灰の中でこの気持ちを告げたら、あなたに届きますか?
「初めまして。えっと……」
彼との出会いはほんの数ヶ月前。
その日は雨が降っていた……だとか、桜が舞い散る坂の下で……だとか、私が思い描く理想なんかとはもう全然違う、灰色ばかりの空と乾いた土が風に流れる荒れた地で。
「私はメア。メアン・シーよ。あなたは?」
土が薄緑の長髪にまとわりついて、あまり気分は良くなかったけれど、だからと言って彼を放ってこの場を離れるのも私の性分が許さなかった。
ずっと同じような場所を歩いているし、何かの拍子に感情が連鎖反応を起こしてもおかしくはない。——でも、それでもやっぱり私は困ってる子を助けたいと思うから。
だから極力、穏やかな表情を浮かべてうずくまる彼に話しかけたのだ。
「————」
土と見間違うようなボロ切れ一枚だけを羽織った黒髪黒目の男の子。
私より三つか、四つ下……十二歳くらいだろうか。
彼はちらとこちらを見て、掠れた声で言葉を——恐らくは名乗っていたのだろうけど、私にはそれが聞こえなくて。
「大変、喉が渇いてるならそう言ってくれれば良かったのに!」
……言った後で、言えるはずがないと気がついたのだけれど。
なんてことはさておいて、抱えていた鞄を下ろし、飲み水を彼に差し出すと、何の警戒もなしに彼はそれを受け取り、喉を鳴らして飲み始める。
どうやらしばらく、何も飲まず食わずな状態だったようで。
「……おかわりは? あ、いらない? えらいのね、遠慮しなくていいのよ。……あ、遠慮じゃないのね」
でも男の子は結局男の子なのだ。
私が渡した水を全て飲み干すと、それ以上を望まず何故か偉そうにする。
「あ、分かった! それが男の意地ってやつね? サリーが……あ、サリーっていうのは私をビーカーの時から育ててくれてたお母さんみたいな人なんだけど。あの人が言ってたわ。男の子はカッコつけるのが性分、って! ……あ、カッコつけじゃない? あ、そう……」
そして、私が気分良く話そうとすれば、クールに言葉を返す。何と歳不相応な男の子なんだろう。これでは私が背伸びしているみたいだわ、もう。
嫌って言ってるわけでもなさそうだし、別に怒ったりなんかはしないんだけど。
「それで……そうそう。聞き忘れてたわ。私はメアって名乗ったけれど、あなたは?」
そんな、良いとも悪いとも取れない第一印象。
彼が何を思っていたのかは分からない。でも、少なくとも私は、彼を連れ帰って今夜はシチュー。なんて考えて、これからを夢見て。
「————」
名前を聞いた時も、その夢は変わらなかった。
むしろますます気分が高揚して、彼を抱えて帰ったくらいだ。
…………それにしても、やっぱりこれは女の子には相応しくない力だと、そんなことを思いながら。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
「ありがとう」
肌に吸い付くような強い風。
髪が上から下まで全部揺れて、本当に気分が最悪だ。
でも、別のところでは晴れやかだわ。
だって私は、今こうして。
「数ヶ月くらいだったけどね。楽しかったよ」
崖の上から見下ろす限り、武装した人の山。
多分あの人たちは、サリーが言ってた『失敗作』の一団なんだろう。
その証拠に一団は若者だけで構成されているし、同じ『匂い』を感じるし。
「ごめんね」
そう考えた時、自分もひょっとするとあっち側だったのかも、なんて可能性を頭に思い浮かべてしまう。
————だって私は、『完成体』であり、人工的に作られた人間、『アンドロイド』と呼ばれる可愛くもない名前の存在なんだから。
人の業、なんて言うけれど、私からすれば自分の欲で私たちを生み出すな、って思う。
だって『失敗作』の人たちは失敗だと分かった時点で生身で捨てられ、こうして復讐で施設を襲おうとしているのだし。
それに対抗して、今こうして私はここにいるわけだし。
「…………もう少し、あなたの成長が見たかったな」
そんな願望を言ってみるけれど、もう遅いのだ。
私が施設を離れ、ここへ来た以上はもう。彼を守るために、私がそうする他ないのだから。
「……でも、どうせならもっとロマンチックに死にたかったな」
たとえば、永遠の愛を誓い合った恋人に看取られて。孫や子供とかはいらなくて、本当に二人きり。
——感情が高ぶっていくのを感じる。
たとえば、戦争をしている別の国同士の王子様とお姫様。両想いだったはずのお姫様が、王子様の前で死んだりして。
——体が熱くなって、奥の奥にあるロックが一つ一つ外されていくのが分かる。
たとえば、彼が私の死を悲しんでくれて。悼んでくれて。時よ戻れ、なんて私は願うけれど、神様はそんなことを許してくれないの。
だって私はもう、戻れないから。
——体から湧き上がってくるものを感じた。もう、終わりは近い。
ならば私は言おう。
きっと彼は、私の不在に気がついたらすぐに施設を飛び出すだろうから。
どうして数ヶ月も時間があったのに、彼にこれを言えなかったのか、なんて後悔を抱えて。
「好きだったよ。————」
最後に口にした名前は、言葉になっていただろうか。
なっていたら良いと、そう思う。
彼が私のために泣いてくれたら、なんて思う。
私の名前を忘れないで欲しいって、思う。
だから、ね。
私の気持ちに応えて欲しかったなって、思っちゃった。
*** *** *** *** *** *** *** *** ***
————その瞬間、光が世界を包んだ。
広範囲に渡って大地を削り、衝撃を伴う超高熱のそれは、崖下にいた全ての『失敗作』を巻き込み、滅ぼした。
感情の爆発に応じて起動する爆弾を積んだ『完成体』メアン・シーは、命と引き換えに『完成体』の集う施設を——少年を、守るために。
少女の世界が終わった日。
その日は、灰色ばかりの空だった。