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キミノセカイ ~ツテがなくても、異世界に行ける方法って

作者: 三千


キミノセカイ

~ツテがなくても、異世界に行ける方法って


「って、ない?」


同じクラス、隣の席、同じく帰宅部の筈見はずみ 沙里さりが聞いてきた。


私は鼻と口の間に挟んでいたシャーペンを落っことしそうになったが、上唇に力を入れてタコチュウを崩さないようにした結果、この教室の静けさの中、カランと音を響かせることもなく切り抜けた。


それなのに、だ。沙里が重ねて訊いてくる。


「ねえねえ、聞いてんの? 沙保里さおりってばあ」


スルーすべきことは重々、承知している。


火曜日の二時限目、国語の授業が、先生の出張やら何やらで自習になっているのにもかかわらずの、この静寂。皆、『死んだ魚の目』を顔の中心にすえて何とも辛気臭い表情で、ノートやら問題集やら教科書やらを出しては、何かをカリカリとやっている。


いやいや何かって、そりゃあ勉強でしょって、そんな雰囲気なのに、こいつったら空気よめねー。


「聞いてるけど、聞いてない。っつか、なして異世界?」


「聞いてんじゃん」


「うん、聞いてる」


沙里は、んー、と言いながら、腕を伸ばして後ろへと身体を仰け反らせていった。沙里の後ろの女子がさも迷惑そうに、その腕をボクサーのごとく、よけたのを認めて小さく吹く。沙里の後ろは、赤いフレームの眼鏡をした、前髪パッツンのおとなしい子だ。


「行きたいの? 行って何すんの? 何やりたいの、どうしたいの?」


伸びから戻ってきた沙里に、私は畳み掛けるように問うた。


「んー、冒険、とか」


私は呆れた口調を全開にして言った。


「したじゃん、この前」


沙里は、腕を伸ばしたままの格好で、ん? という顔をした。けれど直ぐに思い当たったのか、今度はクラス中に行き渡るくらいの、得心した声を出した。


「あ~~~、あれねえ。そうそう、初めて買ったわ。赤いブラジャあ」


クラスのあちこちで、ガタガタッと音がする。大丈夫大丈夫、落ち着いて。ここ全員、女子だから。学校の、隅から隅まで女子だから。けれど、もうそろそろ苦情が来そう。


「って、違ええ。そっちの冒険じゃなくって、あっちの冒険。勇者あ、とか魔王お、とか」


「筈見さんたち、静かにしてよ」


ほら、来たよ。


「あっ、ごめ~ん」


心の中で、ごめ~んじゃねえ、などと独りごちて私は前を向いた。みんなさあ、勉強してんだよ。勉強の邪魔しちゃいかんよ。


意味なく開いていた教科書を、私は両手で持って立て直した。そして、言った。


「あるよ」


沙里がこちらをチラッと見たのを視界の隅に認めながら、私は更に背筋を伸ばして、さも勉強していますというに体裁を整えると、再度言った。


「ツテがなくても異世界に行ける方法、あるよ」


教室のあちこちで、ガタガタッと音が鳴り響くのを聞いて、私はふっと吹き出した。そして、間髪を入れず、隣も笑った。


✳︎✳︎✳︎


「で、どうやんの?」


沙里がシンプルに聞いてくる。学校帰りの道。二人並んで帰る、いつもの光景。

私が笑うと、沙里は少し怒ったような顔で横から言葉を投げて寄越す。


「うあ、もしかしてジョーダンか? 私ってばヤラレタ?」


その言葉に含まれる尖ったニュアンスに、私は少しだけ焦って、言葉を繋いだ。


「いやいや、そんなんじゃないよ。異世界で冒険でっしょ」


「マジできんの?」


「できるよ」


「どうやんのよ? ねえ、本当にできんの? ねえ、ねえ」


その言い方に、次には揶揄の色が含まれてきていることが分かって、少しだけイラっとする。そうなるともう、私の反撃はいつも決まった方法で、だ。勉強の苦手な沙里にわざと、難しく言う。


「To see a world in a grain of sand,And a heaven in a wild flower・・・」


「ちょちょちょちょ、待て待て。何、それ?」


「何って、英語の授業でやったじゃん。ウィリアム ブレイクの詩」


「ムリムリそんなの覚えてね~。ってか、覚えてるあんたがスゲくない?」


私はちょっと面倒くさくなって、けれど構わず、諳んじた。


「一粒の砂に一つの世界を見て、一輪の野の花に一つの天国を見る。手のひらに無限を乗せ、ひとときのうちに永遠を感じる、だよ」


「は? どういう意味?」


沙里の、ぽかんの顔。その顔にも少なからずの意味があるんかねえ。


「どういう意味って、日本語だっつーの」


「何言ったか、分かんねぇもん」


私は笑いながら続けた。


「だからあ、よーくよーく、物事を注意深く見るの。そうすると、一粒の砂の中に世界が見えてくんの。野の花の中に天国が見えてくんの。あんた次第で、永遠を感じることができるってこと」


「え、何、その深イイっぽいの。篠田しのだのやつ、そんなこと言ってたっけえ?」


「いや、これは私個人の解釈だけども」


沙里は更にぽかんの顔を晒すと、それは置いておいて、いきなり満面の笑顔を寄越してきた。


「沙保里い、あんた、マジ凄ええぇぇ。外国人か。天才だわ。乙女だわ。天才だわ~」


天才→乙女→天才、って‼︎ そう心の中で呆れながらも、私は人差し指で鼻の頭を掻いた。


「ででで? そんでまあ、それは分かったとして。で?」


私は前を向いて、姿勢を正した。


「じゃあ、今からやってみます‼︎」


「おうっ‼︎」


そして、私と沙里は並んで歩き出した。


✳︎✳︎✳︎


「ストォップ!!」


私が声を上げると、沙里が一歩前に出した足を引っ込めて戻り、私の肩に肩を当てて立ち止まった。


「…………」


さっきから神妙な顔をして、横を一緒に歩いていた沙里が少しだけこちらを見てから、また顔を戻す。


そこは、私がいつも学校から帰る道の途中、住宅街の一角にあるぽかりと空いた空き地。駅方面に住んでいる沙里と別れてから、一人ブラブラと呑気に歩く道沿いにある。


いつの頃に立てられたか分からない『売地』の看板が、日に日にその新鮮さを失っていっている。その看板と並べて立てられている『良い子はここで遊ばない』の文字。


「何、ここから異世界に行くの?」


「そーそー」


私は訝しむ沙里を置いて、鎖を跨いで空き地へと足を踏み入れた。足元でじゃりじゃりと音を言わせながら、空き地の真ん中辺りまで進むと、そこに広がる緑の絨毯の上へと座り込んだ。少し遅れて、じゃりじゃりと沙里がついてくる。


「ここ座って」


「沙保里、ここすごいね」


沙里が感心したように辺りを見回す。


「でしょ。あんたはここからクローバーの四つ葉を探して」


「え、この中から?」


「そうそう」


私はシロツメクサの花の茎を、プチっと言わせて千切った。何本かを千切りつつ、沙里を見る。茶色に染めた肩まであるストレートの髪が、四つ葉を探して手を伸ばす度にその肩の上で、さらさらと揺れる。


私たち名前が同じだあ、そう言って大笑いしていた高校入りたての頃の沙里を思い出す。黒髪でちっとも笑わない私を、いつも笑わせてくれるおバカな女子。


名前だって、私には「保」という漢字が入っていて、一緒って訳じゃない。そう抗議すると、「どうして沙保里って、さおりなの?」と言って、意味不明。


よくよく聞いてみると、「保」を「お」と読むのが不思議だったようだ。そのことが解明された時、私たちはもう友達になっていた。


シロツメクサの花を、器用に編んでいく。花を横一列に並べると、一辺倒で面白くないデザインになる。前後にずらして配置していくと、妖精が被っている花冠のようになるんだ。


そんな私の説明を聞きながら四つ葉を探す沙里が、時々こちらをチラッと見遣っては、次には緑の絨毯に視線を這わせている。


そして、花冠の二つ目が出来た頃、ようやく一枚の四つ葉のクローバーを探し当てた。


「あったあ‼︎ これでしょ、これ」


「そうそう、よくやった!」


私が笑うと、沙里が満足げに笑った。


✳︎✳︎✳︎


「何か恥ずくない?」


お互いに花冠を被ったまま、路地を歩く。


「いや、そんなことないって。可愛いよ」


沙里の花冠から、ピコっとクローバーの頭が出ている。歩く度にゆらゆらと揺れる緑の四つ葉が白の花冠のワンポイントのようになっていて、私はこの四つ葉が本当に沙里に幸せを呼んでくれるのではないか、そう思わずにはいられなかった。


沙里に幸運が訪れますように。良い人だけが、寄ってきますように。


「沙保里~、聞いてよ。加藤かとうがさあ、」


男運のとことん悪い沙里が、机に突っ伏して嘆いている。私はもう何度目か分からない、呆れた溜息を吐いた。あんたは男を見る目が無いって、いつも言っているでしょ。軽くてバカで女で遊ぶチャラい男しか、目に入らないし、寄せてこないんだから。


何度も後悔するのに、また同じ種類の男を選ぶ。


私は沙里と肩を並べて、路地を曲がって人通りのある少し大きな通りに出た。すれ違う人が私たちを見て、笑顔でと言いたいところだが、失笑で通り過ぎる。


「恥ずいわ」


「異世界、行きたいんでしょ」


「…………」


私は少しだけ俯いた沙里を確認して満足すると、そのまま歩き続けた。


✳︎✳︎✳︎


この町内で唯一と言っても過言ではない比較的大きな交差点を渡り、少し進んだところから道を曲がって入っていくと、このご時世の少子化にもかかわらずマンモス校と呼ばれる大きな小学校に行き着く。


その小学校のグランドを横目に流れる小さな川の川沿いを歩いていくと、その店はひっそりとそこに存在した。


レトロというより、古くてボロボロと形容していい建て構え。横滑りのガラス戸をカラカラと開けると、もう懐かしい雰囲気にまみれてしまう。


「わあっ!」


隣で沙里の感嘆の声を聞いた。それだけで、私たち二人、異世界にいるような気がした。


「駄菓子がめっちゃある‼︎」


興奮する沙里を玄関に置いて、私は奥へと進んでいくと、中から出てきた恰幅の良い中年のおばさんに声を掛けた。


「こんにちは」


「いらっしゃい、今日はお友達と一緒なの?」


「はい」


沙里が横でぴょこんと頭を下げる。シロツメクサの花冠が落ちそうになって、慌てて手で押さえた。私はそんな沙里に小さなカゴを渡し、迷路のような店内をゆっくりと見て回った。目当ての駄菓子二個と目新しい駄菓子を一個、カゴへと放り込むと、おばさんに渡してお金を払う。


「四十二円ね、いつもありがとね」


くるりと振り返って沙里を見ると、駄菓子を選んでいるだろうと思っていたのに、予想に反してその場に立ち竦んでいる。キョトンとした顔をこちらに寄越していた。


「決まった?」


「あ、うん、じゃあこれ」


沙里が渡したカゴの中を覗き込んで、「渋いの買ったねえ」と言いながら顔を上げると、沙里の戸惑ったような顔に出くわした。


お金を払って店を出ると、私は今買ったチョコレートの包みを開けて、口の中へと放り込んでから話し掛けた。


「何、どした?」


沙里も同じようにして、アメを口に入れる。


「んー、だってさあ、こんな安い買い物でも許されるんだって思って」


「そりゃあ、良いに決まってるよ。売ってる物を買ってるだけだし」


私は口の中で次第に溶けていく甘い甘い至福を感じながら、少し日にちが遡る、教室での出来事を思い出していた。


益田ますださんさあ、あんな筈見さんとよく一緒に居られるね」


沙里がノート当番で居ないのを見計らって、私は三人に机を囲まれていた。


(あんな、って)


私は半ば呆れながら、訊いた。


「どういう意味?」


「何かさあ、性格だって正反対なのに、相性合うのかなって。益田さんが無理して合わせてるの、皆んな知ってるんだ。こっちに入ってもいいよ」


「別に無理して合わせてるわけじゃないけど」


クラスの皆んなは知らないだけ。沙里が結構、ちゃんとしてるってこと。外見がああだから、バカでチャラい男子しか寄ってこないだけで、一日中働き詰めの母親の代わりに晩ご飯作ってるし、この前買った赤いブラジャーだって、ちゃんとワゴンの中から選んでる。しかもその中の最安値で。


お嬢さま学校と呼ばれるこの女子校にも、本当のお嬢さまなんて、そうそう居ないってわけ。


「そうなんだ、じゃあもう誘わないけど……」


引き込むことを諦めて、けれどそれでも何かを言いたげに、お互いの顔を見合っている。誰が言い出すのか、待っているようだ。


「何?」


私は少しイラついて訊いた。


「今度の修学旅行なんだけど、私たち振り回されるの嫌だから、益田さんが筈見さん何とかしてよ」


そこでようやく、ああ、同じグループだったわと思い至る。


「いいよ、グループ分かれても。最後にどっかで落ち合えば良いんでしょ」


「うん、じゃあ、お願い」


申し訳なさそうになのか、後ろめたそうになのか、やっと離れていった。私は心で、バカじゃないのと貶しながら、読んでいた本の続きに目を落とした。


本当は涙が出るのかと思った。けれど、字を一生懸命目で追っていたら、それはいつの間にか引っ込んでいった。


「駄菓子って、安くて助かるなあ」


その声で現実へと引き戻される。隣を見ると、片側のほっぺに丸みを作って、沙里がにかっと笑っていた。


あまりお小遣いを貰えない沙里のその言葉。私はあの時の涙を思い出して、少しだけ泣きそうになってから、再度口の中に残るチョコの甘さに神経を集中させて気を逸らした。


「でしょ」


そのやり取りだけで、私は満足だった。多分、沙里も満足してると思う。


✳︎✳︎✳︎


「ねえ、今度はここ?」


「うんっ‼︎ そうっ‼︎ ひゃっほう‼︎」


私が全身に風を受けながら楽しそうに行ったり来たりするのを、沙里は最初、見るだけだったけれど、あんまり私がはしゃぐもんだから、つられて沙里も寄ってきた。


私が空へと近づくと、ギギっと苦しげな音がする。私が空から遠ざかると、やっぱりギギっと音がした。足を器用に操って、小さな公園のブランコを、目一杯に漕ぐ。沙里が横で、ようやくブランコを漕ぎ出したのを見て、私は笑った。


「きっもちいー‼︎」


私は立って、沙里は座って、そしてお互いにクロスしながら、行ったり来たりを繰り返す。楽しくなってきたのか、沙里がブランコを漕ぎながら、笑い出した。


そんな様子を感じながら、私も笑いながら空を見る。


青く広いキャンバスの中、白い雲は左から右へと流れていって、同時にその雲を動かす風という存在の偉大さを思い知る。


頭を大きく上へと向けて、ブランコをぶわっと漕ぐと、頭からシロツメクサの花冠が落ちていった。


「あっ‼︎」


沙里と私の声が同時に飛び出した。慌ててブランコの速度を落とし、お互いを見る。


私は飛び降りて花冠を拾い、頭に乗せると、沙里はまだその場に突っ立って下を見ていた。


「どした?」


沙里の視線を手繰っていくと、そこには黄色の丸い玉。地面の上で陽に照らされて、ピカピカと光っている。


「口、から、アメ、出た」


私はそこにアメが転がっていることと、その沙里の片言の言い方がツボにはまって、ぶはっと吹き出した。


「ははははっ、あははは」


お腹を抱えて笑っていたら、沙里も同じように大笑いを始めた。二人で笑った。大笑いした。


✳︎✳︎✳︎


ブランコに揺られながら少しの間そうしていると、小さな女の子が公園へと駆け込んできた。


「あっ‼︎」


こちらの存在に気がついたようで、手を振りながら駆けてくる。


「おねえちゃん、こんにちはっ‼︎」


いつ見ても仔犬のようだと、今日も思う。


「知ってる子?」


隣の沙里に聞かれて、頷く。


「ここでよく会うの」


女の子が近付いてくる。訊いたことはないけれど、歳は多分小一か、小二くらい。


「おねえちゃんのお友達?こんにちは」


沙里がブランコから立ち上がって、スカートを両手で押さえつけて直す。


「こんにちは」


「ブランコしてたの?」


「うん、楽しかった」


沙里が屈託なく笑う。


「チサもやるっ‼︎」


その言葉に私は立ち上がって、言った。


「また押してあげよっか」


「うんっ」


私がチサちゃんと交代し、鎖を後ろへと引っ張ってから離す。少し屈んで、小さな背中を優しく押した。そんな私の様子を、沙里が見ている。


「おねえちゃんたち、花冠可愛いね~。お姫様みた~い」


ゆっくりのスピードで行ったり来たりしながら、チサちゃんは大声で叫んだ。私と沙里は顔を見合わせて、笑い合った。


「今ねえ、異世界ごっこしてんの。私たちはお姫様じゃなくて、勇者なんだよ」


背中を優しく押しながら、私は言った。すると、沙里が「え、そんなのやだあ」と言って、不服そうな顔をするので、私は同じような顔を作ってから、言い返した。


「じゃあ、あんたは何がいいわけ?」


「んんん、神秘の森の妖精」


あんまり真面目な顔で言うもんだから、私はチサちゃんの背中を押すのを、二度もからぶってしまった。


「何それ。厨二か」


私がぶはっと笑うと、チサちゃんが足で地面を滑らせてブランコを止め、振り返って言った。


「じゃあ、チサがお姫様がいい!」


その言葉で私は自分の頭から花冠を取ると、チサちゃんの頭に乗せた。チサちゃんの頭は小さく、おでこの部分で辛うじて留まっている。けれど、可愛らしいお姫様に間違いはなかった。


「かっわいい~‼︎ めっちゃ似合うよ‼︎ リトルプリンセスだあ」


沙里が得意な褒め上手の技を、存分に発揮している。チサちゃんはまんざらでもないようで、ニコニコと嬉しそうだった。そして、満足するまでブランコを堪能すると、公園の入り口へと駆けていった。


「あんた、ほんと褒めんの上手だね。沙里の特技だよ。あんたに褒められるとねえ、皆んな、ああいう顔になるの。ほんとすごいよ。魔法だよ」


沙里がぽかんとした顔を、突然くしゃりと歪ませると、ありがとねと小さく言った。


✳︎✳︎✳︎


それから少しだけ夕暮れの予感がしてきた時間、公園の入り口が再度賑やかになった。


チサちゃんがもう一度やってきて、今度は誰かの腕を引っ張っている。Tシャツにジーンズのその男の子は、チサちゃんに引っ張られながら、私たちが座っているブランコの方へとやってきた。


「あの、チサに花冠をありがとう」


気恥ずかしそうに頭を掻きながら、礼を言う。チサちゃんの歳の離れたお兄さんだ。


「チサ、もう一回ブランコしたい」


子供の突然の侵入を防ぐ柵を、ぐるりと回り込んで入ってくる。


「いいよ、どくね」


私と沙里は、公園の隅にある藤棚の下のベンチへと移動した。

そのベンチから、ブランコに乗るチサちゃんと背中を押すお兄さんの姿を見る。


「兄妹だよ」


私がそう言うと、「えぇっ」と沙里が驚きの声を上げる。


「歳、離れ過ぎじゃね? お父さんかと思ったわ」


「お兄さん、高校生だよ。うちらと同じ学年」


「うっそ見えん。老け顔だな」


手で口の前を押さえながら、小さな声で呟く。


「失礼だな」


私はブランコで遊んでいる兄妹をまじまじと見た。沙里もそんな私の様子を見て、同じように兄妹を見る。


「よく、見るんだよ」


私が言った。少しの沈黙。


「ブレイクの詩、思い出して」


「う、うん」


沙里が必死で思い出そうとしているのを、心で笑いながら、私は続けて言った。


「注意深く、注意深く見るの」


高校生のお兄ちゃんはチサちゃんの背中をずっと押し続ける。チサちゃんは楽しそうな、嬉しそうな顔をしている。


「笑顔、ヒマワリみたい」


チサちゃんは、お兄ちゃんもっと高く、もっと高くうと笑いながら叫んでいる。


「あれってさ、背中を押すの、結構キツいんだよ。そのうち、腕が痛くなんの」


「そうなんだ、お兄ちゃんは妹思いのガンバリヤだねえ」


「そうそう、よく気がついた」


私が言うと、沙里が両腕を自分の膝に立てて、頬づえをついた。


「これがあんたの世界」


「うん、そう」


私が応えると、ありがとう、そう小さく言って、沙里は微笑んだ。私はそんな沙里の横顔を見て、心が満たされていく。


「あのお兄ちゃん、N高の男子と全然違えな」


いつも沙里をナンパしてくる、派手な男子高の名前を口にする。


「あの人、N高だよ」


「えっ、マジか」


その後に来るだろう沙里の絶句を思うと、私は心の底からおかしくて、けれど直ぐそこに当の本人もいるしと考え直して、笑いを最小限に抑えた。


「赤いブラ、可愛いけど、それ目当ての男の子はもうやめなよ」


「うん、そうする。これからはさあ、よく見るようにする」


「注意深く、ね。そうするとさ、今までくだらんなって思ってた世界が変わるんだ。自分の見る目を、自分で変えるんだよ。それが異世界への行き方」


「はは、マジ異世界だったわ。沙保里、連れてきてくれて、ありがと」


「ドウイタシマシテ」


「それにしても、あんたはよく見てるわ。あのお兄ちゃんは、なるほど見かけによらず、中身はイケメンだわ」


私はその沙里の言葉に笑ってから言った。


「妹思いってだけじゃないよ、他にもねえ、」


お兄さんがこっちへ向かって歩いてくるのが見えて、口を噤む。


「あの、これ。いつも、妹が貰ってばかりで悪いから」


チロルチョコがたくさん入った袋を差し出してくる。


「友達と分けて」


チサちゃんが公園の入り口で手を振りながら、お兄ちゃーんと叫んでいる。私はありがとう、と言ってから、チサちゃんに向かって手を振った。お兄さんは小走りでチサちゃんの元へと走っていった。


そして手を。


手を繋いで帰っていった。


恥ずかしい、そんな素振りも躊躇も見せずに。それが当たり前だからというように。


「ナルホド」


沙里が言って、私が頷いた。


「あんたってば、何だろう」


うーん、と唸って沙里が何かを捻り出そうとしている。


「そうだっ‼︎ あんた、勇者じゃなくってねえ、頭の良いヒゲの生えたおじいちゃん的なの居るじゃん?」


「あはは、賢者ね」


そして、ベンチから勢いよく立ち上がると、「沙保里‼︎ 今度さあ、お兄さんの友達、ダサいのでいいから紹介してって言っといてっ‼︎」と叫んで、私を大いに笑わせた。


そして、私は一息ついてから、少しだけ大きい声で言った。


「今度は、あんたの世界に連れてってよ」


沙里は、にかっと笑って親指を立てた。

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[良い点] 企画から読ませていただきました。 出だしの会話から「異世界ファンタジー……?」と思いながら読み進めていたのですが、最終的に「なるほど、異世界ってそういう事か!」となりました。 「自分の見…
[良い点] すごいな! 異世界に逃避してばかりで大丈夫かなんて、老婆は老婆心でいっぱいだったのに答えの提示もできなくて。 それをするりんとやってしまうわけだ。 三千さま、スゴい。 他に語彙がない。 今…
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