第一章 8 春 『迷惑な決意』
トイレが流れていく排水音を聞きながら部屋に戻ったら、ニコライはニュースを見ているところだった。
…………? どこか様子がおかしい。
さっきの酒の席の時の様子とは違い、表情は真剣そのもの。画面を一心に、食い入るように見つめ、俺が戻った事にも気づかない様子だ。
「ど、どうしたんだ?」
手を洗った際に濡れた手をタオルで拭きながら声をかけたが、返事がない。
「後で薬局に行って2日酔いの薬買ってくるけど、お前の分も欲しいよな?」
もう1度、今度は別の話題で声をかけてみたが、ニコライは「………………」と黙りこくったままだった。
「ど、どうしたんだよ? ニコライ?」
急に心配になって、俺はニコライの肩を大袈裟にユサユサと揺らしてみた。
するとニコライは俺の姿に気づき、
「こ、このニュース、見て下さいよ」
ニコライの声が震えた。俺を見上げたその顔も、なぜかブルブルと震えている。
よほど、何か恐ろしい事を知らせるニュースだったのだろうか?
そこで俺も腰を下ろして、画面に見入った。
多くの警察とマスコミが詰めかけた交差点にある銀行の外かべの映像が映し出されている。
交差点の銀行ビルを警官がぐるりと取り囲み、侵入禁止の黄色いテープの外側で、マスコミや野次馬たちが叫び声をあげていた。
ビルの壁にそって、カメラがぐるりと回った。「犯人は依然、人質1名をとって街を逃走中!」というアナウンサーの切羽詰まった声が流れる。
それに付け加えるように、「犯人は銀行強盗失敗し、逃走した若い男」だということ、「犯人はピストルを所持しており、大変危険」だということを、レポーターが画面に向かって、しきりにまくし立てていた。
「な、なぁ。ニコライ。このニュースがどうしたんだよ」
「……犯人は人質を取って、現在も逃走中です」「お、おう。そんなのニュース見れば分かるよ。なんでお前がそんなに震えているんだ? 確かに物騒な事件だが、しっかり戸締りをして部屋に引き篭もってれば、まずは安全だろう。そんなに怖がる事じゃない」
「……桐島さん。別に僕は怖がってるワケじゃないです。むしろ、その逆。喜んでいるんですよっ!」
「よ、喜ぶ? なんで?」
俺は、不安になってニコライに質問した。とても、嫌な予感がした。
ニコライは言った。
「……桐島さん。前に僕が言った、『No.1天使グランプリ』優勝の条件、覚えていらっしゃいますか?」
「えっ。いや、まぁ、覚えてるけど。確か、善行ポイントを多く集めた組が優勝………………」
そう、セリフを最後まで言いかけて。
俺は言葉を失った。
善行ポイント…………。文字通り、善い事をすれば貯まるポイント。
ニコライは、そのポイントを喉から手が出るほど欲しがっていた。それこそ、警察や消防をライバル呼ばわりして、世の中に起こった事件や事故を先に解決してしまおうと言い出すくらいに………………。
「ま、まさか!?」
「フ、フフッ! そのまさかですよっ!」
ニコライがニヤリと笑みを浮かべながら、その場から立ち上がって言った。
「僕たちで捕まえてやるんです! この逃走中の犯人を! 警察よりも先にっ!」
「………………」
ニコライの言葉になんと返したらいいか分からず、俺は長いこと黙ったまま、ニコライの顔を食い入るように見つめた。