そして…
司書室の引き戸がガララと開かれた。乾燥する季節になって、ちょっと音が耳障り悪くなっている気がした。
入ってきたのはここ清隆学園高等部の制服を身につけた少女であった。
しかも、ただの少女ではない。無愛想な生地越しとはいえうっすらと想像できる体のラインは、どこに出しても恥ずかしくない完璧なプロポーションをしていた。それだけでなく小振りの頭や、モニター越しにしか見ることが出来ないような数学的にも均整の取れた顔の造作。
まさか最新の技術で、何もない空間にプログラムされた画像を投影しているのではないかと思わせるほどの、誰もが振り返るような美少女だった。
同性が嫉妬しそうなほど輝きを持っている長い黒髪を、オデコの回したピンク色の長いリボンで一回だけ括り、毛先と共に流れるままにしていた。
顔をしかめて室内を見まわす様子から、誰かと待ち合わせしているようだ。
その苦労はさほど必要なかった。
入ってすぐの応接セットを、彼女と同年代の少女が占領していた。
着ている服は同じ紺色をしたブレザーである。
肩を超えるまでの黒髪に、ちょっとソバカスを散らした鼻の頭、一番印象的なのは切れ長の瞳であった。
その意思が強そうな目で、今は何やら難しい顔をしていた。応接セットのガラステーブルに置いた硬質の書類ケースの蓋を開いて、中身を睨み付けていた。
ケース自体はワンコインショップで売っているような安物であるが、横に楕円形の穴が開かれ、そこにUSBメモリーが差し込まれていた。
どういう仕組みになっているのかは回り込めば簡単に判る話しで、似たような大きさのノートパソコンがそっくり中に填め込まれているのだ。
なにやら長文が表示された液晶画面を、唸り声の一つでも漏らしそうな勢いで睨み続けていた。そのせいか入ってきた美少女には未だ気がついていないようであった。
ケースの脇に置かれた湯飲みは、ぬるくなってしまっているのか、湯気の気配は全くなかった。
「おつかれ」
「?!」
声をかけつつ対面のソファに腰をおろして、やっと彼女に気がついたほど集中していたようだ。座っていた彼女は少し息を呑んで驚いて面を上げた。
「コジロー」
清隆学園において、生徒会が主催する(裏)投票で『学園のマドンナ』の地位を今年度一年間防衛したという待ち合わせの相手を見て、肩の力を抜いてみせた。
コジローというのは彼女の本名ではない。苗字からの連想でつけられたアダナである。本名は佐々木恵美子だ。
「なにを根詰めて睨んでたの? 王子?」
「れいの図書室のこれまでを纏める本。ンの原稿よ」
待ち合わせの相手が来たことで、ケースごとノートパソコンの蓋を閉めながら、王子と呼ばれた藤原由美子は、冷めたカップへ手をのばした。
彼女の王子というのもアダナであるが、その由来もはっきりと伝えられていなかった。どうやら彼女のファンクラブが命名したということぐらいしか判っていない。
「ちぇ」
手の平に感じた温度で湯飲みの中がどんな様子か判ったのだろう。由美子は書類ケースの脇に置いたお盆に湯飲みを乗せて立ち上がった。
「飲むでしょ?」
返事も聞かずに由美子は給湯器が設置されている流しの方へ行ってしまった。
電気式の給湯器だから、蛇口を捻れば熱いお湯が出てくる。急須の茶っ葉を手慣れた調子で交換し、四人分の茶器と一緒にお盆に乗せて戻ってきた。
「今日も蔵書整理と二本立て?」
「そうよ、ったく」
元の場所に戻りながらバシッとケースを憎々しげに指で弾いて見せた。
清隆学園高等部図書室では、受験を向かえる三年生に遠慮して、三学期の蔵書整理は春休みに入ってからと、毎年決まっていた。
昨年秋に図書委員会委員長に就任した由美子も、その伝統を守って、今期の蔵書整理を終業式まで行わなかった。
ただ例年と違う大きな点があった。
「また、みんな邪魔しかしないから」
笑いを堪えながら恵美子が、その大きな点を指摘した。
「ホントよ」
苛立っていたのか、由美子は急須を傾けながら声を荒げた。
委員長の由美子が管轄する高等部図書室には、主に彼女と同じ学年の『常連組』が居着いて久しかった。基本的に本好きの気のいい連中なのだが、すぐに脇道へ脱線して大騒ぎを始めるという個性的なキャラクターが揃っていた。
もちろん静寂と平穏を尊ぶ図書室において問題だらけの行動である。この一年という物、彼らが由美子の頭痛の種になり続けた。
いちおう職務に従って、口頭で注意をしようと努力はするが、いつも最終的解決方によって黙らせることになった。
最上級生たちが卒業して、学校も休みのこの時期、普段は出来ないところまでじっくりと整理整頓をしようと考えていた由美子であった。その蔵書整理に『常連組』たちもやってきて、手伝ってはくれようとはしているが、結局いつもの大騒ぎが始まり、作業は一向に進まなかった。
そこで『常連組』の横暴を許していたら、学園開闢以来の『剛腕』で『武闘派』の図書委員長と評価されている由美子の肩書きが泣くという物だ。
彼女は『常連組』を(眼力と腕力とで)招集し、一大プロジェクトをブチ上げたのだ。
あくまで有志による編纂という建前で、図書室の蔵書目録や委員会の業務内容、そして簡単な創立以来の記録まで入れた、清隆学園高等部図書室のこれまでの歴史を纏めた冊子を作ることにしたのだ。
幸い文章を書く者や挿絵を描く者など、無駄に小器用な者どもが『常連組』には揃っていたため、その編集作業は軌道に乗っていた。ちなみにこのノートパソコンケースもそういった小器用な『常連組』の一人が作った物であった。
元来真面目な由美子自身も、発注者兼現委員長としてふんぞり返って仕事を丸投げすることなく、蔵書整理を行いつつ、編集者として編集作業に関わっていた。来年度が始まって新しい委員長が選出されるまでは彼女が責任者なのだ。
代償として、二つの大仕事を平行して成し遂げるため、由美子自身が一日の仕事が捌ききれなくない程忙しくなっていた。春休みだというのに始発電車に乗って登校しなければならないほどだ。
もちろん彼女には右腕になってくれる副委員長などのスタッフもいたが、責任感が人より強いせいか、最後は自分で確認しないと気が済まないのだ。
清隆学園は学力の高さでも近隣に知れていた学校ではあるが、こうして文章を書かせてみると誤字脱字が多く、由美子が直接校正しなければならなかった。また図書室の歴史を編纂している連中は、実話だけでなく伝説や噂、怪談の類まで平気に織り込んでくるので、そういったもののチェックも怠ることもできなかった。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
そのまま乾いた唇を湿らせる程度にお茶を口にした。
「ごめんねえ、今日は手伝えなくて」
恵美子も、どちらかというと『常連組』に属する立場だった。由美子とは一年間同じクラスであったが、所属する剣道部を活動の中心にシフトしていたので、それこそ図書室の賑やかしになっていたきらいがあった。
「まあ、忙しいことはいいことよね」
今日はその剣道部の方で、今年度の締めとばかりに、他校の剣道部を招いた練習試合があったのだ。
剣道部のエースとして活躍している恵美子も、朝からそちらにかかり切りになっていた。
昼過ぎまでで大会を模した試合も終わり、やっとこ片付けも済んだ頃合いに、一通のメールが着信したのだ。
「そういえば、もう時間じゃないの?」
由美子は愛用している細身の腕時計をチラ見した後に、壁に掛かった時計を振り仰いだ。
基本的に春休み中の活動は、午後五時には門から追い出されることになっていた。そこから逆算して片付けなどを考えると、三時には仕事を終わらせなければならない。カギの管理をしている警備員さんに迷惑をかけないためにも、由美子は四時半にはこの部屋を出ることにしていた。
残された時間はもう少なかった。
いつもはその足で、近所の喫茶店『コーモーディア』の片隅を借りて、この図書委員会の備品であるノートパソコンで、編集作業の続きをやるのが、ここのところの生活パターンであった。
そんな由美子の生活リズムを把握している者が、恵美子と、さらにもう一人の女子を呼びつけていた。
再び入り口の扉が軋んで来訪者を伝えた。
「うわあ」と恵美子が感嘆したような声を漏らし「うわあ」と由美子が見てはいけない物を見てしまったような声を漏らした。
入り口には二人の人物が立っていた。仲睦まじく腕を組んでいる様子から、一緒に来たのがわかった。
腕を貸している方の少女の方が、遥かにもう一方よりも背が低かった。だが、もう一人が高すぎるだけであって、彼女の身長はごく普通の物である。
遠目だと水色に見えるほど細かいストライプが入った生地をしたカシュアールワンピースに、腰にはサテン生地の大きなベニガラ色をしたリボンを捲いて、右脇で大きくチョウチョ結びにしてアクセントにしていた。
まるで棒菓子のように細い脚は黒いストッキングで覆っており、肩にかけた白いカーディガンは冷気対策というより、オシャレの延長であろう。
手に持った西陣のクラッチバックといい、季節を半年先取りして、一見浴衣姿のようにも見えた。
和装をイメージさせるのも仕方がないような気もする。そのオシャレをしている少女の容姿が、これまた和紙を織ったような白い肌に、どこまでも青い黒髪は頬の高さで切りそろえているという、まるで日本人形が息をして動き出したような印象の美しい物だったからだ。
彼女が待ち合わせの一人である岡花子であった。
彼女は清隆学園図書委員会において、由美子の右腕として活躍する副委員長という肩書きを持っていた。
今日は華道家元である母親の付き添いで、都心の方で立食パーティがあり、それに出席するために図書委員会の方はお休みすると聞いていた。
いつもより数倍はお洒落な格好から、そのパーティ会場から直接ここへ駆けつけてくれたものと思われた。私服なので胸に来校者バッチを着けていた。
二人が声を漏らしたのは、そんな花子のファッションにケチをつけるためではなかった。彼女が腕を貸しているもう一人の人物の奇抜さのせいだ。
「あ、いたいた」
花子に引かれてやってきたのは、なんと花嫁さんだった。
どこまでも純白なロングドレスといい、バラをあしらったコサージュだらけの腰回りといい、パフスリーブと繋がったかのような白長手袋といい、さらにヴェールとブーケまでついたフルオプションであった。
「姐さーん」
ガラスのハイヒールでスキップを踏むような感じで迫られて、由美子は仰け反ってしまった。
「オマエなあ…」
頭痛すら感じて由美子は指摘した。
「ここはガッコで、教会でも式場でもないンだが」
「似合うでしょ?」
幸せ一杯の新婦といった表情で、パールの散りばめたリップに彩られた唇を微笑ませ、フレアを強調するかのようにそこで一回転してみせた。
「やっぱり、お嫁さんは女の子の憧れよね」
夢見る瞳になった恵美子が、両手を組んで溜息のように言った。
「ああ…」
テーブルに頬肘を着いた由美子は、どこまでも白けた顔で言った。
「たしかに女の子なら憧れるかもね」
「まあまあ、おねえさん」
取りなすようにエスコート役を務めていた花子が、花嫁から離れて、恵美子の横に着いた。
「似合うんだから、そう目くじらを立てずに」
「それで?」
テーブルの反対側で席を詰めている二人を見て、由美子はいまだに立っている花嫁に訊いた。
「オマエはドコに座ンだ? コッチじゃネーだろーな?」
「姐さんの上じゃダメかな?」
と可愛くぶりっこする花嫁に、固く握りしめた右拳を差しあげて見せた。
「聞こえなかったなァ。あンだって?」
「いえ、大丈夫です」
しゃっちょこばって敬礼なんてしてみせる相手に、由美子は大きな溜息をついた。
「で? なンの用だよ? だいたい男のクセに、その格好はどーした? ちゃんと説明しろ」
そうなのである。この花嫁衣装を着た人物は男で、しかも由美子とは天敵ではないかと思えるほどケンカする相手である郷見弘志なのだった。
もともとの女顔の上に細い体型で中性的な姿形をしていることもあるが、こうして高い確率で女装をして現れるという変態である。面倒なことにこうして女の格好をしているときは「サトミ」と呼んで女扱いをしないと返事もしないというやっかいな性癖まで持っていた。
サトミは、流しとパーテーションで区切られた場所にある事務机が並べられたコーナーから、背もたれが壊れて外れていた丸椅子を持ってきた。
これでもかというほどフレアがついた純白ドレスでは、応接セットに座ることはとても難しい。変な折り目がドレスについてしまうかもしれないし、ボリュームがありすぎてソファとテーブルの間に下半身が入れられない。
「よいしょっと」
自分の両手だけでは足りなくてソファに座った花子が伸ばした手すら借りて、大袈裟なフレアをさばくと、やっとこさ椅子の端に寄りかかるように腰かけることができた。
「はい、ハナちゃん」
「ありがとう」
由美子は花子へお茶を差し出した。
「オマエは?」
「わたしは…」
ちょっと表情を曇らせてから(詰め物が入れてある)胸元を見おろした。
「ドレスが汚れちゃうから、やめておくわ」
「で? ンの格好はあンだよ」
テーブルに頬肘をつきなおした由美子はヤサぐれた声で訊いた。
「これ?」
サトミが自分の白いドレスを見おろした。
「あたし、結婚するんです」
「わあぁ」
「きゃぁ」
「そういうヨタはいいから」
歓声を上げる二人を無視して由美子はサトミのセリフを一刀両断にした。
由美子の素っ気なさに、サトミは微妙に唇をすぼめると、つまらなさそうな顔を作った。
「ノリが悪いなぁ、姐さんは」
「ねぇねぇ、日取りは?」
「ハネムーンはドコ?」
「ほらあ、こうじゃなきゃ」
左右から夢見る乙女の顔になった美少女たちに訊ねられて、サトミはとても気持ちよさそうな顔をした。
「それよりも、まず…」
恵美子が花子に視線を送った。
「そうね…」
花子がその目に気がついた。二人して頷きあって、次の質問が重なった。
「「お相手は不破くんでいいのよね?」」
「ずるっ」と口で言いつつ本当にサトミは丸椅子から滑り落ちた。不破というのは由美子が頭を悩ませる『常連組』の一人で、サトミとはクラスメートである不破空楽のことだ。一見真面目な権藤正美の三人で、ついた呼び名が『正義の三戦士』である。
いつもつるんで遊んでいることから、そういった趣味のお嬢さんたちからは、ネタとして弘志と空楽は恋仲とされることが多かった。
床へしゃがみ込んで、円く白い花が咲いたようにフレアスカートを広げたサトミは、テーブル越しに見おろしてくる二人へ悲しそうな顔をしてみせた。
「ひどい二人ともぉ」
「だって、ねえ」と恵美子が花子を見れば「だってさ」と花子が恵美子を見かえした。二人それぞれに手を伸ばして引っ張ってもらって、サトミは立ち上がった。
大雑把にドレスを点検し、ついてもいない埃を払ってから丸椅子へと戻った。
「で?」
ずり落ちた瞬間に、フレアの下のズロースまで見てしまった由美子は、一回窓の外へ視線をやってから振り返った。
話があまりにも進まないので、いいかげん焦れて眉がピクピクと動いていた。青筋が額に浮いていたかもしれない。
「これね」
そろそろ彼女の堪忍袋の緒に限界が来そうだと察したサトミは、スカートをさばきながら事も無げに言った。
「F中駅の東側に写真館があるでしょ」
その相手が知っている前提の切り出し方に、三人娘たちが不思議そうな顔をした。
「PC工法の、ほら小金井街道沿い」
だが首を捻るばかりである。それも仕方が無いことかもしれない。なにせ由美子の住まいは新宿で、清隆学園まで電車バス通学である。しかも乗り換えに使用している駅はサトミの指摘した駅ではなかった。サトミが言った駅も、特急停車駅なので栄えているのは知ってはいるが、たまに買い物に寄る程度である。恵美子も花子も似たような状況であった。地元から清隆学園に進学し、毎日自転車通学の彼とは、清隆学園周辺の地理への理解度に差があって当然と言えた。
「で? その写真館があンだよ」
「そこのウィンドーに飾る写真のモデルを、館長さんが探してて。気のいいわたしが、僭越ながらモデルと…」
「五〇〇〇円だな」
説明の途中で由美子が口を挟んだ。
「?」
不思議そうに顔を見合わせた恵美子と花子が、同時に彼女へ振り返った。
「バイト代よ。写真一枚あたりモデル料として五〇〇〇円といったトコでしょ?」
「まさかぁ」
恵美子が信じられないといった顔をした。
「サトミだったら拘束時間で計算させて、時給二〇〇〇円は取るでしょ」
「んんん」
花子が首を振った。
「写真撮るのもタダ。時給もなし」
「?」
その意見に全員の視線が花子に集まった。
「そのかわりウィンドーに飾った写真の枚数と日数で、月末に精算でしょ」
「あ」
自分が考えたのより遥かにあくどい条件に、女子二人が声を漏らすと、サトミはつまらなそうに口を尖らせた。
「ちぇっ、バレちゃったか」
「そのモデルが、ンでドレスのままうろついてンだよ」
「この後、チャペルの方で撮影予定なの。でも本当の結婚式が今日もあるから、撮影用に借りた時間まで待ちなのよ」
「バイトの中抜けかよ」
「だって、コレ。着れば判るけど、容易く着替えなんか出来ないんだから」
「そりゃあ着替えるのに時間がかかるのは知ってっけど」
なにげなく由美子が受け答えすると、女子二人が両拳を唇に当てて仰け反った。
「なんで王子が知ってるの?」
「私たちに黙って、噂の彼と、もう式をあげちゃった?」
「バカ。親戚の結婚式とかで、お色直しとかあるでしょ」
赤面した由美子は、照れ隠しに喚き散らした。
「それに、まだ結婚なンて、早いわよ!」
「結婚できるでしょ」
冷静にサトミがツッコミを入れた。
「もう姐さんたち十六歳なんだから、親の承諾があれば結婚できるのよ」
そう言えばそうかといった顔になった三人は、お互いの顔を見比べた。唯一の仲間はずれを気にしたのか、恵美子が優しい声を出した。
「サトミには、まだ二年もあるもんね」
外見は女でも中身は正真正銘の男であるから、サトミが結婚できるのは早くても十八歳からである。
「十六だからって、すぐに結婚しなきゃいけないとは限らないし」
「そんなこと言ってると、姐さんだけ嫁き遅れになってたりするよぉ〜」
まるで不吉な予言のようにサトミに言い切られて、由美子は窓の外へ顔を向けた。
「ンなことないもン」
だが、その程度でやめるサトミではなかった。
「適当な男はキープしたけど、結婚まで踏み切れずにズルズルと。気がつけばお互い適齢期も過ぎており、顔を合わせてもかつてのトキメキは消え失せ、いつの間にか男は若い女に入れあげて…」
「いーかげンにせンと、赤いドレスで写真の続きを撮ることになるよ」
由美子の手が急須にかかったところで、降参とばかりにサトミは両手を上げた。
「で? 用事の方は?」
改めて集合をかけた人物を睨み付けた。自分はいつもココで仕事をしているから事のついでだが、恵美子も花子もわざわざ駆けつけてくれたのだ。これで下らない事を言いだしたら、白いハイカラーに包まれている細い首を両手でねじ切る自信が彼女にはあった。
「ん? ええと」
気分を切り替えてサトミの顔が引き締まった、といっても口元にはいつもの微笑みは残ったままだったが。
「進級してすぐの図書委員会だけど、姐さんたちは引き続き委員会やるの?」
サトミの逆質問に、由美子と花子が顔を見合わせた。
「まあ」
「うん」
曖昧な声が出た後に、意を決して由美子は言った。
「乗りかかった舟だし、本は好きだし、将来学校司書になる夢も捨ててないし、役員やるかどうかは判ンないけど、また図書委員はやると思うわ」
「私も大体同じ」
大いに結構とばかりにうなずいたサトミが口を開いた。
「それで提案なんだけど。今年…、いや今年度の図書委員会って参加人数が少なかったじゃない」
「オマエらが騒ぐから寄りつかなくなっただけだろ」
今年度『常連組』が起こしたバカ騒ぎの数々を振り返り、由美子の目つきが鋭くなった。
「その中でも特にオマエ」
「それって一般の図書委員が仲間意識を持てなかったせいでもあると思うんだ」
鋭い指摘もなんのそのサトミは饒舌に語り続けた。
「『常連組』が仲良しすぎるから、疎外感で来なくなっちゃった点もあると思うんだよね」
「オマエらが出てけば済む問題じゃないのか?」
「委員長が自ら利用者自体を減らすような発言はいけないでしょ」
「で? なにを思いついたンだよ」
いいかげん結論が聞きたくなって由美子が水を向けた。
「最初の委員会の日さ。新しい役員を決めた後に、親睦を深めるために新歓コンパをしようよ。ココで」
「却下」
反射神経すら介入してないような間で由美子が即決した。
「え〜っ、なんでなんでぇ」
「オマエは大丈夫かと思うが、絶対にアルコールを持ち込む奴がいるからダメ」
「そこは姐さんだけじゃなくて、あたしからも言っておくから」
元来騒動屋のサトミは、何かの集まりという時に音頭を取ることが多かった。彼の仕切りっぷりが見事なのは知っていたが、それだけでは済まない。もし校内で飲酒なんていう不祥事が発覚したら、最悪停学処分だってあり得る。
胡乱げにサトミを睨んでいた由美子が視線を現副委員長の花子に移した。この一年、共に苦労しただけあって、目を見ただけで彼女が言いたいことが判った。
「誰とは言わないけど、ねえ」
なにせ居眠りと読書、そしてアルコールが生き甲斐と公言して憚らない空楽がいるのである。コンパと聞いてアルコール類を持ち込むことは容易く想像がついた。
「じゃあ空楽だけ仲間外れ…、ってわけにもいかないか」
サトミの肩が落ちた。
「でも、まあ」
そのあまりにも消沈した様子が見ていられなくて、由美子は湯飲みの中へ目を移した。
「なンかヤるのは賛成だけどな」
「ホント?」
まるで転んで泣いた保育園児が、飴玉を渡されたような切り替えの良さで、サトミの表情が明るくなった。
「さっすが姐さん、太い腹」
「そこは太っ腹だろうが」
盆の上に乗せておいた茶筒の脇から茶さじを取り上げて睨み付けた。
「い、いまのは言葉の綾よ」
「余計に悪いわ!」
もう少しでそれを投擲しそうになったところを、花子が押しとどめた。
「じゃあ」
焦った声でサトミが言った。
「お菓子も飲み物も事前に用意しておいて、参加者に後から徴収するっていうのはどお?」
「後からの持ち込みは、基本的に禁止?」
確認するために花子が念押しのために訊いた。
「ええ。取り敢えず必要な分は、コレでいいでしょ?」
とサトミは自分が着ているドレスの一端を引っ張った。
「?」
顔を見合わせる三人に、事も無げに告げた。
「このバイト代よ」
「え、だって…」
言葉に詰まっていると、楽しそうにサトミは言った。
「委員会の予算からは出しづらいし、それに役員だって替わるかもしれないんでしょ。だったら、いきなり新しい役員に金銭的な負担はかけたく無いじゃない」
「オマエはいいのかよ?」
ボランティア精神とは一番かけ離れた位置にいるようなサトミの提案に、由美子は半信半疑の顔となった。
「いいわよぉ」
それに目をキラキラさせてサトミは答えた。
「その代わりに、姐さんたちで一芸を披露してね」
「いちげい?」
三人が顔を見合わせた。
「三人組ユニットっていっぱいあるでしょ。羞恥心とか悲愴感とか…」
「そこで、なンで女性グループが出てこないンだ? しかも色物」
殺気すら孕んでいそうな視線で睨み付けてもいつもの微笑みのままであった。
「あ、じゃあPerfumeなんてどお?」
乗り気になったのか恵美子が乗り出してきた。豊かな胸がガラステーブルの上で弾んでいた。
「かしゆかです」と指をチョキにすれば横の花子が乗せられて「のっちです」と同じようにチョキを作った。
「…」
サトミと恵美子、花子がお互いの顔を充分に眺めてから、少々不機嫌な顔で由美子へ上体を傾けた。
「「「あ〜ちゃんですは?」」」
あまりの迫力に由美子は仰け反って距離を取った。
「いや、パフュームぐらいは知ってるけど」
「なにか不満?」
キリキリと顰められる恵美子の眉に申し訳なさそうに由美子は口を開こうとした。
「おねえさん、足が…」
「あっ」
花子の指摘に恵美子は口元へ手を当てた。由美子は足に軽い障害を抱えていた。普通に生活している分には不自由を感じさせないが、テクノダンスユニットの真似事なんていうのは無理であろう。
「そうなのよ」
由美子が花子にうなずいた。
「じゃあ、あたしが代わりに入るってことで、どお?」
脇から花嫁衣装が嘴を挟んできた。
「これで三人。姐さんは一人で何か隠し芸ね」
「オマエなあ」
確かにサトミならば恵美子と花子に並んでも見劣りがしないだろう。とても華やかな演し物になることは間違いなさそうだ。
「ねえ」
花子が不思議そうに訊いた。
「サトミって、なんでそこまでするの?」
「?」
意味が判らなかったのか、目を点にしてみせた。
「なんやかんや大騒ぎしながらも、図書委員会のために色々してくれるでしょ? サトミなら乗っ取ったり、対抗勢力を作って競わせたり、悪い方法で図書室を占拠する方法をいくらでも考えつきそうなものだけど?」
キョトンとしたまま花子の質問を聞いていたサトミは、いつもより柔らかい微笑みを浮かべて答えた。
「居場所だからかな」
「いばしょ?」
聞き返した花子の声にうなずきながら、サトミは少々早口になった。
「家でもクラスでも嫌われ者だからね。あたしが座っていられる場所って、ココぐらいしかないのよ」
「だったら静かに座ってろ」
由美子が柳眉を上げたのにも微笑みで答えた。
「姐さんがいて、この場所を守ってくれている安心感がそうさせてくれるのかな。どれだけ壊れても、姐さんが直してくれるでしょ」
いつもとは違う目線で見られて由美子の方が赤くなった。
「つまり、あたしは姐さんに甘えているんだよね」
何か言おうとした恵美子を制して言葉を続けた。
「コジローにもそう。ハナちゃんにもそう。ココではみんなに甘えちゃってるのよ」
言っている自分も照れくさくなったのか、花嫁衣装に似合うような赤面した表情をした。
「だから居場所を守るためなら、このぐらいの苦労ならありかな。居場所だけじゃないわよ。みんなを守るためなら同じ努力もできるわ」
いつも見せないような顔になったサトミは、代表するように由美子を見つめた。
「きっとこれが愛してるってことかしら。姐さんがたとえ男でも、同じ事が言えたと思う」
いつもなら黄色い声を上げてからかう恵美子も、あまりにも真面目な告白に、彼女の方が赤くなっていた。
「だから口ゲンカしてもいい。ド突かれてもいい。最後はいつも元通りになれる安心感があるから」
その時、サトミの体から電子音がした。持っていたブーケからスマートフォンを取り出すと、画面を確認した。
「あ、もう時間。行かないと」
丸椅子から見事なばかりの体裁きで立ち上がると、別の微笑みを作った。
「ということで新歓コンパ。よろしくね」
「うん」
いつもより素直な返事が由美子から出た。
「どうする王子」
それでいつもの調子が出たのか、恵美子が意地悪そうな顔を取り戻すと、テーブルを挟んだ由美子をニヤニヤ笑いで見た。
「愛の告白よ。彼氏がいるのに大変ね」
「あー、あいつ振ったから」
…。
「「「はあ?」」」
再び三人から迫られて由美子は仰け反った。
「まだ一週間も経って無いじゃない!」
「おねえさん、そんな…」
「ナニが弱かったのか?」
とりあえず下品な物言いをしたサトミには、まだ持っていた茶さじを投げつけておいて、女友達二人に振り返る。
「だって、あいつ。昨日からアメリカ行っちゃったし」
「だからって遠距離恋愛だってあるでしょ」
逆上したかのような声になった恵美子に、なんと説明していいか困った顔になった由美子は、とりあえず口を尖らせた。
「アメリカに四年間だから、君を束縛したくないとか何とか言ってたけど。ありゃあ他の女のこと考えてる顔だったし」
「おやおや姐さんらしくもない」
飛んできた茶さじをなんとかブーケで受け止めていたサトミが、どことなくうれしそうに言った。
「太平洋ぐらい平然と平泳ぎで横断して、押しかけ女房ぐらいしそうなのに」
「だから学校司書の夢も諦めてないって言っただろ」
ふてくされた態度の由美子を見て、感情が高ぶったのか、恵美子はとうとう席から立ち上がった。
「やっぱり郷見くんが忘れられないのね!」
「いや、それはない」
落ち着いて座るように手で促しながら、由美子は冷静にきっぱりと言った。
「でも、愛の告白されちゃったよ?」
横の花子がそれ以上に冷静に言った。
「え…」
再び赤くなった由美子は立っている花嫁姿の相手を見た。
サトミはいつもの微笑みでテーブルに茶さじを戻すと、おだやかに口を開いた。
「だから恋人になるのは無理なんだって」
残念そうな顔をする二人に、噛んで含めるようなゆっくりな調子で宣言した。
「姐さんや、コジロー、ハナちゃんには甘えちゃうから恋愛対象にはならないんだ。強いて喩えたらお母さんとチビッコといったところかな」
「じゃあサトミはどんな女の子だったらいいのよ」
今度は恵美子が口を尖らせていた。恋愛対象にないと言われたことが気に入らないらしい。
「そうだね」
一旦ブーケを眺めて言葉を切った。
「あたしの周りにいる女性はみんな強い人ばかりだから、逆に一緒にいてあげないと寂しさにすら負けそうな娘がいいかな?」
「ウサギでも飼えば?」
皮肉めいた様子を少しも入れずに花子が言った。ウサギは寂しすぎると死んでしまうと言われている動物だ。
「それもいいかな? じゃ細かいことは今度ね」
連絡はこれでするという意味だろうか、サトミはスマホを振ってから、なぜか廊下の方ではなく図書室と繋がっている扉へ向かった。
男とは思えない程細い背中に手を振って送り出した二人は、扉が閉まりきる前に由美子へ真剣な顔で振り返った。
「な、なに?」
用事が終わったのでケースを開いて編集作業に戻ろうとしていた由美子が、二人の形相にギョッとした。
「で? けっきょく元カレとはどこまで行ってたの?」
「成田空港まで」
「は?」
由美子の素のボケに、二人の目が点になった。
「昨日の出発ゲートが、一番遠くまで行った所なンだけど」
「そうじゃないでしょ!」
頭から角が生えそうな勢いで声を上げる恵美子の袖を、花子が二回引っ張って座らせた。
「これはダメね」
悟りを開いた僧侶のような表情だった。
「手を繋ぐレベルで止まってるわよ」
「そんな小学生じゃあるまいし」
「?」
目の前で交わされる二人の会話が自分に関することだろうとは理解できたが、なにを話しているのかが一向に判らなかった。
その途端、司書室は色々な電子音で満たされた。
「?」
どうやら三人それぞれのスマホに着信があったようである。
一人だけ着信したのなら遠慮もするが、話も切れたので、三人がそれぞれのスマホを取りだした。
メールが着信したようだ。
発:郷見弘志
宛:図書室のみんな
本文:緊急!! 藤原さんが男を捨てる。で、新しい男を物色中!! 飢えているのでしばらく近づかない方が身のため!!
ピシリとガラスにヒビの入ったような音がした。
「あらあら」
「まあまあ」
二人にも同じ文面が届けられていたのか、ソーッと同時に顔色を窺ってきた。
「コロス!!」
液晶画面から上げた顔は、鬼の形相になっていた。
「あのヒラヒラのドレスだもの、まだ遠くに行っていないんじゃない?」
恵美子の言葉に、三人が同時に首をまわした。司書室と図書室を隔てる壁には、大きなガラス窓があった。
そのガラスの向こうで、わざわざヴェールを上げたサトミがスマホを差しあげてアカンベエをしていた。
「あああンにゃろおおおおうううううう」
由美子は扉へ、突進を開始した。
そして彼女は図書室への扉をくぐった。
出来事シリーズ・おしまい




