一月の出来事・⑦
「ご苦労さま」
由美子が婦警に案内されて、一階ロビーに出てくると同時に、声がかけられた。
大人びた声で判る、縞子であった。
日登美を従えて車椅子に座った彼女のそばにも、同じように婦警が立っていた。他にもそこには、それぞれの学校の制服を着た者が集まっていた。
その集団から少し外れた所に、周囲から浮き上がるように黒色のスーツにトレンチコートを身につけた成田まで立っていた。
「ども」
縞子へ頭を下げてから、由美子は自分の父が経営する会社で秘書室室長の肩書きを持つ成田の所へ近寄った。
成田は恭しく一礼して見せた。
「お疲れ様です、お嬢さま」
「成田さんが、なんで?」
頭を上げながら成田は至極真面目に言った。
「お嬢さまが、こちらに同行を求められたと聞きまして。我々はこの件が最優先事項と捉えました」
「そんな最優先なんて…」
「いえいえ。弁護士などの手配から、証拠隠滅まで。色々と手間がかかる事でございますから」
「弁護士…。証拠隠滅って…」ちょっと考えて気がついた。「アタシが殺ったと思ったわけぇ?」
「ほんのちょっと手加減を間違えるなど、よくある事でございますから」
由美子のひっくり返った声にそう応える成田の目尻は、あからさまに下がっていた。どうやら彼なりの冗談だったらしい。
「あら。信用がないのね」
ぷいっとそっぽを向くと、成田は堪えきれずに失笑した。
「おうじぃ」
どうやら和やかな雰囲気になった事を察したのか、恵美子が近寄ってきた。そのまま由美子と腕を組んで、体重をあずけてきた。
いくら剣道部のエースで鍛えられた精神力を持つとしても、死体を見た後に警察署である。その前の長旅もあって少々疲れているようだった。
由美子も疲れてはいたが、事件現場は廊下から遠目に眺めただけなので、そう精神的ショックは大きくなかった。
恵美子の温もりで、委員長としての責任感が戻ってきた。現状を確認しようと、集まっている全員の顔を確認した。
「残念ながら君の学友、あの不破とかいう男子だけは終わってないんだ」
由美子の意図を汲んだ縞子が説明してくれた。
「そうなんだ…」
死体の発見者ということで、あの場にいた由美子を筆頭とする清隆学園の四人と、由彦を筆頭とする白膏学苑の五人は、管轄である門司警察署で事情聴取を受けることになった。それぞれが別々の部屋で同時に行われたのだが、少しばかり個人差があったようだ。
「まだ他に三浦部長が事情聴取されているよ。それと…」
縞子が言葉を句切って、由美子の背後へ振り返った。何事かと彼女も背後を見ると、ちょうど由彦が男子トイレから出てくるところだった。
「やあ、すまなかったね」
白い学ランの上から緑色をしたもっさいコートを着た由彦は、コートのポケットから出したハンカチで手を拭きつつ近づいてきた。
「あと残っているのは誰だ?」
由彦の質問に、先程由美子へ教えたとおりに答える縞子。
「三浦部長と清隆の不破くんだ。部長は第一発見者だし、不破くんは画像を撮影した身だから聞くことが多いのだろう。待っていたら日付が変わるかもな」
「そうか。じゃあ先に戻っても?」
「お巡りさんが責任を持って送りますよ」
事情聴取からずっと付き添っていた婦警の一人が、愛想笑いで教えてくれた。門司警察署は、白膏学苑から見て門司港駅の手前に位置する所に建っていた。ここから白膏学苑へ戻るには、車なりタクシーなりが必要だ。
「ここで私たちにできることは、もうないと判断する」
縞子の言葉に由彦がうなずいた。
「じゃあ、用意しますね」
縞子の言葉を訊いた婦警の一人が愛想笑いのまま言った。それに対して縞子は手を振った。
「いえ、近いですし。こんな私が乗る車両を手配するのも大変でしょう」
車椅子を利用している人物を移送するとなると、それなりの設備が整った車両でないと大騒ぎになってしまう。来るときもパトカーに縞子を乗せるだけで、日登美だけでなく大人も含めて三人がかりになった。
「母に迎えに来てもらいますよ。我が家の車は車椅子対応ですから」
「そうですか?」
そう言いつつ婦警の表情はどこかしらホッとした物が浮かんでいた。
「そちらは?」
「私は先程の車で駆けつけました。座席には余裕がありますので、充分乗車は可能かと」
婦警が由彦に目を移した途端に、成田が横から提案した。
「こちらは僕と本山、それと九十九砂くんの三人。そちらの四人と合わせると、結構な人数ですが」
「日登美は私と一緒に来ると思うが?」
縞子の提案に、うなずくだけで日登美は答えた。
「充分に乗ることができます」
由彦が目だけで成田に可能かどうか訊ねると、成田は安心させるように表情を取り繕った。
「それでは帰り道に気をつけて。またお話しを聞かせてもらうことがあるかもしれませんので、その時は宜しくお願いしますね」
マニュアルに乗っているような言葉を残して、婦警たちは受付カウンターの向こう側へ戻っていった。
「さてと…」
縞子が車椅子から全員の顔を見まわした。
「いちおう委員会室…、図書館の二階で再集合ということでいいかな?」
双方の責任者たる二人に話しかけながら縞子は、暖かそうなブラケットをかけた膝へ、少々無骨で無愛想な機械を取りだした。
「それは?」
由美子が当然の疑問を口にした。
「これか? これは『象が踏んでも壊れない端末』だ。インターネット接続ができるのは当たり前、いざという時には対戦車瑠弾を受け止めることができる盾になるという優れ物だぞ」
由美子がなんとも言えない顔になっていると、由彦がその心情を察したのか、上から一言言ってくれた。
「その機能が必要になる時が来るとは思えないぞ」
「備えあれば憂いなしと言うではないか」
そう言いつつ、素直にタブレット型携帯端末とは言い難い機械の液晶画面を確認していた縞子は、残念そうに由彦を見上げた。
「今日の全体会議は中止になったらしい」
「まあ、そうだろうな」
常識的な判断に由彦はうなずいた。時計はまだオヤツの時間を少し過ぎたといった辺りだった。この時期、東京では夕方になってしまう時間だが、標準時刻よりも西にある門司では、もう少し陽は持ちそうであった。が、殺人事件が起きたとなれば、警察の現場検証などで色々と制限が出るのは容易に想像がついた。
「委員会として案は三つあるらしい」
液晶画面から縞子は顔を上げた。
「三つとは?」
「委員長である君が居ないなりに役員たちが相談して纏めたらしい。全体会議を取りやめにする案。明日へ延期する案。延期するならば来週以降にする案。どの案にするかは君の判断にゆだねるらしい」
「では明日へ延期としよう」
由彦が即答した。東京から来た由美子たちが一泊の予定であることを考えての選択であった。
「了解した」
さっそく由彦の決定を伝えるためか、縞子の指が画面の上で素早く動き始めた。
「さて」
彼は由美子に顔を向けると、厳しい顔つきを少々緩めた。
「というわけで藤原委員長。予定は変更ということでよろしいですか?」
「私は結構ですよ」
由美子は、あまり深く考えずに答えた。
「それと残念な知らせがある」
画面から視線を上げずに縞子が口を開いた。
「副委員長の和世だが。由彦、君の家に運ばれたらしいぞ」
「なんでまた」
トンボ眼鏡に三つ編みのお下げという外見で、真面目な女生徒という題で絵に描いたような姿をしている自分の右腕、佐藤和代の意外な危機に、由彦は眉を顰めて堅い声を出した。
「ミヤオが死んだと聞いて、ショックで倒れたらしい」
「ええっ? それで?」
「君の家で寝込んでいるそうだが」
そこまで二人で会話していて、清隆学園側からの異様な目線に気がついた。縞子がそれを察して説明してくれた。
「由彦の親は開業医なんだ」
「なんだ、てっきり…」
恵美子が語尾を濁らせた。
「てっきりって?」
正美が横から訊ねると、恵美子は口元へ自分の拳をあてるとゴニョゴニョと何か言っていた。
その時、警察署の自動ドアが開くと、中肉中背の女性が入ってきた。ボーダーのマリンカラーをしたシャツに、裾を折り返したベージュのスキニーパンツ、上にはファーがついたジャケットという、町でよく見かけるようなスタイルをしていた。
半眼がちに瞼がおろされた目で警察署のロビーを見わたすと、制服の一団であるこちらに興味が沸いたのか、スタスタと近づいてきた。
ガチャリとカギがかかる音がした。
「?」
「犯人確保!」
その場にいた全員が凍り付いた。見ると膝の上に置いた端末にかけていた縞子の両手首に、銀色に光る手錠が填められていた。
縞子はつまらなそうに溜息をつくと、手錠をかけた相手を見上げた。
「なんでこんな事をやったんだ? ん?」
相手の感情があまり入らない声でそう告げられて、自分の両手を持ち上げた縞子は口を開いた。
「こんなことをすると不法逮捕または監禁で、刑法一九四条・特別公務員職権乱用罪が適用されるぞ、ながくて」
「あなたがこっちに連れてこられたと聞いて、色々な手間を省略するために、真犯人をお巡りさんに教えてやろうかと思って」
「真犯人」ちょっと小首を傾げてから付け加えた。「私が殺ったと?」
「話は聞いたよ。あなたのいる所で殺人事件が起きたのなら、他に誰が犯人だっていうのよ」
そう応える相手の目尻は、あからさまに下がっていた。どうやら冗談らしい。
「信用があるというか、無いというか。私がこの程度のトリックで人を殺すわけなかろう」
「たしかに」
女性はプッと噴き出して、笑顔になった。
「あなたなら、もっと陰険に誰かが確実に冤罪で逮捕されるような事件にするわね」
「陰険は余計だ」
「手錠でも動揺しないのね」
話を変えるためか、女性が白々しく訊いた。
「これは官給品の本物じゃなくて、どう見てもオモチャだ。君は偽物で動揺できるのか?」
「お見通しか」
あっさりと本物の手錠には無い解除ボタンで縛めを外して、女性はつまらなそうに舌を出した。
「あなたが驚くことがあるのかねえ」
「残念ながら十年以上前に、体と一緒に心も半分無くしていてね。私よりも、私の連れたちが驚いたようだぞ」
縞子は目線で周囲を差した。全員があまりのことに硬直していた。
「し、シマコさん?」
一番立ち直りが速かったのはノブヨだった。
「ええと?」
説明を求める目に、縞子はイタズラを仕掛けてきた女性を顎で差しながら口を開いた。
「今日は千客万来なのか、それとも、そういう特異日なのか…。彼女も東京に住む友人なのだ」
「はいはい。昔の友だちが署に連行されたって聞いたから、ちょっとしたイタズラ心がね」
いまだ硬直が解けないみんなに、悪びれた顔すら見せずに、オモチャの手錠をクルクルと回してみせた。
「お友だちですか?」
再度確認するために由美子が縞子に訊ねた。
「うむ。小学校の時の同級生だ」
「ええっ!」
今度は由彦が大きく驚いた。
「なんだ由彦。まさか私が、この大きさのまま産まれてきたと思っていたわけではないだろうな?」
「い、いや、そんな、まさかぁ」
厳つい顔に笑顔を浮かべていたが、冷や汗がダラダラ流れていては誤魔化しようがなかった。
「小学校の時の同級生、長久手だ」
「それは昔の苗字。いまは上下に変わったんだってば」
「おお、そうだった。本人は結婚していないのに苗字が変わって、いまは上下だ」
「余計な事はいいの」
上下は両腰に自分の拳をあてると、縞子を上から半眼のままで見おろした。
一同は二人を見比べた。片やセーラー服の美女、片やパンツルックを着こなすスラリとした大人の女性。たしかに同級生と紹介されたら唖然としてしまうだろう。
「同期で独身は、もう君と私だけの二人だろ。さらに言えば名前が変わらないのは私だけになってしまったのでな」
「こちらには?」
「有給が取れたから、旧友を訪ねての旅行よ」
由彦の質問に上下は即答した。
「と見せかけての傷心旅行だ。察してやれ由彦」
「あなたの言葉の方が傷つくわ」
それでも明るく上下は縞子の両コメカミに拳を当てると、グリグリとこじり始めた。ウメボシという奴だ。
「シマコさんの同級生かぁ」
ノブヨが興味深そうに彼女を見て、目を大きく瞬かせた。
「見たところOLさんですよね」
昨今のジェンダーフリーの風潮で、女性で職人業に就く者も多くなったが、上下にはそのような雰囲気は全くなかった。どちらかというと頭脳労働だが、外回りも多いのか足元はヒールが無いパンプスである。大会社の営業と言った印象だった。
すると、上下は人差し指を唇に当てて微笑んだ。
「じつは…」ウインクをしつつ「警察官」
「は?」
由彦の口からマヌケな声が漏れて、それから周囲を確認するように見まわした。
視界にはたくさんの制服姿のお巡りさんが入った。あたりまえだ、ここは警察署のロビーなのだ。
「東京の警視庁で刑事をやっているのだ」
縞子が補足した。
「ここでは管轄が違うから、なんにもできないはずだが」
「まあ、それでも同じ業界同士、噂話ぐらいは集めてあげる。どうせ、あなたのことだから、事件に興味ぐらいはあるでしょ?」
音量を戻した声で上下は訊いた。
「それとも、もうトリックも解いちゃって、犯人も判ってるの?」
「それなんだが…」
うーんと唸りながら縞子は膝へ肘をついて、その手に顎を乗せた。
赤みがかった左の瞳が一同を順に見まわし、そして恵美子で止まると瞼が閉じられた。
「難しい問題を抱えていてね」
「あなたが悩むなんてね。ロジックに優る物は無いんじゃないの?」
「パズルは得意だが、人を思いやる心には乏しくてね」
「たしかにね」
先程の発言を根に持っているのか、上下はすぐにうなずいてみせた。
「で? オバサン買い物で出ているから、私が代わりに迎えに来たけど? 帰れるの?」
「一応、一通りの事情聴取は終わった。荷物は学苑にあるので、戻りたいのだが」
「はいはい」
うなずいてポケットから車のカギを取り出す間は手元を確認し、そして顔を上げた。
「!」
突然、上下が飛びすさった。着地と同時に腰を落とした構えを取った。本職の刑事らしく逮捕術の構えだった。
「?」
全員が訝しんでいる中で上下は、縞子の車椅子を睨み付けた。いや、車椅子ではなく、そのハンドルを握っている者に対してだ。
「あなたは…」
そう言って絶句する上下に、車椅子のハンドルを握っていた者は、自分の人差し指をマスク越しに唇に当てた。
ダサイ眼鏡越しでも相手が脂下がっているのが判った。
「まあ、そういうことだ」
車椅子に座る縞子が先回りをして言った。
「ホント…」背筋を伸ばしながら上下は呆れた声を漏らした。「あなたって、変なコね」
「まあね」
縞子が含み笑いをして一礼した。それを合図に車椅子が押されて外へ向かいだした。ぞろぞろと釣られて他の者も後に続いた。
「かみしもさん?」
構えを解いた彼女に、不思議そうに恵美子が声をかけた。いまだに由美子の腕に抱きついているために、彼女もまたその場にいた。
「彼女がどうかしたんですか?」
「彼女?」
こちらも不思議そうに、上下は恵美子を身長差から見上げた。
「彼の間違いでしょ」
「は?」
言い捨てて集団を追っていく上下と、その向こうで何やら会話が始まったらしい高校生たちの背中を見比べた。
さっぱり意味が判らなかった。
ただこれだけは判ったことがある、自分たちが警察署のロビーに取り残されつつあることをだ。
「急ごっか」
由美子に言われて恵美子も足を踏み出した。