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一月の出来事・①



 副題:『やさしいみっしつ』


 東京都下、武蔵野の大地に存在する私立清隆学園は、幼年部(幼稚園)から大学院研究室まで揃えた学舎である。その一角に四つの校舎を組み合わせた高等部が存在した。

 制服は男女とも紺色のスポーツジャケットタイプをしたブレザーで、女子はベストを着用する。また襟あわせを変えてスラックスを着用するという、男子用制服に準じた女子用のパンツルックも用意されているが、こちらの制服を着用しているのは少数派だ。二十年くらい前までは黒い学ランと黒襟のセーラー服の組み合わせだった。これらは今でも第二種制服として着用が認められていた。が、こちらを着用する者はもっと少なく、着ているとすれば風紀委員を指揮している光明寺(こうみょうじ)三郎(さぶろう)委員長や、図書室常連の左右田(そうだ)(まさる)ぐらいなものだ。学帽も同じく制式は外れているが、いまだにD棟の購買部で購入することが可能である。

 そういう理由で、この界隈で紺色のブレザーを着ていれば清隆学園高等部の生徒と見なされることが普通であった。

 一日の課業が終わり、校舎内にはその紺色ブレザー姿の若人たちが、敷地内で溢れるように活動していた。それは校舎で一番北側に配置され、各科特別教室が集められている高等部C棟においても同様であった。

 高等部C棟二階に「司書室」と無愛想なプレートが入り口に掲げられたスチール製の引き戸が来訪者を出迎えるその部屋は、『剛腕』の名で学内に知れた委員長が率いる図書委員会が活動の拠点としている部屋であった。

 室内には帯出禁止の閉架と、蔵書整理のための設備、そして委員会の事務活動をこなす机が並んでいた。

 だが今年の司書室は一つ大きく違うところがあった。委員会に所属する者以外の出入りが多いのだ。

 最初は閉架に並ぶ珍しい本が目当てだったが、最近ではココでたむろうのが主な目的になっている、いわゆる図書室の『常連組』である。

 その集団が、ただの本好きなだけの連中ならば問題は少ないが、それに加えてお祭り好きの騒動屋が揃っているときているから始末が悪い。

 静寂が必要な図書室において、その最も対極にある連中なのだ。間違いなく現在の図書委員長の頭痛のタネだった。

「それで俺は言ったんだ」

 今日も中央廊下を右折して、その『常連組』の中核たる人物が姿を現した。

「魔法使いはパンチ禁止だと」

 得意そうに人差し指を立ててそう発言したのは不破(ふわ)空楽(うつら)である。少年期を脱しつつあるガッシリとした体格をし、動きやすいように髪は短く刈っていることから、どこかの体育会系の部活に所属していると勘違いされる少年である。だがそれはまったくの誤解で、帰宅部のエースであった。生来の物もあるだろうが、その肉体は主に自主的に体を動かして入れた物だろう。横を歩く話し相手であるひ弱そうな体格の少年とは対照的であった。

「え、基本的にマジシャンって格闘禁止じゃないの?」

 空楽の話し相手は銀縁眼鏡をかけた真面目そうな少年であった。彼はそのレンズの向こうで目をパチクリさせた。

 校則通りにキッチリと制服を身につけ、髪の毛もこざっぱりとしているという外見だけではない、その優秀な成績で無試験にて中等部から高等部へ進学することができたという、中身まで優等生の権藤(ごんどう)正美(まさよし)である。だが大人たちからの彼への評価は最近下降気味であった。高等部になって知り合った空楽や、ここにはいないもう一人の友人の個性が強烈すぎるためである。友だちは選んだ方がいいという見本であった。

「わかっとらんな、正美」

 空楽が偉そうに腕を組みながら言い放った。

「指輪をしたまま相手を殴ったら、殴る方も殴られる方も、ただ殴るよりダメージがデカいではないか」

「え?」

 頭に?マークをたくさん生やしながら正美が首を捻った。

「格闘なんだから、ダメージが大きい方が得のような…」

「殴られた方は最悪切れたりするし、殴った方も下手をすると指輪を填めた所で骨折するぞ。そんな事件でも起きてみろ」

 ずいっと正美の視界に迫って空楽が言った。

「PL法やらなにやらで、財団Bに対して訴訟が起きてしまうではないか」

「???」

「わからんやつだな」

 そう秀才の正美をバカにするように言ってから、空楽はちょうど辿り着いた司書室の扉に正対した。

「正美も、まだまだ色々と学ばなければならない事が多いようだな」そうフンッと偉そうに鼻息を一つついて空楽は、扉に手をかけた。

 ガラッと開けて、ガラッと閉めた。

「どうしたの?」

 一歩も室内に入らなかった空楽を訝しんで、正美が理由を訊ねた。

「い、いや。いま、変な物が見えたような…」

 高速で扉の開閉をしてみせた空楽が、顔の上半分を自分の手の平で拭いつつ、泣きそうな顔で正美を振り返った。

「変な物?」

 話しが判らない正美は首を捻るばかりだ。

「つかれているのかな…」

 なぜか動揺したような空楽は、まるでそこに電流が流れているかのようにスチール扉から一歩下がった。

「???」

 なにを怯んでいるのか判らずに、今度は正美が扉に手をかけた。

 ガラッと開けて、ガラッと閉めた。

 これまた空楽に負けないぐらいの高速で開閉してみせた正美が、同じようにとても複雑な顔をして空楽を振り返った。

「な?」

 同意を求めて空楽が短く訊いた。

 正美はフーッと長い息を吐くと、気怠そうに愛用の銀縁眼鏡を外して、ゆっくりとレンズをハンカチで拭った。

「おかしいな、度が狂ったかな」

 正美が眼鏡をかけなおすのを待ってから、空楽は彼と顔を見合わせた。

(お前が開けろ)

(いやいや空楽どうぞ)

(昼から幻覚か?)

(じゃあ、二人で開けようよ)

 目線だけでそんな言葉が交わされた後に、嫌々そうに二人の手が取っ手へ伸びた。

 ガラッと開いた。

 二人が開けたのではない、室内から誰かが開けたのだ。

「なにやってんの? 二人とも?」

 中から顔を出したのは一人の女子であった。薄暗いC棟の廊下であっても瞬いてしまうほどの輝く美貌を持ち、スタイルの方も画一的な制服に包まれているはずなのに、男子を悩ませるほどのメリハリを持っていた。

 長い髪を今日は結びもせずに下ろしている彼女は、全ての高等部男子の憧れる『学園のマドンナ』佐々木(ささき)恵美子(えみこ)であった。その肩書きは自称ではなく、月一回の割合で行われる生徒会(裏)投票で堂々一位に選出されて得た物だ。

「いや、その…」

 空楽が不思議そうな顔をしている恵美子に口ごもった。

「いや、だって…」

 正美も歯切れの悪いセリフで続いた。

「「なあ」」

 最後の同意を求めるような声だけが揃った。

「ああ」

 それで合点がいったのか、恵美子は自らの体をずらして室内を振り返った。

 いつもの見慣れた司書室が、いつもと違って見えた。

 普段ならば常連組が読書したり無駄話をしているはずの蔵書整理用の大テーブルの周りは片付けられ、一台のノートパソコンが、起動中だろうか開いて置かれていた。

 その前には三つ椅子が用意されており、右側以外は空席になっていた。一つはおそらく恵美子が着いていた場所なのだろう。

 左側の席に着いているのは、頬の高さで切りそろえたどこまでも青い黒髪と、まるで漉きたての和紙のように白い肌を持つ、もう一人の美少女だった。

 彼女は図書委員会で副委員長の役職に就いている(おか)花子(はなこ)である。出迎えた恵美子や、入口でショートコントをしていた二人と同じ、高等部一年である。

 入室してきたのが誰であるか確認するためであろう、彼女は椅子の上で振り返っていた。いつもなら屈託のない笑顔で出迎えてくれる彼女が、今日はちょっと困ったような様子をしていた。

 二人が問題にしていたのは、彼女でも恵美子でもなく、ノートパソコンの正面であった。

 そこに一人の人物が、面白くなさそうな顔をして半分だけ振り返りながら立っていた。

 最近忙しすぎてカットに行けないため伸びてしまった中途半端な髪をし、強い意思を感じさせる切れ長の瞳を持ち、ソバカスを鼻のあたりに散らしたそこそこの美人であった。

 司書室に彼女がいることには、まったく不自然なことはなかった。『学園最凶』『拳の魔王』『ミス清隆に勝った女』数々の異名を持つ彼女は、有象無象が入り乱れるこの図書室と司書室の主、図書委員長藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)その人だったからだ。

「や、やあ」

 常連組からしたら天敵といった相手に、それでも気安げに声をかけながら室内に入る二人。

 由美子は肩越しに睨んできた。といってもソレは普段からの行動なので、別段睨んでくること自体は問題ではない。

「どうしたの? 藤原さん」

 彼女の背景に燃え上がるオーラすら感じて空楽が恐る恐る訊ねた。

「なんのコスプレ?」

 正美の質問が彼女の鼓膜を揺らした途端に、ピシリとガラスへヒビが入るような音がした。

 由美子の顔を見ればわかる。なんとか取り繕った笑顔をしていたが、青筋が額に浮き始めていた。

 普段の彼女ならば鳩尾へ拳がめり込んでいるところだ。

 ところが青筋は立てたものの、由美子はいつにない微笑みをキープしていた。

 パンチの一つも覚悟していた二人がまた顔を見合わせた。

「外に『今日は特に入室禁止』って貼っておいただろ」

 なんとか平静な声を装いながら由美子が二人に注意した。

「そんなもの貼ってあったか?」

「はて?」

 呑気に確認し合っている二人の前で、さらにビキビキと破滅的な音がした。ただし、なんとか表情はキープできていた。

「王子、通信中」

 横から恵美子に取りなすように指摘されて、はっとして卓上を振り返った。

 王子とは女子たちが由美子を呼ぶときに使う呼び名である。その由来は正確には伝わっていなかった。

「わかってるわよ、コジロー」

 慌てて大テーブルのノートパソコンに向かって表情を取り繕った。

 コジローというのは恵美子の事だ。その苗字と、剣道部で都大会に顔を出すほどの実力で、エースとして活躍している剣の腕前からの連想で、昔の剣豪からついたものだ。

「藤原委員長どうです? サイズ」

 その時、聞き慣れない声が司書室に響いた。見まわしても新たな登場人物はいない、なにしろその声は起動中のノートパソコンからしたのだ。

「え、ああ」

 気勢を削がれた風の由美子は瞬時に残っていた殺気を消し、卓上の液晶画面に正対した。

「ちょっと肘が張るかも」

 そして彼女は自分の格好を見おろした。

 どこまでも純白なセーラー服に、これまたお揃いの白いプリーツスカート。清隆学園の第二種女子用制服の黒襟セーラー服とは違う、由美子が今まで袖を通したことになかった服であった。

「ひとサイズ大きくしてみます?」

 感想を聞いて、ノートパソコンから小首を傾げたような声が返ってきた。近づいて画面を覗いてみれば判る。そこには三人の人物が映っていた。真ん中に白い学ランを着た気難しそうな顔をした少年が、その両脇に今の由美子と同じ物を着た少女が一人ずつ、どこかの会議室のような場所に座っている映像だった。

「すぐに送り直しますけど」

 話しているのは向かって右側の少女であった。彼女は黒フレームのトンボ眼鏡をかけ、髪型を両側で三つ編みお下げにしていた。もちろん化粧など一つも施していなく、どこぞの学校の校則推奨のファッションをしていた。

 声と映像にほとんどズレがないことや、画面の下に出ている情報から、由美子たち三人は、この三人とインターネット回線を利用して会議中であったらしいことが判った。

「ンいや。大丈夫です」

 男どもに向けていた殺気だった表情を一変させ、余所行きの表情で由美子は答えた。

「で?」

 画面と、緊張しているらしい三人を見比べて、空楽が左の片眉だけを上げた。

「なんで藤原さんは、そんな格好を?」

「三つ星極制服なんて着て。藤原さんは『純潔』をネジ臥せるタイプかと」

 正美の発言に、他の清隆学園の者たちが小首を傾げた。対して画面の中の三人はつまらなそうな溜息をついた。

「なにを言っているのか判らないが…」

 ボキボキと指を鳴らしながら由美子は正美に正対した。

白膏学苑(びゃっこうかくえん)の方たちに不評なことだけは判った」

「わあ、ごめんなさい。反省した! 反省しましたから」

 さすがに『拳の魔王』の必殺技『アームストロングパンチ』を正面からまともに喰らいたかくなかったようで、正美は全力で謝罪した。

 と、我に返って聞き直した。

「白膏学苑? それってアノ?」

「アノかどうかは判りませんが」

 画面の中でお下げの少女は三人へ丁寧に頭を下げた。

「白膏学苑図書委員会副委員長の佐藤(さとう)和世(かずよ)と申します」

「ああ、これはどうも」

 男子どもが毒気を抜かれて、画面に向かってペコペコとお辞儀を返した。

「で? アノってなんだ?」

 空楽が正美に小声で素早く訊いた。

「九州にある進学校だよ。清隆学園と同じく優秀な人材を輩出しているんで『東の清隆、西の白膏』って有名なんだ。いわゆるライバル校って奴かな」

「『東の清隆。西の白膏』か…」

 自分の顎を撫でて思案顔になった空楽が、人差し指を立てて正美に訊いた。

「南の朱雀と北の玄武は無いのか?」

「噂によると沖縄にある県立高校に、ガンプラを素組みする部活があるとか…」

「???」

「その部活は素材のままでMS−〇六を組み上げることに拘る『素ザク部』があるという都市伝説が…。これをもって『南の素ザク』という」

 正美がまるで民明書房で刊行されている書籍から引用されるようなことを口にした。

「アホ言ってろ」空楽が呆れたように言ってから、ふと気がついたように聞き返した。

「しかしザクは緑色だろ。それで朱雀とは納得いかんな」

「じゃあきっと『三倍速い奴』なんだよ。それとも『深紅の稲妻』かも」

「をを!」

 馬鹿な話しを続けていると、由美子が大きく咳払いをした。慌てて真面目路線に戻る。

「して白膏学苑となんで通信を?」

 しばしの沈黙の後に、空楽と正美は再び顔を見合わせて、同時に人差し指を立てた。

「「カチコミか!」」

「ンなわけ、あるか!」

 一喝だけで二人が部屋の端へ飛んでいきそうになった。ノートパソコンに具えられたCCDカメラを通してこちらを見ている和世が、肩を細かく揺らしながらも平常な表情を取りつくった。

「今度の週末に、両校図書委員会の交歓会を計画しているんです」

 無理に笑いを抑えているために、言葉の端々をピンポン球のように踊らせながら和世が説明してくれた。

「その交歓会の一環で、藤原委員長をこちらの委員会にオブザーバーとして参加して貰おうという企画が上がっていまして」

「それでこのコスプレか?」

 いつの間にか戻ってきていた空楽が、身長差から由美子のセーラー服姿を見おろした。

「てっきり危ないビデオに出演するオファーかと」

「ンなもン! くるか!」

 とうとう顔を真っ赤にして怒った由美子は、大テーブルに置いてあった長定規をペン立てから空楽へ、抜き打ちに撲ちかかった。それをすんでの所で白羽取りする空楽。

「まあ他のトコを見てくるってのも勉強になるかもね」

 正美が優等生らしく横から話しを纏めた。

「藤原委員長、こちらの方々は?」

 そろそろいいだろうと言った態で真ん中の少年が口を開いた。画面からでは正確なことは判らないが、空楽と比べても遜色が無いほどのいい体格を彼はしていた。声の方も体格に似合って重々しく落ち着いた響きを持っていた。

「ああ、コイツらね」

 我に返った由美子は、空楽が拝み止めている定規を放りだして席に戻ると、肩越しに親指で指差しながら適当な声を出した。

「ただの図書室常連で、委員ですらないから気にしないで下さい。そっちから権藤と不破。こちら白膏学苑図書委員会の方々」

 それでもお互いを紹介しようとした由美子は、真面目の部類に入るであろう。

「委員長の野原(のはら)由彦(よしひこ)です」

 画面の向こうでただ一人の男子である真ん中の少年が名乗った。

「副委員長の佐藤和世です」

「書記の猿渡(さるわたり)美智(みち)です」

 由起夫の自己紹介にあわせて他の二人も名乗りを上げた。すでに名乗っていた和世も、もう一回名乗ったところを見ると、彼女も真面目な性格なのであろう。左側のふわふわした長い髪の娘は、声までもふわふわしていた。

 つまり日本列島を半分ほどの距離を挟んだ長距離で、両校の図書委員会のトップ会談を、インターネット回線を経由して行っているところに、タイミング悪く空楽と正美はやってきてしまったらしい。

「ねえ」

 不思議そうに正美は恵美子に囁いた。

「?」

「委員長の藤原さんは当然として、ハナちゃんは副委員長…。でもコジローは何で同席しているの?」

 正美の疑問に、複雑な微笑みで恵美子は答えた。

「王子曰く、他の役職が頼りにならないからだって」

 清隆学園図書委員会も、他の委員会活動と同じように委員長をはじめとして複数の役職の者が半年ごとに一般委員から選出される。今年度後半期の委員長は由美子、副委員長は花子なのは常識として、他の書記や会計に就任している生徒も、もちろんいた。だが日替わりでのカウンター当番のローテーションにすら困窮するほど、今期の図書委員会は人材に恵まれていなかった。書記、会計に選出された二人の女子にしてもやる気は全くなく、週一の委員会会合にすら顔を出すことは希であった。

「じゃあ人数合わせということ?」

 正美の導き出した答えにうなずく恵美子。彼女は由美子と同じクラスであり、また『学園のマドンナ』と呼ばれるにふさわしい美貌で見た目が映えるから、といった理由で同席を依頼されたのだろうと推察できた。

「常連さんですかぁ」

 声までふわふわしている印象の美智が、画面の向こうから楽しそうに発言した。

「図書室に常連なんて、勉強家なんですね」

「いやいや」

 真ん中の席に座り直しながら由美子はこたえた。

「すぐに騒ぎを起こす困り者なンですよ」

「どこも一緒ね」

 コロコロと美智が笑うと、由彦は笑い事ではないといった感じで渋面となり、和世は他人事のように画面外へ視線を泳がした。

「やはり、そちらにも常連がいるんですか」

 会話がスムーズに行けば話題ならなんでもいいとばかりに花子が水を向けた。

「ええ」

 ふーっと気苦労が多そうな溜息をついた由彦が答えた。

「こちらも騒ぎばかり起こすやっかいな連中を抱えていまして」

 同じ図書委員長同士で共感できるのか、由美子もしきりにうなずいてみせた。

「そういえば」

 笑顔を振りまく美智がパンと手を打ち鳴らした。

「そちらには“さとみひろし”さんが、いるんですよね?」

「は?」

 意外な人物の名前が出てきて、清隆側の全員がキョトンとした顔になった。

「さとみひろし? さとみひろしって、郷見弘志のことですか?」

 由美子の変な日本語の切り返しにも、ふわふわな笑顔のままでうなずき返す。

「ええ。もしかして、お知り合いじゃないですか?」

「知り合いも何も…」

 どう説明しようかと由美子が口ごもると、横から恵美子が明るい声を上げた。

「王子のカレシです!」

「えっ」

 今度は白膏学苑側がキョトンとする番だった。

「ちょっと待てコジロー!」

 由美子がたまらず声を上げた。なぜだか分からないが、恵美子は由美子と弘志をくっつけたがっている節があり、こうして事あるごとにアピールしてくるのだ。

「そンなことないですから!」

 その郷見(さとみ)弘志(ひろし)というのは有象無象がいる『常連組』の中で一番彼女の天敵たる少年のことだ。ここにいる全員と同じ一年生でもある。由美子とは高等部に入学してすぐに起きたとある事件で縁ができてしまったが、それ以来ろくな目に遭っていない。

 女子と間違えられそうな外見をしているクセに、下ネタと科学実験をこよなく愛する変人である。あまりの危険人物のため、由美子は自分から半径一メートル以内の空間に立ち入ることを禁じているぐらいだ。恋仲になるなんて、あまり考えたくないことだ。

「ええっ! 男の噂なんてしないシマコさんが、わざわざ出した名前だから、てっきり…」

 美智は口元に自分の拳を当てて絶句した。

「しまこさん?」

 初めて耳にする名前に、清隆側の人間が顔を見合わせた。

「こちらでは、もっぱら噂になっていたんですよ。あのシマコさんが男の子の話しをするなんてって。どんな子なんだろうって」

 反対側の和世も興味津々といった顔になっていた。

「あのバカならそこらへンに…」

 いつもの調子で司書室の中を見まわし、そこに発見できなかったので、図書室との仕切りに設けられたガラス窓へ視線を走らせ、その向こうにあるカウンター越しに図書室内を確認した。

 珍しいことに弘志の姿はドコにも発見できなかった。いれば騒動屋の彼だ、必ず目に着くはずだ。

「ヤツならアレだぞ」

 不安げな顔になった由美子へ、同じクラスの空楽が消息を知らせた。

「羽の生えた天使の暴走を止めるために、研究所の魔法陣の書き換えに駆り出された」

 その意味不明なセリフに、いつものヨタ話と理解した由美子は、ジト目で空楽を睨んだ。

「厨二発言もたいがいにしろよ」

「いや、本当だって」

 信じて貰えないなんて心外だと声を荒げる空楽。

「はいはい、わかったから」

 適当にあしらっていると、白い袖を横から引っ張られた。

「?」

 振り返ると恵美子が頬に立てた手を当てて画面から口元を隠していた。内緒話の合図だ。だが彼女から発せられた声は普通に会話するレベルで、この部屋にいる者だけでなく、画面の向こうまで聞こえた。

「これはアレよ。郷見くんの元カノか、それか遠距離(恋愛)の相手ってことじゃない?」

「元カノ?」

 由美子の脳裏に一瞬だけだが、軽薄そうに笑う弘志と腕を組む白セーラーの女子というビジョンがよぎった。ちなみに彼と腕組みをしている女子に、つい今の自分を想像してしまって、頭を振って慌てて取り消した。

 そんな由美子の思考が判っているのかいないのか、恵美子が面白そうに言った。

「本妻としては浮気を許しちゃダメよ!」

「誰が本妻か!」

「だって、気にならない?」

 激昂する由美子の様子もドコ吹く風とばかりに微笑んだ恵美子が言った。

「アノ郷見くんのカノジョでしょ」

「あのバカが、いつどこで誰と何をしていようと、アタシにゃ関係ないし!」

「ふむふむ。浮気には寛容と…。さすが本妻の貫禄ぅ」

「コジロー!」

「ねえ」

 由美子をほったらかして、恵美子は画面を振り返った。

「交歓会の参加人数って、今から増やせます?」

「はあ、まあ」

 あまりの急転直下に話しが進んで、白膏学苑側の三人は目を点にしていた。

「ですが会議の予定は今週末なので、人数分の宿泊施設が用意できるかどうか…」

 和世が由彦の顔色を窺いながらメモ帳を確認しはじめた。

「いえいえ」

 恵美子は余裕たっぷりに微笑んだ。

「藤原委員長をエスコートする役が、二人ほどついて行くだけですので、お構いなく」

「二人?」

 お互いが顔を見合わせる中、恵美子がその豊満なバストを強調するかのように胸を張った。

「もち、私と副委員長のハナちゃん」

「うーん」

 由美子の反対側で花子が眉を顰める声を出した。

「それはちょっと無理かも」

「無理? なんで?」

 まるで休日のショッピングを断られたノリで恵美子が訊ねた。

「お姉さんが白膏学苑に行っている間、こっちの図書室はどうするの?」

「どうするって…」

 恵美子は室内を見まわした。司書室には先程から説明している五人しかいなかった。その内、図書委員会で責任を取る立場の二人以外に、委員は存在していなかった。

 ちなみに現在の図書室でカウンター業務を行っているのも委員ではなく『常連組』の男子数名であった。

「まさか不破くんたちに任せるわけにもいかないし」

 副委員長の花子が常識的な判断を口にした。

「誰かがお留守番してないといけないでしょ」

「そんなぁ。ハナちゃんは見たくないの?」

「興味はあるけど」

 花子は可愛らしげに口をすぼめて思案顔になった。だが、やはり責任感の方が優ったのだろう、パッと表情を戻した。

「私の代わりにコジローが見てきて。おみやげ期待しているから」

「九州というと…。カラスミ?」

 恵美子が聞き返すと、ピントが来ていない様子で花子が首を捻った。

「我が校は北九州と言っても、門司ですから。カラスミはあまり有名ではありませんよ」

 画面の向こうで話しを聞いていた和世が口を挟んできた。

「門司というと…」

 空楽が首を捻った。

「バナナの叩き売り?」

「それにちなんだおかしもありますよぉ」

 今度は美智がふわふわした声で付け加えた。

「オルゴールも有名です」

 自身が鋼鉄で出来ているような由彦が言うと、重みがあった。

「いや、ここは『平塚の明太子』だな」

「をを!」

 空楽の言葉に向こうの三人がどよめいた。清隆学園側の人間は話しが判らなかった。

「『ふくや』でなく、わざわざ『平塚』を選ぶなんて…」

「それは、おいしいの?」

 根っからの東京育ちの正美が訊くと、現地の三人と一緒に空楽までうなずいた。

「味がまるっきり違う。俺は『平塚の明太子』を薄く切ったヤツで冷酒が好みだ」

「ひやざけ?」

 向こうの未成年が目を点にしている隙に、由美子の踵が空楽の足の甲へ落とされた。

「じゃあ、おみやげは楽しみにしておいてね」

 と素晴らしいウインクを飛ばした恵美子に、由美子の攻撃がまったく効かなかった風を装った空楽が聞き返した。

「なんでコジローがコッチの代表なのかという疑問があるが?」

「王子のトモダチだから」と素晴らしい笑顔を見せた後に「じゃあダメかな?」と、目にした男の全てが庇護したくなるような不安顔をしてみせて聞き返した。

「あーと、うーと」

 どう答えようかと空楽が迷っている間に、何度も踵で踏みつけていたが全く相手が平然としているので、面白くなさそうな顔になっていた由美子が、腕組みをして断言した。

「ダメに決まっているでしょ」

「えー」

 少女らしく恵美子は、由美子の袖を摘むと、おねだりをする幼児のようにツンツンと引っ張った。

「いーじゃなーい。おーじのケチー」

「だあめっ!」

 キッと睨み付けられてしまった。

「じゃあ、代わりに権藤くんが行くっていうのは?」

 恵美子が代替案を出した。

「へ?」

 まさか自分に話が持ってこられるとは思いもしなかった正美が、銀縁眼鏡の向こうで目を点にした。そんな事はお構いなしで恵美子が念を押した。

「もちろん行くわよね」

「へ?」

 話が見えない正美は、救いを求めるように由美子の顔を見た。

「う〜ん、権藤かぁ」

 由美子は腕組みをして思案顔であった。

「権藤くんなら真面目だし、いいんじゃない?」

 花子まで賛成するようだ。

「それって…」

 空楽が眉をハの字に寄せて情けない顔になった。

「俺が真面目ではないと?」

「…」

 全員の視線が無言で空楽に集中した。きっかり十五秒後に恵美子が正美を振り返った。

「王子のエスコート役よろしくね! 権藤くん」

「ちょおっとまて!」

 空楽が上げる声は自動的に無視された。

「ふん。まあ、荷物持ちぐらいの役には立つだろ」

 由美子は不承不承ながらもうなずいた。

「まてまて! 体力なら俺の方が!」

「まさかライバル校に『保健室で消毒ビンの蓋が開いていたような臭い』をさせる人物を送り込めるわけないし」

 さくっと花子が、笑顔で酷いことを言っていた。

「俺が宿酔いするなんて、たまにだけだぞ」

「はあ、まあ」

 まだ話の転回についていけていない様子の正美に、恵美子は口元からチャームポイントの八重歯を覗かせながら微笑んだ。

「王子だって、か弱い女の子なんだから。しっかり守ってあげてね」

「それには異論があるぞ」

「あンだって?」

 それまで流されていた空楽のセリフだが、こういうときにはしっかりと由美子の耳に入っていたりした。



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