第一章 4 春 『現実 × 非現実』
「で? 何なんだよ。どうせ新手の商品紹介とかなんじゃないの? 実はあんた、セールスマンとかなんでしょ?」
俺は疑いの視線を目の前の青年に向けながら、苦笑いして言った。
「言っておきますがね、そう言うのは絶対に買いませんよ? タダでさえ今月は金欠なんだ。宣伝するだけ無駄だよ。さぁ、大人しく帰った帰った!」
「いえ、僕はセールスマンではありませんよ。天使です。天界から遥々地上にやってきた、天使なのです」
「はは、最近のセールスは凄いなぁ。設定にまでちゃんとこだわって芝居をするんだ」
俺は、もはや怒りを通り越して感心すらしていた。
「いやあ、必死なのは分かりますが、そんな戦法で来られても俺は絶対に買わないよ。……大体、天使って。ホント貴方の会社、大丈夫ですか?」
そう言って俺は笑いながら、セールスマンなら胸に身につけてるであろう会社の名前が記されたバッジを探そうとして…………その場で固まってしまった。
彼の肩からスーツを突き抜けるようにして、大きな白い羽が生えている。
まるで神話に出てくる天使のような…………。
な、なんだこれ!? そ、そういうコスプレなのか!? だとしたらどこかにそれらしき痕跡が……!
しばらくの間、俺は彼の背中を触ったり、持ち上げたりしてみたが、結局ニセモノらしき痕跡を探し出すことは出来なかった。
その大きな白い2つの羽は確かに背中から生えていて、まるで体の一部のようにゆらゆらと横に揺れたり縦に揺れたりと自由自在な動きを展開していた。
市販のコスプレというレベルのものじゃない。
なんだよ……コレ。
俺は、幻でも見ているのか……!?
「幻ではないですよ」
目の前の青年は、まるで俺の心を透かして読んだかのようにそう言うと、全身から強い光を放った。
そのあまりの眩しさに、思わず目を閉じた俺が慌てて目蓋を開けると、そこにいたのは背中の羽を大きく横に広げ、頭の上に大きな輪っかを浮かばせた、神々しいビジュアルの青年だった。
もし天使というものが存在するのなら、きっと目の前の相手のことを言うのだろう。
「うわぁぁ!」
驚きのあまり腰を抜かしている俺を見て、天使は白い歯を見せながらけたけたと楽しそうに笑っていた。
「何度も言ったじゃないですか。僕は天界からやってきた天使だって」
そ、そうだ! きっと俺は酔ってるんだ! だからこんな幻が見えて……!
「貴方はシラフですよ。何度も言うように、幻ではありません」
じゃ、じゃあ! テレビのドッキリだ! きっと何処かにカメラが設置されていて……!
「ドッキリなんかじゃありませんよ。芸能人でもない貴方に仕掛けて一体、何の得がテレビサイドにあるというのですか」
だ、だったら何かの手品…………!
「種も仕掛けもありませんよ。何度も言うように、私は天使です」
…………さっきからコイツ、俺の心を読んでやがるのか!?
何も言ってないのに、やけに食い気味のツッコミを……!
「じゃ、じゃあ。貴方は本当に天界からやってきた、ホンモノの天使で……?」
「だから何度もそう言ってるじゃないですか」
「で、でも。こんな俺にその天使様が一体何の用で……?」
俺は恐る恐る尋ねた。
段々と自分でも不思議なくらいに状況が飲み込めてきて、心も少しずつ落ち着きを取り戻してきた。
幼い頃に読んだ絵本に登場した天使のキャラクターと、目の前の相手があまりにもそっくりだったのも1つの原因だと思う。
「ようやく本題に入れますね。ならば改めて、初めまして。桐嶋敬さん。僕の名はニコライ。正真正銘、ホンモノの天使ですよ。…………さて、貴方にとある最高にハッピーなお知らせを聞いて頂く為に、僕は遥々天界からここに馳せ参じたというワケです」
「は、はぁ。ハッピーなお知らせ……」
ニコライは話を続けた。
「貴方は100年に一度、行われる天界の大イベント『No.1天使グランプリ』における、私の栄えあるパートナーに選ばれたというわけなのです! いやぁ、本当におめでとう! 貴方ほどのラッキーボーイはこの日本において、他にはいませんよ!」
「…………い、いや! ちょっと待って」
どんどん彼の話から置いてけぼりされていく気がしたので、俺は慌てて話を遮った。
話に全くついていけない。
No.1天使グランプリ? 栄えあるパートナー? ラッキーボーイ?
そんな首を傾げっぱなしの俺を見て、天使は心を読んだのだろう。
「えぇっ!? まさか貴方、あの『No.1天使グランプリ』をご存じでない!?」
ワザとらしく叫び始めた。
なんだろう。俺、この天使を無性に殴りたい。
天使は説明を始めた。
「これは天界の常識なのですが、天使にはそれぞれランクが付いていて、天使としての能力の高さを表しています。ちなみに一番上のランクはSSSランクで、一番下はDランク。ちなみに私はCランクです」
つまり、コイツは下から2番目なのか。
「…………ですがっ! 100年に1度、天使にはランクアップのチャンス。つまり、出世の機会を与えられるのです。それがこの『No.1天使グランプリ』。この大会で優勝できた暁には、天使界のトップ。つまりSSSランクの称号が与えられるのです! これって凄くないですか!? 雑魚のCランクと馬鹿にされ続けた僕でも、この大会の結果次第ではトップになれるんですよっ!?」
か、顔が近い! 興奮し過ぎだ!
「ちょっ! 落ち着いて! ……というか、その大会って何? どうやって優勝を決めるんだ? さっき、俺の事を『パートナー』って言ってたけど。人間を使ってやるものなのか?」
するとニコライは背中の羽をバタバタとさせながら笑い、こう言った。
「No.1天使グランプリのルールは至って簡単! より偉大な人間を育てることの出来た天使が勝ち、です!」
よ、より偉大な人間を育てる⁇
ホントに意味が分からない。もっと分かりやすく説明して欲しい。
やがて、そんな俺の心の中を再び読んだのか、ニコライは言った。
「そうですね……。たとえば、『フレディ・マーキュリー』という人物をご存知ですか?』
えっ? フレディ・マーキュリーだって?
「…………そりゃあ、知ってるよ。伝説のロックバンド、クイーンのボーカルだろ? CMで曲とか聞いたことあるし」
「そうです。そのフレディ・マーキュリーです。前大会の優勝者。つまり、今の天使界においての頂点であるSSSランクに君臨する天使は、フレディ・マーキュリーを育てたから優勝したんですよ?」
「…………は?」
「他にも『上杉謙信』や『ウォルトディズニー』、『ガンジー』や『ナイチンゲール』といった歴史に名を残すような偉人達は、みんな天使に育てられ、育てた天使達はSSSランクへ出世していったんですよ?」
「………………」
俺は絶句してしまった。
あまりにも突拍子のない話。
俺が教科書や伝記、映画にテレビで見てきたような人物はみんな、その『No.1天使グランプリ』によって生まれただって!?
しかし、最後にニコライは付け加えるようにこう言った。
「…………誤解がないように言っておきますけど。天使に人を大きく変える力はありませんよ。天使という存在は、例えるなら貧乏神みたいなものです。勝手に家に居座って、取り憑いた人間の相手をじっと見守り、少しだけ助言を与える。ただそれだけ。
彼らが成功出来たのは、天使の意思とか奇跡のパワーとかそんなのじゃなくて、タダの実力です。そこはお間違えのないように。この大会で天使に求められるのは、歴史に名を残す偉大な存在になりそうな人間を選ぶ、観察眼なのです」
つまりアレか? この天使は俺を偉大な人間にするためにここへやってきたってこと?
…………という事は俺にも『上杉謙信』とか『ウォルトディズニー』とかに通ずる偉大な人間になれるような素質が……っ!?
「あっ。そうそう。僕が貴方をパートナーに選んだ理由はホントにテキトーなので、勘違いしないで下さいね? 僕、正直そんな天才を見抜く観察眼なんて持っていませんし。運に任せてみました」
……こいつッ!
いや、もう怒ってても話が進まないし、ここは黙っておこう。
「というわけで、貴方はこの『No.1天使グランプリ』の人間枠に選ばれたわけなのですが、よろしいですか? 他の人間を探すのめんどくさいんで行使して欲しくはないですが、一応拒否権はありますよ」
ニコライのその言葉に、俺は腕を組んで考えた。
やっぱり現実で起きてる事とは思えない。
天使がいきなり家にやってきて、栄えあるパートナーに選ばれたと言っている。
というか天使という存在が、こんなボロアパートの畳の上に座っている時点でもう訳が分からないのだ。
だったらいっそのこと、全てを割り切って話に乗ってやるのも悪くはない。
相手は天使なのだ。
しかも俺を偉大な人間にしてくれるという。
それなら別に話に乗ってみても悪くはないではないか。
そう考えた俺は、目の前の天使に眼差しを向けると、こう言ってやった。
「あぁ、宜しく頼むよ」
その言葉を聞いた瞬間、待ってましたとばかりにニコライは満面の笑みを浮かべると、
「契約成立、ですね」
と言いながら手を差し出してきた。
なので俺はその手を掴んだのだが、その時。
その手が突然、眩しい光を放ちだし、俺は驚いて思わず手を引っ込めた。
するとニコライは言った。
「フフフ、頭の上をご覧になって下さい」
「……へ? 頭の上?」
違和感のある言葉に眉を潜めながら頭の上を見上げて、俺は自分の目を疑った。
白色に光る大きな輪っかが浮かんでいる。
まるで目の前のニコライと同じような、神々しいLED電球のような光を放つ、天使の輪っかだ。
驚く俺を眺めながら、ニコライは言った。
「それが『No.1天使グランプリ』参加者の証です。あっ、ご安心下さい。僕の羽と同じように、普段は他の人間に見えなくしておきますから」
そしてニコライは俺の肩に手をポンッと馴れ馴れしく置いて言った。
「さぁ、今日から僕と貴方はパートナーの間柄となったワケです。景気良くいきましょう!」
「あ、あぁ……」
不安がないわけではなかったが、俺はとりあえずコクリとうなずいてみた。
うなずくことしかできなかった。