」
「え、ええ。四大系統のいずれも、初歩中の初歩の魔法すら扱えぬとか。たとえ剣が使えようと、魔法が無ければ戦場ではなんの役にも立ちませぬ」
「四大系統以外は?光とか闇とかあるじゃろう」
「はっはっはっ、御冗談を。光系統魔法を扱えるものは、大陸広しといえども数えるほどしかおりませぬ。神より賜る才能が必要なのです。そして闇系統魔法は、人間が扱うべきものではございませぬ。下劣で醜い魔族どもの、おぞましい蛮術でございます」
「なるほどのう」
ある水準以上の魔力や魔法感受性があれば、王女(魔王)から立ち昇る闇の波動に気がついただろうが、ウルドはまだその域には達していないようだった。良かったな。
「であるから、四大系統を扱えぬこのものは、即ちなんの魔法も使えぬ無能であると?」
「その通りです、姫様」
ギギギギギ、という軋むような音をたてて、魔王がゆっくりと俺のほうを振り返る。
……その燃えるような怒りの視線は、何故俺に向けられているのだろう。
先ほどからこいつの逆鱗の位置が全くわからない。今回は静かに目を逸らしてやり過ごそう。うん、それがいい。
そんな俺の肩に、ぽんと魔王の手が置かれた。
「貴様」
耳元で囁かれた言葉は、声の大きさとは裏腹に巨大なプレッシャーを纏っていた。不覚にもビクッと体を震わせてしまう。
「なぜ勇者の貴様が斯様に舐められておる?」
「転生したことは秘密にしているからな。それに四大系統は元々苦手だ」
「なぜ秘密にするのじゃ。即公表して国を挙げてのお祭りやら記念碑建立やらをしてもらえばよいではないか」
「そういうのが嫌だから隠してるんだよ!」
「ふん。まぁそんなことはどうでもよい。問題は」
肩に置かれた手にぐっと力が込められる。
「貴様が無能なら、それに敗れた妾は超無能ということになってしまうではないか。今すぐこの男をボコボコにして訂正させろ」
「嫌だよ?!」
声がよく聞こえないウルドは、不穏な会話が展開されていることなど露知らず、訝しげな表情で俺たちの様子を伺っていた。
「ええい、ならば妾が直接ボコボコに」
最高に不穏な言葉を大声で言いかけて、魔王が、そして俺も、ぴたっと動きを止める。
不気味な闇の波動を足元に感じるのと、食堂が暗闇に覆われるのとは、ほぼ同時だった。