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一月の出来事・③

「あ〜、死ぬかと思った」

 福岡空港の駐機スペースで、みんなが見ている前でバツが悪そうに機体の後部から這い出してきた空楽は、頭に蜘蛛の巣がついたまま、そう言った。

 蜘蛛の巣は恵美子が手を伸ばして払ってくれた。

「自業自得だろ」

 由美子が自分の体を抱きしめるように、腕を胸にまわして言った。セーターだけでは足らずに、これでもかとファーがついたハーフコートを重ね着していた。

 空港にある駐機スペースというのは、平らなコンクリートに、素人には意味不明なカラフルな線が書かれただけで、風を遮る物は一切無く、ともかく寒いのだ。

 セイフティゾーンの芝生や、所々に生えている雑草などが、風上の遥か向こうから揺れ初めて風の到来を予告してくれた。季節風が体当たりしてくると、もう会話を放棄して、背中をそちらに向けて耐えるしかないほど寒かった。

「これを反省し、機体へ潜り込むことを、おやめなさってください」

 そんな寒さの中で、あくまでも丁寧に忠告したのは成田である。彼はスーツの上に、あまり厚いと言えない黒いトレンチコートを着ていた。ただ寒さを無視する術を心得ているのか、彼だけはとくに挙動に変化は見られなかった。

 まず無言で同級生たちを見た空楽は、成田に向かって素直に頭を下げた。

「以後、気をつけます」

 機体最後部、垂直尾翼の根元に位置する補助動力装置スペースには、ほとんど余裕がなかったとみえて、空楽が着ていた万年平社員御用達のような霜降りのコートには、ところどころ本物の氷がまだ付着していた。

 成田がパイロットに補助動力装置の運転を指示していなかったらと思うと、洒落にならない事態になっていたと容易に想像がついた。

 そんなところに潜り込んでいた空楽であるから、余分な荷物は一切無く手ぶらで、コートの下は清隆学園の制服であるようだ。

 もう一人の密航者である恵美子は、成田に協力してもらっていただけあって、黒いバッグをラゲッジスペースに紛れ込ませてもらっていた。と言っても現在、女子の荷物は正美の両肩にかけられているのであった。正美は自分の荷物であるパックも背負っているから、強い風に煽られてヨロヨロとよろめいていたりしていた。

 恵美子は、黒いセーターだけでは一月の空の下では無理があるので、同色のダウンジャケットを着込んでいた。機内で着ていなかったのは、単にカーゴスペースに潜り込むときに、コートの厚みが邪魔だったからであろう。

「この後のご予定ですが…」

 成田は自身のスマホを覗きながら由美子に向いた。

「判ってるわよ。タクシーのつもりだったけど」

 由美子も困ったように、余分に増えた同行者を見た。

「差し出がましいと考えましたが、お車を用意しました」

 彼がスマホの画面から顔を上げて、小型機用格納庫が並んでいる方向を見た。

 小型といえども飛行機というのは翼の端から端まで一〇メートルは優にある。そんな大きな機械たちが行き来するために、空港というのは見た目よりも各設備間の距離が意外に広かった。

 見るだけではすぐそこにある格納庫脇から現れたのは、二台のワンボックスカーであった。縦に並んで走ってきて機体に接触しない位置で止まったが、五人がいる所からは結構離れた場所となった。

「前方の一台をお使い下さい。私の部下、岩田がお供いたします」

 どうやら、もう一台は成田の出張先に向かうようだ。

「ごめんなさいね、何から何まで」

「いえ、ほんの一手間でございますから」

 由美子の言葉に今まで無表情だった彼がやっと微笑んだ。

「それでは、みなさま。ご旅行をお楽しみ下さいませ」

 成田が由美子を最敬礼で見送った。

 寒さというより風から逃げるように四人はワンボックスに乗り込んだ。

 先に乗り込んで最後尾の列へ由美子と恵美子が並んで座り、その向かいになる席に正美と空楽が着いた。正美が一手に引き受けていた荷物は絨毯が敷いてある床上に下ろされた。

 力任せに空楽がスライドドアを閉めて、やっと一息つくことができた。車内は暖房がフル稼働しているようであったが、それでも外よりはマシな程度にしか暖かくなかった。

 運転席には、これまた黒いスーツにトレンチコートという男が着いていた。

 四人の尻が落ち着いた頃を見計らって、彼は半分だけ振り返った。

「岩田と申します」

 短く名乗った。四人も会釈を返した。

「門司にある『白膏学苑』へ向かって頂戴」

 由美子の指示にうなずき、車をスタートさせた。

 雨や雪など一片も降っていないのに、風が吹くと車内にゴウという音が聞こえた。

「凄い風だね」

 正美がスモークシールドが貼られて外が見にくくなっている窓から、空港の景色を見ながら言った。

「なンやかンや言っても、日本海側だからな」

 毎年こちらの親戚を訪ねて旅行に来ているらしい由美子が答えた。

「そうかな? そうだね」

 頭の中にある日本列島の地図に、現在位置を当てはめてみる。たしかに福岡空港は日本海側と言っていい位置に存在していた。

「で、だな」

 空楽が潜めた声とともに人差し指を立てた。

「なによ」

 自分に向けての内緒話と取った由美子が身構えた。

「藤原さんちの会社に文句をつけるわけではないのだが」

 と、言いにくそうに前置きだけして、意を決して疑問を口にした。

「社員は必ず黒スーツという規定があるのか?」

 運転手を務めている岩田という男が、ルームミラー越しに、こちらを見た気がした。

「ンなわけあるわけないでしょ」

 キリキリと由美子の眉が寄せられた。

「じゃ、なんで?」

 恵美子まで彼女に訊いてきた。彼女も同じ疑問を抱いていたのだろう。

「成田さんの趣味よ」

「…」

「クールビズとかウォームビズとかあるでしょ。あれに対抗してブラックビズなんだって」

 理由を聞かされた三人は顔を合わせて、同時に首を横に振った。

「なニよ」

「いえ、なんにも」

 そんな会話を車内で交わしながら、ワンボックスはダブルゲートの前で停車した。

 ダッシュボードの上に掲示していた入門証を、ゲート脇の警備ボックスまで岩田が返却しに行く間、車内は四人だけとなった。それを見越していたのか、高校生だけになった車内で、由美子は前屈みになった。

「アンタたち。今日、泊まるトコあンの?」

「え」

 恵美子がキョトンとして答えた。

「私は王子と同じ部屋で大丈夫よ」

 それから、今更ながら気がついたというように、わざとらしく付け足した。

「なんだったら同じベッドでも…、あ、ごっめーん。おなじフトンには郷見くんしか入れないのねぇ」

「怒るわよ」

 確実に怒っている声で、恵美子の平仮名成分多めのセリフにツッコンだ。

「それに、アタシは向こうの副委員長さんの家に泊まることになってンのョ。ホームステイ気分で東西の文化を知りあおうっていう主旨なの」

「あら、まあ」

「いちおう僕は委員長さんの家ね」

 慌ただしく決まったとはいえ、正美もいちおう正式な交流生である。

「どうすンだよ」

 ギロリと睨まれて空楽は腕を組んだ。

「別に、俺は野宿でも構わんが」

「ほほう」

 由美子は勝ち誇ったような顔になった。

「オマエ、この日本海を渡ってくる季節風ン中で、着の身着のまま野宿する気か? 明日の西日本新聞の三面が楽しみだなぁ、おい」

「じゃあビジネスホテルでも取る?」

 恵美子が空楽に顔を向けた。

「ん? まあ」頭の中に作っておいたお土産物リストで、重要度の低い物を消しながら空楽が歯切れ悪く答えた。

「それとも二人でラブホに泊まっちゃおうか」

「ぶっ」

 あっけらかんと恵美子が言って、正美が驚きのあまり噴き出した。

「コジロー!」

「やだなあ、冗談でしょ」

 そういった事に免疫が無い由美子が、顔を真っ赤にして声を荒げた。恵美子は何でもない風にウインクを飛ばした。

「でも安く泊まれるのよねぇ」

「コ〜ジ〜ロ〜」

「冗談だってば」

 ジリジリと睨んでくる由美子に、取り繕う笑顔で恵美子は言った。

「それに、ほらぁ。不破くんが、私じゃダメだって言ってるし」

「…」

 恵美子に言われて空楽を見てみれば、彼は座席の上で硬直していた。そのままタラーッと赤い筋が右の鼻の穴から流れ出してきた。

「オマエも変な事を、想像してンじゃねえよ」

 由美子のパンチが空楽に炸裂した。

「ま、向こうに着いてから相談しましょ」

 岩田が手続きを終えて戻ってきたようなので、恵美子が早口で話を纏めた。

「そうね」

 恵美子の気遣いに感謝しながら由美子もうなずいた。宿ぐらいは成田に話を通せばすぐに準備してもらえるだろうが、彼が忙しい身である事を知っている由美子は、そこまで世話になったら申し訳ないと考えていた。

 恵美子は恵美子で、飛行機でお世話になって、この上由美子に世話になるのが心苦しいようだった。

 その点、男どもはそこまで考えが至っていないようだ。

 一事が万事「なんとかなるんじゃない?」のノリで過ごしていることは、この一年足らずのつき合いで把握してしまっていた。

 空港ゲートを抜けたワンボックスは、空港沿いをしばらく走ってから市街地に舵を切った途端に、高速道路の入口に出くわした。福岡高速三号線である。乗ったと思ったら左から福岡高速環状線に合流して、交通量が多くなった。

「で、今日の予定は?」

 恵美子が目で運転席を一回差してから由美子に訊いた。

「本当はタクシーを使うつもりだったンだけど、このまま白膏学苑に行って、向こうの全体会議とやらのオブザーバーとして参加予定よ」

「それから?」

「時間が余れば校内見学。無ければ下校の予定で…」

 ゴニョゴニョと言葉を濁らせた。

「明日は?」

「午前中に親睦会を開いてくれる予定。お菓子とジュースでね」

 余分な物を持ち込みそうな空楽へ眼力を効かせた。

「なんだ? 藤原さんは俺が信じられないのか?」

 男前の声を出して空楽。

「清隆学園どころか、東京…、いや関東の高校生代表として恥ずかしい真似などできるか」

 と渋い声で決めてみせるが、両方の鼻の穴へチリガミをねじ込んだ顔では台無しであった。

 由美子はじーっと黙って睨んでいたが、何も言わずに彼から視線を外して、外を見た。ワンボックスは千鳥橋ジャンクションに差し掛かっていた。環状線から福岡高速一号線へ車線変更する。

「お土産はいつ買う?」

 こちらは観光気分のままの恵美子が訊いてきた。

「明日の帰り道かなぁ」

 外から視線を戻した由美子が、あまり考えずに答えた。

「門司だったよね」

 正美が銀縁眼鏡の位置を修正しながら口を開いた。

「うん。門司で、海が近いって言ってた」

「じつは近くの門司港駅の方が、お土産の数も量も充実してるんだよね」

「?」

 女子二人が質問したげな顔になったのを見て、正美は床に置いた自分のパックからポケットサイズの時刻表を取りだした。折り込みの全国路線図を広げて、迷わず一カ所を指差した。

「白膏学苑は門司駅のそばなんでしょ」

 九州北部の路線が入り組んだ外れに門司駅の表示があった。由美子がうなずいたのを確認して、路線図の上で指を滑らせた。

「でも、門司港駅のほうが鹿児島本線の終着駅だから、観光施設が整っているんだよね」

 主要幹線を示しているらしい緑色の線がちょっとだけ右上に伸びて、小森江駅を貫き、門司港駅を示す丸印で止まっていた。

「なるほどね」

 女子二人がうなずくと、ワンボックスが大きく揺れた。何事かと外を見ると、また車線変更のようだ。

 今度は福岡高速四号線に乗り換えたようだ。

「で?」

 由美子の右眉がひょいと上げられた。

「そこには、どンな電車が飾ってあンのよ?」

「そりゃあ門司港駅と言えば九州鉄道記念館に、平成筑豊鉄道の門司港レトロ観光線でしょ」

 と、口を滑らせてから正美はあっと口に手を当てた。

「だろうと思った」

 ジト目で睨み付けていた由美子が呆れた声を漏らした。

「いやいや、門司港レトロ地区って言って、本当に観光施設が揃っているんだってば」

 焦った声を出す正美に、表情をそのままに由美子がポツリと言った。

「オマエ、段々と話の誤魔化し方が郷見に似てきたな」

「がーん」

 ショックを受けて硬直する正美。横の恵美子がクスクスと笑った。

「わざわざ郷見くんを比較対象に出すなんて、寂しいんでしょぉ?」

「コジロー」

 ギロリと睨み付けた。その剣呑な雰囲気も、いつもの事だと慣れているのか、空楽が呑気に欠伸をしてみせた。

「んで?」

 鼻骨の辺りを指で挟んで様子をみていた空楽が、赤く汚れたチリガミを引っこ抜いた。

「どのくらいで白膏学苑には着くんだ?」

「電車で一時間ぐらいだから、同じぐらいじゃない?」

 事前に独自で経路を調べていた正美が、話を変えるためか当てずっぽうを言った。

「そうか、ならば着いたら起こしてくれ」

 言うか言わないか内に、空楽はシートを倒して腕組みをして目を閉じた。

 コレだよ、と言わんばかりに三人は顔を見合わせた。

「お土産ねえ」

 由美子は自分の親指を軽く噛んだ。送り出してくれた花子に言われたことを思い出したのだ。

「ハナちゃんに一つ、先生に一つ、その他大勢には…、お菓子の詰め合わせかな?」

 恵美子が三本の指を立てた。そのお菓子の詰め合わせも、『常連組』でお茶するときの茶請けになるに決まっていた。

 たむろうだけでなく、駄弁るし騒ぐしと、図書室にあるまじき行いをする連中なのだ。しかも最近は食後に給湯設備を使って一服していたりした。

「コジローは剣道部に買ってかなくていいの?」

「あ、そうだ」

 テヘッと可愛く舌を出した。

「どうせ今日の練習、サボりなんでしょ」

「いちおう顧問の浅田先生には手紙書いてきたもん」

 後日、由美子が見せてもらったその『手紙』とやらは、半紙を丸めて作った、まるで大昔の血判状のような代物だった。広げると縦書きで墨痕鮮やかに「武者修行へ行って参ります」とだけ書いてあるだけだった。ちなみに顧問からの返事は、今風に恵美子の携帯へメールで送られてきたとか。一言「負けて帰ってくるな」だったらしい。

「ちゃんと、向こうの剣道部には連絡したし」

「連絡先、知ってたの?」

 由美子の質問に笑顔でうなずく恵美子。

「うん。本山さんって白膏学苑の剣道部に居るコ」

「ふーん」

 まあ都大会には常連出場の彼女であるから、色んな場所で全国各地の剣道部と知り合う可能性もあるのだろう。

 そうこうしているうちにワンボックスは九州自動車道に乗り入れた。ここからは高速巡航で、道もそう大袈裟なカーブなど少なくなり、怠惰に時間が流れるだけとなった。

「時間が時間だし、やっぱりお土産は明日だ」

 由美子が愛用の腕時計を確認して言い切った。

「もう、それでいいよ」

 隣の席から眠気が伝播してきて、正美が適当に答えた。

「それに今の世の中、お土産物屋さんから直接宅配便頼めるしね」

「そうね」

 こちらも眠くなってきたらしい恵美子が、だらしない声を出した。

「そうしたら余分な荷物も一緒に送れるしね」

 それから小一時間ほど車内に沈黙がおりてきた。空楽と正美は阿呆のように口を開けて寝てるし、隣の恵美子は由美子の左腕を抱きしめるようにして静かになった。顔を彼女の肩に埋めてしまったので、本当に寝ているかどうか判らなかった。

 由美子は外の景色を眺めるとなしに見ていた。目を開けていたが、半分以上意識は寝に入っていただろう。

 その間もワンボックスは、岩田の丁寧な運転で、八幡から北九州高速四号線に乗り換えて東進する。

 車は大里出口で一般道へ降りた。

「そろそろか」

 空楽のつぶやきに、由美子は意識を取り戻した。いつの間にか由美子も寝てしまったようだ。空楽のほうは自主的に目覚めたらしい。

「そうね」

 我に返って外を見直せば、国道へ出るための案内標識があった。丁字を左に折れ、道なりに走り出した。途中、大きな病院を左手に見て、通り過ぎた先のコンビニエンスストアの駐車場にワンボックスは乗り入れた。

 バックで駐車スペースに入れるまで待って、由美子は岩田に向かって口を開いた。

「休憩?」

「いえ。もう白膏学苑のそばまで来ておりますから、お召し替えが必要かと」

 丁寧に言われて由美子は自分の体を見おろした。向かいに座る男子どもが制服姿だったので忘れていたが、まだ恵美子と二人、私服のままだ。

「コジロー」

 相手が痛くならないように肩で恵美子の体を揺らした。恵美子はそう手間をかけずに動き出してくれた。

「ついたの?」

 長い髪の毛を視界からどかしながら恵美子は顔を上げた。

「もう着くって。で、お着替え」

「そっか」

 左側の窓の方が近いのに、わざわざ由美子越しに外を確認して、そこがコンビニの駐車場と把握すると、乗り込むときに正美が床に置いた自分の荷物に手をかけた。

「トイレ借りて、そこで着替えるでしょ?」

 まさか男どもの視界で着替えないよねと、目で念押ししてきた。由美子も『拳の魔王』とか不名誉なアダナをつけられているが、お年頃の女子には変わりない。恵美子の提案に反対などあろうはずがない。

「それもあるけど、お昼も、ここで済ましちゃうしかないンじゃないかな」

「そう?」

 由美子の提案に、恵美子はわざわざ由美子の左腕を取って、そこに捲かれている腕時計で現在時刻を確認した。

「どこかに入っている時間は、無いか」

「チッ」

 空楽が、自分の携帯で現在時刻を確認してから、忌々しそうに舌打ちをした。

「豚骨ラーメンがっ」

「別にコンビニでカップ麺ぐらい売ってンだろ」

「そうじゃなくてなあ」

 由美子の情緒がないセリフに、空楽がムキになって言い返した。

「この寒い季節、こう豚骨臭が充満する店内でコートを脱ぎながらなあ『オヤジ、熱いところ一杯と、ビールを頼む』って言ってなあ。額にハチマキなんか巻いたオヤジがめんどくさそうに、それでも『固さは?』とぶっきらぼうに聞き返してくるのを、店に備え付けられているザーサイを小皿に移しながら『バリカタでお願いするわ』とか答えている間に看板娘のねーちゃんが瓶ビールとコップをそっとテーブルに置いていくんだ。麺がゆであがるまでにザーサイを肴にビールを傾けていると、さりげなく三個ぐらいギョウザが乗った皿が出されて、注文していないと断る前に、ねーちゃんが照れた様子で『ちょっと箸が寂しいでしょう。サービスしときます』なんていう気遣いに礼を言っている間に白い濃厚なスープにたっぷりのネギをまぶしたラーメンが、無愛想なままのオヤジの手で持ってこられてな。これまた機嫌悪そうなままの声で『とっととくっちまいな』と置かれる。それにちゃっちゃっと辛子高菜を二つまみほどとかすと、まずはレンゲでズーッとスープを…」

「わかったから、はやく開けろ」

 由美子も唐変木でないから空楽の言いたいことは判っているつもりだ。しかし委員長の責務と現在時刻とが、その余裕を奪い去っていた。これが他の者が責任者であったら、遅刻しても地元の有名店を巡ってから行くのだろう。

 まだ未練がありそうに舌打ちをしている空楽であったが、スライドドアを開放すると、駐車場に飛びおりた。

「さむう」

 途端に空港で浴びていたと同じ北風に煽られて、体を丸めると、後ろも見ずに店内へ駆け込んでいった。

「んが?」

 外の冷気が、やっと暖まっていた車内に吹き込んだ。その寒さで正美が目を覚ました。

「権藤くん。お昼にしよ」

 自分の荷物を取りながら恵美子は正美に声をかけた。彼が充血した目で周囲を確認している間に、由美子も荷物を持って後に続いた。

 広めの駐車場に不釣り合いな程小さな店舗であったが、トイレは病院に近い立地のためか、車椅子でも利用可能な広さがある物が二つも用意してあった。

 店内が空いていたこともあって、二人はそれぞれ別の個室を利用することにした。

「じゃーん」

 飲み物の冷ケースの前で、炭酸にするかお茶にするかで悩んでいた正美の前に、恵美子が飛び出してきた。

「どお?」

 と言ったって、いつも見慣れた清隆学園の制服姿である。寒さ対策に黒いパンストと、飛行機から降りてから着ている黒いダウンぐらいが、いつもと違うところだった。

「うん、まあ」

 もともと眩しさを感じさせるような美貌の持ち主に、とびっきりの笑顔で迫られて、正美はドギマギするだけだ。

「襟とか折れてない?」

 正美の前でクルリと一周してみせてから、自分の体を見おろしてチェックする。

「別に変なトコは無いよ」

「そうじゃなくて」

 ちょっと膨れた恵美子が、正美を睨み付けた。

「高原に咲くエーデルワイスのように可憐だ。僕が見るだけで、君のその可憐さが汚されてしまうのではないかと、心配だよ」

 まるで中世の騎士がするように跪いた空楽が、芝居がかって胸に手を当てて言った、乾物コーナーから。

「そうそう。ほら不破くんみたいに女の子は褒めなきゃいけないのよ」

 恵美子は、その大袈裟でわざとらしい物言いでも、満更でも無さそうに微笑んだ。

 ちょうどその時もう一つの個室のドアが開いた。

「どお?」

 出てきたのはもちろん由美子であった。

 もちろん先日送ってもらった白膏学苑の制服姿である。この間と違って寒さ対策に恵美子と同じように黒いパンストと、飛行機から降りてから着ているファー付きのハーフコートを重ねているところが前回と違うところだ。

 白いプリーツスカートに黒いパンストなので、脚がとくに細く見えた。

「うん、まあ」

 これまた正美が気のない返事をした。相手が『学園のマドンナ』でも、ろくな事が言えない彼に、これ以上のコメントを求めても無理であろう。

「襟とか変かな?」

 その場でクルリと一周してみせてから、自分の体を見おろしてチェックする。

「下のカーディガンから、襟だけ出した方がいいんじゃないかな?」

 恵美子は由美子のハーフコートを開いて言った。寒さ対策にと制服と一緒に送られてきたVネックのカーディガンも身につけていたが、由美子は制服の襟を中に入れるようにして着ていた。

「そうかな」

 手の届きにくい背中の方などを、恵美子に手伝ってもらいながら襟を修正した。

 一通り終わったところで、店内を広く見せるために貼られている壁面の鏡に、自分の姿を映してみた。

「うん、いいんじゃないかな」

 クルリとその場で回った由美子に、恵美子は指でOKマークを作った。

「で、ほら」

 恵美子が目で男どもに合図した。褒めろという合図だ。

 空楽は一回だけ咳払いをした後にスラスラと喋りだした。

「まるで遥か南洋にあるスマトラ島の原生林に咲くショクダイオオコンニャクの…」










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