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一月の出来事・⑥

 全員があまりの事態に硬直していた。

 そんな中で、しかし空楽だけは何でもないように、部屋の端を選んでつま先立ちで移動し、彼女の脇に跪いた。頭から足先まで目で確認してから、そっと左手を伸ばして、美也緒の首筋だけに触れて脈を確認した。

 空楽はうつむくと数秒だけ目を閉じた。

 その頭がゆっくりと横に振られた。

 まったく表情は変えないまま、彼は自分の着ていたコートを手早く脱ぐと、丁寧に彼女の顔にいたる上半身にかけてやった。

 空楽は彼女に向かって静かに手を合わせた。

「全員、出るんだ」

 開かれたドア越しに廊下からその様子を見ていた縞子が、厳しい調子で命令した。その声に質量があって、その固さにぶつかって正気を戻したといった態で、ゆっくりと空楽以外の四人が廊下に戻ってきた。

 初めての経験からだろうか、顔色を真っ白にした恵美子が、車椅子の脇に立つ由美子を見つけると、感極まって抱きついてきた。

「大丈夫? コジロー」

 由美子の問いにうなずきだけで答える恵美子。

 それを観察するように見ていた縞子は、廊下から室内の空楽に話しかけた。

「君は携帯を持っているか?」

「ああ」

 横たわる彼女に、そっと手をあわせて口の中で題目をつぶやいていた空楽は、尻のポケットから愛用のスマホを取りだした。

「ならば動画でも静止画でもいい。室内の様子を記録するんだ」

「なんでだ」

 由彦が縞子に訊いた。

「この時点をもって、誰かが部屋に入ることを禁止する」

「なんの権限があって?」

「どう見ても…」由彦を睨み返すように見上げていた縞子が、固い声で言った。

「これは警察が関わるべき事件だからだ。一時の感情に任せて大人たちの邪魔になってはならないだろう」

 確かに校内で人が傷ついたり死んだりした場合は、生徒の領分を超えていることには違いがなかった。

「最初に気がついたのは誰だ?」

 縞子の質問に由彦が答えた。

「君のトコの部長だよ」

「ああ、やっぱり。それで? 彼は今どこに?」

 縞子の質問に答えるように、廊下を走ってくるバタバタという足音が聞こえてきた。

「あれじゃないか?」

 廊下を振り返った由彦に釣られて、廊下にいた全員が振り返った。どうやら階上にある事務室から走ってきたらしい三浦康介が、運動のために上気させた顔で姿を見せたところだった。

「カギ! あったぞ!」

「いや、とりあえず、その必要は無くなった」

 冷静さを保っている縞子が応対した。

「残念ながら柳田はダメらしい」

「だめ?」

 赤かった顔からみるみる血の気が引いて行った。

「そんなバカな…」

 ふらふらと廊下によろけ、握っていた予備のカギを落としてしまったほどだ。

「み、ミヤオ! ミヤオ!」

 突然我に返ると、ズカズカと隔離実験室へ突進しようとした。

「ちょ、ちょっとまて」

 先程の縞子が出した指示を憶えていた由彦が、前に立ちはだかった。

「何するんだ! 離してくれ! ミヤオ!」

 恋人への情念がさせる業だろうか、康介は体格的に優れる由彦を押しのけた。

 その時だった。

「!!」

 気合いの入った息づかいと共に、縞子の後ろで車椅子のハンドルを握っていた日登美が、一瞬で前に回り込んだ。彼女を見ていた全員がその現実を認識する前に、スカートだというのに康介へ足払いをかけて体勢を崩し、彼の右腕を背中の方へ捻り上げながら、床へ押し倒した。

「ごふ」

 片腕が掴まれたために、ろくに受け身も取れなかった康介が、顔面から着地するハメになった。頭蓋骨が硬い物にぶつかる痛々しい音に、全員が息を呑む中で、縞子が康介を見おろして口を開いた。

「ご苦労さま日登美、そのまま押さえつけておいてくれ。ええと通報はまだかな?」

 慌ててポケットを探り出すノブヨに、首を横に振ってみせた。

「職員室に行って、教職員の誰かから通報してもらった方がいいだろう。ノブヨ、行って誰でもいいから先生を呼んできてくれないか」

「わかった」

 一動作でストラップに拳ほどのヌイグルミをつけたスマホを仕舞ったノブヨは、いま康介が走ってきた方向を辿るように駆けだした。

「不破くんだったか」

 床で呻き声を上げる康介を目の隅で確認しながら、ちょうど出てきた空楽に縞子は声をかけた。

「画像は撮れたかい?」

「部屋の四方、床、天井、そして遺体の一枚ずつで七枚と、部屋をパンした動画が一本」

「すばらしい」

 縞子は一旦康介を押さえつけている日登美を見てから、彼に視線を戻した。

「四方や遺体はまだしも、天井まで被写体に選ぶなんて。君、私の助手をやらんか?」

「きっぱりと断らせてもらう」

 空楽は恐い顔で縞子を睨み付けた。

「人が一人亡くなっているというのに、貴様の楽しげな態度が気に食わん。彼女とは知り合いなのだろう」

「空楽…」

 正美が年上にケンカを売る態度を諫めるように空楽の袖を引っ張った。

「それに優秀な助手ならそこにいるじゃないか」

 腕組みした空楽が、日登美のことを顎で示した。

「日登美か? この娘は助手じゃないよ」

 空楽に指摘されて反省したのか、一度だけ包帯で隠されていない顔の左側を、白手袋を填めた左手で拭った縞子が、先程とは違う笑顔を見せて言った。

「彼女は音楽部だって紹介しただろ」

「ほほう」

 片眉を面白くなさそうに上げて空楽が腕組みをし直した。

「音楽部が合気道ね」

「淑女の嗜みだ。な、日登美」

 縞子の呼びかけに、押さえ込んでいる康介から顔の向きをまったく動かさずに、彼女はうなずいた。マスクのせいも相俟って、やはりどのような表情をしているのかは判らなかった。

「おや?」

 縞子が少しだけ声のトーンを変えた。

「君、膝が汚れてしまったようだぞ」

 車椅子から乗り出して空楽の膝を注視した。

「?」

 見れば制服のズボンに円く白い汚れが付着していた。これが白膏学苑の制服ならば同じ白色で目立たなかっただろうが、清隆学園の制服は紺色なので、すぐに判ったのだ。

「さっき跪いた時だ」「待ちたまえ」

 払おうとする空楽に手を振って制する縞子。周囲を見まわして廊下なので何もないことを確認すると、康介を押さえ込んでいる日登美に目を止めた。

「日登美。テープを持っているかい?」

「…」

 顎先だけで自分のスカートのポケットを示した。

「失礼するよ」

 自分で車椅子を進めた縞子は、遠慮無く日登美のスカートへ手を突っ込むと、そこから黒色のビニールテープを取りだした。

「不破くん。その汚れをサンプルとして採取させてくれ」

 縞子はそう言うと、本人が了承の返事もしてないうちからビニールテープを長く引きだした。ノリの着いている側をペタペタと空楽の膝に貼り付けて、汚れをビニールテープへと移す。

「あとアドレスを教えるから、データは転送してくれ給え。早くしないと大人たちがやってきて、大騒ぎになる」

「もう充分大騒ぎだ」

 由彦が日登美の肩をやさしく叩いて合図しながら、〆切りを守らない作家が輪転機を止めた時の編集者のような声を出した。

「?」

 日登美がゆっくりと力を抜いていった。

 女子に組み伏せられた事よりも、顔面で床の冷たさを味わったことで冷静さが戻っていたようで、康介はもう暴れ出したりしなかった。

 車椅子の後ろに戻った日登美と入れ替わって、由彦は康介の腕を取って立たせた。

「部長も落ち着いて行動してくれたまえ」

 縞子は命令口調で言った。

「殺人現場を荒らすなんて、証拠隠滅と取られても不思議ではないぞ」

「さつじん?」

 ドラマの中でしか縁のない言葉に由美子が反応した。背の高い由彦は険しい表情をして、車椅子に収まっている縞子を振り返って見おろした。

「ああ、そうだ」

 どこまでも冷静に、そして不謹慎ながらもどこか楽しげに縞子はうなずいた。

「これは殺人だ。しかも密室殺人だぞ」

「殺人って…」

 恵美子は由美子に抱きついたままに、なにか消化しにくい物を口に頬張ったような声を出した。

「そんな、なんで人殺しなんて…」

「さて、理由は後で犯人に聞くとしよう」

 専門用語を口にする縞子は、あめ玉を与えられて喜んでいる幼女のような表情に戻っていた。


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