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第二話 魔王

 俺は、自分の方を向いたきり動かなくなった王女が、徐々に眉間にシワを寄せていくのを見た。


「え?」


 思わず驚きを声に出してしまう。理由は不明だったが、俺は、王女が俺を見たことで表情を変容させていることだけは理解した。


 眉間のシワはより深く、片方の眉は大きく釣り上がり、宝石のように美しい蒼色だった両まなこは、心無しか燃えるような紅色を帯びてきているように見えた。

 所謂、スラム街でたむろしている悪めな青年たちが言うところの、「ガンをつける」「メンチをきる」状態に突入した様子である。


 一体どういうことだ?


 王女とは当然だが初対面だ。先ほどからの短時間に、なにか不興を買うことをした覚えもない。

 いきなりこんなに睨まれる謂れは全くない……はずなのだ。


 思わず俺も、訝しげにわずかに眉根を寄せてしまったその直後。

 王女の全身から、信じがたいものが迸った。



 ……それは破滅的に凶々しく、閃光のように強烈で、


 そしてどこか懐かしい。



 闇の波動だった。



 そんな、まさか。


 魔力が高い、もしくは感受性が高い者は、浴びただけで気を失うほどの膨大な魔力の奔流であったが、幸か不幸か、学園の生徒にそこまでの素質を持った者はいないようだった。わずかに、横に控えていた教師の一部がふらついていた様子が視界の端に映ったが、その場に大きな混乱は無かった。


 俺は咄嗟に右手を反対側の腰元に回していた。生命の危機にさらされた時の条件反射のような癖。だが今は、そこに聖剣は無い。


 虚しく空を切った指の感覚と共に、俺は自分の激しい動揺を感じていた。


 間違いない。

 今ステージ上にいる、人間の形をしたあれは、十七年前に会ったあの女魔族。


 勇者だった俺が滅ぼしたはずの、あの魔王だった。




 ステージ上に意識を向けつつ、周囲の様子を確認する。大ホール内には、先ほどまでとは性質の異なる静寂が生まれていた。それから少しずつ、生徒たちが騒めきだす。


「ねえ、姫様、さっきからすごく睨んでない?」

「睨まれてる相手、もしかしてリンネじゃないか?ほら、あの何考えてるかよくわからないアイツ」

「リンネのやつ、なにかとんでもないことやらかしたんじゃ」

「あれはもう睨んでるなんてもんじゃねえぞ、前世で殺し合いでもしたんじゃないか?」


 うん、最後の奴かなりいい線いってる。

 姫様に失礼だぞ、と頭を叩かれていたが弁護をしてやる余裕はない。悪いな。


 外野の声に若干意識を奪われつつも、努めて冷静に、状況の把握を試みる。

 先ほど王女から感じた魔力は、かつて激突した時となんら遜色無い。聖剣の無い俺に、周囲の生徒たちを守りながら戦って勝てる可能性はほぼないだろう。


 実際、油断していた。まさか魔王が生きていたとは思ってもいなかった。

 あのアホ女神は確かに魔王は消滅したと言っていたはずだが、消滅してたのは女神自慢の千里眼か、やつの頭の中身だったんじゃないだろうか。


 勇者はもうお役御免だ。しかしやり残したことは責任を持って決着をつけなければならないだろう。



 俺は覚悟を決め、ゆっくりと戦闘態勢に入る。

 対する王女はなんの動きも見せない。ただ、物凄く俺を睨んでいるだけだ。何を考えているのかは分からないが、チャンスかも知れない。


 まずは先手を打って、王女を生徒たちから引き離さなければ。

 俺が攻め手を脳内で複数組み立てながら自己強化魔法を唱えようとした、その時。


 先ほど王女が現れたステージ袖より、金属製の軽鎧を身に纏った騎士と思しき集団が、大量に飛び出してきた。その数、五十人くらいだろうか。


 半数が王女を護るように取り囲み、残りの半数は俺の周りに殺到し、包囲した。各々が剣を抜き、殺気を隠さない。強引に押し退けられた生徒たちの悲鳴と怒号が響き渡る。


 どうやら王女の護衛のようだ。

 俺は軽く舌打ちする。


 俺の様子から、王女に対し害意あり、と判断し、飛び出してきたのだろう。

 全くタイミングの悪いことだ。俺の邪魔をするだけならまだいいが、守らなければならない対象が増えてしまったことは正直厄介だ。


 徐々に包囲を狭めてくる騎士たちを見渡しながら、俺は次の行動に移る隙を探る。


 その時。


「皆の者!」


 その場にいた皆がステージ上の王女のほうを振り返った。

 俺を取り囲んでいた騎士たちまで振り返ったのは、通常なら訓練が足りないと言わざるを得ないが、王女の声には、有無を言わさず顔を向けさせる抗い難い力があった。


 なんだ?言霊か?

 魔力が込められている感じはしないが、精神操作魔法かも知れない。大ホール中の人間を操られて襲われたら、さらに苦しい展開になる。


 俺は戦闘態勢を維持したまま、王女の様子を注意深く観察し、相手の出方を見る。


 先ほどまでの喧騒が嘘のように鎮まり、再び訪れた静寂の中で、王女はゆっくりと口を開いた。



「目にホコリが入ったようじゃ」



 ……再び静寂が訪れた。

 俺の頭の中に。


 ……さて、冷静に考えよう。これは想定外の行動で相手のペースを乱す一種の撹乱作戦に違いない。魔王ともあろう者が姑息なことをするものだ。

 一瞬呆気に取られたのは認めるが、あんな露骨なガンつけがホコリが入ったからなどと信じるやつなど、


「こ、これは一大事!これ、誰ぞ清らかな水を持ってまいれ!姫様、しばしお待ちを!」


 いたようだ。


 中年の、隊長らしき人物の声に押され、バタバタと動きだす護衛の騎士たち。


 俺を囲んでいた騎士たちも、ステージ上の騎士たちに遅れること数瞬、やはりバタバタと散開していった。水を探しに行ったのだろうか。


 ……まぁ確かに護衛の騎士団は普段から王女に近いところにいるだろうから、こっそり洗脳されていてもおかしくはない。

 しかし、ここの優秀な生徒たちにはそんな戯言は、


「姫様、目にホコリが入っちゃったんだって!」

「だから御顔をしかめていらしたのね」

「リンネくん、たまたま目線の先に居ただけなのね。あんなに冷や汗かいて可哀想に」

「そもそもあの姫様が人を睨むなんてするわけないだろ、何勘違いしてんだよアイツ」


 すっごい通用してる。


 いやいやいや。

 あんな大根芝居、信じるか普通?ドラゴンも睨み殺せそうな顔してたぞ?

 なるほどやはり精神操作魔法か?


 そんな魔法の痕跡は見つけられなかったものの、俺は未だかつて無い疲労感に襲われていた。



 しばらくして騎士の1人が銀の容器になみなみと水を入れて王女の前に持ってきた。

 王女は両手で水をすくい、顔のあたりで何やらぱちゃぱちゃとやっている。俺は半眼でそれを凝視していた。

 どうやら茶番は継続中らしい。ひとまずこの場で何かを起こす気は無いということか。

 俺は一旦臨戦態勢を解除し、大きく息を吐いた。


 王女が眼を洗う様子を眺めながら、うっとりとした表情でため息をもらす生徒が何人もいたが、やはり特に精神操作魔法の痕跡はないようだった。


 その後、(俺にとっては驚くべきことに)何事もなかったかのように改めて王女の演説が行われた。

 口調こそ尊大だが、極めて良く通る澄み切った声で語られる、なにやら慈愛に満ちた言葉の数々。感激して涙する生徒たちが続出し、大ホールは異様な熱気に包まれていった。

 王女の正体に気づく前なら、俺も同じように感動していたのかも知れないが、今はただただ警戒心しか無い。


「これで妾の話は終わりじゃ。これからもこの国のため、ますます励んでくれることを期待している」


 大ホールに割れんばかりの拍手が鳴り響いた。


 それに応える形で生徒たちに向けて一頻り手を振った後、王女はステージ脇に控えていた人物を振り返った。


「さて、教師殿」


「は、はい、私でしょうか?なんでございましょう?」


 突然声をかけられた白髪の副学長は、持っていたボードを落としそうになりながら慌てて返事をした。

 ……そういえばさっきからガヤン先生の姿を見ない。学長なんだから横に控えていそうなものだが。


 王女は、一瞬不敵な笑みを浮かべると、こう言った。


「これから学内を見学させてもらうわけじゃが。そこの生徒に案内を頼みたい。構わぬな?」


 ……その瞬間の俺の顔は、きっと大層な間抜け面だったのだろう。王女が、すっと華奢な指で差し示した先、その場の全員が意識を向けた先にいた生徒は、



 そう、俺だった。





 学園内に四つある民間出資の食堂のなかで、最も高級な料理を扱う〈蒼龍の宴〉亭は、見るからに格式が高い上流エリアだ。上流貴族の子女用の場所であり、俺のような騎士爵家の出の生徒などは、今後卒業まで利用する機会はないだろう。

 そんな食堂の中央に、見るからに高価なテーブルに向かい合わせで椅子が二つ。一つには俺が、もう一つには王女パルナ(魔王)が腰をかけている。

 目の前には、ティーカップが置かれていた。


 テーブルを中心に半径十メートルほどの円を描くように、護衛の騎士たちが周囲を取り囲んでいる。

 そのさらに外側には、興味と興奮に支配された表情をした、生徒たちの輪が出来上がっていた。


「おお、お、お口に合いますかどうか」


 普段は生徒であれば上級貴族の子女にでも横柄な態度を取ると聞く店主が、王女の後ろで緊張のあまり口をガタガタ震わせている。

 腕自慢とはいえ、宮仕えの経験はなく、王族に何かを提供するなど生まれて初めてのことなのだろうから、まぁ仕方がない。


 王女は優雅な手つきでティーカップを口元まで運び、そっと口をつける。ただそれだけの動作が、まるで宗教画のように神秘的な雰囲気を醸し出した。生徒の輪からため息が漏れる。警戒心全開だったはずの俺ですら、一瞬意識を奪われた。危ない危ない。

 王女はこくんと一口飲むと、暫し眼を閉じた。

 それからティーカップを胸元の位置でソーサーに置き、店主のほうを振り返り、例の天使の微笑みを向ける。


「とても良い仕事じゃ。感服したぞ」


「な、なんともったいない御言葉」

 感激のあまり店主の目には涙が浮かんでいる。


 俺の前にも同様にティーカップが置かれていたが、とても口にする気にはなれない。あらゆる方向から照射される嫉妬の視線をさらに刺激したくないということもあるが、それ以前に、今の状況を整理することで精一杯だったからだ。


 大ホールでの演説後、俺を案内役に指名した王女(魔王)は、直後に「喉が渇いた」と言って教師陣に食堂まで案内させた。その後、会話が届かない距離まで人払いをし、俺だけを目の前に座らせた。それから店主に茶を持って来させて現在に至る。


 そして王女は、店主を下がらせた。

 声の届く範囲には、これで俺と王女二人きりとなった。


「さて」


 王女は静かに俺の眼を覗き込む。


 薄く笑みを浮かべたその顔は、信じられないほど美しく、そして格別に危険な予感がした。 



「久しぶりじゃな、勇者アデル」



 ……これが俺たち二人の、再会だった。

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