第一章 6 春 『迷惑な鳥』
「どうでした? 良い事いっぱい出来ました?」
玄関先で俺がバイトから帰って来るのを待ち構えていたニコライは、キラキラとした目で見つめてきた。
「いろいろ意識してやってみたよ」
俺は肩に背負った荷物をよっこらせと地面に下ろしながら言った。
「コンビニで余ったお釣りを募金したり、バイトの後輩に缶コーヒーを奢ってあげたり」
それを聞いたニコライは褒めてくれるかと思いきや、その反対。
ガックリと肩を落としたような表情でこう言った。
「ちっさ」
「…………えっ? えっ?」
予想もしなかったニコライの一言に、声が思わず裏返ってしまった。
ニコライは言った。
「そんなんじゃポイントは全然貯まりませんよっ! 測定器を確認してみると、たったの『4ポイント』でしたし! もっとこう……強盗に襲われている民家の家族を助けるとか、火事で燃えてる家から幼い少女を救出するとか、そんな善行じゃないと」
ニコライの言葉にカチンと頭に来た俺は、声を荒げて言った。
「そんな大事件がコロコロ街に転がってるかっ! というかそんなのは全部、警察官とか消防士とかが率先して解決してるんだよ!」
「だからっ! そういう本職のヤツらに負けないよう、街に事件が起こらないか、バイト以外の全ての時間を使って貴方は監視しなくちゃならないんですよ!」
いや、『本職のヤツら』って何だ。警察や消防の事をライバルみたいに言うな。
ニコライはそんなめちゃくちゃな事を口走ると、俺の手を引っ張りながら、さらにとんでもない事を言い出した。
「ほら! 行きますよ! 今から街のパトロールです!」
はぁ!?
「おいっ! いま何時だと思ってんだ! 夜の12時だぞ!? おいやめろ! 離せ……!」
しかし気がつくと、俺はニコライに連れられて夜の街を走り回らされていた。
「悪いヤツを! とにかく悪人を探すんです! そして、本職のヤツらが来る前にそいつをとっちめて手柄にし、善行ポイントを貯めるんです!」
そう叫ぶニコライの目は、バッキバキに血走っていた。
それからも俺たちは街中を走った。
悪行を働く者はいないか、被害に遭っている者はいないか。
俺たちは街を走って走って駆けずり回って、悪いヤツがいないか、探し続けた。
走って走って走り続けたその結果………………。
それでも街は平和だった。
「なんで!? 何でこんなにも街は平和なんですかっ!?」
夜の公園で、ニコライは悔しそうに地面に向かって思い切り石ころを叩きつけた。
正直、見てられない。
周りの通行人も白い目で見てくるし。
これでは天使というより、ただのヤバいヤツだ。
「お、おい。落ち着けよ。別に良いじゃないか。街が平和なのに越したことはないんだし」
「くそ! このままじゃ他の天使に負けてしまう。どこかで強盗事件でも起きないかな!」
「悪魔かお前は」
もう帰りたい…………。
そう、俺が思っている時だった。
「あの〜お兄さんたち。ちょっと良いかな?」
それは横からの突然の声。
見ればそこには紺色の帽子と服を着用し、胸に黒い無線機を付けた、2人の警官が立っていた。
懐中電灯で前を照らしながら2人の警官は目の前まで来ると、こう言った。
「近隣住民から、夜なのに公園で大声を出している不審者がいる、という旨の通報を受けて私達は来たんだけど……」
「何ですって!? それはとんだ迷惑ヤローだ! 許せない! お巡りさん、僕たちにお任せください! 代わりにとっちめてやりますよ! ねぇ、桐嶋さん!」
しかし、そんなニコライの言葉に返事を返す者は誰もおらず。
お巡りさん含めた俺たち3人は、それこそ白い目でニコライを眺めていた。
お巡りさんはニコライ1人に職務質問のターゲットを絞ったのか、彼を囲むようにして周りに立つと言った。
「とりあえず身分証でも出して…………って。何だね、この背中の白い羽は? 何かのコスプレかい?」
2人の警官はニコライの背中をまじまじと見ていた。
どうやらニコライのやつ。興奮し過ぎて、背中の羽を消すのを忘れてしまっていたらしい。
だが真夜中で公園が闇に包まれていたせいか、その羽がコスプレではなく、直接肌から生えている事には気付かれなかった。
ニコライは言った。
「あはは。何言ってんですか。この羽はモノホンの羽ですよ。良ければ、触ってみますか?」
「…………」
そのニコライの言葉に2人の警官はお互いの顔を見合わせたかと思うと、やがて何かを決めたようにこくりと頷き合った。
そしてニコライの方に顔を向けると、こう言った。
「とりあえず、署の方まで一緒に来てもらおうか」
そしてニコライの両肩を2人の警官がそれぞれ抱き抱え、近くのパトカーへと押し込もうとする。
「えっ? えっ? 何これ、えっ?」
ニコライはしばらくの間、動揺の表情を浮かべ、バタバタと抵抗するように足を動かしていたが、
「はい、暴れないでね」
と警官に怒られたので、やがて静かになった。
そして今度はうるうるとした瞳で、懇願するように、公園で佇む俺を見つめてきたが、どうする事も出来ないので、俺はブンブンと首を横に首振った。
多分、そう簡単に警察はニコライを釈放してはくれないだろう。
何故なら、パトカーが発進するその直前、車内で繰り広げられていたニコライと警官のこんな会話を、俺は偶然耳にしていたからだった。
「とりあえず身分を証明出来る物、見せて貰えるかい?」
「身分証は、ちょっと持ってないですね」
「じゃあ口頭でいいから。まずは名前を教えてもらおうかな」
「ニコライです」
「珍しい名前だね。もしかして外人さん?」
「まぁ、そうと言えるし。違うとも言えますね」「…………? い、一応聞いておくけど、何か違法な薬物とかはやってないだろうね?」
「やってるわけないじゃないですか。僕が違法薬物に手を染める犯罪者に見えますか?」
「若干見えるから話を聞いてるんだけどな。……まぁいいや。じゃあ、お兄さん。今の年齢はいくつ?」
「187歳です」
「出身は?」
「天界です」
「職業は?」
「エンジェルです」
「よし、クルマだして。コイツ絶対クスリやってるわ。間違い無いわ。警官としての勘が言ってるわ」
やがてニコライを乗せたパトカーは警察署に向かって走り去っていき、夜の公園にポツンと1人、俺は取り残されたのだった。