三月の出来事・③
「あいてて」
見事に赤くなった横っ面を押さえて断熱シートに座り直す頃には、全校の男子が夢に見る『学園のマドンナ』は背中を向けて丘をおりていくところだった。
彼女と入れ違いに、前『学園のマドンナ』である加賀沼祥子が丘をこちらに登ってくるのが目に入った。
二人がすれ違う瞬間、恵美子は相手をまったく無視しており、祥子は挑発的な視線を送っていたりもした。
「もう、そんな時間か」
弘志はこの芝生スペースに立つ、味も素っ気もない時計台へ目をやった。
針が上へ揃うところだ。
やって来た祥子は嫣然と(自分では思っている)微笑みで見おろした。
「時間になりましたから、私とデートしていただけますね」
「もちろん」
弘志は赤くなった頬を示した。
「でも、ちょっと時間くれます? 冷やしてくるから」
「もちろんですわ。まるで私がやったと、まわりの人に思われてしまうではないですか」
「どうも」
弘志はニッコリと笑うと荷物をまとめ、近くにあった公園のトイレへと入っていった。
祥子は、ガラスブロックで遮られた入り口で待っているのが、自分の美意識にそぐわないために、少し離れたベンチに腰をおろした。
木造を装った小さなトイレは、祥子から見て右に青い男マーク、左に赤い女マークが付けられているが、ガラスブロックで造られた壁は入り口を隠して立っているだけで、その向こうに男女別々の入り口が設けてあった。
そのため、右から女の子が出てきたり、左から男性が出てくることもある。
まさか自分とのデートから逃げ出すまいと思ってはいたが、祥子はそのトイレから出てくる人のチェックは怠らなかった。
すると、背の高い女の子が左側から出てきた。特別目を引いたのは彼女のかわいらしさで、アーモンド型をした大きな赤茶色の瞳に、思わずつつきたくなるような白い頬、同性の祥子でもドキリとさせられた。
軽くウェーブさせた茶色の長い髪を後ろでアップにまとめ、黒いリボンで結んでいる。
上は淡い桃色をしたランニングの上にワンショルダーワンスリーブのシャツを二つ重ね着していた。その二枚のシャツは対照的に白と黒をしていて、同じデザインをしている。そのため肩のあたりは三色の肩ひもが交錯しているという賑やかさだ。
最も上に着たシャツの黒にあわせたのかボトムは超ミニのデニムスカートである。
見えてしまうような短さだが、黒いパンストで細く長い脚を覆っているので、余分な視線といっしょに寒さをシャットアウトしているはずだ。
目を引いたのでホケッと見ていると、彼女のほうから祥子に近づいてきた。
「もう目立たないでしょ、加賀沼先輩」
「え」
「殴られたあとのこと」
「まさか…」
そう、そのまさかである。弘志はこの短い間にサトミへと変身していたのだ。
眩暈を感じるほどの衝撃を生徒会副会長が受けている頃、妙に煤けた感じの空楽は、離れたベンチの影に隠れた一行の中で腕組みをしていた。
「やはり、はじまったな」
「はじまった?」
同じく隠れている由美子は、半分だけ振り返った。
「これで、やつが清隆の女子どもに嫌われている理由が、藤原さんにも理解できるとおもうぞ」
その後ろで白衣を焦がした明美もうなずいている。
どうやってか今まで着ていた服をいつものディパックに入れた弘志は… いやサトミは、それを公園のロッカーにあずけると、貴重品は腰に巻いたパステルカラーのポーチに入れた。
「先輩も午前中にプラネタリウムを見たみたいだから、あっちの池でボートにでも乗りません?」
すっかり口調まで女の子になったサトミが誘った。さりげなく嫌みを混ぜることを忘れていない。
「い、いいわね」
自分に着こなすことが難しそうなきわどい服から推察されるボディラインを想像して、それが女の体であることに気がつき、慌てて訂正してみる。
胸はパット? 腰はコルセット? ヒップラインは矯正下着?
あんな短いスカートなんか今の自分には似合わないだろう。大学生になった頃? それとも、もうちょっと上になってから?
腫れた頬は冷やしただけでなく、ファンデーションで軽くお化粧まで済ませてある。しかも、うらやましいことに長い睫は元々彼女の… いや彼のものだ。ビューラーを使った様子もない。
髪の毛はウィッグだろうか?
だとしたらあんな短時間で、髪へセットしてなじむモノなんだろうか?
トイレで別人と入れ替わったのだろうか? でも人の出入りは確認していたつもりだ。
それに外見はまったく違うが、この先輩を先輩と思わない横柄な口のきき方は、まちがいなく彼である。
まさか魔法のステッキで呪文を唱えるとお手軽に着替えられるとか。
そんな色々なことを考えながら歩いていると、ボート乗り場の方向から三人組の男たちが歩いてきた。服装からして大学生が、もうそろそろ日本全国が気にし出す花見の下見に来たといった感じである。
三人は二人に気がつくと、ちょっとだらしない顔になって近づいてきた。
祥子にはそれがナンパの兆候であることがわかった。
今は恵美子にその座を譲っているとはいえ『学園のマドンナ』として、いつでもカンバックできるように日々の研鑽は忘れてはいない。
おかげで(たまにだったが)外で声をかけられることもある。
「ねえ、彼女」
三人のなかのもっとも軽そうな一人が、やはり声をかけてきた。
「寒いでしょう、あっちでお茶でも飲まない?」
「けっこうです」
祥子はそっぽを向いて先を急いだ。
ふと違和感を感じてまわりを確認すると、祥子は一人で歩いていた。
「ええ、でも」
かわいらしい声でやわらかくお誘いを断る声が背後でしている。
「お友だちが行っちゃったしぃ」
「いいじゃん。君だけでもどお」
「ちょっと!」
祥子はキリキリと眉をひそめて声をかけられた地点まで戻り、男たちに囲まれたデート相手を捕まえ、強引にひきずった。
「あたしゃ、頭痛がしてきたよ」
二人から離れて歩いている集団の中で、由美子はコメカミに人差し指を当てていた。
「まさか、嫌われている原因って」
傍らの正美が空楽を振り向いた。
「そう。ヤツには、デートしている相手の女の子を差し置いて、街で“男”にナンパされるという悪癖があるのだ」
つまらなそうに鼻を鳴らした空楽に代わり、まるで相撲取りのような圭太郎がこたえた。
「サトミ、かわいいもんね」
花子が感心した声を漏らす。
それからボート乗り場に着くまでに、六人の男からサトミは声をかけられた。
「先程は、狙撃されて盗聴を失敗したが」
明美はボート池の畔で振り返ると、堂々と胸を張って腕を組み、冬の風にさっきの爆発で煤けたままの白衣をなびかせて言った。
「同じ失敗をしないのが、研究者というモノだ」
「はあ」
自信たっぷりの明美の勢いに押されたのか、集まった全員が気のない声でこたえた。
「奴は盗聴をされないように水上に出た。高性能マイクがあれば岸から観察できるが、いまは残念ながら(爆発して)もう無い。奴も安心してこの選択をしたのだろう。しかし、俺は奴の思いもつかないような方法で、ごく間近より観察を続ける」
明美の白衣が一層風をはらんだ。
「こんなこともあろうかと製作していた、超小型原子力潜水艦『ブルーシックス』だ!」
白衣をはねのけるように明美が振りかえると、そこにラジコン大の潜水艦模型(のようなもの)が小さな台車にのせられてあった。
まるで鉄人が操縦できそうなコントローラーを反対側の内ポケットから取り出すと、次々にスイッチを入れていく。
「行け! 俺の最高傑作!」
スクリューが空を切る軽い音がして回りはじめ、その回転の振動で、台車が池のなだらかになっている縁を下り、見事『ブルーシックス』は進水した。
浮力により浮いた船体が、台車と水中で分離した。
「これより郷見弘志を、高感度ソナーと潜望鏡にとりつけたCCDカメラにより監視を開始する」
明美が新たなスイッチを入れると『ブルーシックス』は潜水を開始した。しばらくして潜望鏡の先端だけが水面に現れる。
「ちょっとまて」
由美子は気がついた。
「いま、なンて言った?」
「高感度ソナーと…」
「その前だ!」
「俺の最高…」
「その一つ前!」
「こんなこともあろうかと製作していた、超小型原子力潜水艦…」
「その『原子力』ってなンだよ!」
「あれ?」
明美は不思議そうな顔をした。
「物理の授業でやったでしょ。原子核に中性子をぶつけると…」
講釈をはじめようとする明美を由美子は拳で沈黙させた。
「ンなところで、ンな物騒なモノをつかうなあ!」
体を二つに折って悶え苦しむ明美を見て、既視感を得た花子は、隣で芝生に大の字になって居眠りを始めようとしていた空楽に訊いた。
「もしかして、おねえさん」指で差し「最悪に不機嫌なのかしら」
「まあな。いつもならあそこで殴られているのは弘志だからな」
「ヤキモチ?」
「さあてな」
器用に寝っ転がったまま肩をすくめた空楽は、彼女がこちらを振り返ったことに気がついて、あわてて口をつぐんだ。
「なンか言った?」
「いえ、なんにも」
花子はあわてて首を横に振った。
「で? どうなのよ」
由美子は明美を振り返った。彼はまだダメージから回復していないのか、苦しそうな顔で体を伸ばしきれない様子である。
ここらへんが殴られ慣れているか、そうでないかの違いがでるところだ。
「ほら、このモニターで監視ができる」
明美が持っているリモコンには中央に液晶モニターが装備されており、水面ギリギリからボートの縁ごしにサトミと祥子の姿が映っていた。
サトミの表情は角度が悪くて見えないが、祥子の表情はわかる。何事か注文をつけているのか、祥子は険しい表情で口を動かしていた。
ただ音声が何も伝わってこないので、滑稽な無声映画のようにも見えた。
「なンにも聞こえないわよ」
不良品を掴まされた主婦のような口調で、由美子が指摘した。
「あれ? おかしいな。いま感度を上げてみるわ」
明美はモニター横のダイヤルをぐいっと右に回した。
その途端に、なにやらコーンコーンという金属音が聞こえ始めた。どうやらリモコンにつけられたスピーカから流れてくるようだ。
「なにこの音?」
「まさか」
明美がスイッチを切り替えた。液晶モニターの画像が、ボート上の二人から、扇形をした水中ソナーのデータになる。
前方から白い筋が画面中央に向かってのびてきていた。なにか二つの細長い物が『ブルーシックス』に接近しているようだった。
「魚雷だ」
由美子と反対側からモニターを覗き込んでいた正美が冷静に分析した。
「はあ?」
「潜望鏡格納! 急速潜行! 前部魚雷発射管に囮魚雷装填!」
目が点になった由美子を無視して発せられた正美の号令に、明美が慌ててリモコンを操作した。
二、三回余分なスイッチ操作で、モニターが潜望鏡のCCDカメラの映像に切り替わってしまう。
水中を船体に格納されつつあるそれは、透明度が悪い池の水の中を、こちらに向かってくる二本の黒い物体と、その向こうにそれを発射したと思われる黒い影を映し出した。
「当たるぞ。ダウントリム一杯! 取り舵一杯! 機関停止! デコイ発射!」
舵を切ったことにより動いた画面の中に映ったその黒い影には、確かにオレンジ色の字で「707」と書かれていた。
みんながいる池の畔と、サトミたちが乗るボートのちょうど中間地点で爆発が起き、盛大な水柱が上がった。
「やられたか?」
沈黙でおおわれた中、冷静に向こうで寝っ転がっていた空楽が声だけでたずねた。
「いや」
顔色がかわるほど、リモコンにしがみついた明美が否定した。
「二本ともデコイにひっかかった」
パチパチとスイッチを入れなおしながら確認する。
「無傷かな?」
「直撃は避けられたが、爆発の衝撃波をくらったな。右舷前部タンク損傷、排水不能」
正美の質問に明美はリモコンの計器を指差した。
水中の姿勢をしめす傾斜計の針が、徐々に右へと振れていた。
「右舷トリムタンクを排水してバランスは取れるか?」
「やってみよう」
明美がリモコンを操作すると、その針がピタリと止まり、やがてゆっくりと真ん中に戻ってくる。
「反撃だ!」
勇ましい正美の宣言に、明実は一度彼の顔を見た。
「魚雷装填! アクティブソナー発信!」
画像を再びソナー画面に切り替えた。今度はただ真っ暗なだけでなく、波紋のように中心から外縁へ向かって幾つかの輪が広がった。それは模式的に、アクティブソナーの音波が到達した海域を示していた。
扇形の画面を見つめていると、発射した音波の速度分遅れて、光点が発生した。
「よし敵を補足。一番から三番まで魚雷発射!」
すうっと、中央から、その光点に向けて光の線が現れ、見る間にそこへ届いた。
今度はサトミたちの乗るボートのすぐそばで大爆発が起き、水柱が噴き上がった。
「やったか?」
爆発の衝撃で真っ白になった画像を解析しようと、明美と正美が頭をよせた。
全面白色が段々たくさんのノイズにかわり、そして黒に戻っていった。
そこには相変わらず光点が存在した。
「おお」
「やるな。命中直前に、急激な進路変更により発生する『ナックル』という泡の塊をつくって、デコイのかわりとしたな。だが甘いぞ弘志」
ふふふと不気味な嗤いに顔をゆがませる明美。
「魚雷はまだ搭載してある」
「バカやってンじゃないわよ」
由美子が明美と正美に鉄拳を落とした。
「っう」
「あいたた」
「他のお客さんにめいわくでしょお」
「そうだぞ、御門」
いつの間にか居眠りから起きあがっていた空楽も、彼女の横から腕組みをしながら言った。
「敵は一撃で倒さんとな」
「オマエは黙ってろ」
空楽の腹にも鉄拳がめり込んだ。
その時、リモコンから再びコーンという金属音がした。
「まずい」
慌てて顔をあげると、ソナー画面に映し出された光点から、光の線が画面中央に向かってのびてくるところだった。
「いかん!」
「デコイは?」
「装填が間に合わん!」
「ドップラーシフト上昇!」
「ノイズメイカー放出!」
再び畔とボートの中間地点で爆発が起きた。今度の爆発は今までの物とは違う大きな規模であった。
「あ〜あ」
正美が残念そうな声を上げる。
リモコンの計器に全て反応がなかった。
「うむ」
冷静に明美は、ラジオのような物を懐から取りだした。
「隔壁の自動封鎖装置は働いたな。外部に放射能が漏れていないようだ」
「あれ? まさか原子力潜水艦って」
「形を模しただけで俺がそう呼ぶとでも思ったか?」
明美は、じつに下らん質問だとばかりに、正美へ冷たい視線をやってから、ボートの方を睨み付けた。
「だが、これで勝ったと思うなよ弘志。こんなことはあろうかと、次の用意は、もうしてあるのだ」
明美は池の縁に振り返った。そこでは圭太郎と有紀の手によって今まさに進水しようとしているラジコンの駆逐艦のような物があった。
しかもすでに水面には同じ物が一個水雷戦隊ぶん用意されていた。
「はあ」
怒る気力も無くしたのか、由美子はがっくりと肩を落とした。
「なんか戦争ごっこになっちゃったわね」
横の花子も微妙な顔になっている。
「向こうの休憩所でお茶でも飲んでこようか? まだ、だいぶかかりそうよ」
花子の提案に由美子は顔を上げた。
「そうしようか」
二人がその場を離れるのを待っていたかのように、明美の「艦隊」の中心に、一隻の背中が平たい鯨のような物が浮上してきた。
「!?」
セイルに「シーバット」とオレンジ色で書かれたその戦略原子力潜水艦のようなものは、背中のハッチを次々に開くと、そこから無数のミサイルを発射した。




