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三月の出来事・②

 その週の日曜日。

 結局三人は「平和的な話し合い」で決着し、弘志は午前中を恵美子と、午後は祥子と、学園が所在するF市市内でデートすることになった。

 市の中心にある私鉄駅の駅周辺で待ち合わせとなった。

 その渾名の由来する人物のごとく、待ち合わせには遅れたことのない恵美子が、今日もやっぱり一人だけで先に着いていた。

 約束の場所であるこのファストフード店で、ホットチョコレートだけをテーブルに置き、窓の外を歩きすぎていく人たちを眺めていた。

 今日のおしゃれは、黒いつなぎの作業服の上に、白のカッターシャツのボタンをとめずに重ね着し、ボトムはダメージ加工されたブラックジーンズを履いていた。ジーンズの膝やら脚のそこかしこから冬の冷気が侵入しても、下に重ね着したつなぎで防がれるという寸法だ。

 さらに冬の朝という冷え込みが一層することの対抗として、黒のケーブルニットカーディガンを着て黄色のスカーフを巻いていた。

 何枚も重ね着をしているとはいえ、体のラインを強調するファッションといえた。

 長い足を組んで飲み物の湯気がまとわりつく様子は、その美貌と活動的な服装から、現代によみがえったマタ・ハリとも見えた。

「どういう気なのかしら」

 ホットコーヒーを飲む真似をしながらその横顔を見つめる人物がいた。

 茶色のダウンジャケットに薄い桃色をしたジーンズという姿はまだしも、大きすぎるヒマワリのバンダナで真智子巻きをし、サイズのあわないサングラスとあわせて、本人は変装しているつもりらしい。

「じつは何にも考えていないと思うよ」

 突然、自分のついているテーブルの反対側から声をかけられて、驚いて振り返ってみれば、そこに米軍制式のジャンパー姿の正美と、さえないサラリーマンが愛用するような黒色のコートをまとい、半分目が開いていないようすの空楽が、いつのまにか座っていた。

「なンで、アンタらがいンのよ」

 驚きでサングラスをずりさげたその怪しい人物、由美子がきいた。

「だって、なあ」

 正美は隣に視線をやった。

「うむ」

 腕組みをして空楽。

「「おもしろそうじゃないか」」

 二人のセリフがそろった。

 由美子はただ頭に手を当てて深い溜息をついた。

「お待たせ」

 話に気を取られていて恵美子に接近する人影に気がつくのが遅れた。

 私服=女装が定番というトンデモな弘志にめずらしく、今日は白いセーターの上に黒いスーツジャケット、下が普通のブルージーンズという至極まっとうな男子高校生が普段着ていそうな服装をしていた。

「なんだ、今日はサトミじゃないんだ」

 いつものディパックを手に提げて現れた弘志へ、恵美子は開口一番そう言った。どうやら彼女も弘志がガーリッシュな格好をしてくるものと予想していたらしい。

 女物の服が苦もなく入る彼の体は時に中性的な魅力で、性別を問わずに人をハッとさせることがある。そんな格好の時はまるで女の子のように「サトミ」と呼ばないと返事もしない。そのくせ誰かがそういう格好をリクエストをすると絶対に男っぽい服装をしてくるというヘソまがりであった。

「さ、行こうか」

 気がついているぞという意思表示か、店内をざっと見まわしてから恵美子に向けて手を差し出した。

 恵美子は短く礼を言ってその手を借りて席を立った。

「目標は移動を開始」

 短くトランシーバーに囁くように正美は連絡した。相手はなにも答えずにただ二回スイッチを入り切りさせたノイズで返答する。

 恵美子の飲んでいた、ホットチョコレートのカップがのったトレーを手早く片づけた弘志は、先に立って歩き出した。

 それを見てすぐに立とうとした由美子の肩を空楽が押さえる。

「なによ」

 不機嫌に手を振り払う。

「尾行するにも距離を開けないとな」

 目を閉じた空楽が腕を組み直しつつ言った。

「そンなこと言って、まかれたらどうすンのよ」

「今日、僕たちだけだと思う?」

 正美が手にしたトランシーバーを振ってきいた。由美子は脱力したようにテーブルに突っ伏した。

「そうだわねえ」

 おそらく『常連組』のほとんどが同じように「おもしろい」と野次馬根性で、由美子の思いもつかないところから二人を監視しているのだろう。

 出口の自動ドアが閉まろうとする時、黒いタートルネックを着てエンジ色のスカートを履いた太めの少女と、タータン調のロングワンピースを着た背の高すぎる少女の二人が、弘志と恵美子の後を追って出て行った。

「あれも仲間内?」

 確認するようにきくと、意外な答えが返ってきた。

「あれは別勢力」

 理解できない顔をしている間に、テーブルの上は正美によって片づけられていた。

「行かないのかよ」

「藤原さんはさあ」

 トランシーバーのチャンネルを切り替えながら正美が逆にきいた。

「この町でデートするっていったらドコに行く?」

「えっと」

 宙を見つめて考えてみると、そうピンと来る場所が思いつかなかった。考えてみれば清隆学園に中等部の頃から通うようになって長いが、この周辺でデートしたことなど、まだ一度もなかった。

「食事にゃ早いし、デパートでショッピングじゃあ時間ありすぎだし。あと何があったっけ?」

「公設ギャンブル場と市民公園、それと国営の霊園だな」

 すっかり椅子の上で目を閉じて腕を組み、いつもの居眠りのポーズになった空楽が、口だけ起きている風に動いた。

「ギャンブルは学生ダメだろ。霊園に行くほど線香臭くないし、やっぱり公園?」

 由美子の答えを待っていたように、正美の持つトランシーバーが誰かの声を流し始めた。

「空楽はんの読みどおり、市民公園行きのバス停に向かいはっとるようよ」

「というわけだ」

 空楽は立ち上がった。

「バスって、どうやって追いかけンのよ」

「だいじょうぶ」

 彼は不敵に嗤って見せた。



「ねえ」

 並んで歩く弘志に恵美子がきいた。

「なんか変じゃない?」

「そう?」

 ディパックを肩にかけてひょうひょうと歩く弘志は、キョロキョロとまわりを確認する恵美子の態度に意を介さない。

「つけられているような…」

 後ろを見れば、二人組の女の子が慌てたようすで立ち止まり、そこらへんの壁面広告へ視線を移す。

「仕方ないんじゃない?」

 弘志はちょっと微笑んで恵美子の顔を見おろした。

「コジローは人気者だから」

「人気者?」

 足を止めてウーンと考え込む。

「人気者とは違うような気がする」

「じゃあなに?」

 彼女につきあって立ち止まった弘志はきいた。いつの間にか口調が女の子のように変わっていた。恵美子はそれにつられてしゃべり出した。

「強いて言えば、パンダ」

「パンダ?」

「そ。なにか遠くの国から連れてこられて動物園で、客寄せになっている珍獣ね」

「立つレッサーパンダとか、クリオネとか、ウーパールーパーとか、そんな感じ?」

「そうよ」

 長い髪を風にすきとかして恵美子は再び歩き出した。

「『学園のマドンナ』なんて人のこと祭り上げてさ。こっちの都合なんか考えないんだから」

 弘志は彼女の横でクスクスと笑った。

「私だって普通の高校生活送りたいもの」

 ちょっとふくれた恵美子の頬をつついて弘志は笑いをとめた。

「だって、コジローきれいなんだもの」

「努力してるもの。まさか、なんにもしないで維持しているって思ってる?」

「コアラとかラッコとか、エリマキトカゲ扱いされたくないんだったら、そんな努力しなければいいじゃない」

「それはそれ、これはこれ」

 女性が美を追究するのは自然なことだ。

 ついと弘志から顔をそらし、そして思いついたように首を戻した。

「ねえ、ウーパールーパーってなによ」

 一瞬口を開いた弘志は、すぐに閉じるとなんとも言えない含み笑いをした。

「両生類の一種で、体の長さは三メートル、体重は六〇キロにもなる、獰猛(どうもう)な肉食獣で…」

 恵美子は最後まできかずに先に行ってしまった。

「ちょ、ちょっと。せっかく説明しているのに」

 恵美子は弘志の肩に指を突きつけた。

「いつもそうなんだから」

「え?」

 なにかを透視された気がして弘志の表情は呆けたような物になった。

「ごまかしてばっかり」

「両生類っていうのは本当だって」

「やっぱりウソなんじゃない」

 軽く睨み付けてから思い出したようにきく。

「もう一つ。エリマキトカゲって?」

 それに対して一言。

「ジラース」



 市民公園の入り口あたりで派手な南洋の草木模様がプリントされたワンピース姿をした祥子が、携帯電話に、がなっていた。

「それで? 佐々木さんと彼はこっちのバスに乗ったのね」

 ワンピースの上に着たセーターといい、黒いロングブーツといい微妙に似合っていない気がする。いくら長袖だからといっても南洋の植物はこの寒さにあわないし、セーターはセーターで淡いピンク色をしていて、彼女ほど成長した女性にはそぐわなかった。それはもうちょっと幼さが残る「女の子」が着るべきものだった。

「で、どうなのよ」

 電話の相手は、自分が生徒会で取り巻きにしている一年生のようである。空楽が言った「別勢力」の二人組だ。携帯の向こうで二人が肩をせばめている様子が想像できた。

「先輩、あの郷見っていうコを調べたんですが、とんでもない男ですよ」

 遠回しにデートを中止するように言ってくる。

「あれでしょ。春にバスから佐々木さんを助けたっていうんでしょ。そのくらい聞いたわよ」

「そうではなくて」

 声を震わせて、二人を尾行させている一人が報告する。

「同じクラスのコが春に彼とデートしたっていうんですけど、どうやら酷い目に遭わされたらしくって」

「酷い目?」

 細い顎がさらに小顔を演出している祥子が少し不安そうな声になった。

「ああ、あれね。あの御門くんと一緒に科学部で怪しげな発明に取り組んでいるっていう噂? まさかデート相手に人体実験もないでしょうに」

 祥子の脳裏に、白衣をなびかせて両手にいかにもな液体を入れた角形フラスコを持った弘志が、高らかに悪人笑いをしている様子が連想された。

 幸か不幸か、彼女はそれが弘志の真の姿であることを知らなかった。

「いや、あの…」

 携帯の向こうで口ごもる。

「なによ。はっきりしなさい」

 ちょっと金属音的な声でしかりつける。

「いや、あの。そのコがどんなことされたか、はっきりと言ってくれなくて」

「口では言えないようなことなの?」

 祥子の脳裏の弘志の前に、手術台のような物に縛り付けられた自分が付け加えられた。

 あらためて説明の必要もないかと思うが、本物の弘志ならやりかねない構図である。

「ばかねえ」

 祥子はその想像を振り払うように首を振り、自分の価値観で判断を下した。

「あの可愛さの男をモノにできなかったからの負け惜しみと、見栄に決まっているでしょう」

 ちなみに生徒会の非公然活動の裏投票に『男子ミス清隆学園』なる部門があり、弘志はめでたく二位以下をぶっちぎって一位を占有していた。

 そういえばそんな美形の彼が、特定の彼女を作らなかったのも不思議である。

 エンジン音が近づいた気がして、隠れているつもりの立木から道へ乗り出してみる。

「あ、先輩。そろそろ到着します」

「見えてるわ。切るわね」

 私鉄バスは何事もなく市民公園のバス停に到着した。

 冬の公園に訪れる人数はそんなに多くはなかった。十人ほど関係がなさそうな老若男女が下車して、最後に二人が現れた。

 その様子を道の反対側の駐車場から双眼鏡で監視している姿もあった。

「読みどおりね」

 由美子は借りたツァイスをおろしてつぶやいた。

「読んだのは空楽でしょ」

 スモークシールドを貼った窓を薄く開けて同じようにしていた正美が言った。

「ヴッ。そ、そうだけど」

 由美子は手近に双眼鏡を置くと、車内を見まわした。

「でも、あつまったものだわねえ」

「だって」

 ダッフルコート姿の図書委員会副委員長、岡花子(おかはなこ)が日本人形のような微笑みでこたえた。

「気になるでしょ、あの二人。だから、おねえさんも出張(でば)ってきたんでしょ?」

 ふと感じた疲労感に負けそうになって由美子は体を曲げた。

 学園開闢以来の『武闘派』図書委員会首脳部にあって、唯一の常識派であるはずの花子までがここに来ているとなると、じっさいにどこまでの人間がこのデート監視に首を突っ込んでいるかわからない。

 すでにこのマイクロバス自体が清隆学園の大学に進学したOBのモノである。ハンドルも所有者本人が握っていた。

 他にも駅近辺で監視任務についていた様子の有紀と優を乗せていた。

 さらに正美が握っているトランシーバーでの交信から察するに、前もって複数の人物が市民公園に入り込んでいるようだった。

「どうしてこう暇人が多いのかしらね、ウチのガッコ」

 窓縁に頬杖して誰とはなしに漏らしてしまう。それを正美は聞き逃さなかった。

「藤原さんだって、その暇人の一人でしょ」

 学業優秀にして素行もそれなりに正しい権藤正美一六歳。最大の欠点は地雷原をまっすぐ走破する言動にあった。

 由美子は遠慮無く彼の鳩尾に拳をめり込ませた。



「プラネタリウム?」

 恵美子は意外そうに聞き返した。

「そう。あれ? 星嫌い?」

 エスコートする側の常識として彼女の分まで入場料を払いながら弘志が確認をした。

「え、嫌いじゃないけど」

 そのまま口ごもる。

(だってプラネタリウムっていったら、上映している間は会場が真っ暗になって、普通は恋人同士で入ったらキスの一つでもするのが定番じゃあ…)

 そんな乙女の心の動きを知ってか知らずか、弘志は会場前の展示室へうれしそうに走っていった。

「ほら見なよ。いまは三月だから冬の大三角と春の大三角が見れるんだぜ」

 展示室には電飾が施された星図がかざられていた。

「だいさんかく?」

「中学でやらなかった? 冬のはシリウス、プロキオン、ベテルギウス。春のはスピカ、デネボラ、アークトゥルスだよ。特に春の大三角を覚えておくと役にたつよ」

 弘志の細い指が春の星座に向けられる。電飾を際だたせるために暗めの室内に、ボウッと彼の輪郭が浮かび上がる。

 それはシルクロードに伝わる影絵のように妖しげな魅力を彼に加えていた。

「役に立つって?」

 一瞬見とれてしまったことを誤魔化すために恵美子はきいた。

「遭難した時に見つけることができれば、この近くに有名な北斗七星があるから、方角がわかるよ」

「遭難って…」

 そういえば、彼女が清隆学園高等部に入学してから何回遭難しただろうか。恵美子はあえて数えることをしなかったが、トンネルに閉じこめられたりしたのを含めれば両手の指では足りないほどのはずだった。

 その類い希なる化学の知識で目立たないが、じつは「生き残る」ことに関してはそこらへんの大人顔負けの技術を弘志は持っていた。

(あれ? ここは「遭難なんてしてたまりますか」とツッコミが欲しいところなんだけど)といった雰囲気で弘志は顔をあげた。

 ちょうど恵美子の後ろに、ミュシャの絵を真似たような画調で黄道十二宮のイラストが掲げてあり、彼女がそこにとけ込んで見えた。

 彼女の背後にあったのは乙女座のそれだったのだ。

 弘志も彼女に一瞬見とれたが、入り口の方から開場したと入場係の職員の声が流れてきた。

 入り口には短い列ができていた。そこにバスから一緒の二人組の少女と、大きな花柄のバンダナとサングラスで変装したつもりの祥子が並んでいた。

 変装のセンスが、由美子と同じレベルであることを知らなくて幸いであろう。もちろん暗がりの中で二人がいい雰囲気になったら邪魔するつもりである。

 ちなみに『常連組』に属している連中の顔は一切確認できなかった。それもそのはずで、ここの解説員がじつは清隆学園OGで、すでに知り合いという寸法である。

 先行して公園内に入った者から指向性集音マイクを渡され、それは解説員席にセットされていた。

 彼女は二人が空いている会場の真ん中あたりに座るのを見て、その筒先を調節した。

 弘志はいちおう会場内をみまわして確認し、暗くなる前にそれを発見していた。

 市営プラネタリウムの今日のプログラムは彗星と流星雨についてだった。



「なんか、心配して損だったわねえ」

 二人からだいぶ遅れてマイクロバスから公園内に入場し、プラネタリウムの近くで、黒い大きな機械に耳をそばだてていた由美子は安心したように言った。

 その機械に備えられたスピーカからは、プラネタリウムの解説をバックに、あの星が好きだとか嫌いだとか、他愛のない弘志と恵美子の会話が流れてくる。

 解説員席にセットされたマイクが拾った音声を電波で飛ばしてここで受信しているのだ。

「いちおうコジローも剣道の達人だから、郷見くんに、ただ黙って手込めにされる心配はないかと」

 正美に買ってきてもらった温かい缶ジュースを両手に持った花子が安心させる一言を言ってから、はたと気がついたように言い直した。

「いちおう郷見くんはあんなだから、コジローに、ただ黙って手込めにされる心配はないかと」

「誰がンな心配するか」

 くわっと牙を剥いてみせる。

 花子はコロコロと楽しそうに笑ってみせた。

「二人とも図書室でしてる会話のまんまだね」

 受信機につけられたダイヤルで感度を調整していた正美もつまらなそうだ。

 空楽に至っては向こうの芝生で、腕枕をして寝こけている。

「みんな、なにか事件が起きて欲しそうだねえ」

 正美の反対側で八木アンテナの角度を調整していた少年が、人相を悪くしてニヤリとする。

 彼は清隆学園高等部の御門明美(みかどあきざね)である。高校一年生にして数々の発明パテントを持ち、学内では「明日のノーベル賞受賞者のその候補」といった評価を受けていた。

 彼は苦労して化学、地学、天文、生物などの弱小部活を統合し、その上部組織である科学部を創設し、その初代総帥の座に納まっていた。

「その…」

 花子が彼の笑顔を見て絶句する。

 彼の数々の発明品にまつわる話しは学内で有名であった。この『象が踏んでも壊れない受信機』も彼の発明である。

 ただ唯一救いな事は、彼は創ることに夢中で、それを試すことをめったにしないことだ。理論値と実際に製作して得られた計測値の差が少なければ満足するタイプである。

 危険な発明をするのは、どちらかといえば弘志の方であり、また製作する物は必ず危険で摩訶不思議な物ばかりであった。

 そんな弘志がこの間つくったのは『臨界デイカレンダー』。日時を設定しておくと、ウラン溶液が染みこませてある紙が、自然と一日一枚のペースで下に置かれたトレーに積み重なり、最後は核分裂連鎖反応を起こして「たとえ空楽のような寝ぼすけでも絶対起きる」と自慢した品である。

 もちろん由美子の鉄拳制裁がその後に落ちた。

 ブルブルと体をわざとらしく揺らしてから由美子は言った。

「なんにも起きなくてけっこうよ」

 その時、正美の握っているトランシーバーにパチパチとノイズが入った。

「出てくるよ」

 正美は二回スイッチを入り切りしてこたえた。

「さてと、移動するか」

 いつのまにか四人の後ろに来ていた空楽が声をかけた。

「オマエは気配がないのか!」

「もちろんだとも」

 偉そうに胸をはる。

「気配をさとらせないのが忍びの者の基本だぞ」

 相手にするのが馬鹿馬鹿しくなった由美子は、受信機を片づけるのを手伝いに振り返った。

 その視界に並んで歩く二人が入った。

「あ」

 大きな声をあげそうになって、自分で自分の口を塞ぐ。

 五人は姿勢を低くして立木の影にひそんだ。

 幸い二人には気がつかれなかったようである。さらに後ろから下手な尾行距離をとった祥子とその取り巻きの二人が続き、さらにその後ろにまるで相撲取りのような体格の圭太郎が続いていた。

 トランシーバーを片手に持った圭太郎が目線だけで合図を送ってくる。

「とりあえず合流するか」

 受信機を立木の根本に放った明美が提案した。異論があるはずもない。

 六人に増えた一行は、はたから見て集団で遊びに来た学生に見えるように歩き出す。いや、実際そうなのだった。

 二人は公園の中にある芝生が植えてある丘の方に向かっていた。

「どこ行くつもりだ?」

 いちおう出口に向かっているようでもある。

「ベンチで愛の語らいかもよ」

 花子は通路沿いに適当な間隔でもうけられた瀟洒(しょうしゃ)な茶色をしたそれを見て言った。

 二人は芝生に入り、ゆるい丘の上に着くと立ち止まった。

 弘志がディパックからシートを取りだして広げる。

「ありゃ、あんなトコで」

「参ったな。あれじゃなに喋ってるかわかんないよ」

「そうだ、集音マイク」

 まっさきに気がついた圭太郎がプラネタリウムへとってかえし、続いて明美が受信機を取りに走った。

 なにをしてよいかわからず左右を見るだけだった花子に、空楽は微笑んで近くのベンチを指差した。

「ま、とりあえず座ったら」



 宇宙開発技術でつくられた断熱シートは冬の冷え切った地面の不快感を遮断していた。

 弘志はおにぎりを入れるような小さなバスケットを取り出すと、恵美子の前で開いてみせた。

 そこには簡単な素材でつくったサンドウィッチが入っていた。

「食べる?」

「すごい。つくったの?」

 自分はなにもそんな用意をしてこなかった事を恥ずかしく思った恵美子は、一個づつラップされたそれを覗き込んだ。

「まさか。おねえさんにつくってもらったんだよ」

「ええと」

 いつも由美子のことを「姐さん」と呼んでいる弘志の言動に、ややこしさを感じながら恵美子は小首を傾げた。

「それは郷見くんのお姉さんってこと? 郷見くんって何人兄弟?」

「うちは2人姉弟だよ。でも、これをつくったのは、おねえさんなんだ」

 不思議そうな顔が戻らないと見るや、弘志は少し照れたように視線を外した。

「えーと、普通の家だったらお母さんにあたる人を、うちでは『おねえさん』って呼ぶことになってるの。あれ? コジローは会ったことなかったけ」

「ああ。不破くんの恋人に間違えられた人ね」

 恵美子は長い髪を揺らして笑った。

「そんなこともあったねえ」

 弘志は遠くを見ていった。

 時はさかのぼって梅雨の頃。町で出会った美女に、空楽が思いを寄せるという事件があった。その事件のオチが、まさか弘志の母親だったというのは、常連組にとっていまだに語りぐさになっている。

 弘志はバスケットから一つ取り上げた。

「たぶんいけると思うけど、食べる?」

 サンドウィッチはちょっとカラシがききすぎていたが、それ以外は取り立てて不味いと言うほどではなかった。

 弘志がディパックから取りだした小さな魔法瓶の温かい紅茶を口に含んで、それで丁度よかった。

「なんでも入っているのね」

 感心した恵美子はちょっとだけ彼のディパックを覗こうとした。弘志はあわてて蓋を押さえる。

「あら、ケチね。ちょっとぐらいいいじゃないの」

「ダメ。企業秘密」

「見せてくれたらキスしてもいいよ」

 両腕を弘志の首にまわしながら恵美子。睫がかすかに震えていて瞳にはうるおいが満ちていた。

「色仕掛けでもダメ。それにコジロー、本気じゃないじゃん」

 ホンの一瞬だけ頬を染めて年相応の反応を見せた弘志は、優しく自分の首にまわされた腕をほどいた。

「それを言うなら郷見くんもでしょ」

「ちょっと待って」

 弘志はディパックの中から旧日本軍で制式化されていた拳銃を取りだした。

 いきなりぶっそうな物が出てきて息を呑む恵美子へウインクを飛ばし、遊底把を引いて送弾した。

 彼はそれを何気ない様子で構えた。

 狙いは二人から見て右側のベンチ。そこに座った二人組がなにげなく持っている猫ニャン棒であった。

 意外に軽い音がして、その銃口から6ミリ大のプラスチックの弾が発射された。狙いは違わずにそれは命中し、その猫ニャン棒は破壊された。

「な、なに?」

「聞き耳を立てられてたから、予防」

 手早くその物騒な物をしまいながら弘志は恵美子にウインクしてみせた。

「で、さっきの話なんだけど」

 弾が飛んでいった向こうでなぜか連続した爆発がはじまっており、そのせいで『常連組』が、なにかの機械で盗聴していたことを悟った恵美子は、少々強引に話を戻した。

「郷見くん、いっつも本気で私たちを見てないでしょう」

「そうでもないよ」

 心外だなあとばかりの弘志。いつも女子がいても下品な話しをやめない弘志だが、けっして嫌悪されてはいない。口では言っているが立ち回りに下心を感じさせず、かえって清潔感があるからだろうか。

 近所の小学生がバカを言っている程度でのレベルで聞き流してくれる。

 しかし今はしっかりと言葉と視線を投げかえしていた。

「酒と居眠り以外に欲望がない空楽と違って、俺も正美も男の子ですよ。いつもコジローやハナちゃんの魅力にドキドキしてるさ」

「王子は?」

「姐さんには違った意味で、いつもドキドキだね」

 笑顔で答えた弘志の前で恵美子は溜息をつきながら顔に手を当てた。

「ほら、そうやって誤魔化してる。はたから見てると二人とも相思相愛なのに」

「失礼な」

 眉をひそめる。

「それは誤解だって何度も言ってるのに」

「じゃあ、郷見くんは誰が好きなのよ」

 キッと睨み付ける。それからイタズラを思いついたような顔になって問いただす。

「やっぱり不破くん?」

 これにはさすがの弘志も脱力した。

「奴と、いや男とつきあうぐらいなら、オレゃ首括るよ」

「私にだけ教えてくれてもいいじゃない。いないって言わせないから」

「まあ、いちおういるにはいるけどね」

 弘志は観念したのか溜息をついた。

「なんでそれをコジローに教えなきゃいけないわけ?」

「それはもちろん」

 恵美子は座ったまま胸をはった。

「私が『学園のマドンナ』だから」

「ありゃ、こんな時だけそういうこと言うの」

 形もボリュームも十分魅力的な恵美子の突き出された胸にも、弘志は興味なさそうに言った。それに負けじと恵美子はきいた。

「納得できない?」

「うん。まだオレが誰のこと好きかを、姐さんと賭けたって言ってくれたほうが納得できる」

「じゃあ、実はそうなの」

 弘志が非難するような目線で見ても恵美子は小揺るぎもしなかった。

「あのさあ…」

「わかったわ」

 恵美子はひとつうなずいた。

「私、王子のこと好きなんだもん。えっと、変な意味じゃなくてね。でも王子さ、ほら不器用だから郷見くんと、うまくつき合えていないじゃない。はたから見ていて放っておけないというか、なんというか。私たちも、もうすぐ二年生になることだし、はっきりさせようと思って…」

 段々と視線が弘志から外れていく。

「だからオレとデートして確認したい、と?」

「そう。どう? 正直に言ったんだから、郷見くんも正直にこたえてよ」

「さて」

 弘志は難しい顔をした。膝頭に頬杖をつきしばし考え込む。

「なんと言っていいのかな。とりあえず言えるのは、いつもの通りに、オレは姐さんとつきあう気はないよ」

「好きじゃないなんて言わせないわよ」

「ただ好き嫌いどっちって訊かれたら、まあ好きの部類に入るだろうけどね。本当に嫌いな人間なら再起不能にしてきたからさ」

 あれだけ高等化学、特に爆発物に詳しい弘志に再起不能とされるというのは尋常な表現ではない。

 いつものおちゃらけた冗談だと聞き流そうとしたが、恵美子は弘志の瞳の奥に闇のようなものを感じ取って小さく身震いをした。

 剣道で都大会に出場するような腕前の彼女である。常人よりもそういった気配には鋭い。

 沈黙した彼女の前で、あくまでも明るく弘志は言う。

「うーん。正直に自分の考えを言ってくれたコジローには、ちゃんとこたえないとなあ」

 ちょっと言いよどんでから弘志は言葉をつないだ。

「オレも、恋人にしたいって思う程に好きなコはいたよ」

 視線だけを外して告白した。

「中学の時にもいたし、清隆に入ってから別に好きになったコもいる」

「だれ?」

 深刻な声で問われて振り返った。

「うーん、まあ。中学の時に片思いしたコに似ていたコって感じ?」

 小首を傾げながら言う。名前を告げない様子に恵美子は眉をひそめる。

「でも好きになる前に、そのコの境遇に同情しちゃったんだよね」

 恵美子の様子には構わず、空を見上げて告白は続いた。

「そういうのって、ほら、付き合ってもうまくいかないじゃない。だから、告白(こく)るのやめたんだよね」

「でも、好きなんでしょう」

 線の細い横顔が風景に溶け込んでいくような気がして、恵美子は心配そうに弘志の瞳を見た。

 彼は遠くを見ていた。

「うん。でも、もう諦めたから。会えなくなっちゃったからね」

 弘志は恵美子を振り返って、なんとも表現できない微笑みをみせた。

「ほら最近は、すぐにストーカーだとかいって騒がれるでしょ。だからわざわざ遠いところを追いかけてもね」

「それは極端すぎるよう。それに、そこで諦められるんだったら、最初からそんなに好きじゃなかったのよ」

 恵美子は怒った顔になった。

「そうかな?」

「そうよ」

 幼子のように頬を膨らませた彼女の顔をまじまじと弘志は覗き込んだ。

「コジローも意外と、かわいい表情するんだね」

 その言葉にカァッと赤くなってしまう。

「じゃあ、決まり。その娘のところに今度行こうよ。一緒に行ってあげてもいいし」

「もう後戻りしないつもりで?」

「だから」

 ドンと恵美子はシートを叩いた。

「ストーカーじゃないって、理解してもらえばいいでしょう」

「それコジロー言う資格ないじゃない。あんなにもらうラブレター、読みもしないで捨てちゃうんだもん。理解もなにもないじゃない」

「あれはあれ、これはこれ」

 一言で心に棚をつくって恵美子は乗り出してくる。

 弘志の顔が(わざとらしく)しょげたモノになった。

「あの中にオレのも入ってたんだぜ」

 恵美子の体の動きが止まった。

「まさか…」

 頬がさらに真っ赤に染まる。

 しばらくの間、二人の時間が止まった。

「残念でした。いまのは冗談」

 ペロッといつもの調子で弘志は舌を出した。

 呆然とした顔をして、今度は血の気が下がっていく恵美子。

 彼女の渾身がこもった右平手が弘志を張り飛ばした。



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