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幕間・⑪

 昨晩、電話が来た。

 藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)は自分自身でも驚くほど、冷静な態度だった。

 彼女の通う清隆学園の後輩が亡くなったというのだ。

 だが、やはり動揺はしていたようで、今日の授業は全く頭に入らなかった。

 思考というものが完全に停止していて、いつも繰り返している事柄を、ただ反射的にこなしているだけだった。

 お通夜は今夜、葬儀は明日の朝からなんだそうだ。

 その娘が在籍していた中等部のクラスは、明日全員で参列するそうだ。

「藤原、ちょっと」

 昼休みが始まる直前にわざわざ担任が現れて、彼女に昨晩の電話と同じ内容の事を告げた。

 担任は、由美子が入院していた彼女を、毎週欠かさずに見舞いへ行っていたことを知っていたのだ。

「なんだったら明日、公休を認めるが?」

 壮年の教諭はすでに申請のための書類を揃えていた。

 由美子はその言葉に甘えることにした。

 彼女は午前中と同じ感覚のまま、書類を手に図書室のある高等部C棟に向かった。

 彼女は一年生ながら図書委員会で委員長の職に就いているのだ。

「どうしたの? 王子?」

 暗い顔をして図書室の隣にある司書室に現れた由美子に、図書室常連組の佐々木(ささき)恵美子(えみこ)が心配そうに訊いた。

 王子というのは由美子の愛称である。そのかわり恵美子はコジローと呼ばれていた。

「ン? なンでも」

 いつも昼食の時に使わせてもらっている司書室の応接セットに座り、鞄からお弁当の包みを取り出したが…。

 食欲がまったく湧かなかった。

「食べないの?」

 不安そうに恵美子がうつむき加減の由美子の顔を覗き込んできた。

 とりあえず心配させないように微笑んでみせた。

「ちょっとね」

「お茶だけでも飲む?」

 反対側から副委員長の(おか)花子(はなこ)が、由美子用の湯呑みに、備品の急須からお茶を注いでくれた。

「ン。そうそうハナちゃん」

 やっとこ顔をあげて、彼女の顔を見ることができた。

「あたし今日の放課後と、明日一日委員会抜けるから、業務よろしくね」

「休むの?」

「まあね」

 元気が取り柄みたいな由美子が休むと聞いて、二人の目が丸くなっていった。

 高等部に進学してから、彼女たちは数えるのが嫌になるほどの事件事故に遭遇した。そうしておきながら、いまのところ授業は皆勤賞のはずである。

「なんかあったの?」

「コジローは会ったことあったっけ」

 今年の夏休みに一緒に海へ行ったことがあったはずだ。

「トール。トールがね…」

 やっと胸の奥から熱い物がこみ上げてきた。

「おや」

 瞳に湿り気が登ってきたところに、間の抜けた声がかけられた。

 銀縁眼鏡に一糸乱れずにきちんと身に着けた制服。

 図書室常連の権藤(ごんどう)正美(まさみ)である。成績優秀の模範生だが、欠点は誰にでもあった。

 彼の場合は、デリカシーという物が欠如していた。

「藤原さん風邪? 鼻の頭が赤いよ」

 由美子は黙って正美を殴り飛ばした。こんなやんちゃな委員長に男子がつけた渾名が『拳の魔王』である。

「いたそ」

 正美と同じクラスでウマがあうのか、いつも一緒にいる郷見(さとみ)弘志(ひろし)が同情するかのような声をあげた。

「ふん」

 その後ろを、つまんなさそうに不破(ふわ)空楽(うつら)が通り過ぎた。いつもの自分の場所に当然のように座った。が、この三人は常連と言うだけで、図書委員会が仕事に使用するこの部屋に、入室する権利はないはずだった。仲良し三人組に着いた呼び名が『正義の三戦士(サンバカトリオ)』。

「郷見」

 行こうとする弘志の肩を由美子はつかんだ。

「あらん。乱暴はおよしになって」

 女言葉をつかって、骨の抜けたようにシナを作りながら振りかえる。彼は長めの茶色がちな髪と、卵形のほっぺで女の子に見えなくもない。たまにこうして女言葉をつかうと、本物の女子である由美子よりも色っぽいぐらいだ。

「なにが乱暴だよ」

「じゃ、暴力」

「一発殴るよ」

「な、なぐってからいわないで…」

 鳩尾に由美子のパンチをくらった彼が、力無くそこにしゃがみこんだ。

「郷見…」

 じっと見おろす。彼も見上げた。

 見つめ合う二人の様子に、恵美子がハートマークをばらまきながら声をあげた。

「やっだ〜。二人とも見つめ合っちゃって。とうとう仲直りなのね」

 二人同時にガックリと脱力し、それから彼女を睨み付けた。

「「誰がだ!」」

 異口同音に声を張り上げてしまった。

 二人とも、お互いをまるで親の仇のようにいがみ合っているのだが、恵美子は二人が恋仲になるべきだと思っている。もちろんまったくの誤解である。

「王子と郷見くんってお似合いでしょ」

 悪びれず言う恵美子に、由美子はずいっと一歩前に出た。

「な、なに?」

「ビシッ」

 と口で効果音を出しながら由美子は彼女にデコピンを炸裂させた。

 その隙に弘志はその場を離れ、花子に近づいた。

「ハナちゃん、オレたちにもお茶いれて」

「…もしかして?」

「?」

 恐る恐るといった様子で花子は弘志にたずねた。

 花子にしては勇気を振り絞って口を開いているのだろう。元気がとりえの由美子や、体育会系の恵美子とちがって、彼女は普通の女子である。

「不破くん、機嫌悪いの?」

「あ、わかる? もう暴風雨なみ」

 二人して空楽を見る。しかし、いつもの席に座った空楽は、いつもと同じようにそこで文庫本を開いていた。

「古文の有坂先生なんかさ“起きている”空楽にびっくりしたぐらい」

 居眠りと読書、そしてアルコールをなによりも愛している空楽が、授業中に起きているなど、大都会の流れ星なみの珍事であろう。

 ケラケラ笑って身長差から花子を見おろすと、花子はじいっと弘志の顔を見つめていた。

「あれ? なんかついてる?」

「郷見くんも、もしかして機嫌悪い?」

「悪くはないけどね。いつもとは違うかも」

 他人事のように自分のほっぺに右手をあてて眉を顰めてみせた。

「郷見」

 花子が続けてなにか訊こうとした時、恵美子とけりをつけた由美子がやってきた。

 由美子と弘志はまた見つめ合う。その微妙な時間に、花子はすうっとその場を離れた。

「もしかして…」

 真剣に弘志は訊いた。

「藤原さん風邪?」

 由美子の拳が容赦なく炸裂した。



 由美子は会場で受付係を引き受けた。

 簡単に言うと、逃げたかったからだ。

 一週間ぶりに再開した後輩は、白い箱の中に横たわっていた。

 死に化粧された彼女を見て、彼女は恐怖を感じた。

 誰にも避けることの出来ない現実。やがてくる死。

 長い闘病生活で体は細くなっていたが、穏やかな表情で横たわる彼女。

 ふと思い出す夏の遠出。

 由美子と同じ高等部に通う男子に片思いをしていることを打ち明けられたのは、夏が始まる頃だった。由美子は彼女と一緒にその彼を海へ誘った。

 彼女の外出はそれが最後だった。

 まさか会場からも逃げるわけにもいかず、無理に引き受けた受付係。彼女の前に置かれた参列者名簿に、少なからず学校関係者の名前がしたためられた。

 でも彼の名前は書かれない。

 由美子が知らせなかったからだ。

 生前の彼女との約束である。彼には自分が重病人であることを教えない。なぜなら同情で優しくされたくないから。

 式もだいぶ進み、参列者も少なくなった。

「出棺になります」

 斎場の職員が正面入り口の観音開きの扉を開いて、ロビーに告げる。そこに残っていた幾人かの関係者と、斎場から出てきた親族が、台車に乗せられて引き出されたお棺のまわりに集まった。

 その時、入り口から駆け込んできた人影があった。

 黒のタイトなワンピースに喪章をつけ、ソフト帽から黒ベールをおろして顔を隠していた。長い黒髪と白い肌、そしてそこだけが目立つ唇は臙脂色の落ち着いた色の口紅をひいていた。

 低いパンプスまで黒一色のその女性は、少々乱暴に由美子の前に香典袋を置き、いま蓋が閉められようとするお棺へ、小走りに走り寄った。

 ベール越しに投げつけられた視線に既視感を感じて、その中年女性らしい背姿へ視線を泳がした。

「藤原さん。これが最後ですから」

 意外にしっかりとした声が横からかけられた。振りかえると彼女の母が微笑んで立っていた。

 手元の白いハンカチが少し震えていた。

 一瞬ひるんだ由美子に、彼女は微笑みを崩さなかった。

「別れを言ってあげて下さい」

 のろのろと近づくと、お棺の中がよく見えた。

 白い花々に囲まれて小さな体が横たわっている。その脇にはノートと鉛筆が入れられていた。

 彼女は学園で漫画研究部が発行しているコピー誌に投稿する常連だった。家族の誰かが向こうでも困らないように入れたのであろう。

 ふと視線を感じて面を上げると、先程駆け込んできた女性が、ちょうど反対側からのぞきこんでいるところだった。

 女性は彼女の横に、なにか切符のようなものを置いた。

 そうしてから、そっとベールの下へ黒いハンカチを差し込んで、わずかに瞼のあたりをおさえた。

 泣いているのだろうか? しかしハンカチはすぐに戻された。

 涙が出てこない私はひどい人間なのかも。漠然とそういったような事を思ったが、しかし彼女の瞳にはそれが浮かんでこなかった。

「それでは…」

 あたりに響くすすり泣きの声に遠慮したのか、斎場の職員がおずおずと蓋を取り上げた。

 彼女の父がそれに手を貸した。

 機械的におろされ、顔の前にもうけられている小扉からだけで内部のようすがうかがえた。

 細い指がのばされ、そのセロファンごしに彼女の顔を撫でようとした。

 先程の女性だ。

 まわりへかまわずに愛おしそうに指を行き来させた。

「よろしいですか?」

 やわらかい口調で斎場の職員が女性に合図をする。後ろ髪をひかれたようにその女性はお棺から離れた。

 由美子は忘れないようにと改めて彼女の顔を見た。

 おだやかに閉じられた瞼。

「それでは名残惜しいかと思いますが、時間ですので」

 小扉は閉められた。

「焼き場まで来ます?」

 目を赤くした彼女の母が由美子に訊いた。

「いえ、お金の管理をしてないと。こういう所は盗難が多いっていいますから」

「そう」

 残念そうに彼女の母は言った。

 逃がしてくれたことに感謝しながら、由美子は香典袋が重ねられた受付に戻った。

 仕事はある。誰が来たのか名簿を整理したり、香典の合計金額を計算したり、家族が手一杯ないま、やろうと思ったらいくらでもやることはあった。

 ふと、由美子の視線が参列者名簿の最後の名前にいった。

 そこに彼の名前をみつけて、あわててロビーを振り返った。

 焼き場へ移動したために、誰もいない。あの駆け込んできた女性もだ。

「サトミ?」

 由美子はつぶやいてから首をなんども振るのだった。


幕間11・おしまい


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